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第五十五話 急襲、獣人メルゲーン

 とりあえず動き続けなければならない、戦場で止まればただの的だと誰かがアニメで言っていた気がする。かといって無暗に動くと目立って攻撃を受けかねない。そこで彼は先ほどのように他の悪魔の影を身を屈めて縫うようにちょこまかと動くことにした。この身長だと身を屈めるのは少し腰にくるが、わがままは言ってられない。仲間たちが勇者と乱戦に持ち込んでいる中、ヘクゼダスは一人木の陰に身を潜めそっと様子を窺っており、実に卑怯で情けないことこの上なかった。

「うわっ、おええ……」

 仲間が次々と切り倒され、おびただしい量の血や臓物をぶちまけていく様を見て思わずえずく。

「グロいややっぱり」

 自らも人間たちをぶち殺してきたのでグロッキーには慣れてきたつもりだったが、ふと正気に返ってみればまだまだ慣れていないことがよくわかった。

 肩を誰かが叩き、驚いて飛び上がり顔面を木の硬い表皮にこすり付けた。

「ドウワイッ!!うっ、誰だ!」

 少し痛む鼻をさすりながら彼は振り返った。そして見下ろす。そこにいたのは猫型の獣人であった。毛色は銀灰色のアメリカンショートヘアままといったところか。身長はヘクゼダスよりはずっと低く、人間の女性くらいだろう。だが獣人らしく二足歩行で手足はむき出しで形は人間寄りの人間と猫の中間といったところか。現状はヘクゼダスにそれほど観察する余裕はなかった。心理的余裕という意味もあるが、それはその獣人が振り返ると一秒ほどで攻撃を仕掛けてきたためであった。

 その手に握られたメイスが、ヘクゼダスの横腹を激しく殴打した。その巨体にも関わらず、攻撃を受けた彼は十メートルは飛んだであろう。彼が激突した木はへし折れ彼を受け止めきれはしない。

「オッゴ、おっげえええ……いでええ、いでええよおおお……」

 あまりに巨大な痛みが体中に広がり、まともに体を動かせない。彼はヴェッチェやキエリエスの攻撃はかなり手加減されたものだったことを痛感した。痛みに霞む目に映る獣人は、更にメイスを振りかぶってこちらに迫っている。回避しなくては、殺される。死を覚悟したヘクゼダスは、死に物狂いで痛む体を押して地面を転がる。無様な姿だが、ぎりぎりで振り下ろされた攻撃を回避した。砕けた根の破片が顔に当たる。

「逃げるんじゃないよ!」

 その声から獣人は女らしい、だがそんなことは関係ない。女だろうが猫だろうが獣人だろうが今自分を殺そうとしている死神に変わりはない。

「どうじで……いづのまに……」

 まったくもって敵の接近には気づかなかった。それに何故自分を狙うのか。獲物なら向こうにたくさんいるのに。理不尽だ、と思いながらも彼は腹を押さえてよろよろと足元の悪い森を逃げる。

「情けない悪魔だねぇ!」

 メイスに魔力を込めた一撃が、地面に振り下ろされる。メイスが地面にあたると、地面が砕けそれは逃げるヘクゼダスに向かってホーミングした。

(ず、ずる)

 そう思っている内に攻撃が到達し、彼はまた吹っ飛ばされる。砕けた地面が彼の背面を強く打ち、加えて地面に叩きつけられダメージが増す。

 ヘクゼダスは泣いた。流れぬ涙を憎みながら血反吐を吐いた。たった一人に勝てぬ己の弱さと、立ち向かうことのできない情けなさに、悔しんだ。焦げ茶色の地面に、光をも通さぬ真っ黒な血が染み込んだ。内臓の損傷する痛みとはこういうものだろうかと痛感する。

「死になよゴミクズ!!」

 青い炎を纏ったメイスが、高々と上げられた。

「ヴァ、ヴァール・グラオラス……」

 弱弱しい声で、右手を顔の前に出す。振り下ろされたメイスが、とうにそんな力もないはずの右手に受け止められ、獣人は困惑した。すぐさま跳び退ってヘクゼダスを警戒する。思わぬ反撃を喰らわぬためだ。

「悪魔め、何を……」

 「火炎纏」を受け止められたことにショックを受けた彼女は、先ほどとは打って変わってヘクゼダスから一定の間合いを保ちつつ慎重な姿勢になっていた。さきほどの防御で、実はヘクゼダスがもっと強力な悪魔で、今までは自分をだまして弄んで楽しんでいたのではないかと勝手に思い込んでしまったためだった。そうとも知らない当の本人は、何故敵が追撃をせずに急に間合いを取り出したのか理解できないながらも、この好機を逃すわけにはいかないと、どうにか立ち上がって構えた。背後に回られないように木に背中を預けるという彼らしからぬ頭脳を使った戦いをしつつ。

「魔法さえ使えれば……」

 この獣人は、スキルは使えても魔法は使えなかった、それがヘクゼダスにとって幸運だった。相手が体術しか使ってこないのであれば、体術の訓練を一応受けてきた彼ならばある程度は対応できるからだ。

 ヘクゼダスはいつでも防御呪文を使えるように右手に意識を配る。

「はあっ!!」

 攻撃してこないヘクゼダスにイラついたのか、獣人は地面を蹴って一気に間合いを詰め、文字通り目と鼻の先に迫る。

「うひっ!」

 驚いてかかとが木の根にひっかかり尻もちをつくと、直後にさきほどまで頭があった場所を彼女の鋭い爪が空を切る。そして攻撃とほぼ同時に再び距離を取ると、ヘクゼダスも立ち上がって身構える。

(まだ運があるみたいだな……でも早く倒さなければ)

 槍は最初の一撃で落としており、十メートル以上向こうに落ちている。能力という能力は無く、毒の息だとかも使えない。呪文は言わずもがな。打とうにもあまりに手が少なすぎるのだ。対して相手は歴戦の強者。どう考えても勝算は見込めない。しかし、あからさまな負け戦であったとしても、勝たねばならないのだ。勝たねば、死ぬ。死後の世界はわからない、異世界に天国やら地獄やらがあるかもわからない。ただ言えるのは、こんな自分でも死んだあとはなんの疑いもなしに天国での生活を少し想像している厚かましさが彼にはまだあるということである。

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