第百話 忘れるべからず
「さっきはなんかゴメン……苛立っちゃっててさ」
先ほどの口論から小一時間後、ほとぼりの冷めたユーリィは頭に巻き付いている蔓に咲く小さな紫の花を揺らしながら軽く頭を下げジェイラスに詫びた。
「えっ、いや俺が無神経というか常識はずれなこと言っちゃったのが原因だし……」
実際そうなのだから仕方がない。二人は互いに誤って仲を取り戻すと、実はユーリィ自身もあの悪魔のことが気になっていたので改めてヘクゼダスのことを話し合うこととした。気になることを上げるときりがないのだが、最も気になっていたことを一つだけ上げる。
「あのヘクゼダスとかいう転生者の悪魔は、俺たちを庇った後どうなったんだろうか」
ヘクゼダスは、四人の冒険者たちでも一人殺すのが精いっぱいであった敵の集団にたった一人で立ち向かったものと思われるが、彼に単身で謎の部族を相手取って生き残れるほどの戦闘能力が備わっていたのだろうか。その厳つい容姿で判断をすれば、十分に戦って生き残れるだけの力を備えていたことだろう、だが彼の言動を鑑みるに、そう頼りがいのある強さを備えているようにはとてもじゃなかったが思えなかったのだ。それに元人間だ、まだまだ悪魔として慣れていないということも考えられる。
「わかんない。だって悪魔だもん、もしかしたらあいつらを一瞬でぶっ倒してるかもしんないし、それか……食べたかも。ばくーって」
「あいつらをねえ……」
今まで遭遇してきた悪魔の中にも、人間を食らっている奴もいた。そういうのは必ずしも見た目がおぞましい異形の者とは限らない、中には青くて丸い金属の球のような見た目をした奴もいたのだ。それの捕食方法はあまりにも不可解で理解を脳が拒んでいた。ゆっくりと球が人に近づいていき、人に球が触れると接している面だけがじわりじわりと浸蝕され球の中へと消えていく。それが通り抜けるとそこには上半身がなくなり外に血肉や骨を露出させた姿で佇んでいたのだ、おまけになんと断面はあれど血の一滴すら吹き出ない。その時は本当に恐ろしくて恐ろしくて仕方がなく、皆戦意を喪失して一目散にその場から逃げ去ったものだ。あんな意味の分からないものに、二度と遭遇したくなどなかった。
さておき、もし彼が生きているのだとしたら恩返しというにはちょっと臭いが命を助けられた借りはあるため出来ることなら手助けをしたい。メナースが快復すれば、彼女の転移術をもってすれば流石にスキウラ大陸とまではいかぬものの少しでも彼の元いた場所に近づけてやることが出来るはずだ。母が言っていた、受けた恩は今自分の出来る限りのことでいいから返せ、と。なら今できることと言ったらそれくらいのものであろうという考えに至ったジェイラスであったが、大きな問題点を抱えていることに気づいていなかった。
それはメナースが最大限転移魔法を使えるよう回復するまでにどれくらいの時間がかかるかわからず、そしてそれまでのあいだヘクゼダスを誰にも見つからないように隠し通さねばならないという点であった。
「あの悪魔は元は人間なら多分そんな大変なことはできないだろ、あいつの世界が食人の習慣があるならまだしも」
あってたまらねーよ、ともしヘクゼダスと同じ世界からきているということをユーリィが知っていたならまずそうやって反論しただろう。
「だよね、そんな感じには見えなかったし……」
そうは言ったものの、あの凶悪な見た目である。ユーリィは兄がやっていたゲームの映像を思い出していた。あの時は怖いゲームをやっていると思っていたが、まさか自分があんなゲームみたいな現実に放り込まれるとは思ってもいなかった。もしあのどこかおどおどとしたものを含んでいた口に何人もの人間や他の種族の肉が放り込まれていたのだとしたら……
「俺は、やっぱり助けられたんだからもしあれが怪我なんかして困ってるんだとしたら助けてあげたいと思うんだ。ユーリィだってそう思わないか」
「そりゃ、まあそれはそうだけどでも……」
「わかってる、難しいよな。でも、もし助けられたら仲間になってくれるかもしれない。考えてもみろよ、悪魔が仲間なんだぜ、そんじょそこらの戦士なんかよかよっぽど強いよ。きっとそう簡単にやられたりなんかしないだろうしもしかしたらものすごい魔法を使えるかもしれない」
「でも、悪魔がいたら町とかに入れないし人に見られるわけにはいかないよ」
