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第百一話 ウィンペル

 ジェイラスとノルは酒場を訪れていた。ここならば、様々な人間が集うため一人くらいはヘクゼダス救出に同行してくれるはずだと踏んだのだ。そういう場所には本当にいろんな境遇の者達が集まってくるもので、今までであった中では、決して必要最低限以上のことは話さないように努めてはいたものの、その佇まいや所作から気品があふれていた女騎士とその同行者の男や、右腕の袖からちらりと見えた古代レクテム語をびっしりと刻まれたローブ姿の男、悪魔城に婚約者を攫われてそれを取り返すためにもう十年も旅を続け目も心も死んでいた虚ろな傷だらけの隻眼隻腕の男、かと思えば無謀な好奇心から旅に出たい若者、そういったそれぞれの事情を持った者たちが自然と集う場所が、何種類か存在するのである。ここで言えば、二軒ある酒場や船着き場、市場である。何故その中で酒場を選んだのかと言うと、船着き場には帝国の眼が光らせてあり危ない仕事は迂闊に口走れない、市場じゃあ一般的過ぎて、えられる仲間や情報も自然と一般的になってしまう。対して、酒場なら帝国の眼は行き届いておらず、それどころか実質見てみぬふりと言えよう。故に、後ろめたいことを求めるなら酒場が一番なのである。

 二人は酒場の前に立って入りあぐねていた。あまり気乗りがしなかったのである、何故なら前述の通り融通が利くとはいえ、その分治安が決して良いとは言えず、危険な奴らに絡まれる場合だってよくあることで、ジェイラスが一番あと一歩のところで入れない理由が旅を始めて一か月目で意気揚々と酒場に乗り込んだ結果、こわもての男たちに殴られ唾を吐きかけられおまけに金まで奪われてしまったためであった。それ以来、本当は行きたくはないのだが、これも皆仲間のため、世界の平和のためである。そう自分に言い聞かせて彼は酒場の戸を開いた。ちなみにその時の奪われた物は未だに一つも取り戻せてはいない。

「あーやっぱりねえ」

 入って一歩目で彼はもう帰りたくなった何種類もの臭いの酒の入り混じった独特の空気が鼻腔を酔わせようとしてくる、絶え間ないガヤがヘルムの中で反響しては耳の邪魔をしてくる。ノルもあまり好ましくは思っていないようで、しかめっ面をして嫌悪感を出来る限り抑えようとしていた。

「さてと……まずは」

 ジェイラスはノルと隣り同士でカウンターに腰かけると、口ひげをたくわえた隻眼のマスターにデウンという軽めの酒を注文した。酒場に来てまず何も頼まないというのは常識に欠ける、常識が欠けている目の前の奴らでさえ、必ず一杯以上は注文をしているのだ。あれ以下に落ちるつもりは毛頭ない。それにデウンならそう簡単に酔うことはないし、おまけに安いと来た。

 二人はカウンターに置かれた青白い酒を一口煽ると、口いっぱいに独特の甘酸っぱい果実酒特有の香りが広がった。セブラーンという世界中でとれるために大概の民族の食生活に組み込まれている果物を使ってあるため、異なる種族間の集まりでもとりあえずこれを出しておけば飲めない仲間外れを作ることがないのだ。

「ああ、やっぱり美味しいなデウンは……な」

 下の上で転がしながら味わいながらも、酒場の様子を見渡して品定めをしている。狙うは悪魔に興味のある者、禁断の魔法に通ずる者、後ろめたい部分のある者、特殊な異種族……ここにいる大体の奴らは皆どれか一つは条件が合致しているはずだが、一人ではまだ多少の不安点が残ると考えているのでできれば二つ以上の条件を兼ね備えている裏切ったりしないやつがいい。あと雇い金があまり高くないやつが。ある程度金は溜めていたのだが、さきほどメナースの治療に七割がた支払ってしまったのであまり懐が心もとないためだ。二カ月も命懸けで貯めた貯蓄であったが、仲間を救うためなら致し方ない出費であった。

「……誰か探しているのかい」

 背後でドスの効いた声を掛けられ、三センチほど椅子に座ったまま跳びあがったジェイラスは、マスターの方を振り返ると、マスターは乾燥肉のチウラをナイフで薄く切りながらジェイラスの方を見ていた。

