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疑心

 この作品なりの吸血鬼の生態、のようなものを描きました。

 

 大門は胸に不愉快な熱を感じ、ソファの上で目を覚ました。


 そして小走りでトイレに行き、着いたと思うと一気に胃の中の酸っぱい物がせり上がってきて、堪らず大門は吐いた。


 何度も吐いて、ついに吐く物がなくなり胃液だけになっても、気分はよくはならなかった。


 この吐き気は、昨夜酒を飲みすぎたという理由だけではない。全てはいつも送られてくる手紙にあんな写真が同封されていたからだ。


 あんな写真というのは、殺人現場を写した写真である。下半身がキャタピラで踏み潰されたかのように損失し、さらに上半身を何度も切り裂かれた惨い死体の写真だ。そんなものが送られてきてから大門はずっとその写真が頭に焼き付いて離れなくなっていた。


 ――もう何度目だ? と大門はこうしてトイレに向かった回数を頭の中で数えた。先ほどから、寝ようとしても暗闇になると、写真がちらついて寝付けず、やっと眠れるようになってくると、夢の中で写真の男がこちらを見て、にやりと笑ったり、あの姿で追いかけてきたりする。そしてその度にうなされて、汗をべっとりと掻き、さらには気分が悪くなって吐き気を催し、何度もトイレに行く。


 それほどに鮮烈なイメージが脳髄からこべりついて離れず、何度もあの姿を思い出しては恐怖し、そしてはけ口の無いストレスは胃に負荷が集中する。


 まだきりきりと痛む腹を服の上からさすりながら、大門はソファのある部屋まで戻ってきた。だが、眠る気にはなれなかった。どうせ眠ってもまた悪夢が自分を揺り起こし、不愉快な気分になるくらいなら起きていたほうがましだと、大門は考えた。


 窓に近づいて辺りを見る。


 夜が明けるには大分時間があった。部屋から外を見ても人通りは無い。当たり前だ、まだ夜中の三時である。人々が起きて動き出すには少し早すぎる時間だ。


 大門は気分直しに外に出ようと思った。この時間なら誰かに出会う可能性も少ない。また、ほとんどありえない事だと思うが、ハルカに会う確率も少ないと感じたからだ。


 ハルカが昼にしか来ないことを考えればまず考え付かない可能性だが、大門の中ではハルカはもう既に油断ならない存在だった。


 あの無垢な微笑みが、どこか取り繕った無機質なものに見えるのは考えすぎかもしれないが、それでもできるだけ早くハルカとは縁を切りたい。


 既にパスポートはできていた。明日にでもこれをハルカに渡せばひとまず安心である。


 大門は誰かに見咎められることを少しは考え、軽くジャケットを羽織って外に出た。


 季節はもう冬に差し掛かろうとしている。いくら地球が季節を忘れ、年毎に暑さを増していてもやはり寒い季節は来るもので、今宵の夜風はジャケット一枚では少し寒すぎるほどだった。


 襟を寄せ、肩を振るわせる。


 やはり、誰かが外にいるということは無く、街は深淵に沈み込んだように静かだった。ならばさしずめ自分がいる場所は深淵の底だろうか。考え、どうでもいいことだと一笑に付した。


 大門は静寂の中に行き場を失ったように空を仰いだ。


 そこには月が懸かっていた。街のシンボルとなっている電波塔に重なって見える。この街は円形となっているため、どの場所からも電波塔が見えた。


 近所の人間が言っていた話では、あの電波塔は、この街では密かに〝墓石〟と呼ばれているようだ。ひどい名前だとは思うが、確かにあの真っ黒な塔を最初に見たときは大門も同じように思ったものだった。


 今はその塔はイルミネーションで着飾って、少しはましにはなっているが、どうせ夜が明ければ墓石に逆戻りだ。


 夜の間だけ着飾るなんて、ホストみたいなものだと大門は思った。もっとも彼らは昼も着飾っているのかもしれないが。それに墓石と一緒にするのは少し失礼かもしれないと大門は感じた。


