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第二十七話 不安の序章

 ヘクゼダスは奇妙な感覚を覚え目を覚ました。何とも形容しがたい不安を駆り立てるような不快な空気に彼の悪魔の第六感がいやというほどに騒いでいる。瞼が下にある彼は何度か瞼を上に閉じ、視界をはっきりとさせる。次第に鮮明となる感覚と共に、異様な臭気が鼻を突く。嫌な予感のした彼は、寝床から勢いよく飛び出すと思いっきりドアを開け放つ、そして現れた光景に彼は絶句した。

 部屋の前の廊下はいつもは清潔に保たれた石の床と壁があった。しかし今目の前に広がっているのは血と臓物、骨がそこら中に飛び散って赤黒く変色し、腐臭を放っている。何が起こったのか全く理解できない。彼は酸性の吐瀉物をまき散らし、壁に手をついた。一体自分が眠っている間に何が起こったというのだろうか。ふらつく足取りでひとまずヴェッチェの部屋へ向かうこととした。とりあえずは彼女に会えばことの真相を確かめられるかもしれないと考えたためだ。

 足の裏に気色悪い感触を感じながらも彼は見ないように努め、城内を歩き続けた。いつもは悪魔たちが行きかっている城内も、今となってはエッゲガラ一人見当たらない。誰かいないのかと声を上げようとしたが、何故か声を出せない。パニックになりかけるも、深呼吸をして落ち着かせると、どっと流れ込む腐臭にもいつのまにか慣れてしまっていたことに気づいた。

 ようやくどうにか見覚えのある扉の前まで来た。扉の周りにはいくつもの爆発痕や抉られたあとがあり、ここでも戦いらしきものがおこったことが窺えた。そっとドアノブに手をかけ、息を飲んで慎重に捻る、が簡単にノブはもげてしまった。壊してしまったのかと恐れたが、どうやら既に壊れていたらしい。軸が千切れていたために抜け落ちたようだ。胸騒ぎを覚えながらも、手でドアを押し開ける。するとドアがフッと唐突に消えてしまった。

(何も……ない)

 何もなかった。机も椅子も、本棚も、床も窓も。ドアの向こうにあったのは外だった。一瞬場所を間違えたのかと思ったが、違った。確かにここは彼女の部屋だ、いや正確には「だった」だが。彼女の部屋とその周囲は跡形もなく無くなっており、足元には数メートル下に瓦礫の山が見える。まるでここから先で巨大な爆発が起ったかのように、何もなかった。その先の森も木々は無くなり、大きく削られた地面が百メートルは先まで広がっていた。

 気づくとヘクゼダスは駆け出していた。誰もいない血塗られたマヨルドロッタ城の中を必死で駆けずり回った。時折血肉に足を取られつつも彼は走った。そしていつの間にか彼は城の正面玄関にたどり着いていた。巨大なシャンデリアが地面に落ち、落下地点で大きな血だまりを作っている。その下に何があるのかは想像したくもなかった。大扉は完全に破壊され、大量の悪魔たちの亡骸がその周囲で折り重なっており、あまりにも多くの悪魔が混在していたため、彼はその中にガイウストのなれの果てがあることに全く気が付かなかった。

 が、それでも彼の目に留まったものがいた。それを見た途端、彼は撃ちだされた弾丸のように傍に駆け寄った。

「ああ、そんな……嘘だ……ああああ!」

 跪いた彼の目の前に転がっていたのはキエリエスの無残に破壊された体であった。両足は腿から下がもがれ尾もなく、体の左半分は抉り取られていた。

「嘘だ、キエリエス!頼む!!」

 手のひらをかざし、必死に修復魔法をかけようと魔力を手のひらに集中させる。青い帯がキエリエスに触れるが直る気配は無い。それどころか半端に修復されようとしている体からどす黒い血がどっと噴き出し始めていた。

「…………」

「!!」

 彼女の半分しかない口が微かに動いた。

「キエリエス!!大丈夫か!!すぐに、たす、助ける!!治れ!治れ!」

 黒く光を失った彼女の瞳がぐるりと周囲を見渡すと、完全に動かなくなってしまった。

「……あああ!!!!」

 彼はその瞬間大きな雄叫びを上げて突っ伏した。血で汚れることも厭わず、仰々しい悪魔は泣き叫んだ。

 


 お前がもっとまじめに修練を積めばこんなことにはならなかった


 キエリエスの声が空から降り注ぐ。彼が顔を上げると、先ほどまで城にいたはずなのにいつの間にか混沌とした空間にいた。死体もない。


「キエリエス!!!どこだ!!」

彼の叫びは空間に吸い込まれていく。



 貴方が来なければこんなことにはならなかったのですよ



 今度はヴェッチェの声だ。



 落ちこぼれはやはり転生しても落ちこぼれ

 

 元の世界でゴミだったお前がこちらで神になれると思ったか?


 貴様さえいなければ


 役立たず


 

 反響する見知った悪魔たちの声が響き続けた。耳を覆っても脳内で反響し続ける仲間たちの罵りに彼は発狂した。

「俺はこんな!こんなはずじゃああああ!!!!」




 そこで彼は目覚めた。今度は血の匂いも沈黙もなかった。部屋の外からはいつものように行きかう足音が聞こえ、胸騒ぎも不安もなかった。

「夢……夢か………ハアア」

 夢でよかった。扉を開けるといつもの世界が広がっているはずだ。いつもの、望んでいなかったはずの悪魔の世界が。

(しかし、何だったのだろうか……)

 胸騒ぎがふと、彼の胸中で芽吹いた。だが、彼は取り越し苦労だろうとそれを振り払いドアを開けた。



「あらヘクゼダス様。お呼びに参りましたところでしたが丁度良かったようですね」

「あ、ああ、フィーリア。おはよう」

「今日は術について学ぶそうです。コクストー教官がお待ちですよ」

「本当か!待ち望んでいたんだよ!」



 こうして悪魔たちの一日が今日もまた始まる。新人悪魔が見た悪夢は果たして何かの前触れを意味するのだろうか、それともただの夢でしかないのか。それが明らかになるのはまだもっとずっと先のことである。

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