第百三十一話 汚水盆に返らず
戦いの火ぶたは、ジェーガンタイア領の前哨基地であるヘルメン城と、ザクラブーン城にマヨルドロッタ軍による猛烈な制圧砲撃によって切って落とされた。用いられたのは実体弾の通常大砲や呪術によって発射される大砲から、砲撃能力を持ったサイカロスによるものまでさまざまな種類の砲撃が行われ、多様な砲弾を浴びたジェーガンタイア拠点は一瞬にして廃墟と化すと思われたが向こうも砲撃が来ることは当然想定しており、巨大な魔法障壁を用いてそのほとんどを無効化した。
そこでようやく、兵士同士のぶつかり合いが発生した。
三百のサイカロスに対してジェーガンタイアの軍はヘルメン城だけでも千が迎え撃ち、ザクラブーン城のほうでも四百体のサイカロスの侵攻に千五百人で対抗した。ただ、この数は夜襲をかけたためであり、昼間にまともに正面からぶつかり合えば十倍は出てきたであろう(当然全員が城の中にいたわけではないが)。
ザクラブーン城攻撃部隊の中にはコッフェルニアやユデュメシといった見覚えのあるサイカロスもちらほらしている。始めは後方にいる砲撃部隊が砲弾の雨を降らせて城ごと敵を粉砕していく。破壊された城の一部が落下し、下にいる兵士たちを押しつぶしていく。正面で数少ない初動で出動できた部隊がサイカロスたちを抑え込んでいる隙に、隙の多い側面など城に入りきらなかった兵士たちのいない場所を選んで足の速いサイカロスたちが吶喊した。その驚異的な脚力は十メートル以上はある石造りの城壁を軽々と一跳びで越えてしまうと、まだ寝起きで体が本調子でない旧世界人たちを内部から虐殺し始めた。
血みどろの惨劇が繰り広げられている場所から千キロ以上離れたジェーガンタイア城内地下水路に、ヘクゼダスたち複数の強襲部隊は転送されていた。
決して月明りの届かぬ地下は、どこも湿気ていて尚且つ悪臭が立ち込めていた。そんなところに転送された彼らは顔をしかめつつも前へと進んだ。
「他の部隊は?」
ガイウストがサイカに尋ねると、彼女はあちこちを眺めながら地下水路の他の地点にそれぞれ転送されたことを教えてくれた。どうやらこの水路、そうとう広いようである。彼らはガイウストを先頭にヘクゼダス、サイカ、ジューヴァルナス最後にエグゼバという順で狭い通路を窮屈そうに歩いていた。ただ、エグゼバは流石に入りきらず水路に脚を突っ込んでザブザブと水をかき分け進んでいた。
「俺たちこのまま進んで大丈夫なのか」
どうやらヘクゼダスはサイカに尋ねたようだが、彼女は自分に聞いているとは思っておらず神経を頭に集中させていたため彼の問いに答えることなく進み続けていた。
「おいってば……」
サイカロスとはいえ女性に無視されたことにショックを受けた彼は、消え入るような声でそう言った限りしばらく黙りこくってしまった。
エグゼバが水をかき分けて進む音のみが通路に響き続ける。時折彼の甲殻が天井や壁にぶつかっては硬い音を立てている。彼らに殆ど会話はなくただ黙り黙って通路を進んでいた。あちこちに枝分かれしている水路を導くのはサイカで、彼女の頭にはこの水路図がしっかりと焼き付けられており、曲がる直前に彼女は先頭のガイウストの肩をたたくなどして方向を示した。
そうしてしばらく進み悪臭にも鼻が慣れてきたころであった、サイカは急にガイウストの肩を強くつかんで引き留めると、彼の肩越しに通路の突き当りのT字路を睨みつけた。それを察したヘクゼダス以外は戦闘態勢へと移る。
「え、どうしたんだ皆」
間抜けな質問をする彼の言葉を切り捨てるようにイラついた声でガイウストが
「敵だ」
と短く告げると、ヘクゼダスは槍を握る手の力を強め顔をこわばらせた。表情は変わらないが。一同にちょっとした緊張が走るが、止まるわけにもいかない。ジューヴァルナスが防御障壁をガイウストの前に展開すると、速度を落として再び歩を進め始めた。エグゼバも水音を出来るだけ立てぬよう、一歩一歩足を水から出して慎重に歩いている。
