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決裂

 


 大門は〝声〟が導く旋律に乗るように、闇の中を渾然一体となって駆けていた。夜の闇そのものが自分の手足であり、感覚器になったような感触。それに慣れなかったのは、十二匹目の蜥蜴を始末するまでの話だった。


 そこから先、大門は人間的な感情を排した。ただ目的地を目指す。その視線の先にある、闇夜に忽然と現れたようなこの街の中心だけを視界に入れる。それ以外は全て異物だ。時折、視界の隅を蜥蜴がちらつく。獰猛な蜥蜴は口を大きく開き、大門に噛み付いてくる。大門は手を振るい、蜥蜴の首を引き千切った。傷口に手を差し込んで、脊髄ごと抜き取る。蜥蜴は手足を奪った程度では大人しくならない。首筋を手刀で切りつけ、その隙間から脳に伸びる神経系を破壊するか、延髄や脊髄を砕くのが最も効率的だった。その分、返り血は多く浴びることになったが、大門はいつしかその返り血に気持ちが昂ってくるのを感じていた。殺すという快感、突き抜けてくる悦びが大門を衝き動かす。


 大門はシンボルタワーの真下へと辿り着いた。既に身体は赤黒く汚れている。手についた血を舐め取ると、舌先から痺れるようなこれまで感じたことのない味が味覚を超え、脳髄に突き刺さった。脳を溶かしてしまいそうな感覚に酔いしれそうになりながら、大門はここまで来た目的を思い返す。目を閉じて、周囲の音に耳を澄ます。とはいっても、実際に聴覚で感じ取るのではない。全身が耳であり眼であるのだ。そして、周囲を囲む無辺の暗闇すら大門の手中にある。その中に〝声〟を操る音を大門は聞きつけた。


 シンボルタワーの頂上、そこにいる。その確信に、大門はシンボルタワーへと歩を進めようとした。その行く先を、何者かが遮る。大門は立ち止まった。立ち塞がったのは女だった。深い赤色の髪をした青い眼の女だ。大門は見覚えがあった。確か、自分の部屋に乗り込んできて、秋瀬達に殺されたはずだ。だというのに、なぜ生きているのか。女は片手を突き出した。その指の爪が異常に伸び、凶器のような鋭さを宿す。


「ここから先には行かせるわけにはいかないわ。大門鉄郎。どうやってここまで来て、どうやってあたし自身を殺してきたのかは分からない。でもね、もう終わりよ。チェックメイト。オリジナルのあたしにあなたは敵わない。どう足掻いたところで――」


 そこで女の言葉が途切れた。大門の姿がその視界から掻き消えている。女が大門を探そうと首を巡らせようとした瞬間、不意に首筋に冷たい風が吹き込んだ気がして女は首を押さえた。その刹那、女の首筋から血が噴き出した。鮮血が迸り、地面を濡らしてゆく。女は空気を求める魚のように口をパクパクさせながら、前につんのめった。いつの間にか背後に回っていた大門が頭上から声を降りかける。


「邪魔をするな」


 冷たい声だった。直後、女の背中へと手刀が突き入れられた。皮膚を硬化する時間も無い。正確無比に放たれた手刀は背中を貫き、女の乳房から血を纏った手が突き出した。女が何度か、「あ、あ」と言葉になる前の嗚咽を漏らす。大門は手刀を抜き去る。女はその場に崩れ落ちた。


「行かなくちゃ、俺が」


 感情を抜き取られたように、そう口にする。


 大門は女が吸血鬼Qであると知らずに、シンボルタワーの頂上だけを目指した。





















 シンボルタワー内部には同時に昇りと下りができるように一機ずつのエレベーターが備え付けられている。大門は扉横のボタンを押してエレベーターを呼び出し、最上階のボタンを押した。途中で止まることはない。大門を乗せたエレベーターは、淀みなく最上階への扉を開いた。最上階の展望室は何もない。

 

