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Ⅳ 苦渋、そして絶望

 もう二月に入っていた。戦争は未だ終わる気配はない。奇襲作戦後にも、ソヴィエト軍は何回も陣地帯に対し突破を試みたが、すべて我が軍に撃退されていた。

 現在、気温は零下四十度。そんな中、私たちは未だに塹壕の中で蠢いていなければならなかった。夜明け前から銃を抱えて座り込み、夜になったら堅い凍土を相手に塹壕掘り。生き残るためには穴に潜らなければならない。

 戦っては掘り、掘っては戦った。合間を縫って塹壕の中や簡素なテントで一、二時間の睡眠をとった。この僅かの安眠のときさえも敵の攻撃で奪われてしまうこともしばしばだった。戦闘中でも睡魔に襲われることがある。その都度、クルキ曹長に頬を叩かれた。

 疲れていたのは私だけではない。フィンランド軍全軍が疲れ切っていた。すべての予備兵力が投入し尽くされ、消耗した兵力が補充されることはなくなった。そして弾薬、特に重火器の砲弾は慢性的な不足状態にあり、砲兵は戦力にならなくなってしまった。

 戦争が長引くにつれ、国力の差がますます顕わになってきた。敵の砲兵、航空機は増えるばかりだ。大国ソ連は欠員をあっというまに補充してしまうのだ。

 塹壕の中でうとうとしていると、地鳴りのような砲爆撃で揺すぶり起こされる。ああ、また始まった……。銃撃音がどんどん大きくなっていく。

「露助どもが来たぞ、戦闘用意! 各員、全力を尽くせ! 神の御加護があらんことを!」

 ライホ中尉が叫び、中隊全員に活を入れる。敵の砲爆撃に耐えながら私は何らかの違和感を覚えた。どうも様子がいつもと違う。砲爆撃が随分と長く続いていた。そろそろ歩兵が突撃してきてもいい頃だ。なのに、来るのは砲弾と爆撃機ばかりだ。

 六時間にわたる砲爆撃の後、ついに敵歩兵が姿を現した。砲爆撃だけではなかった。歩兵の数もかなり多い。言うまでもなく戦車も。

 地を埋め尽くす大軍が迫ってきた。この光景を見て、私は戦慄を覚えた。遂に来たのだと。

 二ヶ月という期間は私たちを鍛え上げたが、ソヴィエト軍もまた鍛えられていた。彼らも我が軍と同じ白い軍服を着込み、突撃するときも密集せず、遮蔽物の陰に身を潜めながら、ジグザグに進んできた。

 ソヴィエト軍とは逆に我が軍は弱体化していた。重火器の弾薬がないのだ。兵力も定数を大きく下回っている。このままでは相当数の敵兵が塹壕内に侵入するだろう。ついにマンネルへイム線は突破されてしまうのか? そんなことはさせない。させてたまるか!

 陣地線各所に手榴弾が投げ込まれ、その後にソヴィエト兵たちが飛び込んできた。疲れ切っていた戦友たちはまともにスコップを振り回すことができなかった。それに、ひとりで四、五人を相手にしなければならないのだった。戦友がひとり、またひとりと銃剣で滅多刺しにされていく。

 クルキ曹長は軽機関銃で群がるソ連兵どもを薙ぎ倒し、ヴァルデは小銃の先を握り、棍棒のように振り回した。彼に顔面を殴られた兵士の顔は三、四センチも陥没していた。

 私も短機関銃を乱射してソヴィエト兵を射殺していく。どこを撃っても敵兵に当たるという状態だ。二ヶ月前の初陣のときを思い出す。あのときもこんな感じだった。

「ミッコ! ヴァルデ! もう駄目だ、退くぞ!」

 クルキ曹長が叫んだ。

「何だって! 後退の命令は出たんですか!」

「もう弾がないんだ! これでは戦えない。こうなったら一旦後退して態勢を整えなくてはならん」

「畜生!」

 我々は独断で後退してしまった。私たち以外にも、限界を悟った兵士たちが続々と陣地を放棄してしまった。恐怖で逃げたのではない! 我々には武器がなかったのだ!

 我々は二ヶ月前と同じように森の中に逃げ込み、再集結した。前回と違うのは、前にも増して、再集結できた兵士の数が少ないこと。そして、ライホ中尉が見当たらないことだった。私の脳裏に最悪の光景が浮かぶ。いや、そんなことはない。何かの間違いだ。

 森の中に逃げ込み、数時間が過ぎた。ひとり、ふたりと傷ついた戦友たちが集まって来る。日は既に沈み、森の中は漆黒の闇と化す。

「クルキ曹長! 攻撃を仕掛けましょう!」

 私は思い切って提案してみた。

「は? 何を言っている? こんな状況で何ができるというのだ?」

「夜襲です。戦闘可能な兵士と使える武器を集めて夜襲するのです。敵は陣地奪取に成功し油断しているはず。今ならやれます。曹長!」

「しかし……」

「俺もミッコに賛成です。自分たちだけ逃げるなんて御免です。反撃しましょう!」

 近くで話を聞いていたヴァルデが言った。

「……わかった。他の下士官連中に話してくる」

 夜襲は決まった。参加兵力は四十名。攻撃は深夜二時。目標は陣地の奪還。中隊は黒い服装に着替え、集めた弾丸を再分配した。静寂の森の中、自分の心臓の鼓動が激しくなってきているのを感じる。

