第百九話 その肩に何を負う
ジェイラス一行が史跡を出発した頃、その森の反対側、海岸沿いにある切り立った岩肌がむき出しの場所に二体の悪魔がいた。一体はあのザガーリィでもう一体は巨体の悪魔ヴァーロ。二体はまだ開発されていない自然にまみれた場所に黙って立っていたのだが、不自然な点は彼らの周りに飛び散るおびただしい量の血と、全身に浴びた返り血である。ただし、ヴァーロが角先からつま先まで血にまみれているのに対し、ザガーリィは一滴の血もその身に浴びていないのは実に不思議な点であった。
「レッヴァリッキドもフォーキシェもいないか……」
と、ザガーリィはほんの少し残念そうにそう呟いた。だが、それは寂しさや仲間を想ってのことではなく、計画に支障が出ることに対する憂慮によるものであった。
「この野蛮人どもなら何か手掛かりでも拾っているかもしれないと思ったがとんだ無駄足だったな、ヴァーロ」
ヴァーロはそれに鼻息も荒く頷き、足元に転がる誰かの手を踏みつけた。彼の巨躯に踏み潰された手は岩とに挟まれ見事にぺしゃんこにしていたが、それでも痛みに悲鳴を上げるものはいない。ここには、誰一人として最早痛みを感じることのできるものはいないだろう。
ザガーリィとヴァーロもまた、ヘクゼダス達と同様にフォルタニッツァの爆発に巻き込まれ、この島へと遠く飛ばされてきたのだが、同時に飛ばされたのではなく彼らやキエリエス等はヘクゼダス達よりも一日二日遅れて飛んできたのだ。その間どうしていたのかと言うと、彼らはその間中ずっと謎の空間を飛び続けていたのである。何色とも言葉では形容しがたい、四次元の空間を意識のあるまま跳び続けていた彼らは長い時間を経てようやくこの島へと放出されたのだ。それゆえに、ザガーリィたちは行動が遅れてしまっていた。
ザガーリィは血と死体とに浸かった岩場をおもむろに進んでいく。時折血だまりの上を踏んでいったはずの彼の足にはやはり、一滴も血が付着することは無くきれいなまま彼は歩を進めた。
彼らの足元に転がっている死体は、つい先ほどまで生活を営んでいた原住民たちのものであったのだが、ザガーリィたちに出会ってしまったのが運の尽き、その上彼らを一目見るなり敵対してしまったのだから、始末が悪い。あっという間に歴戦の狩人たちすらも皆殺しにされた原住民部族はものの五分と経たぬうちに約四十名全員が命を落とした。老いも若いも、男女も関係なく皆引き裂かれ、すりつぶされ貫かれた。
ヘクゼダスやジェイラスを襲ったのとは異なる部族であったものの、好戦性には変わりはなかったため実に危険な部族であったが、こうして稀少な部族が一つあっという間に滅びたことに一体どれだけの損失をこの世界に与えたのかは誰も知らない、知る由も無い。
それよりも、彼にはフォルタニッツァ・ドラグロのことが気がかりで仕方がなかった。彼らは、フォルタニッツァを利用したとある計画を進めておりその行程もほぼ終わりに近づいておりあと少しで完了するというところで思わぬ邪魔が入ったどころか、彼も知りえなかった超常現象に巻き込まれたことでこうしてフォルタニッツァの影も形もない辺鄙な場所へと飛ばされてしまったのだ。
これでは、全ての計画が滞るどころか全くの無駄足となってしまう。何十年かけて準備をしてきたと思っているのだ、下調べなど含めればもっとになる。彼は実に怒りに打ち震えていたが、はたから見ればいたって極めて冷静に歩いているようにしか見えない。しかし、彼の中にはいくつもの思考が混在し一つの物事に対し複数の対処法を考えることや、別々のことを思慮することが出来ていた。
今彼が考えているのはどこにも見当たらないレッヴァリッキドとフォーキシェの行方、処刑執行人サヴェッチェ、ヘクゼダスという何か引っかかるところのある悪魔、ドラグロの芯水晶内に残してきてしまった引導石柱、そして計画の最終目標である「あれ」。まず解決すべきは仲間の所在と生死を明らかとすること、次にサヴェッチェ、そして次に石柱、最後にヘクゼダス。優先順位としてはこれくらいが妥当だろうか。
