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 秋瀬達は、討伐のために二手に分かれることにした。


 秋瀬は常に目標を先回りする形で追う。秋瀬をサポートするために、今回の情報を得た諜報員と、目標を後ろから追うロランが常に目標の位置を秋瀬に正確に伝える。


 あまりにも古典的な挟み撃ちの戦法だが、吸血鬼に相対して最も避けなければならないのは、戦闘中に敵の逃亡を許してしまうことだ。一度逃亡させてしまうと二度と見つからない可能性が高く、なおかつこちらの手の内が知られてしまうために吸血鬼は警戒し、もしくは報復を狙ってくるかもしれない。夜の闇に棲む吸血鬼にとってしてみれば奇襲などは朝飯前だ。狙われれば、迎撃できる可能性は低くこちらは彼らの望むままに蹂躙されるしかない。


 また戦力を知られることもあってはならない。こちらの人数や、神託兵装の有無などを知られることは論外であり、特に神託兵装で攻撃する場合は一撃で殺傷することが基本である。なぜならば、前述したとおり彼らは皮膚の硬化能力を持っており、その硬化の範囲は鉄からダイヤモンドのレベルまで様々である。もし神託兵装の強度を知られれば、二度目の攻撃では学習され、防がれてしまう可能性があるからである。


 そのような事態に陥らないために、吸血鬼と相対する場合にはふたり以上で囲み一撃目で首を落とし、二撃目で心臓を貫く。この一撃目と次までの時間は長くあけることは許されない。時間を与えれば第二の脳が頭部を再生するからだ。また、頭部を落とされても第二の脳が働き、戦闘を続行される可能性もあるためだとも言われている。


 どちらにせよ、秋瀬達が防がなければならないことは目標を見失う、または戦闘に入ってから逃げられることだ。失敗などもちろん許されない。秋瀬にとっては何度目かになる討伐だが、それでも気を引き締めずにはいられなかった。


 時刻は夕刻をとうに過ぎ、あたりが暗くなるにつれて肌を切り裂くような寒さも増してきた。それは季節が冬に転がろうとしているからだけではないだろう。背中に巨大なギターケースを担いだ秋瀬は空を見る。雲ひとつ無かった空はどこへ行ったのか、黒に染まった空にはさらに暗い雲が立ち込めていた。


 まさに漆黒。人工の光に頼らなければ一寸先も見えないほどの時間帯だった。秋瀬はその中をただ耳から聞こえてくる情報のみを頼りにして進んでいた。


 今も絶えず、その情報は更新されていく。ザッ、と耳障りな雑音が左耳につけたイヤホンから聞こえてくる。その雑音を伴いながら、情報が送られてくる。


『――秋瀬神父。目標、三番地の角を右折。依然、目標に変化は無し』


 聞こえてきたのは諜報員の声だ。彼も目標より先回りしながら、情報を伝えてきている。


「分かった。そのまま続けてくれ」


 小型の無線にそう伝えると、了解、と無感情な声が返された。秋瀬は三番地に目標が逃げ込んだケースに備え、先回りした。目標を破壊するための位置は予め何箇所か決めてあり、目標の動きに応じて臨機応変にその場所で落ち合い、討伐する。


 その内容を自分の中で反芻してから、秋瀬はふっと緊張を解いて笑った。こうして考えてみると穴だらけの作戦だ。万一、目標を予測地点に追い込めなかった場合どうするつもりなのだろう。


 秋瀬はふと考えて、無線の周波数を変えて通信を行った。先ほどと同じ、ザッという雑音に混じりながら回線が繋がる。


「ロランか?」


 秋瀬は言った。


『……どうかしましたか? 秋瀬さん』


 ロランが、柔らかい声で返す。電波状態のせいで無線の中からくぐもって聞こえてくる声には、表面上は友好的な感情が読み取れるが、その実は何を考えているのか分からない。無線では相手がどんな顔をしているのかが見えない。だから煩わしく思っていたとしてもそれを解することはできない。