 ここにはいないホストに心の中で謝って、大門はそろそろ部屋に戻ろうと思った。その時、大門は何の気無しに路地のほうを見た。


 誰もいないはずだった。現に先ほどまでは誰かの気配など感じはしなかった。だというのに、そこには人がいた。


 大門の視線に気がついたのか、人影は一瞬で幻のように消えたがその姿はあまりに目立ちすぎていた。


 白い薄手のワンピース一枚といういでたちでこの街を闊歩する人間を大門はひとりしか知らない。


 それは紛れも無く、ハルカだった。


 見間違いか、いやそんなはずは無い。そう思い、見えたほうの路地へと向かった。すると、また動きがあった。


 大門が見間違いだと感じて部屋に戻ったと思ったのだろう。今度ははっきりと、その路地からハルカの顔が覗いているのが見えた。


 大門は背中に悪寒が走るのと同時に、胸に熱く煮えたぎる何かを感じた。


「――何やってんだ! お前!」


 思わず大門は叫び、走り出していた。叫びを聞くと同時に、ハルカの姿は路地から消える。大門はそれに追いすがるように路地へと全力で走り、ハルカがこちらを窺っていた場所へとたどり着いた。


 だがそこにはもうハルカの姿は無かった。


 確かにここに気配を感じたというのに、そこには先ほどまで人がいたという感覚さえなく、ただ闇夜に沈んだ寂しい住宅地が並んでいた。


 大門の頭に、二日前の昼に考えていた事が蘇る。


 ――監視されている。


 季節はもう冬だという。だが、大門の背中に、首筋に、ひんやりとした嫌な汗が流れた。息が荒くなっているのが自分でも感じる。心臓の鼓動がうるさく、先ほど発した叫びよりも外に聞こえているのではないのかと思うほど、鼓動が激しい。


 ――マタネ。


 首筋に纏わりつくようにその言葉が大門の脳裏に蘇った。それはあたかもハルカが自分のすぐそこにいるかのような錯覚さえ起こすほど、リアルに大門の中で響き渡った。






















 秋瀬達がその連絡を受け、行動に移すことになった理由は二つあった。


 ひとつは、その情報が自分達の組織が潜らせていた地下協力員によって与えられたものだということだ。


 秋瀬達の組織には秋瀬のように聖痕を埋め込まれ、吸血鬼を殲滅するような者達ばかりではない。むしろ、秋瀬のような実質的な戦闘員のほうが少ないくらいで、ほとんどが諜報関係の仕事についている。彼らはいずれも聖痕を持たず、また組織に属しながら神託兵装を目にすることも少ない。


 だが秋瀬達の組織にとっては一見無力な彼らこそが重要な存在といえるのだ。


 伝承にもあるように吸血鬼が活動するのは主に夜であることが多い。これは彼らの特性に大きく関係しているといわれている。夜の闇に潜む吸血鬼をあぶり出すためには彼ら諜報員の水面下での仕事がなければ、秋瀬達の討伐は成り立たない。


 吸血鬼は大きく分けて二種類のタイプが存在する。


 ひとつは、伝承に描かれている時代から存在するといわれている吸血鬼の原型の古代種と、そこから枝分かれした派生種との二つだ。


 どちらも基本の特性は変わらないが、古代種のほうが能力は高いといわれている。しかし古代種は既に絶滅しており、今世界で目撃されている吸血鬼は全て派生種であると考えられている。派生種は古代種に比べ傷の再生速度が遅く、脆い。一説には古代種によって「増やされた種」だとも言われているが真偽は不明である。


 元来、彼ら吸血鬼は夜行性であると主張する組織のメンバーもいるが、組織のメインブレーンは違う見解を出している。


 彼らはこう主張する。


 吸血鬼は昼でも徘徊可能であるが、昼だと極端に能力が抑えられるため夜に活動することが多いだけなのである、と。これについて説明するためには吸血鬼の身体構造について説明せねばなるまい。


 まず、吸血鬼の身体の組成は人間とほとんど同じである。これには意外であると思うかもしれないが、現に彼らの身体を調べた結果分かったことである。だが、身体の組成が同じであるということは、イコール人間に近い、というわけではない。