恐らく、無いとは思うが今いない隙にもし万が一にでもドラグロのコントロールが知られ奪われでもでたら、完全に計画をこの手に取り戻す手立てはないとみていいだろう。相手がただのシラバルサンサの住民なら簡単に取り返すことはできるが、生憎とあそこを管理しているのはギダリアド族である。ギダリアド族自体にこれといった脅威はないものの、最大の問題は奴らがサイカロスと通じているという特殊性を持っているという点だった。
彼らがあのことをマヨルドロッタ城の者に伝えればすぐさま城主のステフェ或いはそれよりもさらに上、ヘキゼスヘカリールに住まう最上級のサイカロスがやってくる場合があるのだ。もしそうなれば、いくらザガーリィでも手も足も出ず指一本振るうことなく消されてしまうだろうことは、想像に難くない。それほどに、サイカロスというものは下から上までの差が大きいのだ。とても、とても。ヴェッチェですら有象無象扱いにするサイカロスなどいくらでもいるほどだ。
出来るだけ知られたくはなかったのだが、計画の都合上どうしてもドラグロを動かしたときのように目立つ動きがどうしても出てくることは避けられなかった、そして今までばれなかったにも関わらず運悪くサイカロスと出くわしてしまった。己の機運の悪さには呆れたくなる。
ザガーリィは崖の上へとつながる自然の作り出した緩やかな斜面を上がっていく。一旦仲間を探すために探索呪術を広範囲にわたって仕掛けるが、この島では何かの力が働いているのかそれとも特殊な地形の影響か至近距離しか探索の範囲を広げることが出来ず、五メートルほど後ろをついてきているヴァーロを探知するのがやっとというありさまであった。
これでは、一体探すのも一苦労である。ヴァーロは同じ場所に飛ばされてきたわけではなかったが、すぐ近くでハンター相手に派手に暴れまわっていてくれたおかげですぐに合流することが出来ていたのだが、それは随分ここでは幸運であったようだ。
「この島は……案外広そうだな」
彼は向こうへと伸びている海岸線を眺めながらそう呟いた。小さい島ならもっと海岸線がカーブしているため先が見えないが、この島はその逆でしっかり向こうまで見えてしまう。それに、島の中心には意味ありげにそびえる巨大な山が確かな存在感を放っており、彼のいる地点から見える大きとその両端へと延びる裾、そして高さからもこの島の大きさはいくらか把握できていた。
「ヴァーロ」
彼は仲間を呼ぶ。前に出てきたヴァーロはその場にしゃがみ込むと腰のあたりの出っ張りにザガーリィは足をかけ、彼がヴァーロの首元の棘に手をかけたのを確認するとそのまま走り始めた。最初はランニングで、次第に速度を上げていき木々を薙ぎ払いながらヴァーロは島を横断するように突進していった。だが、驚くべきことにその異常な様子は目の前を通りすぎでもしなければ気づかないほどに静寂であった。それはザガーリィが音を吸収する術を使っていたためである。そう、イェルヴェルーニウと大体同じようなものだが彼の使うそれとは仕組みが若干異なっていた。
彼らが島の中心を通り抜けるころ、偶然にも彼の仲間を解体したジェイラス一行の真横を通り抜けたのだが彼らは大岩の影に座って休憩をとっていたため幸運にもばれずに済んでいたのだ。もしこの時ザガーリィに見つかっていたのなら、ジェイラスたちの冒険はここで終わっていたに違いない。運も旅には重要な要素であるということだろう。
因みに当然彼らはザガーリィが通過したことには気づくため、突如として森が綺麗に一本線で切り裂かれた減少に戸惑いを隠せずこの森には更にやばい化け物が存在するのではないかという疑いを抱かせていた。




