記憶の亡霊
あるキャラクターの過去の話です。それと最後に何かが起きます。
それは豪く傷のついた画像だった。
黄色く変色した画像は、何年もの月日を経たフィルムを古い映写機で無理やりまわしているようなものだ。
カタカタと、映写機の回る等間隔の音が耳の中に残響する。その音が一回りするたびに、傷だらけの画像が色を帯びてくる。ぼやけた輪郭が形を成していく。やがてそれは鮮明な形を、視界いっぱいに映し出す。
キリキリと、フィルムが擦れる音が響く。それにつられて画像はだんだんと動き始め、ぎこちない動きながらもそれは映像となっていく。
まるでぱらぱらアニメを見ているような感覚だ。止まっていた物が動き始める。
木も、雲も、全てが息を吹き返したように目の前で動き始めた。
景色は草原だった。そこには童話に登場するような木々が生えている。奥のほうは木々が絶え間なく生えているために、一度入れば二度と帰ってこられないような様相を呈しているが、それは相当奥の話で、教会付近はそこまで木々は侵食しておらず、涼しげな緑の絨毯が風にそよいでいる。身体をすり抜けていくような爽快な夏の風の香りが、空気全体に満ち溢れている。
その芝生を力強く蹴って、幾人かの子供達が遊んでいる。
どうやら鬼ごっこをしているようだ。ひとりの少年が複数の少年少女を追っている。鬼の少年が、ひとりの少女を捕まえその少女は不服そうにむくれる。
鬼が入れ替わり、少女は十数える。その間に少年は少女を茶化しながら逃げていく。少女は早口で十数えると、真っ先に先ほどの少年を追いかけていった。
彼らはとても楽しそうに遊びに興じ、そこには何の不安も無くただ、今を求め、明日を当たり前に来るものとして受け入れている。
――その様子を見て、哀しくなる。
そこで場面は急に転換する。
今度の風景はいつかの夕暮れだ。教会の屋根の藍色が、夕凪の強い光に反射して輝いている。
先ほど鬼ごっこで鬼をしていた少年が、そこにいた。そして教会のほうに何かを言っているのが聞こえた。
それに声を返したのは初老の神父だ。彼は優しげな眼差しで少年を見、そして早く帰ってくるように、というような旨の言葉を投げかけた。
少年はそれに手を振り、坂を下って街の方へと駆けていく。
――思い出した。
この日はいつに無く大事な用事があったのだ。きっと、孤児の誰かが誕生日だったのだろう。私はケーキとプレゼントを買いに、街へと出かけたのだ。
街へと向かう坂で少年であった私は妙な人物を見かけた。
全身黒ずくめの男だった。髪は長く、銀色で、夕暮れの赤に光って見えた。その人物を前にして私は立ち止まった。ぼろのような黒い服を纏ったその男は真横を通り過ぎるときも、私の方には目もくれず、そのまま私が来た道へと歩いていく。男が真横を通り抜ける瞬間、鉄さび臭いにおいが鼻をついた。私は、そのにおいが何かに似ている、と思い男へと振り返った。男はまるで何か大切な用事でもあるように、ひたすらに目標へと歩いているようだった。
「そっちには教会しかありませんよ」
そう声をかけたのを私は覚えている。男は私の声に反応し、そこに私がいたことに初めて気がついたように目を見開いた。
その時はしばらく、私とその男はお互いを見ていたような気がする。
なぜだか私はその男の姿から視線を離すことができず、男も私をじっと見つめて視線を逸らそうとはしなかった。
その永遠に続くかのように思えた状況も、男が私から視線を外したことで終わりを告げた。
男は低い声で、そうか、とだけ呟き、また歩き出した。それから男はもう二度と私のほうを見ようとはしなかった。
私は男の事が少し気になったが、それよりも買い物を済ませるほうが先だと思い、街へと再び歩き出した。
――街は物々しい空気に包まれていた。
救急車や消防車やパトカーがひっきりなしに出入りして、赤いパトランプが、もう暮れかけた景色に強い赤を刻む。