「あ、ああいえ……別に」

 と彼はそこで断ろうと思ったが、そこで言葉を切って彼に聞き直す。ここで毎日何十人もの人間を見ている彼なら、都合よく合致する条件を持つ者を一人くらい知っている可能性はある。ジェイラスは一瞬の躊躇を見せた後、口を開いた。

「悪魔に興味を持ってるのとか、いませんかね。倒すほうじゃなくて、間近で見ていたいっていうような」

「ふうん」

 彼の出した条件に小首を捻り、記憶を手繰りながらも手は動かしているマスターは、別の客に切ったチウラを盛った皿を出し次に酒をグラスに注ぎ果物の切れ端を入れまた別の客に出す。

「そうだな……そうだな……ああそうだ」

 彼は何か思い出したようでしきりに頷きながらやがて店の奥を指さした。

「ん?」

 ジェイラスとノルは彼の指した方向に顔を向けると、酒場の奥の奥、一番角の証明の届ききっていない端の席に、一人のローブ姿の人物が座っていた。顔まですっぽりと覆い隠せるほどの衣を纏ったその人物は、灰色の手袋をはめた手で黒い液体の半分ほど入ったグラスを口元に持って行っていた。

「怪しい……」

 思わずそう呟くジェイラスに、マスターは当然だろうという顔でその人物について知っていることを話し始めた。

「お前がそういう人物を望んだんじゃあないか。俺の知ってるのでそんなのは今いる中ではあれしか知らんね。あいつはちょくちょく店に来てはウィンペルとレベン(※1)を頼んであそこで一杯やってるよ」

「ウィンペル?」

「マキトゥリオンの方にある地酒さ。果物と穀物とあと……なんだったかな。とりあえず酒に使うもんじゃないもんを使って作った変な酒だな。俺の店であんなもの頼むのはあいつくらいだ」

 へえ、とその風変わりな常連に目を向けながらデウンを煽る。確かに見た目からすれば、禁断魔法や悪魔魔法に興味がありそうな風体ではあるが、接触すること自体が非常に危険に思われる。

「あいつに話しかける奴ぁいないね。声すらまともに聞いたことはないし、出身も歳も性別も何もかも誰も知らないと来た。ま、もしあれに興味があるならウィンペルでも持っていきな。ちと高いがね。だが高い故だ」

 なるほど、手土産というわけか。彼は納得して一杯の値段を聞いてたまげると、渋々ながらも大きめのグラスに注がれた黒い液体を手に立ち上がった。

「ノルも来てくれないか」

「わかった」

 一人じゃ不安なことしかたない。

「しかし、なんとも言えない変なにおいだ」

 ジェイラスは、手元の未知なる酒のにおいに思わず眉間に皺を寄せた。果物の発行したような、それでいて魚の腐りかけの臭いのような、それでいてまるでフルタイン鉱石(※2)。味の想像できないそれをもって、彼は謎の人物の前に立つと、ノルが持ってきた椅子に腰かけながら声をかけた。

「座っても?」

 もう座っているというギャグであったつもりだが、それを言いきらないうちにその人が顔を上げたので思わず口をつぐんでしまった。フードの中身は顔を上げてなお闇に包まれており、いくら何でも見えるはずの顔が見えないのが理解できなかった。

「なんだ」

 その声は男とも女ともとれない奇妙な声であった。まるで複数の男女の声が同時に喋っているかのように。これも魔法の一つなのか。軽快しつつもジェイラスはウィンペルをテーブルに置くと飲むように勧めた。

「これはおごりだからどうぞ」

 その言葉に明らかに警戒を見せるが、ジェイラスは手のひらをみせつつ精一杯おどけて見せた。

「別に悪だくみしてるわけじゃない!ただちょっと話があるだけさ。悪魔についての」

「悪魔の……」

 どうやら食いついたようだ。話術には自身がないが、出来る限りやってみるだけだ。こうしてジェイラスによる謎のローブの人物との接触が始まった。

※1 レベン:レブという魚の卵を香草とともに塩漬けにしたもの。古いと味に深みが出るが、あまりつけすぎると逆にマズイ。


※2 フルタイン鉱石:白色に光る鉱石。独特の香りをもつ鉱石で、まるで朝の雫に濡れる白い花のよう。用途としては、主に砕いて顔料として使われるほか、熔解した金属に混ぜると、冷えて固まった際白く染まる。混ぜても耐久性や剛性に問題は起きない。

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