次第に向こう側右から明かりと共に話声が近づき始め、この国の兵士であることが予想された。このままでは見つかるのは必至だが、都合よくここは外とは切り離された地下空間。こちらを発見されても後方に報告される前に追いついて始末すること等容易である。
「俺に任せろ」
そう言ったのはエグゼバであった。他の四体は彼に任せることにすると彼が仕留め損ねた時のためにいつでも追撃できるように準備をして待ち構える。声が一段とちかづき足音もしっかりと聞こえるようになった頃であった、ついに二人の兵士が明かりを手に突き当りのT字路に姿を現す。彼らはまだこちらには気づいていない、この隙をついてエグゼバは顔の下に空いている小さな穴から何かを射出したかと思うと、次の瞬間には兵士たちの頭は固い石の壁に貼り付けられ完全に絶命していた。
「やるじゃないか」
彼らは警戒を解いて兵士たちの死体の確認をするために近づくと、兵士たちは頭を三十センチ程の細長い棒のようなものに頭を貫かれて壁に突き刺さっていた。
「なんだこれは」
ヘクゼダスがその棒を指さして彼に尋ねると、彼曰く顔の横辺りから生えている小さな手で口の下を指さすとここから発射した、と。顔を近づけてみるとなるほど確かにそのあたりに四つの小さな穴が正面に向かって空いている。ここから発射したようだが、それにしてもかなりの命中精度を誇るようだ、三十メートルは離れていたと思うが。
「こいつは君自身の力かい」
サイカは棒を引き抜きながらそう尋ねる。
「ああ」
なるほど、サイカは血と脳のこびりついたその棒を長い舌で舐めとると大事そうに髪の中にしまった。どうやら彼女は髪を物入にしているようだ。
「で、どう隠す」
ガイウストがそう尋ねると今度はジューヴァルナスが死体の始末をかって出る。彼は四本の腕で呪術の印を結ぶと死体を浮遊させ壁に押し付け始める。何が始まるのだろうかとまじまじと見つめていると、なんと死体はゆっくりと壁にめり込み始め、十五秒もすれば完全に消えてしまっていた。
「壁の中に死体か……恐ろしい」
ヘクゼダスはサスペンスドラマを彷彿とさせる死体の遺棄方法に眉間に皺を寄せるが、ジューヴァルナスが放った言葉に戦慄した。
「死体ならもう既に何百と埋まっているようだぞ」
ヘクゼダスは壁とジューヴァルナスを何度も交互に見て事情を察すると身震いして壁から顔をそむけた。やはり権力の下には血なまぐさい出来事が沢山起きているのだろう。木っと元の世界でもそういう明るみに出ない事件というものが沢山あるはずだ。
そのまま引き続きジューヴァルナスが水で血を洗い落として証拠を隠滅すると彼らは再び進み始めた。不気味な地下水路には、いわゆる害虫や汚い小動物がそこかしこに見え隠れしているのだが、不思議と人間の死体やら骸骨やらは見つからず、普段人は出入りできないようになっているのだろうとうかがわせた。
「待って」
再び彼女が停止をかけたので彼らは素直に従った。彼女は首を傾げており何やら悩んでいるようで、話しかけていいものかとヘクゼダスは迷っていたが迷っているうちにガイウストが先に問いかけてしまった。
「どうした」
そう尋ねられた彼女は指をふにゃふにゃと動かしながらおかしいことがあると口にした。
「道が違う」
「迷ったのか?」
「そうじゃない、ここには右に行く角と直進して他の水路と集合する地点があるはずなの」
しかし、彼らの前にあるのは右に行く道と左に行く道だけで直進ルートは見られない。間違えて覚えたのでは、とヘクゼダスがそう尋ねると彼女は怒りを露わにして彼に詰め寄った。
「そんなわけがない!私の脳にアギルザル・エーザサシスを使って刻み込んだんだ!対の術でも使わなければ忘れはしない!」
「えっあ、ごゴメン……」
まさかいきなりブチギレられるとは思ってもいなかったため言葉につまるヘクゼダス。サイカは乱れた髪を戻すと冷静さを取り戻して言葉を続けた。
「だけれど、ここにはまるで始めから道などなかったかのように壁が出来ているんだ」
「できている」
ジューヴァルナスが言葉を反復すると彼女は頷いた。
「そう、作られたんだ、いや作り替えられた……かな」
罠の臭いが、立ち込めた。