何か事故があったらしいことは、ケーキを注文したケーキ屋の主人から聞いた。どうやらガス爆発があり、数十人が重軽傷を負い、中には死亡した者もいたという。
物騒だな、と私は単純に思ったことを覚えている。
そこで場面はまた急に変わる。
景色はまたも赤い風景だった。だがそれが夕暮れ時ではないことは私には分かっている。その赤い風景は、夜の帳が落ちた世界にまるでそこだけ赤く切り取ったかのように存在した。
パチッ、という音が座り込んで呆然としている私の耳に届く。恐らく教会の一部が焼け落ちたのだろう。その音のあとにけたたましい崩壊の音が響き渡った。
その赤い風景の前に、黒い旗が立って風にはためいていた。
それは段々とこちらに近づいて、私の目の前で立ち止まった。そこで私は立っているものの正体に気づく。
それは旗ではなかった。夕暮れに見た黒衣を纏った男の姿だった。
だが、私はその男が目の前に立っていても夕暮れに見たのと同じ男だとは思えなかったのだ。
その男の眼は、今も教会を飲み込もうと荒れ狂う炎よりも赤く、世界を包む夜の闇を切り裂くように光って見えた。
私は自分の視界にその眼を捉えた瞬間、「凍りつく」という感覚を知った。たった一秒にも満たない視線の交錯が、私の中にある「恐怖」という形を一気に具現させて、私の体の自由も、思考も、時も、すべて一瞬のうちにその赤い眼に凍らされてしまったのだ。
赤い眼の男は私にさらに近づき、そして黒衣から手を取り出した。その手は黒衣と見間違うほどに黒く染まっていた。
じっと赤い眼で私を見つめながら男は近づく。男の足が、置かれていたケーキとプレゼントの入った箱を踏み潰した。
私は呆然とそれを見つめている。男は黒い手を私の目の前にかざす。それは本当に、闇よりも暗い黒だった。
男はそれを振り上げる。私はそれが何を意味するのか、何も理解できてはいなかった。
その時だ。
男の姿は唐突に私の視界から消え去った。何が起こったのか私にはもちろん理解できない。
そこで突然、耳を劈くような叫び声が木霊する。
私は声のした方を見る。そこには男が、肩口を押さえながら立っていた。見れば、そこには男の他に
もうひとり誰かがいた。
その人物の顔が炎の明かりに照らされ、僅かに見えた。
「……神父、さん?」
私は息を呑んだ。その人物は先ほど私が声をかけたあの初老の神父だった。彼の手には何かが握られていた。
私はその時、背筋が凍ったのを覚えている。
神父は平和な現在において不釣合いな、まるで中世の騎士が持つような長剣を握っていた。私は神父が箒を握っているようなところしか見た事がない。それだけにその姿は異常だった。
「……何、で」
無意味な呟きを私は漏らす。今起きている現実が私の思考を遥かに超えて存在しており意味のある呟きなど発せられるはずがなかった。
神父は私の声が聞こえたのか、少し私のほうを見る。
そして、いつものように優しい眼差しを投げかけ、微笑んだ。
神父の口がその時、僅かに動いたのを私は見逃さなかった。
「大丈夫。すぐに終わるから」
それはいつものように穏やかな口調だった。
神父は男へと踏み込んだ。男も神父のほうへと駆け出す。私にはそのやり取りが理解できなかった。
夕方に初めて出会った男と、いつでも自分達の近くにいてくれた神父が殺しあう。そんな現実が許容できなかった。
神父が剣を振るう。男は間一髪の動作でそれを避け、神父の腹を蹴った。神父はその一撃で、数メートル吹き飛び、巨大な樹の幹に激突する。神父が咳き込んだような音が聞こえる。恐らく内臓をやられたのだろう。その眼前に男がまるでずっと前からその場所にいたかのように、佇んでいた。
そして神父の身体をまるで雑巾でも掴むように軽々と持ち上げ、そのまま垂直に、跳躍した。
十メートル以上、上空に跳び上がり、そして男の手からまるでごみのように神父の姿が放り投げられた。
