第百二十話 立て
普段ならさっさと始末してしまうところだが、この者たちから何かの情報を得られる可能性もある。一人は既に死んでいるようだが後の三人はまだどうにか息があるようだ。しかし、うち一人は怪我の具合からもう長くはもつまい。ならばできることは記憶を抜き出して楽にしてやれることくらいだ、珍しく慈悲を見せたヴェッチェは不機嫌そうに術を唱えようとしたところで足を掴まれる感覚に目線を落とした。
一人の騎士、つまりはジェイラスが力を振り絞って彼女の足の内の一本を掴んでいたのだ。余りにも弱弱しい力に、この男も致命傷を負っていることを悟ると彼女は一度目を瞑り、再度開くと何か、と尋ねた。
すると、彼女は知らなかったが天使の言の葉が作用していたためであるが、どうやら言葉が通じたらしく彼は小さく何かを呟いた。彼女は耳に意識を集中させながら何と言ったのかもう一度述べるように告げると、彼は足をつかんだまま人差し指だけを一つの小屋に向けて伸ばすと、まさか旧世界人から聞くとは思いもよらなかった名を耳にした。
「へ……クゼ…ダ」
「………ヘクゼダス、と言いましたね」
彼は小さく頷くと、そのまま気を失ってしまった。
「そうですか、なるほどあそこにヘクゼダスが……」
そこにヘクゼダスがいるということは、ここの蛮族どもに情けなくも捕まっていたということ。そしてこの戦列騎士はその小屋から飛び出してきた、つまりヘクゼダスと接触を果たしている、そのことは彼が名前を知っていたことからもうかがえる。ということは、ヘクゼダスはこの者たちを始末もせずにみすみす逃したということにもなるが、それは今は問題ではない。
戦いがあるにもかかわらず少しの姿も見せないのは、彼の臆病さを鑑みても不自然なところがあり彼女はヘクゼダスが何らかの理由であの小屋から動くことが出来なかったのではないかという予測を立てた。
彼女は掴まれている手を蹴り払うと、おもむろに彼が指した小屋へと進んだ。近づく前から感じ取っていたが、小屋の中からは動物や人、そしてサイカロスの血などの匂いが強烈に鼻を突く。特に、サイカロスの血は強烈であることからおおよその事情を察したヴェッチェは、治療用の呪術を展開しながらいつでも使えるように備えていた。
中に入ろうとしたところで、小屋には既に先客がいることに音で気づいた。これはヘクゼダスではない、となるとこの小屋の持ち主かそれとも、先ほどの者たちの仲間か……。殺すか、否か、右腕の治療術を解いて代わりに攻撃術を纏わせ反射的に殺せるように構え直しつつ彼女は何のためらいもなく先客の前へと歩み出た。
「……ん?」
ヴェッチェとイェルヴェルーニウの遭遇であった。現在彼はヘクゼダスの肉体再組成へと入っており、懐から取り出した幾つもの材料を用いてどうにかヘクゼダスの体を再生させられないかと試行錯誤していたところで、ヴェッチェの眼下には大量の薬品や肉、貴重な材料が所狭しと乱雑に並べられている光景が広がっていた。
「マルトブ、リカンの第二牙の粉末……エントルペスの乾燥子葉とミギュータルのもも肉ですか……これは驚きましたねえ。その場しのぎのヘクゼダスの肉体の再組成が行えるだけの材料が十二分に揃っていますよ……」
彼女は素直に感心していた。これほどまでに自分たちのことを理解している旧世界人など長きにわたる人生の中で今まで一度も見たことが無かった。しかし、ここにはヘクゼダスの体を構成しているタイプの物質の急速な再組成を行える材料がそろっている。どれも貴重な品ばかりだが、もっと驚くべきことは術やマヨルドロッタの再生装置のようなものを使わずにこういった古代の方法を用いての再組成を行おうとしているという気概があることだった。これは並大抵の執念では到底かなわない。
「あなた、名は」
彼は彼女が目の前に立っているということはジェイラスたちが敗れたということを察すると、あきらめたように立ち上がり名を述べた。
「私はイェルヴェルーニウ。君たちサイカロスに魅入られ研究をする者。ジェイラスに誘われてやってきた」
「なるほど、あの外の者たちはうち一人がジェイラスと……まあ聞かぬ名ではありますが、それで」
「それで、とは」
このサイカロスは何を言おうというのだろうか。彼はヴェッチェがただならぬ強者の気配を纏っていることが読み取れぬほど愚かではなかったため、下手に動くべきではないことは知っていたが、同時にこの距離ではいくら素早く対応したところで術の発動前に殺されてしまうであろうことは明白であった。
「あなたはこの矮小なサイカロスを再生させて研究材料にでもする気ですか?」
「いや、そのつもりは……半分正解といったところだろう」
