第二十八話 呪術とは
「さてだ、ヘクゼダス。もっとも基礎となる呪術、なんだと思う?」
体を持たないローブの悪魔、コクストーの深い声がヘクゼダスにそう尋ねた。不意に質問を受けた彼は眉間に皺を寄せると考えを巡らせた。基礎、母なる海というくらいだから水系の魔法なのか、いやRPGで一番最初に覚える魔法と言えば火の魔法だ。しかしここは魔界、元の世界の常識が通じないということは今までさんざん味わってきた。するともっと根本的な何かかもしれない。
うんうんと唸り声を上げ始めた彼を見てコクストーは息を吐き出すと、手にした杖で黒板を軽くノックし注意を促す。
「そんなに深く考える必要はない。火だよ。火。最も古い発明だ。火とはシンプルかつ基礎、多くの始祖のサイカロス(※1)やピレイマの神の持っていた力は火だった。皇帝陛下もその火を司るお方だ」
その答えに拍子抜けしつつも、感心していた。古い悪魔や神々は火の力を持っていた。あのおっかないエッシャザール皇帝も火の悪魔なのだ。それほどに基礎であり、強力なのだろう。人類の最初の発明が火だとかいう話も聞いた覚えがあった。
そういえば、とコクストー。
「君は確か障壁が見えるそうだね」
「えっ?」
「訓練で使ったやつだよ」
「あっ!ああ……」
唐突に障壁と言われたので一体何のことかはわからなかったが、隣に座っているガイウストが耳打ちして教えてくれた。彼は呪術が使えないためこの講義を受ける必要はないがここでもヴェッチェからの命令は有効であるため、こうして付き添っている。当然サイカも一緒でヘクゼダスの真後ろに陣取っている。
「見える。微かに空間が歪んでいるだけくらいだけれど、違いは分かった」
彼はあまり自信なさげにこう答えたが、コクストーはその答えでも十分だというように満足げに頷いた。
「素晴らしい。君のようなサイカロスは本当に少ない。極々稀でね、いうなれば逸材、ヴィヴェルの中の才だよ」
ヴィヴェルの中の才とは意味が分からなかったが、あとでサイカに尋ねるとこちらのことわざで、下から二番目の位である下層のヴィヴェルであるが、その中に能力のあるものがいることもある、ということで用は、珍しい様をいうらしい。ただサイカ曰く、ないものも同然らしいが。
「だから君はそれなりに呪術の才はあるようだ。特にそういった特殊な術の、ね」
顔すらないコクストーが不敵に笑った気がして、彼はぎこちなく愛想笑いをした。
「じゃあまずゾイフォンデだな」
そういうと、コクストーは杖を置いて右腕を胸の高さまで上げた。体がないため手で何をしているのかわからない。ヘクゼダスは内心彼に教官をやらせるのは間違いでは、と思っていたが口に出すとまたどやされかねないので思うだけに止めておいた。
目に何やら一瞬だが帯のようなものが映った。それはコクストーの右腕の裾あたりに向かって吸い込まれたかとおもうと、次の瞬間には消え、代わりに小さな火の玉へと姿を変えていた。
「おお……」
思わず見入ってしまった。ソフトボール大のとても明るいオレンジ色の火の玉はそれは美しく、悪魔の出したものであるにもかかわらず、温かみを覚えるような存在であった。
「これが基礎の基礎。火球を空気より生み出すゾイフォンデだ」
コクストーは腕を動かさずに火球だけをあっちこっちへと自由に操って見せた。
「やってみようか。腕を出して、そう手のひらに意識を少しでいい、向けるんだ。そしたらゾイフォンデと唱える。実際に口に出さなくたっていい。やってごらん」
言われるがまま手のひらを上にかざし、右手に力を籠める。
「うむむむ…………ハッ!」
しかし、出ない。
「ふうむ、じゃあ君はあまり火の魔法に向いていないということだろうか。ありうるな、なんせ君は異世界人だ。我々とは勝手が異なるのかもしれない。シフスの流れが違うか……」
「シフス?」
シフスとは何なのか尋ねたかったが、コクストーはそっぽを向いて黙り込んでしまった。
「ああなると教官は三日は口を利かない」
そう言ったのはサイカであった。サイカはどこからか拾ってきた木の枝をペン回しのようにくるくると回しながらつづけた。
「シフスっていうのは、そうね……呪術を出すための力のことかな。普通の物を持ち上げたりする時の力をはまた違う、術を使うためだけの力」
「ああ、MPみたいなものか」
「エムピー?人間はそういうの?変なの」
しかし、火の術に向いていないかもしれないという言葉に彼は若干傷ついていた。最悪自分は魔法を使えないかもしれない。これから偉くなって悪魔将軍みたいになってやりたいというのに、基礎の術すら使えないのではお先真っ暗である。それでもどこかに他の魔法の適正があるのではという一縷の望みを、彼らしくもなく抱いていた。
※1 サイカロス:悪魔のこと。




