オリジナル
血まみれの女が地面を虫のように這いずっている。
美しい容姿には似合わないその姿から敗北という二文字を想起するのは難しくなかった。女――Qはこれまで敗北というものを知らなかった。いつでも勝ってきたからこそ、オリジナルとしての尊厳を守ることができた。だが、今の彼女にはその尊厳など無く、この街で殺されていったコピー達と同じだった。赤い髪が顔にかかり、切れ長の目を覆い隠す。Qは呻きながら、身を反り返らせた。大門に貫かれた部分は第二の脳が近い。そのために修復には時間がかかる。その上、頚動脈を切られている。脳を維持するための血も確保しなければならない。
この街に来てからコピーを作り続け、血は大量に吸ったつもりでいたがこれだけのダメージを負うことは計算外だった。そもそも、自分は表に出ないことがこの作戦の肝なのだ。あくまで狩人達に追わせるための囮であり、自分は無傷でこの街を後にするつもりだった。だというのに、とQは歯噛みする。このような土壇場で、ただの人間に過ぎないはずの大門鉄郎が吸血鬼になっているなど誰が想像する。自分はただ塔に近づいてきた大門を威嚇しただけだ。何も落ち度は無い。あるとすればただ計算外だったのと、想像力が不足していただけ。Qは身体が修復する時に感じる身を裂くような痛みと、屈辱に唇を噛み締めた。
その時、獣のようにいななくエンジン音と共にQの身体を何かが照らし出した。Qが手を翳してそれに目をやる。そこには一台のバイクがあった。その光の向こう、バイクに跨っている人間にQは目を見開く。
「……あなた、Q8?」
Qと同じ顔をしたQ8がバイクから降りてQへと近づく。Qは倒れたまま声を上げた。
「どうやって抜け出したの? でも、そんなことはいいわ。いいところに来てくれたわね、Q8。私は身体の再生に時間がかかりそうなの。とりあえず安全なところまで運んでくれる?」
Qが痛みを押し殺して笑みを浮かべながら発した言葉に、Q8は無表情を崩さずにQへと歩み寄ってくる。そこでQは違和感に気づいた。Q8の纏っている服は狩人のものだ。そして、その手には銃が握られていた。
Qが無機質な銃と、Q8の鉄面皮を交互に見やり、理解しようとした現実を否定するように薄ら笑いを浮かべる。
「……冗談でしょう?」
Q8は応じない。銃の安全装置を解除して、その一方を無防備に倒れているQへと向ける。Qは嫌々をするように首を振った。
「どうして? あなたのことを捨て駒なんて言ったから? あれは狩人の前だから言ったことで本心ではないのよ。私はコピーでもあなた達が傷つけられるのが嫌なの。大切に思っているわ。だから、その銃を下して。ね」
Qが子供を宥めるような声で言うが、Q8の無表情はそれを跳ね除けた。銃口がQの胸の中心、第二の脳がある場所へと狙いを定める。Qは何かが頭の中で切れるのを感じて、その激情が命じるままに言葉を発していた。
「ふ、ふざけないでよ! どうしてあたしがこんなところで死ななきゃいけないの。たかがコピーの手で。あたしはオリジナルなのよ。誰だってあたしには逆らえない。コピーならなおのことそう。どうしてコピーがオリジナルを殺すっていうの。本当におかしいわ、狂ってる! いい? あたしはオリジナルで――」
「少し、黙れ」
遮る声と共に銃が火を噴き、弾き出された銃弾は正確にQの第二の脳を貫いた。Qが口を裂くように開き、身体を仰け反らせて痙攣する。その醜い姿は、ただし一瞬のものだった。直後には、Qはその場に静かに倒れ伏した。その青い眼が焦点を失い、濁ってゆく。Q8はまさに自身の亡骸とも言える姿を暫く言葉も無く眺めていたが、その時変化が起こった。
Qの死体が激しく蠕動したかと思うと、その肌がまるでスポンジが水を吸い込むようにぱさぱさに乾燥し、身体全体が縮こまってゆく。Q8は驚いてそれを見つめていた。瞬く間に、Qの姿は美しい女のからみすぼらしい老いた男へと変わっていた。寿命を迎えた大樹のような灰色の肌をしている。その姿から先ほどのQの姿を連想することは最早できなかった。Q8はそこで「ああ」と理解したように声を発した。
「お前もまた、オリジナルでは無かったのか」
コピーだったというのにコピーであることを忘れ、オリジナルだと高を括っていた道化。それが目の前に横たわる死体だと思うと、Q8はやるせなくなった。そんなものを殺すために、自分はここまで来たのか。そんなものに生み出され、従っていたのか。Q8は心の隙間に吹き荒ぶ冷たい風を感じて、視線をシンボルタワーの頂上に投げた。まだコピーであることに何の疑問も抱かない同胞達を操る〝声〟の指揮者。それが頂上にいる。それを殺さない限り、この連鎖は止まらないだろう。またこの真実を知らないコピーが、オリジナルであると思い込むことが起きるかもしれない。そうしてまた自分のような存在が生まれる。自身の存在意義に懐疑するコピーのコピーが。そんな連鎖は断ち切りたかった。
だから、Q8はシンボルタワーの入り口へと踏み出した。




