10. SEKKYOUは命がけ
あれから時間が経った。
ポコ太愛護団体改め、にゃんとらー愛護団体はにゃんとらー達の凶悪さゆえに数を減らしつつある。
彼らの攻撃はいわば、居合斬りに似ている。
にゃんとらーは、自らの攻撃圏内に入った奴のだけを攻撃し、自分からはあまり動かない。
動くのは攻撃をかわす時と、噛みついて攻撃をする時ぐらいだ。
それがあだとなり愛護団体は次々にモフモフの海に消えて逝った。
残った愛護団体の者たちは、前線と魔物の間で説教を始め、自らの身勝手によって彼らを護ろうとしている事を、必死に正当化しようとしている。
これでは、討って出られない。
しかし、このこう着状態が幸いし、初心者層への被害が最小に抑えられていた。こちら側の戦力はまだ温存されている。未だ予断を許さない状態ではあるが、危うい均衡を保っているのだ。
もう一種の魔物であるドクロプテラは、骨々しいプテラノドンみたいなやつで、俺たちの頭の上を飛んで町に向かっている。モン○ターボール使いの方たちがいたら何とかなりそうな気がするのだが……今日はいないようだ。
その代わりと言っては何だが、特攻隊の方々が頑張って五分ぐらいまでもっていってくれている。だが彼らのチートは、MPの関係と長時間の戦闘に体が持たないという理由で、しりすぼみになる傾向がある。
つまりおそらく、時間をかけるとニルデアの町は落ちる。
このこう着状態の一番の問題は、愛護団体どもの説教である。
「小説家になろう」の愛読者ならば、一度は目にした事のあるだろう説教は、自分の事を棚にあげて耳触りのいい言葉を並べ、
「うるせぇ、お前に何が分かるんだ!」」
「ああ分からねぇよ。だがな、人の事を分かろうともしない奴がダダこねてんじゃねぇ!!」
的流れに持っていく、上級交渉術の一種である。“だがな”以降を叫びつつ、相手に一撃入れるのがこの交渉術のコツである。
この例の場合、説教をしている側もまた、相手の事を分かろうとしていない事は明白である。
しかしどういう訳だか、例え一方的に殴る蹴るの暴行を加えられていようと、説教を受けてる側が悪い事をしている気になってしまうあたりに、この交渉術の凄さがある。
俺がそういう説教を眺めながら二人に『ぽんぽこ大戦争』の経緯を説明し終え、さてどうしようかと思っていると、コリスが人を食った笑みを浮かべて口を開いた。
「おい、これキョーイチの出番だろう?」
「……どういう意味だよ?」
「お前お得意の話術で何とかすればいいじゃないか、と言ってるんだ」
確かに俺はその構想を練っていた。
相手の行動を観察し、矛盾を探し、妥協点を探る。相手を納得させようとなど思ってはいけない。
相手を言いくるめるつもりで、俺は思考を練る。
俺だって、このままアホみたいな理由でドクロプテラに町を落とされて“祭り”に敗北したくはない。
“祭り”に敗北すると、神様に何をされるか分かったもんじゃないからだ。
史上最悪の“祭り”の再来と、言わせるつもりもない。
愛護団体側の主張は矛盾に満ちているが、しかしそれを細かく突いたところで大勢に影響は出ないだろう。
ならばどうするか。
簡単である。
相手の利益になる事をチラつかせ、不利益を主張し、ほんの一時でも妥協させればそれでいい。
必要なのは、正当性のある理路整然とした反論ではなく、あのバカどもを一旦ひかせる勢いだけの詭弁だ。
「おいアイズ」
「何だよキョーイチさん」
そして俺は言うのだ。
「この“祭り”を変えられるのは、お前しかいない」