Ⅴ 仮初の終結
三月十三日。私はヴィープリ市の防備に当たっていた。私たちの夜襲は戦略的に見て全くの無駄であった。六十万の兵力をもって開始されたソヴィエト軍の大攻勢は、私たちの守備していた地区以外でも、各所で突破に成功していたのだ。
夜襲後に残された兵力では敵の再攻撃には耐えられなかっただろうし、マンネルへイム線放棄の命令が司令部より届いたのだ。しかし、私はあの夜襲を無駄だとは思わない。ライホ中尉を初めとする戦友たちの遺体を埋葬することができたのだから……。
その後、我々は第二の主陣地帯まで後退した。この陣地帯は未完成であり、マンネルへイム線に比べて防御力は格段に低かった。それに我が軍は兵力、弾薬、装備、食料、すべてにおいて不足していた。
こんな状況下でも我々フィンランド軍すべての兵士は勇気を捨てずに戦い続けたが、結局、第二の中間陣地帯でも持ち堪えることができずに最終陣地帯まで後退してしまった。もう逃げることは許されない。
気温零下十九度。射撃音が響く。日も出ないうちから戦闘が始まった。
「ミッコ! 連隊規模の歩兵が接近中だ! 機銃掃射頼む!」
「わかった! くたばれ! 露助ども!」
私は突撃してくるソヴィエト兵に重機関銃を乱射する。
現在、ヴィープリ市には何万ものソ連兵が群がっていた。砲弾の雨は降り続け、空はソ連空軍機で真っ黒だ。
今回の攻撃もなんとか撃退した。毎日、毎日、何十、何百、何千の敵兵を殺しているのに、状況は全くよくならない。悪くなる一方だった。それでも、諦めの表情を浮かべるフィンランド兵はひとりもはいなかった。みんな、最後の一兵まで戦い続ける覚悟だった。だが……。
午前九時、司令部で電話が鳴った。
「戦闘は本日、三月十三日、午前十一時をもって中止せよ……」
終戦の情報は順々に前線の各兵士にも伝わっていった。
私はこの連絡を聞いたとき、頭の中が真っ白になり、全身の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。終戦? 馬鹿な……?
「ミッコ……。この連絡は本当なのか? 敵の謀略じゃないのか?」
ヴァルデもすぐには受け入れることができなさそうだった。無理もない。クルキ曹長は松葉杖を放り投げ、私と同じように座り込んでしまった。
炎上を続ける何百もの建物から黒煙が空に舞い上がっていく。敵の砲撃、爆撃は十一時まできっかり続いた。
ソ連の航空機がヴィープリ市上空に飛来した。爆弾を落とさずに飛び去る爆撃機を見て、私は違和感を覚えずにはいられなかった。
友軍兵士たちは皆、その場に武器を投げ捨て、座り込んでしまった。終戦を喜ぶ兵士はいなかった。
「畜生! 我々はまだ戦えるぞ!」
「そうだ! 今日だって何人も殺したぞ! 我々は勝っている!」
あちこちで不満の声を挙げる兵士がいた。私も彼らと気持ちは同じだ。こんな中途半端な終わり方……、許せるものか!
停戦のラジオを聴いて、市民たちは家から飛び出し、大声で泣き叫んでいた。
我が軍は確かに少しずつ後退していたものの、最後の陣地帯は保持され続けていて、敵に大きな損害を与え続けていただけに前線の将兵にも納得できない者が大勢いた。
我々が納得できないのは和平協定である。
フィンランド第二の都市であり、産業の中心でもあるヴィープリ市を含み、民族叙事詩カレワラ発祥の地であるフィンランド人心の故郷カレリアが割譲されることになったのだ。カレリア以外にも、ハンコ半島、ウーラス、コイヴィストなどの港、ラドガ湖北、サイマー運河を我々は失った。そして、これらの地に住む住民、全人口の十二パーセント、四十五万人が家を失った。
兵士も市民も皆、この停戦に不満だった。が、フィンランドは国力の限界に達していたのだ。小国フィンランドがソ連という超大国に今日まで戦ってきたことだけでも奇跡だった。
フィンランド軍の損害は戦死者二万千三百九十六名、行方不明者千四百三十四名、負傷者四万三千五百五十七名――。
対するソ連は約二十五万人が戦死し、約六十万人が負傷した。
戦後、あるソ連の将軍はこんな言葉を残している。
「我々は、我が軍の将兵の死体を埋めるのにちょうどよい位の土地を獲得した」
三月十三日。祖国フィンランドは力尽き、倒れた。停戦が成立した。
百五日にわたる戦いは終わった。
天気のよい、とても寒い日だった。
我々は多くの戦友と国土と家を失った。
我々に残されたのは尽きることのないソ連に対する憎悪だった。
一九四一年六月二十二日。ドイツの大軍がソ連に攻め込んだ。
独ソ戦の始まりである。
私は、ヴァルデや他の戦友たちと共に、義勇兵としてドイツ軍に加わることを決めた。最終的に千名を超える同胞が義勇兵に志願した。
フィンランド以外にもスウェーデンやノルウェー、デンマークといった同じ北欧の国々からも義勇兵は集まってきた。
私は彼らとともに新たな地獄へ臨もうとしている。
私のソ連に対する戦いは終わることはない。
この命、尽きようとも――。
この作品は私が大学一年生だった頃に書いたもので、私が初めて書いた小説作品でもあります。当時所属していた文芸サークル発行の同人誌に掲載されました。この作品を書く上で梅本弘氏の「雪中の奇跡」を大いに参考にしました。冬戦争に興味を持たれた方は、是非とも「雪中の奇跡」をお読みになってください。冬戦争に対する理解がきっと深まることでしょう。