「大丈夫、その点はクォーリンの身代わり守りをつかえばいい」
クォーリンの身代わり守りとは、様々な生物や物体、命の有無にかかわらず変身を完璧にこなすことが出来る鳥の魔物を芯に作ったお守りで、そのお守りとはクォーリンの羽毛をドルゴームの髪で編んだ布で包んでセケンジャンの術をかけたものを持った状態で再びセケンジャンの術を唱えるとたちまち術者の思い通りの姿へとお守りを持った者は姿を変えるというとんでもない代物であった。ただ本当に姿が変わってしまうわけではなく、周りからはそう見えるという一種の幻覚術のようなものに過ぎない。結局のところクォーリンの体の一部ではクォーリンの力の僅かな部分しか発揮することが出来ないということである。
それさえあれば悪魔だって黙っていてなおかつ下手をこかなければ周りに不審がられる心配もない。我ながら素晴らしい考えだと思っていたジェイラスであったが、ここでノルに思わぬ指摘を受け言葉を失った。
「クォーリンの……お守りはまず手に入らない……百年に一つが……限界……それにあいつとても大き……誤魔化しきれ、ない」
「あっ」
ジェイラスは頭を抱えた。そうだった、クォーリンの身代わり守りは周囲に違う姿に見せるだけということは、その者がいくら小さい人間に見えるとしてもその周りには本当の体があるのだ。三メートルも四メートルもあるヘクゼダスが、いくら体を細めようとしたところで誤魔化しきれるものではない。
振り出しに戻った彼らは、もしヘクゼダスを仲間にしたときにどうするべきなのかを考えることを再開した。しかし、いくら考えても考えてもうまい折衷案は依然として思いつくことは無かったのである。
一方その頃、スキウラ大陸の北に位置するバリアノア大陸のど真ん中にある町キンシェランの丘に建つベラミナム教キンシェラン支部神聖堂に何かが墜落していた。
何事かと大きな音に驚いたタート・ベントは恐る恐る扉を開けて中を覗き込むと、大きく崩れた屋根の残骸の中に、何かが教会の床をぶち抜いて突き刺さっており、どうやらそれは二本の足にも見える。おまけに二人分。
「あわわああああ」
大変なものを見てしまったとばかりに混乱するタート・ベントであったが、まず司祭に知らせればよかったものを、少年の好奇心が勝ってしまったのだ。この事態に驚いた人々が集まり切らぬうちに見ておこうと抜き足差し足でその足のようなものに近づいていく。
床から突き出しているのは確かに脚であったが、一対は女性のものらしいが足が靑と黒で不思議な衣装を身に纏っているようだ。そしてもう一対はおおよそ人間の足とはいいがたい形状をしており、それは決して墜落の衝撃でねじ曲がったなどというわけではなくはなからそういう形であったかのようにも見えた。そっと彼は女性の足の方に触れると、足は大きく一度だけ痙攣したかと思うと瓦礫や粉塵を巻き上げて足は跳びあがった。
「わあああああ!!」
叫び声を上げるベント。悪魔でもやってきたのかと思ったが、土煙の中に見えるのは羽が生えている女性のようで、その姿に彼はてっきりピレイマからの使いがやってきたのだと考えてしまったのだ。彼は少し安心した様子で目を輝かせると手を合わせてお祈りの言葉を口にする。
「ああ、おおいなるベラミナムさま。えーっと……この度はげんせにおいで下さいまして」
そこで少年の言葉は途切れ、代わりに何かが倒れる音が一度しただけで消えた少年の代わりに粉塵の中からその天使の姿が露わとなった。それはうんざりした様子で言葉を吐き捨てながら地面に倒れているものに脚を乗せ呟く。
「ここがどこかもわからないのにさー、しかもなんか体中痛いしフラー様いないし……そんでしかも突然ピレイマ信仰のカルトの言葉なんて聞きたくないんだよねー。ね?そう思わないトットット」
可愛らしい声が、起き上がったもう一つの足の主にそう尋ねると、カジキ頭のその悪魔は頷いて彼女の名を呼んだ。
「そうだな、キエリエス」
「とりあえずさあ、なんか色々わけわかんないし多分私たち人間どもの町の中にいるみたいだし、サイカロスとしてやることやっとこうよー」
「ま、よかろうさ」
「じゃ、けってーい!」
尾を血で濡らしたキエリエスは不敵な笑みを浮かべると、トットットと共に教会の外へと、キンシェランの町へと飛び出した。直後、町の石畳の隙間という隙間に赤い雨が流れ込んだ……