すさまじい激突音が響き渡る。衝突の瞬間、神父の身体は地面で二、三度跳ねた。下が芝生とはいえ、固い地面だ。死は免れないものであろう。
だが男はそれで終わらなかった。間髪いれず、神父が倒れた地面へと着地し、その身体にもう一撃加えようと両手で拳を握り、神父へと振り下ろす。
その攻撃が当たっていれば、間違いなく神父は死に、私は男に殺されていただろう。だが、そうはならなかった。
男の拳が地面に落ちる。地面はまるで発泡スチロールのように捲れ上がり、弾けた。そこには本来ならば、見るに堪えない神父の死体があるはずである。だが、それは無い。
神父がそこにいないことに男が気づいたのはその僅か数秒後だ。しかしそのたった数秒が命運を分けた。
私はそこにありえない光景を見ていた。確かに男に潰されたように見えた神父は、男の背後に佇んでいた。
男がそれに気づく。しかし、その反応は遅すぎた。男の眼が神父のほうへ動くより前に、神父の振るった剣はその軌跡さえ見えないほどの速度で、男の腕を切り落とした。ごとり、と重たい音を立てて男の腕が転がる。私はその様子を呆然と見ているしかない。
次に神父の一閃が、男の肩口から斜にその身体を切り裂いた。男は獣のような叫び声を上げる。
男の叫びが断続的に響く中、神父が何も言えずただ見ているだけの私に振り向いた。神父の口元は血で汚れていた。
それでも、彼はいつもと変わらぬ優しい眼差しで私を見つめ、微笑んだ。これほど壮絶な戦いの最中で彼は平静と何も変わらずに、私を見たのだ。
それで私はやっと、全てを理解した。
これまでのことも、神父がこれから使用としていることも。
神父は再び男のほうに向きかえると、剣を真っ直ぐに構えた。私のほうからは神父の背中だけしか見えなかったが、その背中が何かを決心したかのように固く強張ったのを私は感じた。
その次の瞬間、神父の姿と男の姿が重なった。
教会に纏わり着く炎の勢いは増し、私にはふたりの姿は影のようにしか認識できなかったが、それでも神父が男を剣で貫いたことは分かった。
そのまま影は小さくなっていく。二つの影は炎に飲み込まれるかのように、燃え盛る教会へと近づいているのだ。
それは私にはまるでスローモーションのように見えた。二つの影が罪を購うかのように、炎の中に飛び込んでいくさまが、私の眼に、思考に、焼き付けられていくのがはっきりと分かったのだ。
二つの影が見えなくなり、轟、と教会を焼く炎が唸りを上げた。
私はやっと我に帰り、神父の名を呼んだ。煤が教会の方から風に乗って流れてきて、喉が痛かったがそれでも必死で呼び続けた。
もしかしたらいつものように、声をかければ、声を返してくれるのではないかという甘い期待すら持って。
それでも二度と、神父は声を返すことはなく、私がその姿を見る事もなかった。
私は泣く事も無く、ただ身体の中が空っぽになったような気がして、そこに立ち尽くすだけだった。
――誰かが通報したのだろう。
やがて消防車が来て、教会の火は鎮火した。そこから何人かが運ばれていったが私はその中に、今日が誕生日だった子の姿を見つけた。
そこで唐突に思い出した。
その子は私が先ほどの鬼ごっこの中で遊んでいた少女だ。この孤児院の中で一番親しく、私も彼女のことを大切に思っていた。
だがその姿は私の見知った彼女の姿ではなかった。見ないほうがいい、と誰かが私を制する。
もう遅い。見てしまった。
その時、突如としてサイレンのようなけたたましい音が響き渡った。それは獣の遠吠えのように、闇夜に響き渡った。
今にして思えば、あれは私自身の叫びだったのかもしれない。
その後はよく覚えていなかった。
いつの間にか、教会の後見人といって知りもしない誰かが来た。その人は教会の復興に力を充てる一方で、私に対してはえらく冷たかった。
――お前は見てはならぬものを見た。
