第十九話 魔の食事空間
マヨルドロッタ城食堂、元人間のヘクゼダスはそこにいた。悪魔になってからというもの、彼はほぼ、というか何も口にはしていなかったため悪魔は食事をしないものだと思い込んでいたこともあり、城内にこのような施設があるとは夢にも思わなかった。食堂の中では様々な姿をした化け物たちが各々食事をとっていた。
「でも俺、食べなくていいんじゃないのか」
ヘクゼダスは傍らの黒い毛並みの人型の犬に尋ねた。
「ああ?んなわけねえだろ」
眉間にしわを寄せそういった彼の名はガイウスト。同じくジュルの悪魔である。ヴェッチェの呼び出しを受けた彼に与えられた指令は、ヘクゼダスと行動を共にすることであった。その指令を幾分訝しんだ彼であったが、理由を知らされると納得してヘクゼダスに付き添うことにしたのだった。
「それは恐らく君が単に空腹を忘れていただけじゃないかな」
紫色のゼリーのようなものを受け取りながらそういうのは、サイカという背の高い悪魔であった。人格は女性、頭は人間のようだが緑色の肌で目が四つあり舌が長く、体は腕はあるが蛇のような姿をしている。その上立っている分でも身長はガイウストと同等で三メートルほどはある。彼女もまたヴェッチェの命によりヘクゼダスと行動を共にしているのだ。階級はグライバであるが、階級の違いを笠に着るようなことはなく公平に扱ってくれるという、悪魔にしてはやけに人格者という特徴があった。ちなみに髪は蛇になっているというわけではなく、人間の髪と変わりはない。
「そんなこと……あるのか」
ヘクゼダスは、納得した気分になると器にゼリーを受け取り列を進んだ。不思議な光景である。化け物の姿をした者たちがきちんと列をなして配給の順番を待っているのだから。
「うまそうな気がするな」
全て受け取り、席に着くと彼は手元のトレーを見下ろしながらつぶやいた。彩はやはり悪魔といった奇抜かつ黒い見た目をしてるのだが、メニュー自体はおどろおどろしいものでなく、ゼリーのような何か、タンドリーチキン然とした何か、やけにとろみのある黒いスープ、そして房の状態のバナナをそのまま小さくしたような果物。食堂を訪れるまでは人間の手足とか内臓とか蝙蝠のスープなどを想像していたのだが、そんなことはまったくなかったのである。それでもこの見た目は人間の時では拒絶していただろう。うまそうに見えるのはやはりこの体になったためであろうか。
さっそくいただこうかとしたところで彼は箸やらフォークやらがないことに気づいた。
彼はガイウスト達を見てみると、ガイウストは微妙に手を使った犬食いを、サイカは舌だけで器用に食べていた。それぞれの食事の仕方があるという発見とともに、ここまでしておきながら箸などの文化がないということに中途半端さを覚えていた。
「さて」
どう食べたものか。ひとまず黒いスープに人差し指を突っ込み、恐る恐るかき回してみた。目玉が突然浮かんでくるんじゃないかと危惧していたが、中には何一つ固形のものは入っておらず、完全にスープだけであるということが分かった。
「おや、どうしました」
ふと聞き覚えのある美声が背後から聞こえた。振り返るとそこにはトレーを二つ携え、隣のテーブルに座ろうとしているフィーリアの姿があった。
「ああ、いやなんでもない」
そう答えながらも彼はフィーリアの持っているトレーに注目した。片方は自分のものとおなじであったが、もう片方はメニューが明らかに異なる。黒いパンに緑色のサラダに大きな魚の丸焼きが乗っている。おまけに驚くほどに無色透明なスープまで。
「上の者が下々と同じものを口にするわけがないでしょう」
またもや聞き覚えのある声が、そのテーブルの向こうから聞こえた。
「ヴェ、ヴェッチェ……様」
声の主はまさにヴェッチェであった。彼女はトレーが置かれると懐から取り出したカップをテーブルに置いた。すると間髪入れずに、これもどこからか取り出したティーポットからフィーリアがお茶を注いでいた。
「上手そうだぜ」
ガイウストがそれを脇目に空になったトレーを嘗め回しながら言う。どうやら階級の違いで食事も異なるらしい。だがジュルとグライバでは変わらないようだ。どこかに悪魔なりに階級での一定の格差の段階というものがあるようである。ヴェッチェは注がれたお茶を口にしながらパンを片手で小さくちぎり、口に入れる。そこで気づいたのだが、彼女は一切の咀嚼をしないようだ。彼はそれとなく彼女に尋ねた。
「ああ、私の唾液は私と一部の材質以外を溶かすんですよ」
なるほど、口に入れたそばから溶かしてしまうのか。そしてカップはその一部の材質でできているらしい。彼女とキスをしたら大変だろうな、と彼は頭の中で笑った。
「時にガイウスト、サイカ。彼はどうですか」
ヴェッチェはスープを一口飲むと二人に問う。
「ハイ、もっと情けないと聞いていたのですが、おもっていたよりはしっかりとしているように感じました」
とサイカ。
「そうっすね、まだ教えにゃならんことがたくさんあるでしょうね。まだ一緒に過ごした時間が短いのでなんとも言いかねますがね」
ガイウストはヘクゼダスを眺めながらぶっきらぼうにそう答えた。
「なるほど。そうですね確かに彼はつい最近までは人間時の情けない精神丸出しでしたが、一度の戦闘を経てからは幾分かマシになったようです、ええ」
いや、ヘクゼダスは知らないが、本当はヴェッチェによる洗脳覚醒が行われたからである。本格的に彼を傀儡にしようとしたわけではなく、悪魔となるちょっとしたきっかけをつくり出したに過ぎないため、完全に洗脳を行ったというわけではない。だが効果はあったようだ。実際に彼はヴェッチェに対し「様」という敬称を使った。話し方もまた少しずつではあるが変わってきている。彼が更に悪魔然となるには時間がかかるであろうが、生き残り続ければいつしか完全な悪魔として生まれ変わるであろう。
ただ、それは彼の人間らしさを失っていくということに他ならない。
「言葉に棘を感じるぞ……」
ヘクゼダスはゼリーを指で掬うと、目を細めて口に突っ込んだ。