 吸血鬼はほとんど人間と同じなだけで、もちろん異なる点はある。


 そのひとつが彼らの最大の特性である吸血能力だ。


 彼ら吸血鬼は、どの個体もこの能力を標準的に装備している。しかし、彼らの中にも能力の優劣はあるようだ。例えばAの個体とBの個体の吸血能力の違いを調査する場合、手っ取り早いのが犬歯の大きさを調べることである。


 吸血鬼本来の犬歯は上顎の中に普段は収納されている。ただし、全てが収納されているわけではなく、少しだけ口の中にはみ出ているらしい。この吸血用犬歯の大きさがそのまま彼らの吸血する能力の差になる。


 しかし歯を突き立てて吸血する場合、飲める血液の量は限られている。これは吸血用犬歯の中の器官の一回に吸引できる力が限られているからだとか、蓄えられる血の量が限られているからなど意見が分かれている。


 他に、そもそも吸血した相手を吸血鬼と同等の存在にする「感染」の能力が彼らにはあるために、種の保存を優先する本能によって完璧に獲物を殺すまで吸い続けることができないのだという意見もある。吸血鬼として蘇生するときにも血が必要になるために、殺してしまえば、自分達の種を増やすこともできないからだ、と。


 しかし、「感染」の確率はきわめて低く、〇,〇二%未満だといわれており、環境や、各々の適性にも因るために、吸血鬼達自身も吸血行為による種の保存は半ば諦めているようである。

むしろ彼らには種の保存というよりも、愉しみで吸血を行ったり、食事という理由で行ったりするほうが多い。


 前者は、吸血という行為を、娯楽のように考える吸血鬼が増えてきた、ということだ。彼らは快楽殺人者のように、吸血という行為で自分の中の虚無感を埋めたいのかもしれない。

吸血鬼に虚無感なんていう人間らしい感情があるかは別だが。


 後者は吸血鬼全てが、吸血行為に対して、生まれながらに依存しているからだと考えられている。

吸うことが止められない、とこう記すとそこいらにいるタバコを止められない中高年のようだが、彼らはこれがもっと顕著に現われる。


 今分かっている禁断症状は、手足の振るえ、変態能力の低下、思考減退、身体能力の低下及び慢性的な倦怠感、頭痛等。


 先に、変態能力、と記したが、これが吸血鬼と人間の違う点の一つである。


 彼らは戦闘時、個体ごとに戦闘に適した姿へと変態する。


 元々吸血鬼は人間を凌駕する身体能力を持つが、とはいっても平均的な成人男性の三倍程度だろう。しかし、変態時は、身体能力やその他の能力が大きく向上する。


 それは牙が長くなる、というだけのたいした変化の無い者から、全身が黒く変色し皮膚が硬質化する者や、翼が生え、空を飛翔するもの等様々な形態がある。


 もちろんこれらの能力は人間の姿から変身するわけであるから、相当なエネルギーが必要と考えられるが、そのエネルギーとして血を使用していると考えれば辻褄が合う。


 だが、人間と同じ組成で、なぜこの様な変化に耐えられるのか。人の脳ではこれだけの力を扱うことなど不可能ではないのか、という疑問があった。


 それにはもうひとつの吸血鬼の特殊性が関係している。


 吸血鬼には、吸血時や変態時に吸血鬼としての能力をサポートする器官が存在する。それは吸血鬼にのみ存在する臓器であり、そこに吸血した血を蓄える機能もあると思われている。

それは「第二の脳」と呼ばれている。


 この第二の脳は吸血鬼の能力を制御し、また吸血行為のサポートをする臓器である。この第二の脳は、吸血鬼特有の超再生能力にも関係している。


 吸血鬼は血さえあれば、どんな傷からも蘇生するということは伝承でも詳らかに記されていることだが、これには第二の脳が、たとえ脳が機能しなくなってもそれを支えるために、全力で動き、まず脳の再生、維持をし、そして脳の機能を補助しながら身体に元々ある治癒能力を向上させるのだと考えられている。


 吸血鬼討伐の際には、この第二の脳も破壊しなければ吸血鬼は殺せない。では、この問題の第二の脳が存在する場所はどこなのか、ということだろうが、これは心臓付近ではないかと考えられている。

