第百十五話 望まぬ再会
ようやく呪詛師の男を倒したジェイラスたちは、遂に男が出てきた一際異彩を放つ小屋へと足を踏み入れる。もしイェルヴェルーニウの言ったことが本当ならば、この中に広がるのは世にもおぞましい光景であるに違いないだろう。それだけはあってほしくはないが、ヘクゼダスのものらしき足がおちいてたという各個たる証拠を発見してしまった以上、その望みも薄いだろう。彼らはイェルヴェルーニウがフォーキシェにやったような四肢を切断され転がっている猟奇的な場面を思い浮かべその建物の前に近づくと、まだ十メートルは離れているというのに鼻を突く悪臭に思わず鼻をつまんで吐き気を抑え込もうと口元も抑える。
「オウェッ……なにごれウップ」
ユーリィが今にも吐き出しそうに何度もえずきながら膝をついた。この悪臭は元の世界で嗅いだ夏場に母が掃除し忘れて旅行に行った時の三角コーナーよりも酷いと彼女は断言出来るほどに酷い悪臭であった。ジェイラスやメナースたちも同様のようで、漁村育ちで生臭いにおいには慣れているはずのジェイラスですら、呼吸が止まりかけるほどの悪臭でメナースはどうにか臭いを遮断する魔法を唱えようとうっかり息を深く吸い込んだ瞬間に激しく嘔吐し、それが運悪くちぎれた部族の腕の上であったため、更に四度も彼女は嘔吐し地面を吐瀉物に塗れさせた。
「これでも抑えてある方だろうな」
いつの間にか臭い遮断の魔法を唱えていたイェルヴェルーニウはそれでも口元に手をやりながらそう呟く。
「これでぅオウヴェッ!!」
つい口を開いたジェイラスは少量の吐瀉物を足元にこぼし、鎧に引っかかった部分を見て気を落とした。
「本当なら村から飛び出すほどの臭気が流れていてもおかしくない。まあ悪魔の種類によるが」
「そ、ぞうが……だのむ、俺だぢにもそれ、かげでっ」
少しだけ慣れたジェイラスは、自分にかけている魔法を皆にもかけてもらえるよう頼むと、イェルヴェルーニウは仕方ないとばかりにささっと臭い遮断の魔法を全員にかけ、しばらくして立ち直った彼らは改めて建物へと踏み込んだ。
ジェイラスが手をかけた扉は基部から壊れて内側へと倒れると、周囲に置かれた何らかの植物の葉などを飛び散らかした。中にはやはりいろいろな道具や人獣魔問わない数十以上の骨などが見られた、だがそんなことよりも、彼らは部屋の片隅へと続く黒い血の跡のほうが気になって仕方がなかったのだ。彼らは顔を見合わせると、恐る恐る部屋の奥へと足を進める。
「何か……聞こえる」
足を止めたノルが、耳をそばだててそう呟いたので他の者も耳を澄ます。すると確かに何か低い音が微かにだが部屋の奥から聞こえる。そう、これはまるで呻き声のような。これはいよいよだと確信し、彼らは遂に奥へと踏み込んだ。そして、言葉を失った。
「なにこれ……」
そこにあったのは、彼らが想像していたよりも数倍も悲惨な光景であった。
壁にはヘクゼダスらしき悪魔が両手を広げた状態で括りつけられており、体のあちこちが引き剥がされ肉と骨とが露出して傷口からは未だ黒い血が壁に床にと染みを作っている。しかし、それはまだほんの序の口と言えるほどに、下は惨たらしかった。
彼らは一斉に視線を降ろすと、ヘクゼダスの下半身があるべきところにないことに気づく。少なくとも片足がないのは、わかっていた、だが今の彼には下半身が丸ごとないのだ。否、それだけではない、恐らく肋骨の辺りまで完全に体の下半分が失われており、垂れ下がった内臓とその奥の中心に見える太いものが背骨なのだろう。血が滴り続ける彼の体の下にはご丁寧に木で作られた大きな椀が置かれ血を受け止めていた。
「ううっ!!」
