第三十九話 名は示すのか
「皆さんやっておられますね」
あれやこれやとやっている四人のもとに、聞いたことのない男の声が飛んできた。
「あ?」
ヘクゼダスが振り返ると、向こうから大きな蜂のような悪魔が羽音をまったく生じずにこちらに向かって飛んできた。
「シキセ」
サイカが口にしたのは彼の名らしい。シキセと呼ばれた蜂型悪魔はくるりと一回転をすると四人の前でホバリングした。
(うわっ、でけえ)
近づくまではわからなかったが、こうして目の前までくるとシキセの大きさに気づく。恐らく一メートルくらいはあるだろう。生き物としては決して大きい部類とは言えないが、蜂として考えるとこんな巨大な蜂は恐ろしすぎる。腕もよく見ると十本くらいはあるし。彼は子供の頃に読んだ古代の生き物図鑑を思い描いていた。
「リガウステッラ様よりの指令です」
「リガウステッラ……様?」
初めて聞く名である。するとフィーリアが
「ゴルシュガーテテ・エッグレン・ソウ・ヴェーテミヤーナ・リガウステッラ将軍です。マヨルドロッタ城で戦いに関することを司っておられる方の一人です。とても聡明で美しいお方ですよ」
「ははあ……」
ゴルシュガーテテ、あまり美しい響きではない名前ではあるが案外そういうのが可愛い悪魔だったりすることはもう学んできた。しかし、その将軍が一体何の用だというのだろうか。そう尋ねるとシキセはホホホと柄にもない笑い方をすると咳ばらいを一つ、指令とやらを伝え始めた。
「これよりサイカルト・サイカルタ、ヘクゼダス・アグログアールに部隊配属をお伝えします。両名は第十一突撃部隊としてモルムンクの森のキッチ沼東で敵部隊を迎え撃つようにとのこと。なおガイウストは同部隊に配属で既に指令は伝えてございます、以上です」
そう告げるや否や、そそくさとシキセは飛び去ってしまった。ヘクゼダスが止める間もなく。
「部隊なんてあるのか?」
最初に口をついて出た質問がそれであった。聞きたいことはいくつもあるが、とりあえずそれを問いただしたかった。
「そりゃああるよ」
サイカが何を言っているんだと言いたげに答える。
「そこまで秩序だってたなんて」
悪魔というかモンスターが人間に襲い掛かる際、普通は数体の群れで突然襲い掛かっていくというものではないだろうかと思っているが、そうでもないのか。
「後、サイカ。な、名前サイカルトなのか?てっきり」
これも引っかかっていたことだ。サイカサイカと呼んでいたがまさかサイカに続きがあったとは。それに苗字も。
「いやまて、サイカルタって苗字か?俺たちに苗字あるのか?あれ、じゃあ俺のアグログアールは……」
何が何だか分からなくなってきた。そう頭を抱えるヘクゼダスを見てフィーリアが呟く、苗字ですか、と。
「サイカロスは一応苗字を持つものもおりますが、全て名前という場合も名前しかないということも、名前すらないという場合もありますよ。私はフィーリアだけですが、フラー様はオウィストラストス・ラクラクーガスヘスヴィトスフラー全部が苗字です」
長いな、と言いかけたが城主に会う直前に聞いた覚えがあったことを思い出す。あの時は緊張で耳を素通りしていたが、改めて聞くと過剰に長い。まるで寿限無だな、と懐かしむ。
「私はサイカルト・サイカルタ全て名前」
「私はキエリエスが名前でヴィが二つ目の名前であって苗字でもあるよ」
「なんだそれ……」
苗字と名前が一緒なんて元の世界では聞いたことがない。どこかにはいるのかもしれないが、少なくとも知る限りではなかった。やはり悪魔界は謎だらけである。
「だとすると、俺は?」
ヘクゼダス・アグログアール。これが今の彼の名で、悪魔に転生する際にエッシャザール皇帝により下賜された名前である。この何語とも言い難い名前は果たしてどこが名前でどこが苗字なのか。それはすぐに判明することとなる。予想外の事実と共に。
「自分が決めることだ」
そう言ったのはサイカであった。
「ど、どういう、ことだ?」
自分で?何を?
「ヘクゼダスが名前でもいいし苗字でもいい。全部名前でもいい。何せ君は人間から作られたサイカロス、つまり同族なんていない。君が初代だからね」
彼女はつづける。
「皇帝陛下は君にその体と名前をお与え賜った。けれど与えただけでそれをどう使うかまでは何もおっしゃってはいないだろう、そうだろうと?」
そういえば、名前に関してはどうともいわれていない気がする。なんとなくヘクゼダスと呼ばれヘクゼダスと名乗ってきた。横文字だから名前ときて苗字とくると思い込んでいた。だから名前がヘクゼダスで苗字がアグログアールだと。しかし実際にはそんなルールも取り決めも存在していなかったのだ。
「君の元いた世界はどうだったかは知らないけど、ま、ね、学べばいいのさ。エッシュートス、キリュックスっていうだろう」
「どういう意味?」
「ドルゴームの言葉で、新たな場所を訪れたならまず法律を知れ。つまりその場所のルールに迎合しろということ」
「ああ……」
郷に入っては郷に従え、悪魔と人間が意外なところで共通することがあるということに気づき、彼は小さく笑った。