第百二十四話 超越せし者
そこなる若き新界の者よ……
何者かの声が、体を休めているザガーリィの耳に流れ込んできた。その瞬間彼は一瞬にして跳び起きるとすぐさま構えて戦闘態勢に移行するが、何故か気配の一筋すらも読み取れない。どこかに何者かが潜んでいるとしたら、この場合非常に良くない状況である。恐らく、先ほどの声の主はこの場所を知り尽くしているものであろう、そう考えるのが妥当だ。傷ついた体でこの不利な状況の中戦いを強いられるわけにはいかないが、かといって転送術をつかえるほどのシフスも残っていない。それは彼が転送術で逃れることを防ぐために、ベルザミナ・アークのサイカロスがシフスを一定時間無効化する技を彼に使用したためであった。そのため、彼はしばらくの間己の肉体と持ち合わせている能力で戦わざるを得ないのだ。
神経を今可能な限り研ぎ澄ませ、秘めたる刃をいつでも展開できるように備えた。しかし、やはりその声の主は現れる様子もなく、ただもう一度声だけがまた彼に呼びかける。
そうカッカせんでもよいだろう。お前と戦おうというつもりなど毛頭ないよ。
「じゃあ何が目的だ……愚かにも迷宮に迷い込んだ傷ついたサイカロスを食おうって言うんじゃないんなら、何がしたい!」
苛立つザガーリィ。そんな彼とは対照的に、声の主は常に冷静に彼に対し語り掛けていた。
お前には成し遂げたいことがあるな
「何故わかる」
わかるともさ、私ならな。
「どういう」
ここで彼はあることに気づき口をつぐんだ。この声は先ほどからこの空洞内で反響して奇妙な聞こえ方をすると思っていたのだが、少し落ち着いて耳を傾けてみるとこれは耳に直接入っている声ではなく、頭の中に直接響いている声だということが分かった。だとすれば、何者かはこの場所にはいない?
ザガーリィは、戦闘態勢は崩さずおもむろに勘で声の主を探そうと進んでいく。その間、不思議と声は少しも語り掛けてくることは無く、道案内すらもしてくれない不親切さに罠ではないことを感じ取りつつも、かといってそう簡単に信用することも出来ずにいた。
彼はまず一番近くにあった枝を上り、その先にあった横穴にそっと覗き込んだが、穴は一メートルほど抉られているだけで、何一つありはしなかった。
「どこだ……」
同じようにあちらこちらの横穴を探していくのだが、一向に見つかる気配もなくただ時間ばかりが過ぎていきいかんせん陽の光の届かぬ地下故に日差しからの時間の割り出しも叶わない。いい加減にイラつき始めた彼に、ようやく声が彼に助言を与えた。
仕方がない、助言を与えよう。私はそこにいる、どこでもない、お前の見定めたその場所に。探すのではない。
「ふざけやがって……」
その言葉に対して彼は声が何を言いたいのかはわかったので、その場に腰を下ろし気を鎮め始めた。次第に心は落ち着きを取り戻し始め、普段の冷静さを殆ど取り戻していた。そして、そこからさらに声の主を思い描き始める。姿など知りはしない、勝手に想像するだけだ。
よくぞ、見定めた。
その声と共に、ザガーリィが目を開くと目の前の壁、先ほどまで何も無かったところに彼の胸辺りまでの高さの小さなくぼみが現れていた。そしてその中央には一体の人間らしき人物が静寂と共に座していた。
「お前か……」
ザガーリィは拳に力を込めつつにじり寄る。
「おい、何故俺を呼んだ」
怒り交じりにそう問いかけるが返事はない。さらに苛立ちがつのるザガーリィはまったく動じぬ声の主に歩み寄って新たに気づいた。
「死んでやがる……」
座する者は、既に息を引き取っていた。しかも今しがたというわけではない。死体は完全に水分を失っておりボロボロの衣服は色褪せ染み、元の色がどんな色だったかすら想像もできないほどに朽ちていた。その状態から見るに死後数百年は少なくとも経過しているのではないだろうかとさえ思わせるほどに。
では、つまりこいつは死んでいるにもかかわらず彼に話しかけることが出来たというのだろうか。いくつもの事象をヘクゼダスの元いた世界の人類と比べて凌駕している彼らも、その多くの種族が死という概念からは共通して逃れることはできない。復活の術も普及してはいたが、死した状態からこうして現世へと干渉することなど、ほぼ不可能に近い。それは恐らく、あのエッシャザールやピレイマの主神ですら同様のはずだ。だのに、この名もなき者はそれらを凌駕しているとでも?
「なんて場所に踏み込んで……しまったんだ」
今の彼の心を占めている感情は驚くべきことに恐怖であった。それもそのはず、エッシャザールや主神にでも不可能と思しき存在がいる場所に迂闊に侵入してしまったのだ。あまりにも計り知れない、未知なる存在を知って、あまつさえそれが目の前にいて、恐れぬほうがおかしいというものだ。
この、いわば即身仏ともとれる亡骸に対し腕の間合い分だけは下がって距離を保ち続けようとするザガーリィに対し、声は笑って言う。
ふっふっふ……私はお前を傷つけようなどとは思わない。私は力を授けてやろうと気まぐれを起こしたのだよ。
「……力?唐突だな、信用できるとでも?」
せんだろうなあ……だが、お前は私を恐れている。
「何?」
何故わかる、と問おうとしたところですぐに今の自分を鑑みてその答えに至るのは当然だと気づく。あからさまにこいつを避けているではないか。正直なところ、こんな怪しげな存在に、名も知らぬというのに教えを乞うなどという馬鹿な真似はしたくはない……が、こいつには計り知れぬ力がかつてあったのだろう。そのため、死して数百年という長い時代を超えてなお、こうして語り掛けてこれるだけの余力を残しているというのだ。もし、その力の一割だけでも得ることが出来たのならば、もしかするとヴェッチェとも渡り合えるかもしれない。
そう考えるに至ったザガーリィは、あえて賭けにでた。どのみちニフェリアルに歯向かうこと自体がどうしようもないくらいに賭けであったのだから、この程度、今更どうということはないだろう。
復讐を再度誓ったザガーリィは、警戒を最小限に解き彼の前に腰を下ろした。




