第百二十五話 蟷螂の斧
謎の即身仏は、ザガーリィに自らをセルティと名乗った。それは、セキテム語で紫という意味であるが、それ自体は特別な意味を持ちはしないだろう。注目すべきはセキテム語であるということであった。
セキテム語とはスキウラ大陸の奥地に住まうセキテマヌという人々のみが操る稀少言語で、彼ら以外ではまず理解することが不可能だと言われていた。だが、ザガーリィが気になったのはそこではなかった。
「セキテマヌは、もう千年は前に消えたはずだ……突然。何の予兆もなしに……」
彼の言葉に対し、セルティは肯定をもって返答し、その補足を簡単に付け加えた。
そうだ……私たちは千百十八年前に村もろとも地表から姿を消した。ただ、自然災害や外敵によって失われたのではない、意図的に、自発的に姿を隠したのだ。
「何?自ら消えたって言うのか……意味が分からない」
私たちは、恐れられたのだ。
「……旧世界、いや、まさかニフェリアルにか?」
違う。
「それじゃあ、いや、そんな……ピレイマから逃れたというのか!」
ザガーリィの声が、洞窟に木霊する。ニフェリアルのサイカロスたちの脅威を恐れて村に隠匿の結界を張るという話は、この世界では良く聞く話であった。だが、古今東西人々から信仰こそされど恐れられることなどないピレイマから、あまつさえ恐れ“られ”て姿を隠すなど……
今まで考えたこともなかった衝撃の話に、彼は耳を疑った。ピレイマはその成立後から今までも、そして恐らくこれからもこの三つの世界において最強の世界の地位を維持し続けているだろう。あのニフェリアルでも、数万年経過してなお侵攻には踏み切れぬほどの勢力を持っている。そんなピレイマにたった一つの村が恐れを抱かせるなど、一体全体何を秘めていればそんなことができるというのだろうか。そう思うと、彼らの教えを乞いたいという欲望が彼の中で一気に大きく成長していた。
「奴らは何を恐れた、お前たちの何に気づいたっていうんだ!」
思わず声を荒げる彼に対し、いたって落ち着いた声色でセルティは冷静さを保つように押しとどめる。
冷静さを欠くな、冷静な判断と観点こそお前の長所。ニフェリアルに復讐を遂げたいのなら私の助言に耳を貸すのだ。
「……チッ、わかった、わかったよ。だがなあ……いやなんでもいい。お前たちはどうしてそんなことをやったのか、だ」
その秘密をどうしても知っておきたかったのは、彼でなくとも同じであろう。まるで超古代秘密兵器のような何かを、彼らは孕んでいるのかもしれないと思うと、胸の高鳴りはどうしても起きてしまうものだ。
セルティは一考の後、ザガーリィにそのことについてかいつまんで話すことを決めたようで、おもむろに事の発端と顛末についてを語り始めた。かなり端折ってはいる話ではあったものの、ザガーリィは聞き入っていた。
かつて、私たちは……私たちは偶然にも作り上げてしまったのだ、彼らの特殊な体に傷を刻むことの出来る力を。
「しかし、傷をつけるくらいなら……」
確かに、ピレイマに住まう神々や使いたちはシラバルサンサやニフェリアルの世界の者たちと比べると、特殊な膜につつまれているらしく防御力は生半可ではない。ザガーリィでも、最大限の力で一撃を加えてようやく傷を与えられるほどであった。
そうだな、できるだろう。ただ、サイカロスに対しては彼らはこと耐性をもっているからな。
ザガーリィはまた衝撃を受け、そしてその言葉に過去を思い出して合点がいった。ある時、数十年ほど前であったが彼は一度ピレイマから降りてきた一体の下級天使に、ヴァーロ、そして今は亡きゼパーテラグマニーオという半獣半魔の怪物と攻撃を仕掛けたことがあった。ヴァーロとザガーリィの攻撃は、その威力にしてはやけに通りが悪く、パーテラグラマニーオの鋭い尾先は天使の体を浅くではあったものの貫くことが出来たのだ。その時は防御の術がその部分だけ解けていたのだろうとでも考えていたのだが、そうではなかったようだ。少しでも、サイカロスの血が混じっていればピレイマの住人達への攻撃力はグッと下がり、逆にそこから遠ければ遠いほど、より攻撃を通しやすくなるということだろうか。ということは……
彼が重要なことに気が付いたことに、セルティはクックと笑う。
ピレイマにまつわる者であれば、彼らにより有効打を与えられるということだ……心当たりがいるようだが……今はいないということか。さて…………話を戻そうか…………私たちは作ってしまったのは、ただ彼らに傷を与えるものではなかった。当たった程度に対し、より深く、より痛み、そして消えぬ傷を負わせる力を……
「毒か?」
そうとも言えるが、そうではない……彼らにとっては毒のような性質かもしれないが、一切の毒の成分を持っていない……
それを聞き、腕の疼きを抑えきれなくなったザガーリィはピレイマに対する野望を持つようになり始めていた。彼の復讐の対象はあくまでニフェリアルのサイカロスたちのみで、ピレイマに対しては特にこれと言って恨みも抱いてはいない。だが、邪魔になるならばそんな弊害は片付けていくまでだ。そもそも、いずれにせよサイカロスたちを攻撃していけば自分たちを脅威と見た神々がちょっかいをかけてくるのはほぼ確実、そんなときに有効打を持っていて困ることはないだろう。それに、少し改良を加えればサイカロスにも効くように出来るかもしれない。それこそ、願ってもない力だった。
「その力を俺に寄こすというのか!?」
そうだ、ただの気まぐれではあるが、教えよう……だが、一朝一夕で教えられるものでもない。しばしの時を必要とするが、よいな?
「構わない……」
時間ならいくらでもある。何年待ったと思っている。
彼は煮えたぎっていた。サイカロスの寿命は種にもよるが、おおよその者が数百年の時を生きることが出きる程度には長い寿命を持っている。場合によっては寿命のないものだっている。幸い、ザガーリィの種族は千年をゆうに超す寿命を持っているため、まだ年齢としては若輩者の彼にはまだまだ十分な時間の猶予が与えらえていた。
よかろう、では教えよう。私たちがな……
私たち、その言葉に引っかかったのも束の間、彼は数千の意識に包まれていた……




