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イノセントワールド


 組織は吸血鬼の暴走をもちろん大事にしたくなかった。


 何人もの狩人が殺され、人間側の最高幹部であるアルヴァ・コーストも死んだ今、事態の早期収束が必要とされた。組織は生き残っていた全ての吸血鬼、とはいってもほとんど自我の無い蜥蜴を回収し、都合の悪い死者を隠蔽し、組織の存在が明るみに出る可能性のある街の教会に責任者を新たに送り込もうとした。だが、それを必要が無いと一蹴した者がいた。


「吸血鬼は全て討伐しました。最早この街には吸血鬼はいません。それとも、下手に動いて吸血鬼が組織を動かしていることを彼ら狩人に報せますか?」


 脅迫のようなものだった。組織が少しでも自分達の教会に手を出すことがあれば、すぐさま独自のルートで組織の悪行が明らかになるという。そうされる前に押さえることは不可能ではなかったが、ただひとりの人間を消したとしてもそれが段階的に人間社会に伝われば波紋は大きくなる。それよりも、狩人がいなくなる、または離反する可能性があることの方が重大な問題であった。吸血鬼と同じ力を持つ狩人が一般社会に潜り込めば、それを始末するために吸血鬼を送り込まなければならなくなる。だが、そうすれば大小に関わらず必ず被害は出る。それでは吸血鬼の存在を社会に報せているようなものだ。いつまでもシラを切り通せるものでもない。離反者が増えれば、戦力が無くなり、本来の目的であった裏切り者の吸血鬼を粛清するための人員が確保できなくなる。組織は脅迫と条件を呑んだ。条件はこの街の教会には一切手出しをしないこと。それだけだった。


 それがあの夜の奇跡の生き残りである秋瀬・コーストの言葉だった。
























 刑事、岸辺章介は報告書をコンピュータ上で作成していた。先日起こった、ガス爆発とそれに伴う電波障害についての被害報告だ。岸辺はそれを作りながら、頭を掻く。報告書をスクロールさせながら全体の被害総額と死傷者を照らし合わせる。あれだけのことがありながら死者はほとんど無かった。それが逆に不気味であり、岸辺にはただの事故として割り切ることができなかった。その時、背中から誰かに小突かれ、岸辺は振り返った。


「佐伯さん」


「よう。被害報告書の作成、終わったか?」


「もうちょっとですよ。しかし、妙なもんですね」


「何がだ?」


 佐伯が岸辺の背後のデスクの椅子を持ってきて、岸辺の隣に座った。岸辺は椅子の背凭れに体重を預けながら頭の後ろで手を組む。


「因幡悠斗の検挙にようやく踏み切れる、と思った矢先の事故でしたから。そちらにかまけている間に因幡悠斗はいなくなっていた。これって偶然ですかね」


 岸辺は惨憺たる事故現場で因幡悠斗の免許証を拾い上げた時のことを思い出す。あれも偶然だったのか。因幡悠斗のアジトに踏み込んだ時には綺麗さっぱり使われた形跡は残されていなかった。確かな目撃証言に裏打ちされた踏み込みだったというのに。大規模なガス爆発と電波障害、一部地域の停電があったにも関わらず、それが警察関係者の中で誰も感知していないというのもおかしい。あの日――クリスマスの夜、岸辺はこの街から離れていたために、何が起こったのか分かったのは翌日だった。それも人伝えだ。あれほどの事故があっても、報道の手が追いついたのは、三日後以降だった。事故の夜に何か大きな意図が背後で動いていたのではないか。そして、自分達はその一端さえ掴むことができていないのではないか。そんな思いが鎌首をもたげる。考え過ぎだ、と一蹴しようとして、佐伯が先に「考え過ぎだよ」と言葉を発した。


「悪いことは重なるもんさ。度々気にしていたらこの仕事やっていけねぇぞ。因幡悠斗の足取りがまたプッツリと途切れたっていうんならまた炙り出せばいい。刑事っていうのはねちっこくやらなきゃな。そうだろ?」


「です、ね」と同意を返して岸辺は頭に浮かんだ様々な事柄を掻き消した。


 考えることが多いが解決できることは少ない。ならば、自分は自分の範囲で解決できることに対して最善を尽くすのが一番だと岸辺は判断した。


 その時、佐伯が声を上げた。


「お、雪だな」


 佐伯が年甲斐も無く窓の方へと歩み寄る。岸辺も目頭を揉んでから、窓の外へと目を向けた。あの日も雪が降っていたらしい。あの日、この街にはどんな雪が降っていたのか。岸辺は思いを巡らせようとしたが、それもらしくないと一笑した。それよりも、年の初めをいかにして過ごすか。岸辺はそちらを考えることにした。


















 四ヵ月後



 人工の猛禽である飛行機が作り出す轟音が、低く重く空港を押し潰すように響いた。


 行きかう一般客の中に、不自然な一行がある。三人組だった。ふたりは白い服に、フードを目深に被っていて顔は窺えない。もうひとりは黒衣を纏った灰色の髪に同じく灰色の眼をした男だった。フラグメントの二人組と秋瀬だ。フラグメントの二人組の荷物はほとんど無かった。逆に見送りに来た秋瀬の荷物が多いくらいだった。秋瀬はいくつかの紙袋をフラグメント達へと手渡す。