彼の煮え切らない答えに若干の苛立ちを見せながら彼女は足元のものを押しのけつつ半歩前へ進み出る。
「はっきりと答えなさい。くし刺しにして差し上げましょうか」
きっと彼女の言っていることは比喩や単なる脅しではなく言葉通りのことをするということだろう。今の所まだ死ぬつもりのないイェルヴェルーニウは、できるだけ全てを正直に答えた方が賢明だと判断すると、自分が考えていたことをヴェッチェに述べ始めた。
「私は……ジェイラスにこう言われた、一体のサイカロスを助けに行くのを手伝ってほしい、その代わりにそのサイカロスの研究をしてもいいから、と」
簡潔だが、嘘偽りはない。今の話をはたして目の前のサイカロスが信用してくれるかが不安であったが、数秒の後彼女はため息をつくとわかりました、と発した。
「随分と奇特なものもいたものですねえ……面白いですが。ただ、その方法では私の足がここに根を張ってしまいますから応急処置を施しますよ」
「なるほど」
彼は自分の作業が邪魔されることに対してはなんの不満もなかった。それどころか目の前でサイカロスによるサイカロスの応急処置が見られるとあってはそちらのほうが気になるというものだった。彼はそそくさと床に広げた私物を懐にしまってスペースを作るとヴェッチェの邪魔にならぬように端へとどいた。
「さて、まああなたにお見せするのもいいでしょう。気まぐれですよ……」
ヴェッチェはヘクゼダスの胸に指先が触れる距離まで歩み寄ると腕をそれぞれ上下左右に動かしながら呪術の詠唱を始めた。
「アリーアライア・サクラ・ジウーバリットート・レン・アウスロラーロ・グラ・ディ・インケータァ………ランベニア・エス・フィグラー・ディ・ビエスホイハン・ライ・ケルシャールトマニヒ……エザリオン」
実際は二分ほどの長めの詠唱を終えると、ヴェッチェの両手が光り始め目に見えるほどの濃度にたかまったシフスが両手に貯まり、やがてヘクゼダスの体へと流れ込み始めた。
「おあ……ああああ!?」
未だ昏睡状態にあったヘクゼダスは、自身の体に起こり始めた異変に目を覚ますとすぐに体や傷口から響いてくる奇妙奇天烈な痛みのような感覚に叫び声を上げた。
「んだこれえ!があああーー!!!」
「うるさいですよ、黙りなさい殺しますよ」
いつものヴェッチェの罵倒が飛ぶが、今の彼はそれに反応するどころではなくはりつけにされたまま体をあちこち捻るのにせわしなかった。術が発動している間、彼に流れ込んだシフスが内側から彼の体を再構築し始め、失われていた様々な部位を補填し始めていたが、修復が行われた箇所は何故か青く発光し続けており、彼の元の肉体ではないことを示しており恐らくあくまで借りの肉体をシフスで仮組しているということなのだろう。
「……さてと」
ヴェッチェは手を払うと呪術の詠唱を終えヘクゼダスから二、三歩後ろへと離れると目から軽めに光線を放って彼を縛り付けていた拘束を解いた。
「アいだっ!」
そのまま床に叩きつけられたヘクゼダスは、久々の地に体がついた喜びを噛み締める間もなくヴェッチェに起き上がるように叱咤された。
「起きなさいヘクゼダス、あなたには下さねばならぬ判断があります。外へ来なさい」
一発鞭で叩かれたヘクゼダスは、未だ自分の置かれている状況が理解できずに混乱していた。
確か自分はなんちゃらとかいう人間の冒険者達を体を張って逃がしたはいいものの、そのあと湖かどこかで一旦意識を失ってそれで……
その後を思い出したヘクゼダスは戦慄した。思い出してしまったのだ、あの気味の悪い部族たちが自分を捕まえて何をしたのかを。
「ああ、ああああーーーーーっ!!!!!」
痛み、恐怖、残虐、そういったものすべてがこみ上げてきて彼は激しく嘔吐した。酸性の胃液が床を溶かしその下の地面も溶かしてしまう。
「どうもあなたは旧世界人の野蛮さを身をもって味わったようですねえ……ですがそれもあなたをより成長へと導くでしょう」
ヴェッチェの言葉は彼の耳には届いていなかった。ただ彼の脳裏にはあの時の光景がフラッシュバックし続けていたのだ。囲まれ、切り裂かれ剥がされ、引き抜かれ……それでも死ねない、死なせてくれなかったのだった。
自分の肉や内臓を目の前で取り出しそしてそれを口の周りを血濡れにさせながら喰らっているその光景は、いかなるスプラッター映画にも勝る。男たちだけでなくまだ年端もいかぬであろう幼い子供たちまでも全身を自分のどす黒い血に染めて、肉を食い漁っているのだ。彼は、あの恐怖が完全に心に傷となってしまったようで、がたがたと震え続けていた。
最近非常に忙しかったのと病に臥せっていたので更新が遅れてしまいました。