耐えられなかったメナースとユーリィが外へと飛び出し、ジェイラスに眼で促されてノルも二人の後を追って外へと出た。あとに残されたのは、ヘクゼダスだったものとジェイラス、そしてイェルヴェルーニウであった。二人は黙ってこの惨状をじっと眺めていたが、ジェイラスは先ほど聞こえた呻き声を思い出し、その主に気づきただでさえ蒼白していた顔をより青くさせて口を開く。
「まさか……」
すると彼の言いたいことがわかっていたかのようにイェルヴェルーニウは頷いた。
「そのまさかさ……彼は、生きながらにして体を切り裂かれ内臓も骨も切り取られた……恐らく、いや確実に痛み止めなんてないだろうね。あったとしても、この程度の文明レベルの奴らが使うものにこれでは効くわけもないさ」
それを聞き、ジェイラスはその場に腰を下ろして床に拳を強く打ち付けた。
「なんて、なんて野蛮な奴ら何だあ!」
彼の泣き叫ぶ声は小屋の外まではっきりと響き渡り、外で横になっている三人にもよく聞こえていた。きっと、より悲しい事実をイェルヴェルーニウから聞かされたのだろう。
「なあ、ヘクゼダスは治るのか?」
吊るされたままのヘクゼダスを調べているイェルヴェルーニウにジェイラスは尋ねる。
「わからないな、サイカロスの治療はしたことがないものでね」
「サイカロス?」
「悪魔が自分たちのことをそう呼ぶんだ。意味についてはまだ知らないが」
こいつは、どれだけ悪魔のことを知っているのだろうか、ジェイラスは彼の背中を見つめながら思い耽る。今まで悪魔について知識があるものは何人か見てきたが、サイカロスという単語を使ったのは彼が初めてだった。それ以外は皆悪魔だの美しきものだの、自分たちの言葉のみでそう彼らを言い表してきたのだあg、悪魔の言葉を使った奴はいなかった。ここで彼にある疑念が生まれた、もしかするとこの悪魔好きの研究者は本当は悪魔かそれに準ずる存在なのではないだろうかと。そうかんがえるといくらか合点がいくところがあった。魔法学を学んだメナースも知らない魔法をいくつも操り、悪魔を一方的に拘束する術を使い、悪魔の言葉も知っている。宗教深い国や村に行けばまずこの男は悪魔裁定にかけられ死刑を言い渡されるであろう。
などと嫌疑を勝手にかけている間に、イェルヴェルーニウの簡単な調査は終わったようで、彼は立ち上がると懐から籠手のような木の蔓で編まれた道具を右手の分だけ取り出すと、やはりそれを嵌めまた別の道具をいくつも懐から取り出し床に並べ始めた。
「……それは?」
一旦彼を疑うことはやめ、何か儀式的なことを始めようとしている彼に注目をする。小瓶やら棒やら石の皿やらなんやかや、大々的に何かを行うようだが、もしかすると話の流れからして彼を治すための用意だろうか。そう期待して彼にそうなのか尋ねてみると、曖昧な答えが返ってきた。
「そうとも言えるし、違うとも言える」
「どういう意味だ」
「まだ、今の状態ではこの死にかけたサイカロスを治療することはできない、あまりにも傷を受けすぎている」
傷が酷いとそう簡単には治らないのだろうかと考えたが、そんなことはない。真っ二つになった人間でも迅速な対応をとることで数十秒後には元気に走り回っている話も聞いたことがある。だが、彼の言いたいことはそういう単純なことではなかったようだ。
「治療魔法を使えば一発だろう?」
「違う、サイカロスは根本的に体のつくりが違うんだ、こちらの魔法はこちらの世界の生物に合わせて構築されているのであって、向こうには向こうのやり方というものがある。だが、私はまだその境地には達していない」
「へえ……」
難しい話だ。
「何か手伝うことはないか?」
手持無沙汰な彼は、彼の広げた道具に目移りしつつそう尋ねると、彼はそうだな、と前置きすると外を指さしこういった。
「片付けてくれ」
「何を?」
部屋が汚いので綺麗にしてくれということかと一番近くにあった薬草壺を手に取った彼にイェルヴェルーニウは首を横に振った。
「敵を」