「教会の子供達からだ。君達がこの数ヶ月一緒に遊んでくれただけでもあの子達にとっては嬉しかったらしい。ありがとう」


 フラグメントのふたりは少し逡巡したようだったが、それを受け取った。その袋の中に紙が入っていることに気づく。フラグメントが袋の中から紙を取り出すと、そこにはクレヨンで描かれたフラグメントと子供達との絵が描かれていた。


「本国に帰ってから見てもらうつもりだったんだが」


 と、秋瀬が肩を竦める。フラグメントのふたりが息を吹き出して肩を揺らす。どうやら笑ったらしいと知れた。


「どうしても、帰るのか? 本国へ」


 秋瀬が尋ねると、フラグメントのふたりは互いに頷き合ってから、秋瀬へと言葉を発した。


「秋瀬神父。あなたの厚意には感謝します。しかし、我々は組織の所有する兵器なのです。いくらあなたが認めてくれてもそれは変わらない。それに子供達を守るためでもある」


 秋瀬はその言葉に苦い顔をして唇を噛んだ。組織は秋瀬の脅迫を呑む代わりに交換条件を提示してきた。それがフラグメントの早期回収だ。秋瀬は「フラグメントも教会の管理下であり、さらに彼らは一個人であって無理強いはできない」と応じてきたが、その交渉も無駄に終わった。フラグメントのふたり自身が組織本部のある本国へ帰ると言い出したのだ。秋瀬は止めたがふたりは聞かなかった。子供達の安全を守るために、ふたりは犠牲になろうとしているのだ。秋瀬はこれ以上、身内で犠牲を出したくなかった。だが、フラグメントのふたりは言った。


「これは犠牲ではありません。我々なりの恩返しです。どうか、見届けていただきたい」と。


「……私の力不足だった。もっと私が毅然としていれば」


 その言葉にフラグメントは首を横に振り、各々に言葉を発する。


「秋瀬神父のせいではありません。全てはこの仕組みのせい。確立されたシステムを壊すのは困難ですが、あなたはそれをやってのけようとしている。ならば、我々もと思ったのですよ」


「あなたに勇気付けられたのです」


 秋瀬にはその言葉だけで充分だった。


「何を言っても無駄なようだな」と半ば諦め気味に言いながら微笑む。「ええ」とフラグメントのふたりは返し、フードをふたり同時に取った。少し伸びた髪に、赤銅色の瞳が秋瀬を優しげに見つめる。ふたりの眼の光は微妙に異なっている。きっと同じ人間から造られた存在でも、個性が生まれ始めているのだ。もはや、彼女達はただの断片ではない。意思が芽生えたひとりの人間だ。


「あなたが我々を人間として扱ってくれなければ、我々もこんな気持ちは知りえなかった。あなたのおかげです、秋瀬神父。感謝します」


「感謝なんてとんでもないさ。君達には人間として生きて欲しいんだ。これは、少し押し付けも入っている」


「それでも、我々には救いだった」


 そう言ってからふたりは同時にフードを再び被った。荷物を持って身を翻し、そのまま行こうとする。秋瀬はその背中を呼び止めた。ふたりが振り返る。秋瀬は片手を軽く上げて、手を振った。


「またな」


 フラグメントのふたりは顔を見合わせてから、真似事のように片手を上げた。


「はい。またお会いできる時を心待ちにしています」


 それを別れの合図にして、ふたりは行ってしまった。秋瀬は晴れ晴れとした気持ちでその背中を見送った。やがて、その姿が見えなくなってから秋瀬は踵を返した。まだやるべきことは多い。せめて、また会える日までにもっと人間らしくなってくれているだろうか。その時はもっと子供達と打ち解けてくれるだろう。秋瀬はあのふたりが子供達と同じように遊ぶのを想像して、少し笑った。
























 秋瀬が教会に帰ってくると、子供達が出迎えてくれた。その中のひとりが、「お姉ちゃん達に送った絵、見てくれたかな」と期待に満ちた声を出す。秋瀬が静かに頷くと、子供達は手を上げてはしゃいだ。秋瀬は遊び道具のある部屋の中にいる子供達を横目に見ながら、自室へと向かう。子供達はまた絵を描いていた。きっと、フラグメントの二人組に送るつもりなのだろう。もしかしたら自分に送るのかもしれない。ならば、先に見るのは気が引ける。秋瀬は自室の扉の前に立ち、鍵を開けて入った。窓が開いている。どうやら出る時に閉めるのを忘れていたらしい。窓の傍に生えている桜の木から、花弁が風に乗ってきたのか、窓際の机に置かれた分厚い本の上に散りばめられている。秋瀬はその本を手に取り、ページを捲った。


 そこに書かれているのは、この教会にいる子供達についての秋瀬自身の手記だった。いつ死ぬか分からない戦いの中にいる以上、誰かに引き継ぐ時にはこれが必要になる。ページを繰りながら、目を細めて口を開く。


