61. とある持論は命がけ
俺は魔女の小屋から出た。
永訣の庭から徒歩五分程度の位置にあるここは、周囲を全周高い木々に覆われ、畑や井戸などの日常生活に必要な設備がそろっていた。
出てきたのは老婆とルトに礼を言うためだ。
コリスはまだぼんやりしている節があるので休むように言った。顔が赤く微妙に反応がおかしい気もしたのだが、あいつは朝が弱い。どうせまだ頭がうまく動いていないのだろうと思って納得する事にした。
「話は済みましたか?」
畑での土いじりをしていた老婆は、作業の手を止めてそう言った。傍らにはルトがいて、井戸からくんできた水を畑にまいているようだ。
「ああ、治してくれてありがとな」
「どういたしまして」
老婆は人の良さそうな笑みを浮かべた後、少しだけ迷うようなそぶりを見せてから口を開いた。
「ところで、コリスさんはどうしてあんな状態になったんですか? かなり強い方だとうかがっていますが」
どうして知っているのだろうか、と少しだけ考えた俺だったが、大方“戦刃”から連絡がなくなり相手の生死を調べる際にでも、俺と一緒にコリスの名前が出たのだろうと推測した。
別に彼女の質問は不自然な事でもないし、俺にやましい事もない。
俺は簡単に、俺とコリスがけんかしてカルマ値が百パーセントになったところから、順を追って話した。
「カルマ値、ですか」
老婆は感慨深そうにそうつぶやいた。
「どうしたんだ?」
「ちょっとした持論があるもので」
「持論?」
「はい。貴方はカルマ値がどうしてパーセントのみで表示されていると思いますか?」
突然の問いかけに俺は少しだけ考えてみる。
カルマ値は神様が俺たちに干渉する時、その理由として使う数値だ。
魔物なんかを倒す他、単純に働いたり、善行をしたりしても下がるし、生産系チートならば生産物を売る事なんかでも下げる事が出来る。
逆に何もしないと徐々に上がり、悪い事をしたり引きこもったりしてもかなり上がる。最悪、神様の機嫌を損ねるとバカみたいに跳ね上がる。
この値がステータスの中で唯一パーセント表記のみである理由など今まで考えた事はなかったが、強いて言うなら対処しにくい仕様にしたのではないだろうか。
具体的に十上がったとか、百下がったとか値が分かってしまうと、俺たちはカルマ値の判定を看破しやすくなる。
これがパーセントだとそうはいかない。
パーセント小数点以下が表示されないために変化した瞬間がつかみにくく、端数の切り下げやなんかによってより複雑になる。また他人との比較もしにくい。
もう一つ考えられるのは、単純な手抜きの可能性。
数値を全ての行為に対して設定するのが面倒だったため、細かい部分に干渉せずに一パーセント以下の変化は無視して、簡単に処理できるような仕様にしたのではあるまいか。
んなアホな、と思われそうだがあの神様の事を思い返すと、信ぴょう性が増す気がする。精霊の森に精霊なんかを一括で封じた行為などから分かるように、神様の行動はいちいち大胆で大規模で、同時に極端だ。
あり得ないことではなさそうに思える。
俺はそこまで考えたものの口にするのが馬鹿らしく、結局一番目の方の理由を老婆に伝えてみた。
「面白い考え方ではあります。しかし、私は他の理由もあるのではないかと思います」
「他の理由?」
首をひねる俺に、老婆はヒントを出す。
「パーセントとは割合ですよね」
「ああ」
「例えば、百の一パーセントは一ですけど、万の一パーセントは百になります」
老婆の一言に、凍りつく俺。
彼女の指摘したい事柄が、理解できてしまった。
「個人ごとの許容量に差があるのか……!?」
今まで考えた事もなかったが、カルマ値許容量に差異がある可能性はなくもない。
理由は分からないし、許容量が固定されているのかも不明だが、時折変にカルマ値が下がり易い奴は存在した。