そう言ってその人は私を、ある場所へと連れて行った。その場所の名は誰も教えてはくれなかった。周りにいる大人は皆冷淡で、子供の私に対して声をかけるものなどいなかった。
だが、それは彼らなりの優しさだったのだろう。普通に世の中を生きていれば知る必要のないことを私は知った。そんな私にいまさら中途半端な優しさを振りまいたところで、結局は救われないことを彼らは知っていたのだ。
私はそこで、全てを聞かされた。
吸血鬼の事。あの心優しい初老の神父が彼らの言う〝組織〟の一員であった事。そして私にも、組織の一員となる資格があること。
――我らと共に来るか。
顔の見えない大人の中のひとりが、そう言った。
そして私はその契約に乗ったのだ。
私はそこで片耳を失い、「聖痕」を得た。
「――あ」
誰もいない狭い部屋で秋瀬は目を覚ました。
ベッドから起き上がる。ここは教会の中の自室だった。秋瀬の部屋は物置のように狭い場所だった。ある物といえばベッドと、クローゼット、小さな文机くらいなものだった。
時計を見る。まだ夜中の三時だった。また寝ようかと思ったが、止めた。あの夢を見た後は寝付けない。それは分かっている。
「また、あの夢か――。私は……」
顔を押さえて、どうにも目覚めた後に残ってしまうやるせなさに堪える。失ったものに対する愁いは、掘り返すべきではない。だから堪えるしかないのだ。
秋瀬はいつもあの夢にうなされて目を覚ます。それは消しようも無い過去の記憶だ。秋瀬はその過去さえ、自身の片耳と一緒に捨てた気でいた。
だが、最近になってそれが妙に疼くのだ。捨てて感覚の無くなった肩耳に痛みが走るわけではない。同じように捨て去った過去にだけ痛みにも似た感情が湧いてくるのだ。
「どうしてしまったんだ」
自分に問うても答えは出ない。当たり前だ。自分が解せぬものに自分の納得できる答えが用意されているはずが無い。
あの神父の優しげな表情が蘇ってくる。あの夜の煤くさい臭いも、黒衣の男から感じられた眼の冷たさも、自分は何一つ忘れられてはいない。過去に縛り付けられ、うなされている。
もし、あの時今の力があれば、などという愚かな考えすら出てくる。だが、もし今の力があれば、あの少女も、神父も、孤児の子供達も死なずにすんだだろう。
だから吸血鬼を追い続けた。まるで贖罪のように、彼らを殲滅し続けた。今では血を見たくらいでは自分を見失うことは無い。
――だが、これは正しいことなのか。これは正しい人のあり方なのか。
秋瀬にはそれが分からなかった。だから討伐に対する迷いすら生まれる。
本当に吸血鬼を討伐することが自分の生きる指針となりえるのか。自分は復讐に生きているわけではない。それははっきりと言える。なぜなら、あの時の吸血鬼は神父が倒してくれたからだ。だから、自分の復讐は成り立たない。
それでも吸血鬼全てを憎み、殲滅しようというのなら、それは復讐ではなく虐殺だ。自分はそんな歪んだ方向に生きているわけではない。だが、もしかしたらいつの間にかそうなってしまっているのではないか、という疑問がある。
いつの間にか、そんな私情で彼らを殺す存在へとなってしまったのではないのか。狩りつくすことに悦びを感じる、殺戮兵器に。
――心を失ってまで。
秋瀬は立ち上がった。そして部屋から出て歩き出した。
教会の長い廊下を歩いて秋瀬は、ある部屋を訪れた。明かりが漏れて起こさないように、そっと、その部屋の扉を開けた。
そこは子供達が寝ている部屋だった。
皆、幸せそうに眠っている。その様子を見ていると、秋瀬は唯一、安心していられる。彼らを見ている間は、自分に心がまだあることを認識できるのだ。
自然と秋瀬の目は、端のほうのベッドで眠っているレナへと向いた。
ここにいる子供達は全員親が何らかの理由でいない孤児達だが、その中でもレナは特別違う子だった。