 この上だ、と頭の中で閃く直感的なものに大門は従い、普段は職員だけが入ることのできる扉を抜けて階段を駆け上がった。屋上へと続く扉を開け放つ。雪のせいか、屋上は白銀に輝いていた。雲間から射した月光が床に反射して、薄くぼんやりとした光を放つ。その光の原の上に、人影があった。黒いコートを羽織っており、それが冷たい夜風にはためく。流れるような銀髪が人影を闇から遊離させていた。後姿だけでもただの人間でないことは見当がつく。大門は気配を殺して人影を見据えた。集中すると、人影の動きがスローモーションのように見えてくる。思考が加速してくるのを感じる。今ならば何者にも捕らえられる気がしない。先ほどの女も明らかに人間ではなかったが、今の大門の前ではそんなことは関係が無かった。蜥蜴を殺している間に主観が麻痺したのか、それともこの身に流れる血のせいかは分からない。阻むものは殺せばいい。ただそれだけだ。人影がまるで指揮をするように手を振り上げる。〝声〟を操っている。それを理解した大門は、飛び掛かろうと身構えた。人影まで五メートル以上はあったがそんなものは無いのと同じに思える。獣のように姿勢を低くして、足を踏み出した瞬間、


「無作法だな」


 そんな声が耳朶を打った。直後、大門の身体を横殴りの衝撃が見舞った。あわや転落と思われたが、大門は屋上の床に咄嗟に手をついて制動をかけ縁の部分で止まった。大門は顔を上げる。先ほどまで自分がいた場所に、人影の主が立っていた。大門は人影がいたであろう場所に目を向ける。そこには何も無い茫漠とした闇が広がるばかりだ。大門はもう一度人影に目を投じた。人影の主は男だった。離れていても分かるほどに整った目鼻立ちをしており、銀の長髪がそれをより一層精緻な芸術品として高めているように思える。大門は先ほどの女よりも、この男の方が美しいと感じた。何人にも侵されざる聖人とはこのような人間のことを言うのだろうか。


 あるいは、と大門は考える。あるいは、聖人とは真逆の、邪悪な人間というものはこのような空気を纏うのかもしれない。いや、そもそも人間なのか。大門はつい今しがたの出来事を振り返る。確かに男を見据えていた。目を離したとすれば、姿勢を低くして飛び掛かろうとしたその一瞬だけだ。その一瞬で、男は自分を突き飛ばしたと言うのか。ありえない現実に、大門は驚愕するよりも恐怖していた。歯の根が合わないのかガチガチと鳴る。久しく忘れていたと思える恐怖心に大門は震えを隠せなかった。男がほうと声を上げる。


「怖いのか」


 男の姿が掻き消える。空気が横薙ぎに流れるのを感じて、大門は咄嗟に姿勢を落としていた。頭上を男の回し蹴りが突き抜ける。避けた、と思ったのも一瞬、その回し蹴りがすぐに高さを調節して大門の脇腹に突き刺さった。大門は屋上を転がる。だが、すぐに体勢を立て直して起き上がると、男は鼻を鳴らした。


「貴様、人間ではないな。しかし狩人のにおいはしない。聖痕も持っていないようだ。どちらかといえば我々に近いようだが、何者だ?」


 その質問に応じずに大門はちらりと入り口を盗み見る。男とまともに戦っても勝てる気がしなかった。〝声〟を操っているであろう張本人を捜し出したというのに、大門は最早ここから逃げることしか考えていなかった。こいつには関わってはいけない。やばすぎる。男が今いるのは屋上の縁に近い場所だ。今の蹴りで屋上のほぼ中心にまで押し出されたのは不幸中の幸いだろう。真っ直ぐに走れば逃げ切れないわけではない。できるのか、という自身への問いかけに大門は頭を振ってそれ以上の思考を捨てた。床を蹴り、走り出す。屋上の扉まで一直線に、弾丸に近い速度で走った大門は、その行く手を黒い影が遮ったのを感じた。


 男が大門の前に立ちはだかる。そのすぐ後ろに扉があるというのに、男はまるで壁の如く存在し逃げ切れそうになかった。男が手刀を振り下ろす気配がざわりと肌を粟立たせて伝わってくる。大門は覚悟を決めた。手刀が縦一文字を切る。大門は半身になってそれをかわしざま、男の腹へと蹴りを打ち込んだ。武道の心得は無かったが、手応えは、あった。だが、男は痛みなど感じていないように続け様に手刀を横に薙ぐ。大門は上半身を反らして首を狙っていたそれを回避すると同時に、男の腕を掴んだ。男が一瞬怯んだように目を見開く。今だ、と大門は渾身の力を込めて男を屋上の中心へと投げ飛ばした。まるで体重を感じなかった。