それは今思えば、許容量が少ないために相対的にカルマ値が下がりやすかっただけなのではないだろうか。
俺が指摘したようにカルマ値は割合表示されるため、他人との比較がしにくい。
ある程度の上下については話題になるが、そこに誤差があったとしてもお互い一日中一緒にいる訳でもないため、そんなもんかと見逃してしまっている可能性もある。
俺自身、たまにコリスとカルマ値を比べて首をかしげても、費やした労力やチートの燃費によっても判定が異なるんだろうと納得していた。
何より俺たちは、大前提として『神様は人間を平等に扱っている』と思っている節がある。一人一個のチートしかり、個人への不干渉しかり、神様は人間に対して差別をしない。
カルマ値の許容量に差をつける意味などないではないか。
「少なくとも私は、そう思っています」
しかし、目の前の老婆は神妙に続けた。
「理由は分かりませんが、私のチートなんかは特に顕著でして。一度使うとカルマ値は自動でゼロになる上、ルトの十倍くらい上がりにくいようです。ルトの許容量が少ない事も問題なのでしょうけれどね」
常人ならば例え差異があろうと、それは気づかないほど些細なものなのだろう。
前世からの特異なチートと、元魔物という特殊な出自。これらが二人のカルマ値の許容量に何らかの影響を与えたと見るべきか。
「面白い説だな。だけど、どうして俺にそんな話を?」
「簡単な助言ですよ。“知悉の特赦”で神様と話すであろう、貴方への」
「助言?」
俺の言葉に老婆は真剣な様子で言った。
「神様を信じすぎてはいけません。変に極端な対応や“アンダーワールド”の適切とはいい難い仕様の数々。それらに目が行ってみなさん、気づいていないのですが、神様などと呼ばれる存在が、本気で手を抜いたりふざけたりしたら、人間が全滅する程のレベルで災害が起きるに決まっています。神様なんて、人間とは根本的に価値観が違うものでしょう?
それが起きないという事は、わざとそうしているという事だと、私は思います」
老婆の言葉を受けて、俺の頭の中をめまぐるしく三つの事柄がよぎった。
一つ目は妙な引っかかりについて。
神だのなんだのという言葉を聞いて、何かが矛盾していた気がしたのだ。それが何だったのかが思い出せないのだが、老婆以外から少し前に聞いた発言だった気がする。
二つ目は神様を疑う、という中々に肝の据わった老婆への驚嘆。
この“アンダーワールド”に神様の事を疑った人間がいなかったかというと、そんな事はない。だが、そんな存在は神様に強制排除されるし、疑ったところで目の前に君臨されている以上、神様と呼ぶほかないだろうという諦めが、俺たちの中にあった。
そして三つ目、最後は二つ目と繋がっていて、んな発言してカルマ値大丈夫かという純粋な疑問だった。
最後のはステータス画面を見てすぐに分かったが、どうやら大丈夫らしい。仮説が的外れだからか、それとも神様をけなした訳でもないからかは分からないが。
「忠告感謝するよ。ま、俺はあの神様が何を考えていたとしても、今さら驚くとは思えないがな」
「それは私も同感です」
俺たち二人は一拍置いてから笑い合った。
丁度その時、コリスが小屋から出てきた。俺と老婆を見つけると、すぐに彼女は老婆へ礼を言った。
「世話になったな。感謝する」
「どういたしまして。けれど感謝は私よりも、命をかけた、この人へ」
「いい。こいつはただのロリコンだ」
何となくすごい単語にすごいルビが振られていた気がしたが、俺にだって照れ隠しだと理解するくらいの分別はある。
「それでキョーイチ、一つ頼みがあるんだが」
コリスは真剣な面持ちで俺を見上げる。
心なしかその表情はアウルの事をアルダから聞いた時に似ていたが、今のその表情からは危うさや硬さが抜けていた。
「“知悉の特赦”を今すぐ使ってくれないか? 無論、キョーイチのために」




