第五十三話 来るべき時
「ん」
サイカ、コッフェルニアそしてガイウストが騎兵隊の消えた森の方を見た。彼らの感覚は騎兵隊の全滅を感じ取っていたが、驚くべきことにヘクゼダスも若干ながらそれらしきものを感じ取るようになっていた。悪魔としての感覚が芽生え始めている、着々と悪魔に同化しつつある証拠だろう。
「そろそろ出番だからな、準備をしなくちゃな」
コッフェルニア達は各々進軍を始める。ヘクゼダスも槍を両手に握りしめると彼らの半歩あとを腰が引けながら追従している。時折彼らを盾にしつつ隙間から正面を覗いている姿は実に滑稽というものであった。
「あのさあ」
と、ため息をついては半ば呆れた表情で振り返るのは今物陰とされているサイカである。異世界の悪魔も呆れるとため息をつくのは一緒なのかと感心している場合ではないが、現状それほどヘクゼダスに心の余裕はなかった。
「あ、いや、そのやっぱり……」
言葉が詰まる彼に変わってガイウストが答えた。
「怖いんだろ」
「えっ、あっいやちがくて!」
図星を突かれ慌てふためくが、言葉を上手く口が打ち出せない。人間の時のようにどもってしまうのが、つくづく嫌になるのだ。いい加減悪魔としてのリア充にでもなりたいものだ、と彼は苛まされている。この自分の弱さにも。
「何が違うんだ、え?」
「いや……そう……怖いんだろうな、いや怖いよ」
急に饒舌かつ神妙になったヘクゼダスに引くガイウスト。
「死ねば怖くなくなるけどね」
「縁起でもないよサイカ」
「じゃあ、生き残るといいよ、殺されないうちに殺すしかないからね」
よく聞く台詞だ、やらなきゃやられる、やられる前にやる、まさか自分が本当にその言葉を発せる状況に居合わせるとは、少し前の自分なら思いもよらなかっただろう。どれもこれも自分が招いた結果なのだが。
部隊は進む。二つの部隊が合わさった今、百体強の悪魔たちが僅か六人の敵を狩りに進んでいる。こうして共に歩いている彼らの内、何体が生き残れるのだろうか。それはヘクゼダスもサイカも、ガイウストも同じである。彼らにもここで生き残れる保証は微塵もない。それどころか彼らはここで全滅することも視野に入れられているのだ。生きて帰れる確率の方がよっぽど低い。それを知ってか知らずか、歩みを止めることはない。たてつく者は皆殺し、慈悲は与えず命も与えず。殺して殺して殺し尽くす。それがエッシャザール皇帝により与えられたサイカロスの使命である。
「あっ」
十分ほど歩いたところでコッフェルニアが呟く。と、同時におびただしい数の光の矢が視界を覆うほど飛来した。それにヘクゼダスは反応すら出来ないまま襲われる。あわや直撃というところで、コッフェルニアが彼の前に立ちはだかり、肩を前に突き出し光の矢を弾いた。金属音が生じ、弾かれた矢は後方上空に受け流され、空へと消える。その隙にサイカが彼ごと地面に臥しすぐにコッフェルニアも伏せて攻撃をやり過ごした。
「あ、あり、ありがとう……」
強い力で地面に顔を押し付けられたまま、礼を述べる。木を切り裂く音と、悪魔たちが矢に斃れ上げる悲鳴だけが、彼が今上で起きていることを想像する材料であった。足元に液体が触れるのを感じる、これはもしかするともしかしなくても、誰かの血だ。彼はそれがサイカたちの血でないことを祈った。
「……」
「止んだ、みたいだ」
おもむろに立ち上がる。周囲を見回すと、十体弱が命を落とし、五体ほどがケガを負ったようだ。切り裂かれた木の下敷きになって動けない者もいるが、そちらはほぼ外傷もないようで、悪魔の丈夫さとその体をいとも容易く破壊する敵の攻撃に背筋を凍らせた。
自分の足を見て、それが誰の血か見ると誰か見知らぬ悪魔が自分の足元で頭を破裂させて倒れているのを確認した。彼は忘れていたが、その悪魔はチュートという戦闘前にサイカに少しだけ紹介してもらった兎の体に骸骨頭の悪魔であった。彼女曰く、強いと言ってはいたが、そんな強い奴でも戦場では紙一重で死んでしまうのだということを、彼はまだ学んでいない。
「行くぞ」
悪魔たちは立ち上がるとまた進み始めた。今度はそれぞれ木を盾にしたり、防御呪文を前面に集中展開しつつ。ガイウストを見ると、四つん這いで進んでおり見た目通り犬っぽさを感じさせるものの、体つきはほぼ人間スタイルなため、やはりぎこちないというか無理をしているように見える。
「きつくないか、それ」
ヘクゼダスの問いかけに彼は答える様子はない。
「はいはい、わかりましたーよ」
知るもんか、と正面を向いて彼を無視する。
「いざという時に使えないと困るよな、ヴァール・グラオラ」
と、ここまでいった時点で彼の目の前に弓使いの能力、退魔の矢が迫っていたのだが、うつむいていた彼が気づく余地はない。非常に速い速度であり、見えにくい矢に対応が遅れたサイカも彼を避けさせることには間に合わない。だが、彼が防御呪文をなんとなく呟いていた偶然が彼を救った。
目の前に蔓が下りているのに気づきそれを払おうと顔を上げた彼の眼に映ったのは、鉄の矢じりである。しかし、彼がそれを矢じりだと認識をしていたわけではない。それどころか目の前に何かが飛んできているということすら気づいていなかったのだ。
「ス」
最後の言葉を発した直後であった。これまた偶然にも蔓を払うためにかざした右手に、矢が直撃したのである。防御呪文によって防がれた退魔の矢は行き場のない効力を暴発させ、赤黒く稲光を放ち、消えた。
ヘクゼダス自身は今目の前でやったことにまったくもって気づいていなかった。ただ手からヴァール・グラオラスの呪文が発動したことと、その手に何かが当たったことくらいしかわからなかったのである。
「お前!」
ガイウストが何か言いたげにしている。
「今、よく気づいたね……」
自分でも対応が遅れたのにどんくさいヘクゼダスがきちんと防御したことに茫然とするサイカ。彼女達は、彼が偶然防禦したことを知らないのだ。当のヘクゼダスは、よくわかっていなかったがとりあえず自分の手柄にしておこうと、まーね、と苦し紛れに笑ってごまかした。
「いやあ、そね、その自分でも対応できるとは思わなかったよ。こ、これってもしかして、俺覚醒しつつあるのか?なーんてハハハ」
「だといいけどね」
「そうだな……」
どこか納得いかなそうな三人に顔をしかめた。




