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第百三十二話 水底の住人

「ああいやだ」

 サイカは体を震わせて心底嫌そうにそう口走る。

「旧世界人の癖にこんな小賢しい知恵なんて働かせる!食い殺してやる!」

 そこまで怒ることなのだろうか、とヘクゼダスは口走りそうになったところをすんでのところで飲みこんで怒りを露わにするサイカの様子を傍観していた。彼女の怒りの沸騰する点が、基準がさっぱり理解できない。

「どうすんだ?多分左は罠だろ?」

 あるいは、とジューヴァルナス。

「右も左も」

「なるほど……」

 自分がこの罠の仕掛け主であれば、確かに片方だけ罠にしてもう片方を安全なルートにするような造りにするわけがない。ゲームじゃないのだから。

「道がないなら、作ればいいだろう」

 唐突にガイウストがそういうものだから何を言っているのだろうかと振り返った直後、エグゼバの大きなハサミがヘクゼダスの目の前を掠めるか掠めないかのギリギリのところをすり抜けていったかと思うと作られた壁を粉砕した。大きな破砕音を上げて石の壁は崩れ水路へと沈んでいった。

「おま、おあっ!」

 腰を抜かしたヘクゼダスは言葉にならない声で抗議の叫びをあげるが、それを意に介さないようにガイウストは鼻で笑うと先へと進み始めてしまった。

「ふうん。まあたまにはこういう力技もいいさ」

 先ほどとは打って変わって機嫌を取り戻したサイカは鼻歌交じりに先を行くガイウストの後ろを追いはじめたものだから、彼は言いたいことも言えずむしゃくしゃしているところにさらにジューヴァルナスがはやく追いかけるように促す。

「早く行ってくれないか?順番がある」

「このっ……はあ」

 抗議を諦め立ち上がると足音も荒く先を行く二体のあとを追いかけた。

「でもさ……」 

 歩き始めてすぐのことである、ヘクゼダスはふと思い立ったことを口に出し誰となく尋ねる。これが自分の思い過ごしであればよいのだが、と。

「まっすぐ行ったからって罠が無いって保証もない……くない?」

 言い終わるか言い終わらないかの内に全員が立ち止まったので彼はサイカの尾を踏みそうになるのを慌てて飛びのけつつ何故止まったのかと尋ねる。すると皆が一斉に彼の方を向いて実に神妙な面持ちで睨むとも驚くとも言い難い眼で何かを語っていたが、直後に轟いたガイウストの叫び声が水路中に鳴り響いた。

「それもそうだなああ!!!」

 次の瞬間、足元にあったはずの床が消え、五体は水と共に真っ逆さまに奈落へと転落した。元の水路なら罠が無いという先入観をついた旧世界人たちの巧妙な罠、彼らの方が一つ上手だったということなのだろうか……



 水路から落とされたヘクゼダス達は、罠の仕掛け主の思惑通りに行けば彼らは高度から叩き落とされて墜死するという結果に終わっただろう。だが彼らはただの人間と違って各々に力があった、そのため彼らは空洞の道中に辛うじて引っかかることで墜落を免れたのであった。

 先頭を行っていたガイウストは強靭な手足で側壁に張り付いており、エグゼバはその巨体を生かし手足を四方に伸ばして突っ張ることで落下せずに済んでいた。サイカはその足の内の一本に体を絡ませ、ジューヴァルナスは上側の一対の腕でサイカ同様にエグゼバの足にしがみついていた。そしてヘクゼダスはというと、彼もまたエグゼバに救われてはいたものの、片手で掴むのがやっとであった上に、エグゼバの甲殻は大きく太いため彼の大きな手のひらをもってしても片手では握り切れず、徐々に滑り落ちつつあった。