「これで、いいんだろ。秋瀬」


 不意に強い風が窓の外を吹き抜けて、桜の花びらが外の景色を舞った。その一瞬で、秋瀬の姿は変わっていた。そこにいたのは赤い髪の女だった。切れ長の青い瞳が日記帳を見つめている。Q8だった。日記帳に記された文字の感触を指で感じながらQ8はあのクリスマスの夜のことを思い出す。


 あの夜、秋瀬は力尽きる前にひとつだけ遣り残したことがあると言った。それは自分に代わって子供達を守って欲しいということ。そして、そのために自分の血を吸えということだった。Q8はもちろんそんなことはしたくなかった。だが、秋瀬の決死の頼みに断ることなどできなかった。秋瀬はあの時、完全に吸血鬼以上の存在になっていた。右手も失くした秋瀬はもう子供達のいる場所に戻れないのはQ8の目から見ても明白だった。それに、これはQ8にしかできないことだった。秋瀬に擬態して、子供達と共に生きる。秋瀬の最期に願ったことだった。生きる意味を失くしかけていた自分にとっては、それこそが新たなる標となった。この四ヶ月、日記と秋瀬の血を吸った時に姿と共に引き継いだ記憶で秋瀬として過ごした日々はQ8の胸中に今まで無かったものを生じさせていた。灯火のような、仄かだが温かなもの。それを感じてQ8は胸元に手をやった。その時、扉の方に気配を感じてQ8は目を向けた。そこにいる人物を見て、Q8は微笑む。


「――レナか」


 レナはQ8をじっと見つめていた。他の子供達はもちろんQ8が秋瀬として振舞っていることを知らない。だがレナにだけはすぐにばれてしまった。どうやらこの少女にだけは誤魔化しはきかないらしい。Q8は唇に人差し指をつけて、「しーっ」と言った。レナも同じように仕草を真似して「しーっ」と返す。女同士だからか、どこかこの少女とは通じ合えている気がした。きっと、秋瀬のことを本当に大切に思っていたのだろう。レナはぱたぱたと足音を響かせながら、行ってしまった。Q8は窓の外に視線を投げる。いつか他の子供達にも明かさなければならない日が来るかもしれない。いや、それともこれから先ずっと秋瀬として生涯を終えるかもしれない。それは分からなかった。だが、分からなくてもひとつだけはっきりしていることがある。


「秋瀬。お前は、よくやったよ。人間として、心を失わずに最後まで戦ったんだ。約束、守るよ。私は、お前の残したものを大切にする」


 それは吸血鬼Q8としてではない。ひとりの人間として再出発するために必要な言葉だった。桜の樹が風で揺れる。鮮やかな色の花弁が風の旋律に乗って舞踏する。Q8はそれをずっと見つめていた。子供達の呼ぶ声がする。Q8は秋瀬となって、部屋から出て行った。日記帳の上に、真新しい花びらがひらりと舞い落ちた。




























 それはじっと、街を俯瞰していた。


 最早明確な記憶は無い。本能と理性の境目も無く、かつての自分を思い出せそうに無かった。ただ、この街にいなければならない。そして、なすべきことがあるとだけ感じていた。太陽の光が刃のように突き刺さる。それは皮膚を黒く硬化させて、この街の、すでに半分以上が白く塗装されたシンボルタワーの頂上で忌々しげに空を仰いだ。どこまでも広がる空の中に居場所を求める。だが、そんなものありはしなかった。だからこそ、それは居場所を渇望する。血に飢えた喉が渇きを訴える。それは赤い眼を街の中心に据えた。その瞬間、黒衣に身を包んだそれの肩が風に煽られて露出する。そこには腕が無かった。


 それは服を裂いて、両肩から骨を引き出した。骨は傘のようになっている。骨が伸びきると、それらを繋ぐように薄い皮膜が張られる。それは皮膜をも硬化させると、骨を精一杯広げた。それは巨大な翼だった。


 黒衣を纏った翼を持つ獣は、街の中心へと飛び去りやがて見えなくなった。




フラグメント/完

 どうも。後書き機能を長編でははじめて使います。シチミです。


 吸血鬼と二人の男の物語、いかがだったでしょうか。


 この物語を書き始めたのは高3の頃です。最初のほうはこんな物語になるとは思いもしませんでしたし、完成まで足掛け三年も必要とするとは想像も出来ませんでした。それをwebという形で公開することになるとは。完全に内輪と言いますか、自己満足で書いたものなのでお見苦しい点もあったと思いますが、ここまで読んでくださったことに心から感謝いたします。ありがとうございました。

 大門と秋瀬の共闘は結局実現しませんでした。W主人公と言えば共闘でしょうが、この物語は少し王道を外した感じでやっていきました。当時の自分に問いただしても、なぜ王道を外したのかは分かりませんが、「吸血鬼もの」と言う確立されているジャンルで生き残るすべを模索していたのかもしれません。


 しばらくは短編をちょいちょい載せるかもしれません。長編で公開していないものはあるんですが、次のもかなりマニアックと言うか趣味が分かれる感じなので、しばらくは最初のように短編でいきたいと思います。


 それではこの辺で。ありがとうございました。

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