「いや。目標はどうなっている?」


『依然変化無し。こちらに気づいている様子は見た感じありませんが、少し気になることが』


「何だ?」


 と、秋瀬が聞くが、三秒ほど迷ったような沈黙の後、


『……まぁ、いいです。あとで言います』


 と、変わらぬ口調で言ってきた。秋瀬はそれが少し気になったが、ロランが気にしないのならば作戦に関係の無いことなのだろうと思い、考えることをひとまず止めた。


「そうか……」


 そこで会話を打ち切ろうとした。だが、この時の秋瀬はなぜかそこで無線を切ることができなかった。これから討伐に向かうことに対する少しばかりの不安か、またはロランという青年に対する不安か、それは分からないが何か胸の中が落ち着かず秋瀬は無線を切らずに、会話を続けた。


「ところで、ロラン。お前はどうして、組織に入ったんだ?」


 それは普段ならば絶対に聞かないような質問だった。秋瀬自身、そんなことは聞かれても答えたくない質問だ。こんな質問に生真面目なロランが答えるはずが無い。そう思いながらも聞かずにはいられなかった。


 無線から声は聞こえない。無言が答えということか、と思い無線を切ろうとしたとき声が聞こえてきた。


『なぜ、そんなことを?』


 あなたに言わなければならないのか、という感じではなく、ただ純粋になぜ気になるのか、ということだろう。秋瀬は答えた。


「お前の戦う理由が知りたい」


 それは正直な言葉だった。この青年は生真面目すぎる。もしかしたら討伐のための道具になることを組織の「教育」によって、強制的に望まされているのではないのかと思ったのだ。


 無線からはしばらく声が聞こえなかった。その間にも諜報員の通信が割り込み、次の角を西に曲がったという連絡が入る。秋瀬はそちらの方向に向かって、走った。走っている途中、ロランの声が聞こえた。


『その先に、求めているものがあるんです』


「求めているもの?」


 秋瀬は不思議そうに訊く。


『ええ。……でもそんなことだけが理由じゃありません。僕はただ吸血鬼を根絶やしにしたいだけです』


 走りながら秋瀬は笑った。後半はいかにもロランらしい生真面目な理由だと思ったからだ。だが、その背景には何かしらあるのだろう。秋瀬はそこまでは聞かなかったが。


「そうか」


 何であれ、理由があってよかった。そう思ったときだった。ロランの声が再び聞こえる。


『秋瀬さんはどうして戦っているんですか?』


 思わず秋瀬は立ち止まった。どうして戦っているのかということをロランに聞かれるとは思ってもみなかったからだ。


「理由……か」


 理由ならある。過去の清算、大切なものを奪っていった吸血鬼達への復讐。だが、それをロランに言っていいものか、秋瀬は迷った。自分自身はロランに、人間らしい戦う理由を求めた。しかし、その自分は復讐という理由だけで吸血鬼を殺そうとしている。これではまるでただの武器だ。人としてではない、武器として生きているようなものだ。吸血鬼をひたすら殲滅し続ける血の通わない兵器としての一生。