「助けて!」

 助けを呼ぶ叫びが反響する。体格がある分体重があるのも災いし、滑り落ちていくのが手のひらを通じてはっきりと分かった。

「ちょっと待っていろ」

 微塵も焦りを見せないようすでジューヴァルナスが息を浅く吸い込んだかと思うと、ヘクゼダスの体は急に軽くなった。

「お?」

 どうやら体が浮き始めているようだった。彼の体は徐々に上昇していくと、十秒ほどでエグゼバの足に跨れるくらいのところまでの高さへと到達した……まではよかった。

「っくしょん!」

 穴に反響するクシャミが一発、その時ヘクゼダスは悪魔でもクシャミをするのだなと急速に上へと通り過ぎ視界から消えていく仲間たちの姿を見ながらそう思ったという。ついうっかりジューヴァルナスの術が解けたヘクゼダスは、重力に引かれ穴の底へと落下していった。

「ああ……」

 心底申し訳なさそうもない表情で暗闇に消えたヘクゼダスの姿を見つめるジューヴァルナスと、皆。すぐにいたましい激突音と叫び声が彼らの耳にも入り、彼が底に激突したことを理解したが、彼らがしたのは心配ではなく落下から激突までの時間からおおよその残りの穴の深さを導き出すことであった。

「そこまでもうあまり深くはないようだね」

「水もないらしい、せめてあればあいつも死なずに済んだろうにな」

 ヘクゼダスはもう彼らの中で死んだことになっているようで、いそいで降りるわけでもなくエグゼバの足を突っ張りながらのゆっくりとした足取りで降りるのに任せおりていった。

「おや」

 サイカは底で伸びているヘクゼダスをみて一応驚いて見せた。彼はどうやら生きているらしくもだえて震えているのが見て取れた。

「暗いね。キニューシアン」

 サイカがそう唱えると、あたりにいくつもの光の球体が飛び出し程よく感覚を開けて周囲の暗闇を照らした。部屋は高さはあるようだが幅は天井に対して考えるとそこまでの広さではなかった。だが重要なのはそこではない、この部屋には既に先客がいることであった。

「先客というよりは……むしろ住人というべきだな」

 ジューヴァルナスは目の前に立ちはだかる巨大な影を見上げながらそう呑気に言葉を発した。彼らの視線の先にいたのは、十五メートルはあろうかという巨大な化け物であった。

「エグゼバよりでかいぜ」

 牙を剥くガイウストの言う通り、エグゼバも大きいとはいえ精々八メートルほど、その倍ほどの背丈を持つ巨大な生物なのだ。二対の口にはそれぞれ四本ずつ巨大な牙が生え、二本の腕はサイカの蛇の下半身より太く、それに握りつぶされればひとたまりもないだろう。

「ありゃ仲間か?」

 目線はそらさずにガイウストはサイカにそう尋ねるが、彼女も目線はそのまま、首を横に振って違うと答えた。

「あれは多分」

 彼女の言葉を遮るように、化け物がこれまた巨大な何かを振り下ろした。

「あぶね!」

 全員回避したが、まだ起き上がっていなかったヘクゼダスが衝撃で吹っ飛ばされ壁に叩きつけられてまた伸びた。どうやら見た目通りパワータイプの生物らしい。

「あれは、イグリエーピス!だねえ!」

 言葉の続きを述べたサイカに、ガイウストはうんざりした様子で悪態をついた。

「マジか!?ああクソ最悪だぜ!」

 彼の言葉にジューヴァルナスも頷いているが、エグゼバはまるでなんのことか理解していないらしくどういうことかと尋ねた。

「ありゃこのあたりに千年くらい前に大暴れしてた化け物だ!サイカロスじゃねえが……まさか実在してたたあなあ!くそっ!!」

 再び振り下ろされたものをすんでのところで跳んで避けるとガイウストはエグゼバに下がるように伝える。ここではエグゼバのような動きの遅く体躯の大きなものは実に不利だ。それに彼の体は硬いとはいえ足は蟹らしく細長いため、重たい一撃を受ければへし折られてしまう危険性もあったためだ。エグゼバもそれを理解しているのか二つ返事で了承すると、後退を開始した。だがすぐに壁に突き当たってしまい、彼は体をできるだけ壁に沿わせるしかほうはなかった

「いってええ……まじいってえ……あ?」

 四体が戦いを繰り広げている中ようやく気が付いたヘクゼダスは、起き上がって早々目の前で繰り広げられている巨大な化け物との死闘にしばらく理解するための時間を要した。


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