理由は、伝承では心臓に杭を打ち込めば死ぬという様子が記述されているが、それはこの第二の脳が心臓の近くにあるためだと推測される。


 なお、本来の脳が破壊されても、第二の脳が可能ならば再生するが、第二の脳が破壊された場合、再生は行われず、吸血鬼は数分後に絶命する。


 なので優先順位としては、心臓付近の第二の脳の破壊、そして頭部の破壊という順が望ましい。

そして、もうひとつ。この第二の脳は昼間には活動状態に無いことが多い。これは第二の脳が昼間の間は吸血鬼の皮膚の強化に全能力を使用するからだと考えられている。


 吸血鬼の皮膚は太陽の光に弱い。だが、それを浴びたからといって灰になるということは決してないがそれでも変態時の能力に大きく影響する。例えば、変態時、ほとんどの吸血鬼は皮膚を硬質化する。これは、相手が人間でも吸血鬼でも同じである。


 そうした場合、元の皮膚の硬さに上乗せする形で強化されるため、元が弱ければそれだけ強度は弱体化する。


 加えて秋瀬達の武器は地上最硬度の金属で作られており、そうした武器に対抗するためには吸血鬼は皮膚を強化するしかない。


 こうした理由から彼らは昼間の活動を嫌い、必然的に夜に現われるのだ。


 だが夜だけでは彼ら吸血鬼は腹を満たせないだろうし、討伐する側にとっては動きやすくなるばかりだ。


 そこで吸血鬼は考えた。自分達の代わりに、手足となって血を採集する家畜を創ればいい、と。


 そうして生まれたのが「使い魔」と呼ばれるシステムである。


 この使い魔には謎が多く、討伐した者達もその詳細は分からなかったという。だが、ひとつ言えるのはこの使い魔は血を採集し、吸血鬼に献上する為だけに創られた存在だということだ。


 この使い魔は発見が難しく、吸血鬼のように吸血行為に時間はかけない。


 吸血鬼の吸血行為は最短で十秒ほど。しかも吸血した後も、吸血した患部から牙を収納するための時間や、吸血された被害者が吸血鬼になったかどうかを確認するためにあることを行うらしいが、そのあることとはその行為を見た者達だけの秘密となっている。


 しかし、どれだけ少なく見積もっても、全体でかかる時間は四十秒ほどだろう。


 それに対し、使い魔の吸血時間は全体で二十秒弱。これでは発見が難しいのも無理は無い。


 ――だが、その発見の難しい使い魔の足取りもいずれ分かる。


 これこそが秋瀬達が受けたもうひとつの連絡だ。


 監視対象――吸血鬼に類似する能力を有する使い魔を発見。そして監視対象に変化あり。監視対象の潜伏場所を度重なる調査の結果、確信。


 今宵、総攻撃に移られたし。


 以上がずっと使い魔、または吸血鬼と思われる人物の監視を続けてきた諜報部の下した結論だった。


「ロラン」


 秋瀬は隣を歩くロランに声をかける。ロランは前を向いたまま立ち止まらずに頷いた。


「お前の言うとおり、私は吸血鬼討伐に集中することにしよう。だが、ひとつだけ約束して欲しいことがある」


「何ですか?」


 ロランは笑顔で答える。だが、内心は不服に思っていることは秋瀬にも判った。


「民間人に手は出すな。例え、目撃されても、だ」


 秋瀬が放った言葉はつまり、組織のマニュアルを無視しろということだった。組織のマニュアルにははっきりと、「目撃者は消せ」と記されているのを知っているにも拘らず。

ロランは一瞬、逡巡するような感情を見せたが、すぐに笑顔になって、


「もちろん」


 と、さも当たり前のように言った。


 果たして、そのさも当たり前のことが、彼には貫き通せるのだろうか。と秋瀬は不安になった。この若者には真面目というよりも、どこか危うい忠実さがあるような気がしてならない。


 マニュアルに忠実な番犬。飼うには一見申し分ないように思えるが、不測の事態に陥ったとき、果たして、この番犬は主人の言うことを聞くのだろうか。むしろ、普段のマニュアル的な行動が邪魔をして、人間らしいベストな行動なんてできないのではないか。