彼女は中々心を開いてはくれなかった。児童相談所の話では、特別な虐待を受けていたわけではないという話だが、それでも何か理由があったのだろう。
そんな彼女が、最近では少しだけ秋瀬に心を開いてくれるようになってくれたのが僅かに救いだった。まだ他の子供達とは馴染めていないようだが、それも時間が解決してくれるだろう。
秋瀬の使命は、この子達に時間を与えることだ。
秋瀬と一緒にいた孤児達にはその時間が理不尽に奪われた。奪い取られてはならないのだ。自分のような人間を彼らの中から出さないためにも。
「……う、ん」
子供のひとりが寝返りを打つ。まずい、起こしそうになったか。そう思い秋瀬は扉を閉めた。
秋瀬は自室に向かって歩き始める。自分にしかできないこと、それが分かっていることが秋瀬にとってはまだ救いだ。使命があればそれに寄り添って生きていくことができる。
そう思うと胸のわだかまりが少しだけ軽くなったような気がした。
――自分は夜に支配されているのだ、という感覚がソレにはあった。
その感覚は今しがた生まれたものでもなければ、誰かに教わった感覚でもなく、まして経験によるものでもない。
ソレは生れ落ちたその瞬間からその感覚があった。
例えばイメージする。
自分は夜という牢獄に無数の枷を付けられた存在だと。夜という存在には抗えず、そこから逃げることはソレにはできない。どこまで逃げても夜が追ってくるとかいう恐怖にも似た感情ではない。それは静謐に支配された空間に住まう、一種の安らぎにも似た感情だ。夜こそが自分の世界だ、という認識。だが、現実と違い、その世界をどうこうすることはソレにはできない。
世界を変革することは許されず、その限定された時間と空間、繋ぎとめられし閉じた場所で蠢く蛹のような存在。それが自分だという確信。
自分は数億存在するある一点から逃れた一滴によって生まれし存在であり、その身は生まれながらにして千の業を背負い、闇以外に姿を晒すことは許されず、口はなく、目も耳も無い。触覚と過去から持ってきた僅かな言葉だけがソレの所有物だ。
閉じた感覚は閉じた思考をもたらす。閉じた思考は円環ではなく、点に過ぎない。点は一つであるが故、線にはならず、そこに循環する思考は生まれない。故、自我はなく、新しい何かも無い。
生まれいでし時は常に新生ではなく、それは再生に過ぎない。
再生は無数のスクラップと、一滴によって行われる。ソレにとって無数のスクラップは血肉であり、一滴は無数のスクラップが生み出す、思考の混沌をせき止める一種の防波堤だ。
一滴はソレの思考を浄化し、ひとつの方向性へ向かわせるためのエネルギーとなる。その一滴の生み出す方向性は、一滴の元へと還るための固定されたプログラムであり、ソレがどれだけの闇を孕もうとも、それは一滴を生み出した夜という闇へと還っていく。
循環ではない。これは搾取である。人が家畜を育て、それを喰う。同じことがソレと夜との関係にもある。
枷に繋がれたソレは、所詮飼い犬であるが故、自我は必要なく、まして人に飼われるペットのように自らの存在を飼い主と対等だとは考えもしない。
忠実な僕。ソレは主張もせず、ソレが生み出されて人間の数える期間で一ヶ月たったその日も、主の近くに寄り添い、ずっと命令を待っていた。
主たる夜の闇は言う。
ソレは忠実に従った。
巨大な円柱のように伸びてソレは空を仰ぐ。目は無い、しかし光は感じる。今宵の月明かりは格別だ。過去の記憶を辿ると、ソレのスクラップの一部が、ソレとなったのもこんな月の光が射す夜だった。
ソレは自らと夜の闇との繋がりを常に感じながら、蠕動するように影へ影へと進んでいく。
やがてソレは見えなくなった。
――ソレはスクラップ達の記憶を辿り、自己を認識していた。主の言葉に最も近い発音、言葉を選択し、自らの存在として、一滴の中に構築していた。
暗く、深い闇に棲むソレは〝使い魔〟と呼ばれていた。