「――なぁ、ロラン。復讐のために武器を取って、吸血鬼殲滅のために戦い続けることは正しいと思うか?」


 ふとした疑問を言葉にする。秋瀬は自分では決して出せない答えをロランに求めた。それはあまりにも卑怯なことではあったが、ロランの答えを聞いてみたいと思った。


 ロランは考えることなく、言った。


『それが組織の望んでいる我々のあり方ではないのですか?』


 確かにそうだ。組織は何の感情も挟まず、殺し続ける兵器を求めている。そのための神託兵装。そのための聖痕。


 だが、


「だが、だとすれば我々の心はどうなる?」


 心を失ってまで戦い続けることが正しいのか。そのあり方はたとえ組織にとっては正義だとしても、人としては正しいことなのか。


『……よく分かりませんね。秋瀬さんはいつも感情的な問題を気にする。それが討伐に何の関係があるというのですか?』


 ロランが淡々と答える。


「心を失ってまで殺すのならば――それは吸血鬼どもと同じだ」


 ロランはそれには反論しようとしない。秋瀬は続ける。


「我々は武器ではない。人間だ。だというのに、勝手なエゴで吸血鬼討伐というお題目を掲げ、彼らを虐殺する。それは本当に、望まれていることなのか?」


『秋瀬さん。吸血鬼は我々人間を脅かす存在ですよ。どうしてそんなにも迷うんですか。迷う必要など無いというのに』


 確かにロランの言うとおりだった。だが、そうやって彼ら吸血鬼を殺した手と同じ手で孤児達を抱きしめる、それが秋瀬には耐えられないことだった。


 片や討伐のための冷たい兵器として生き、片や子供達を愛する純朴な神父として生きる。そのあまりにも歪んだ生き方に、自分で罰を与えなければ秋瀬はもう戻れなくなるような切迫した思いを抱いていた。 


 そしてその罰を知りたいがために、ロランに答えを求めている。生真面目なあの青年ならば、何の問題も無く答えを出してくれるかもしれないと期待して。

それはあまりにも押し付けがましいことだ。


 相手を人間らしくないと思っておきながら、もっとも人間らしい問答の答えを相手に求めるなど。


「……我々には、討滅のために生きるしか道が無いのか?」


 これは今訊くことではないと分かっていた。しかし、逆に今訊かなければという強い何かが、秋瀬にこの質問を発することを強制した。


 ロランは沈黙している。


 答えは出ない。それは分かっていた。痛い静寂が耳の中で残響する。


「……すまない」


 秋瀬は自分の身勝手な問いを詫びた。訊くのではなかった、そんな羞恥とも後悔ともつかない感情が秋瀬の中に渦巻いた。


『……よく、分かりません』


 ロランがやっとのことで声を発する。秋瀬はもう無線を切ろうとした。これ以上繋いでいたら、余計なことまで言ってしまいそうな気がしたからだ。だが、その時再びロランの声が聞こえた。


『よく、分かりません、けど……秋瀬さんはまだ、心を失ってはないでしょう?』


 その言葉に無線を切ろうとしていた手が止まった。


 自分はまだ心を失ってはいない。そんなことを誰かに言われるとは思わなかった。ましてやロランに言われるなど。秋瀬は言葉を続けるロランの声に耳を傾けた。


『確かに組織は心を持たない武器であることを強要しようとしますけど……、僕はいいと思います。秋瀬さんみたいな心を失わない人間が武器を取って戦っていても。はい。問題ないと思います……』


 最後のほうは少し照れ隠しのような取ってつけた言葉が並んでいた。秋瀬はそれが逆におかしく、少し笑った。


 ――心を失わずに、武器を取って戦う。


 それは難しいことなのかもしれない。武器を取れば誰しも武器の持つ魔性に喰われかねないからだ。そしてその魔性の囁くままに何かを殺めたとき、人の心は少しずつ欠けていく。心をまったく失わないことなど不可能なのかもしれない。心は、武器を取って殺せば自然と磨り減るものだ。


 だが人にはその磨り減っていく心を、持ち直すことができる。たとえ磨り減り続けていっても、最後まで心を完全には失わないことが可能なのかもしれない。


 その可能性が少しでもあるのならば――。


「……すまなかったな」


 秋瀬はロランに謝った。心を持っていない人間だと勝手に思い込んでいたことや、勝手な質問をしてしまったことを含めての謝罪だった。


 どうして謝るんですか? という真面目な質問をする声が聞こえる。


 秋瀬はそれに、何でも無いことだ、と答えた。


 再び、諜報員の通信が割り込む。


『――目標はB地点に進行。討伐に移られたし』


 B地点。それは秋瀬が今いる地点から近い場所だ。充分、たどり着ける。


『いよいよですね』


 いつも通りのロランの声が聞こえる。だが、今まで感じていたような不愉快さを秋瀬は感じなかった。


 ――帰ったら、もっとうまくこの青年とやっていけそうだ。


 そう感じて薄く笑う。


 それが最後だ。


 秋瀬はその瞬間に、思考を戦闘へと切り替えた。自分自身を討伐にふさわしい精神へと変換する。この状態に至ったとき、秋瀬には最早、討伐以外は見えていない。この瞬間に心が磨り減っていく。その磨り減りを普段の生活へ影響させないために、この瞬間に普段の思考をカットする。 