「ついに討伐ですね」


 ワクワクしますよ、とは言わなかったが声の弾み方にその感情が出ていた。秋瀬はそれには返さずに、ただ前を見て歩きながら呟いた。


「私は私の使命を果たすだけだ」


 時刻は夕刻。作戦開始までは残り約四時間を切っていた。























 ピンポーン、と間抜けなドアチャイムが響き渡る。


 もう七度目だ。どうやら客はそうとうこの部屋の中に入りたいらしい。


 また、ピンポーンとチャイムが鳴る。八度目だ。


 だが大門は、出る気はなかった。彼は数回しか使ったことの無いベッドの上で、布団に包まってただそのチャイムが止むのを待っていた。


 出なくても客の顔ぐらいは分かる。恐らくはハルカだろう。こんな真っ昼間からこんな部屋に来るのはハルカ意外に見当がつかない。


 ピンポーン、とまたチャイムが鳴る。九度目。


「……いい加減諦めろよ。畜生」


 大門はそのチャイムの音にも、ハルカという客にも嫌気が差していた。今日こんなにもハルカがしつこいのはパスポートができる予定日だということもあるのだろう。今、十回目のチャイムが鳴った。

 確かに大門はパスポートさえ渡せばハルカと縁が切れると思っていた。昨夜までは確かにそう思っていたのだ。だが、ハルカが何の目的か自分を監視していることを知り、大門はその恐ろしさに彼女と顔を合わせることもできない。


 もし出れば、今日は警察の制服を着たハルカによってすぐに逮捕されるのではないのか、という恐怖もあるが、それ以上にこんな自分を監視する得体の知れない存在であるハルカが怖くてたまらなかった。


 一体何を考えているのか。いつも笑顔のあの少女が相手では、それすら読めない。今にして思えば、ハルカはこちらに意思を悟らせないためにあんな笑顔を用意しているのではなかったのか、とも思えてくる。


 そう、全ては自分を油断させるための策略だったのではないのかと。


 警察がいつからこんなにも巧妙な手を使うようになったのかは知らないが、よくもこんな手を考え付いたものだ、と大門は自嘲気味に笑った。


 もはや自分にはこのまま諦めて捕まるしか道がないのか。


 ――ならば、と大門は思った。どうせつかまるというのなら最後ぐらいは、落ち着いていよう、と。逃げ延びても、顔もアジトも割れているのでは捕まるのは時間の問題だ。


 もはや大門は、ハルカが警察関係の人間だと信じて疑わなかった。


 大門は落ち着きを取り戻そうと、リモコンをいじり、テレビの電源を点けた。追い詰められて、一刻を争う状況にいる人間の行動としてはいささか落ち着きすぎているようだが、大門にとって世間一般の日常と繋がっているのはテレビぐらいなものだった。ヴン、という音と共に、黒色の画面は色を与えられ、そこに別種の世界を作り出す。


 テレビは現実から離れるには打ってつけだった。今は夕方のニュースが始まりかけたところらしい。ワイドショーのようなものも兼ねた総合情報番組だ。


 そこにはいつかの初老のニュースキャスターと共に、入社二年目の新人アナウンサーと、この番組以外では姿を見かけたことが無いコメンテーター達が横一列に並んでいた。


 さらに付け加えるようにゲストの席が端のほうに設けられていた。そこには最近有名になってきた小説家と、今をときめく医者と評された女性がいた。


 見るとその女性は、この間のスペシャル番組でインタビューに答えていた医者だった。もっとも番組自体は観ていないが、それでもCMをみてえらく美人な医者がいるものだと思ったのを覚えている。癖のないロングヘアで、知的な眼差しをした女性だった。それでも冷たそうな印象は無く、全体的にやんわりとした暖かい雰囲気の持ち主だった。


 その女性の座る席の前に、名前を書かれた安っぽいプラカードが置いてある。宮崎というらしい。


 ピンポーン、とまたチャイムが鳴り響く。


「――いい加減にしろよ、お前は!」


 大門は堪らず、リモコンをテレビに向かって投げた。話し始めていた女性の顔にそれは見事に当たり、がしゃんという破壊音と共に彼女の顔を突き抜けて古ぼけたブラウン管の内部を露出させた。