 我々四十名は、昨日まで我々が篭っていた陣地を目指し、匍匐前進を開始した。一切の音を立ててはいけない。砲爆撃で穴だらけになった雪原を我々はゆっくりと進んだ。

 我々は陣地付近に到達した。歩哨の数は少ない。

「奴ら、もう勝ったと思っているな。あいつは俺が殺る。曹長たちは攻撃の準備を急いでほしい」

「わかった。気を付けろよ、ミッコ」

 私は暗闇の中を進み、敵の歩哨に近づいた。奴め! あくびなんかしていやがる! 私は背後に回り、歩哨の口を押さえた。そして、小刀で頚動脈を掻っ切った。

 その兵士が振り返ったとき、彼の首からは鮮血が噴出していた。彼の言葉は私が奪ってやった。彼は何も言えず、なんともいえない表情で私の目を見つめながら死んでいった。

 夜襲が始まった。静かな闇の中に爆音と閃光が響き渡る。

 敵は陣地を奪取して浮かれていたようだ。寝ていた者がほとんどで、辺りにはウォッカの匂いが立ち篭めている。随分と嘗められたものだ。我々の恐ろしさを思い出させてやらなければ。皆殺しにしてやる……!

 ソヴィエト兵たちは何も状況を理解できないまま、焼かれ、撃たれ、刺され、切られ、殴られ、潰され、殺されていった。昨日、友軍兵士の血で染まった塹壕が、今度は奴らの血で赤く染まっていく。

 投げ込まれた手榴弾や火焔瓶が塹壕内に運び込んであった敵の弾薬に引火し大爆発を起こす。塹壕内は昼間のように明るくなった。炎に巻かれ踊りだすソヴィエト兵もいた。人の焼ける臭いがする。私は軽い吐き気に襲われた。

 辺りはもう見慣れてしまった地獄の光景。私は目に入った敵兵を片端から殺していく。我々は全員無言だった。辺りに木霊するのは露助どもの断末魔の叫びのみ。

 恐慌状態の敵兵はまともに抵抗することもできなかった。混乱して味方同士で殺し合いを始める始末。この地獄から逃れようと次々に塹壕から飛び出し、彼らの祖国の方向へ逃げていった。残っていたソヴィエト兵は死んだ者だけだった。

 戦闘が終わる頃には既に太陽が昇り始めていた。日の光が凄惨な状況を浮かび上がらせる。地面は死体で埋まっていた。死に顔も兵ごとにまちまちだ。苦痛に満ちた顔もあれば、穏やかな顔もあり、無表情の者もいる。死体のほとんどはもちろんソヴィエト兵だが、戦友の骸もなかったわけではない。負傷者がいるかもしれない。私は死体の海を掻き分け進んだ。

「ミッコ! 無事だったか!」

 背後からヴァルデの声。良かった……。彼は無事だった。

「君こそ無事で何よりだ。他の戦友たちは無事なのか? 負傷者は?」

「まだ正確にはわからん。しかし何人かは殺られてしまった。まだ生きている者がいるかもしれない。手分けをして探そう」

「わかった。君は向こうを頼む」

 生き残った他の兵士たちとも合流し、負傷者を探した。死体の山が僅かに動いている。生存者か? 敵か? 味方か? 私たちは折り重なるソヴィエト兵の死体の中から友軍兵士を見つけ出した。まだ生きている……。急げ! 

 死体の山に埋もれていたのはクルキ曹長だった。

「くそッ! 足をやられた。誰か……肩を貸してくれないか?」

「曹長! 大丈夫ですか? 自分に掴まって下さい!」

 私はクルキ曹長に駆け寄った。

「すまんな、ミッコ。他の連中はどうなっている? 敵は? 反撃される可能性は?」

「現在、動ける兵で捜索、救助を行っています。敵の反撃は、今のところ確認できておりません」

「そうか。わかった。それでは急いで負傷者を見つけ出すんだ!」

「了解!」

 私は曹長に敬礼した。するとヴァルデの叫び声。なんだ?

「ミッコ! こっちに来てくれ! 早く!」

「どうしたんだ? 生存者か?」

 私は彼に駆け寄った。そして、彼が指し示すそれを見たとき、私は言葉を失った。いや思考が止まってしまった。

 そこには目をえぐり取られ、手足を切断された戦友たちの骸が山のように積んであった。昨日の塹壕戦で脱出に失敗し、ソヴィエト軍の捕虜にされてしまった兵士たちだった。人の形を留めていない戦友たちの中にはライホ中尉の姿もあった。彼を初めとする将校は他の兵士よりも念入りに殺されていた。

 私は立っていることができなくなった。その場に膝を突き、地面に視線を落とした。全身が震えだす。まさかこんなことになってしまうとは……。

「畜生! 畜生! 畜生!」

 私は凍りついた地面に何度も拳を叩きつけながら叫んだ。私は昨日の戦闘で命令を待たず、勝手に後退してしまったのだ。つまりは、ライホ中尉を初めとする最後まで勇気を捨てずに戦い続けた戦友たちを見殺しにしてしまったということだ。彼らになんと詫びればいいのだろう? 今日の反撃の戦果などで償いきれるものではない。一体、私はどうすればいいのか……?

 生き残った十人にも満たない兵士たちは絶望の表情を浮かべながらその場に立ち尽くしていた。

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