 皮肉なものだ、と秋瀬は心の中で笑う。


 心を失うものかと思ってもこうして普段の心を捨てなければ戦うことができないなんて、と。


 秋瀬は次に見えた角を右に曲がり、そこで立ち止まった。B地点に到着したのだ。


 そこは何の変哲も無い、ただの住宅街だ。狭苦しい道路の脇に途切れることなく家屋が並んでいる五十メートルほどの一本道である。


 そこに目標と称される人影があった。いや、正確には人ではない。情報どおりならば、あれは化け物のはずだ。


 反対側の道からロランが近づいてくるのが見えた。


「当たるも八卦。当たらぬも八卦、でしたっけ? 大当たりでしたね」


 嬉しそうに語る。確かに、こんなに早く追い込めたのは幸運だ。途中で気づかれなかったことも僥倖といえよう。


「そうだな」


 呟いた台詞は自分が思っているよりも冷たく低い声だった。討伐前で気持ちが張り詰めているせいだと思った。


 秋瀬は、目の前の目標を睥睨する。だが、相手が見ているのはロランのほうだった。秋瀬にはもしかしたら気づいていないのかもしれない。またはそちら側に逃げ込めないかと画策しているのかもしれない。


 だが、逃げる隙など与えるつもりは無い。


 秋瀬は担いでいたギターケースを下ろし、開けて中身を取り出した。それは白い包帯に巻かれた太い杭のようなものだ。秋瀬はその包帯を解き、夜の闇より深い黒をその身に宿した武器を取り出す。


 神託兵装だ。


 秋瀬が持つのは両刃のついた大剣型の神託兵装だった。一見使いづらそうにも見えるが、皮膚を硬化する吸血鬼を一撃で仕留めるにはこれぐらい大柄なものでなくては意味が無い。

秋瀬はそれを握り、そして目標を見据えた。


 相手はロランのほうばかり注目している。今が好期だ。これだけ近ければ聖痕も必要ない。


 秋瀬は、一気に踏み出す。それと同時に、鈍重そうに見える大剣を両手で思い切り振り上げる。そこは最早、秋瀬の間合いだった。だが、吸血鬼ならばこの間合いからでも回避することができる。または秋瀬が振るう前に、息の根を止めようとしてくるかもしれない。


 油断するわけにはいかない。だが、相手は今まさに剣を振り下ろそうとしたときにやっと秋瀬のほうに気づいたのか首がこちらに向いた。


 硬化するか、それとも殺そうとしてくるか。


 ――どちらにしても、もう遅い!


 秋瀬の剣は目標が秋瀬を完全に視認する前に、その首を斬りおとした。ごとっ、という重たい音がする。首が地面に落下したのだ。それと同時に、先ほどまで頭を支えていた首から大量の鮮血が、まるで今まで頭が破裂寸前の間欠泉を塞いでいたかのように勢いよく噴出した。


 その血は秋瀬にもかかった。鉄くさい、嗅ぎなれた臭いが夜風に乗って充満する。普通の人間ならば卒倒しかねないほどに周囲の空気を赤に飽和する。


 だが、これだけでは再生される可能性がある。だから詰めを既に用意してあった。


 ロランが目標の首が落ちたと同時にこちらに駆け出した。その手には抜き放った細い長刀が握られている。レイピアのように尖った刀身を持つその神託兵装は、心臓を貫くには適していた。


 ロランが駆け出してくるのを、秋瀬は黙って見ていたわけではない。念には念を、と秋瀬は再び大剣を正眼に構えた。


 そしてロランが目標の左胸――心臓と第二の脳を貫くのとほぼ同時に、秋瀬は大剣を振り上げる。そして無防備な相手の背中へと向かって一閃した。


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