大門は包まっていた布団を捨てて玄関のほうへ向かう。その途中、資料だらけでほとんど埋まっていた仕事用の安い机に目が行った。


 大門はふと思い立ち、その机の上から三番目の引き出しを開け、中に入っている黄色いホームセンターの袋に包まれた物体を取り出した。


 袋を剥ぎ、さらに中に入っている物体を保護するためのエアクッションを床に投げ捨てる。

中に入っているものを完全に出して、それを見つめる。


 それは一丁の銃だった。


 大門の仕事には危険が付きまとう。もちろん客の中にも危険な人間はいる。その危険な人間のひとりが大門のことをいたく気に入り、大門の身を案じてこれを、と別れ際に渡してくれたのだ。もちろん、最初は大門もこんなものを持つことを拒んだ。だが、仕事の量が増えるにつれて危ない目に遭うことも一度や二度ではなくなり、現実を見るようになってきたのだ。


 もう一度、じっくりとその黒い銃身を眺める。僅かに窓から入ってきた赤い光を反射し静かに光るさまは、見ていて凶器というものの在り方を実感させられる。


 人を殺すために造られたものにはある種の魔力がある。それに憑かれるか、否かは個人の器量にもよるが、大門は銃を目の前にしてその魔性に飲まれつつあった。


 ごくり、と喉を鳴らす。それから、右手に銃を持ったまま左手を胸に当て鼓動の高鳴りを感じた。


 ――落ち着け。


 大きく息を吸い込みながら大門は自分に言い聞かせる。


「落ち着くんだ。ここで無闇に撃てば、それこそただ事じゃない。落ち着け」


 あまりの動揺に自分で声を出していることすら定かではない。だが、武器の魔性に飲み込まれそうな時にただ一心に、大門は自らに、自らを律することを言い聞かせた。


「落ち着け。――そうだ。ただ、脅すだけだ。……いや、駄目だ。脅すのも、本当に状況が、まずく、なったとき、だけだ……」


 呼吸がしづらい。声が出ない。これほど武器というのは人の心を狂わせるものなのか。


「あ、安全、装置、は……。これ、か」


 銃の機構を再確認する。無闇なところを触って誤爆なんてことになったらただではすまない。


 ピンポーン、と再び間抜けなチャイムが響く。


「う、うるさい! 黙っていろ!」


 大門は自分でも自分を見失っていることが分かっていた。しかし、これから掌に握ったものを使うかもしれないと思うと、冷静な自分を保っている余裕など無かったのだ。


 こんな短時間で人間の感情をこうまで昂ぶらせてしまうものを、常に持っていられるものなのだろうか。世界各国にいる要人を守るSPや死臭漂う戦場にいる兵士達は、こんなものを携帯して日常を過ごしているのか。


 ピンポーン。


 舌打ちをして大門は銃を後ろ手に隠しながら、玄関のほうへと向かった。あまりに錯乱しているためか、いつもなら忘れず袖を通す仕事用のスーツすら纏っていなかった。今の大門はシャツと、ジーンズという井出たちだ。


 大門は玄関の前に立つ。


 遂にすぐ傍まで来て、全身の震えが止まらなかった。


 ――落ち着け。


 大門はもう一度、自分に言い聞かせる。


 先ほどから心臓の鼓動がうるさい。表にいるハルカに聞こえたらどうする。


 ――落ち着け!


 大門はぐっ、と力を込めてドアノブを握った。ドアに身体を密着させているのはスパイ映画の受け売りだ。この行為の意味など、大門は知らない。


 がたがたとノブを持つ手が震えて、表に立つハルカに悟られやしないかとびくびくした。だが、怖がってばかりではいられない。


 ――……やるぞ。


 大門はからからになった喉に無理やり唾を飲み込ませる。ひり、とした喉の痛みが、大門の決心を最終点火させた。再び、ドアノブを持つ手に力を込める。


 ――やってやる!


 大門は勢いよくドアを蹴飛ばすようにして開けた。



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