 男の身体をハンマー投げの要領で全身を使って投げ飛ばす。男の身体は屋上の中心どころか、一気に縁を飛び越える。男が何かを掴むように手を伸ばしたのが見えたが、その姿はすぐに闇の向こうへと呑み込まれていった。大門は息を荒立たせながら、自分の両手を見つめる。大の男を投げ飛ばせるほどの力が自分にあるとは思えなかった。だが、現に男は他ならぬ大門の手によって屋上から投げ飛ばされた。信じられない心地でどこか落ち着かなかったが、それどころではなかった。〝声〟を操っていた主は倒した。一刻も早く、この狂った夜から抜け出して自分に何が起こっているのか。今、この街はどういう状態に陥っているのか知る必要がある。大門は踵を返し、扉に手をかけようとした。その時だった。


「驚いたな。まさか私が投げ飛ばされるとは」


 その声に大門は思わず振り返る。そこには確かに先ほど屋上から投げ飛ばされたはずの男が何でも無いとでも言うようにそこに立っていた。大門が目を戦慄かせ、その場で呼吸すら忘れて立ち竦んでいると、男は冷たい声音で尋ねた。


「逃げないのか?」


 その言葉に大門は扉へと再び手を掛けようとするが、それを諦めた。無駄だと悟ったのだ。投げ飛ばしたはずなのに、気配も無く戻ってきているような相手に対して背中を向けて逃げるなど愚の骨頂に思えた。背中を向けて殺されるくらいならば、と大門は扉を閉めて男に向き直った。男が感心したように声を上げた。


「逃げないか。その意気は賞賛に値する。賞賛ついでに私の名を明かそう。私はXという。恐らくは君と同じ、吸血鬼だ」


「吸血鬼、だと」


 確かにただの人間ではないことは一目瞭然だったが、まさか吸血鬼だとは思わなかった。そもそも自分は吸血鬼がどんな姿をしているのか知らないのだ。両親の時も姿を見ていない。ともすれば、先ほどタワーの前にいた女も吸血鬼だったのかもしれない、と思った。ならば、〝声〟を操り、無数の蜥蜴を使役していたのも吸血鬼なのか。何のために、という言葉が思い立ち、大門は口にしていた。Xと名乗った吸血鬼は顎に手を添えて、思案する。


「何のためにか。それを君に言ったところで理解できないだろう。君は自身が吸血鬼だということを理解していないようだ。Qの被害者か、Jにやられたかは知らないが、君は吸血鬼になったことを誇っていい」


「誇るだと。ふざけるな。化け物になったことを誇るわけがないだろう」


 大門の声に、Xが疑問を浮かべるように首を傾けた。


「……洗脳措置を受けていない。Qではないな。ならば、Jか。派生種風情が、余計な手間を増やしてくれる。まぁ、いい。先ほどのような軽い戦闘行為が行えるのであれば、仲間の資格はある。どうだ。共に来ないか?」


 聞いたことのある言葉が耳に届き、大門は目を見開いた。昼に見た秋瀬の姿がXと重なる。Xは声に抑揚をつけずに続ける。


「我々の生きる世界は確かにここにある。人間のしがらみは最早関係が無い。私達の生きることに障害は無く、君が生きることにも誰も邪魔するものはいない。私が君を連れてゆこう。さぁ」


 Xが大門へと手を差し出す。秋瀬の姿とそれが像を結びかけたその時、大門は頭を振ってだぶりかけた像を引き離した。


「……違う」


 搾り出すように口にする。「なに?」とXが問い返した。大門は確かな口調で言った。


「お前と秋瀬は違う。お前らには悲しみが無い。誰かを守るために、自分がその誰かと違う存在になってしまう悲哀が。そういう存在にならないと守れないっていうことが、今の俺なら分かる。でも、お前の口調は守るんじゃなくって、保護してやるとでも言うような、傲慢さを感じる。だから、お前らとは行けない」


 秋瀬の誘いの言葉を断った時とは違う言葉で、大門はXの顔を見据えた。生きることに誰も邪魔されない。それは恐らく普通の人間からしてみれば魅力的な提案なのだろう。だが、大門はずっとそうして生きてきた。だからこそ、そこから救い出してくれたハルカに特別な感情を抱いていた。生きることを邪魔されないだけでは、ただ怠惰に生きることもよしとすることになる。それでは意味が無いことを大門は知った。朽ちるように生きてゆくのでは意味が無い。人の生は、きっとそういうものではないから。


 Xは「そうか」とだけ呟いた。その手が下りると思われた刹那、Xの姿が掻き消え瞬きをする間もなく、Xは眼前で手を突き出していた。


「交渉決裂だな。残念だ」


 大門は腹部に視線を落とす。そこからXの腕が生えて肩に繋がっている。いや、正確には、Xの手が大門の腹部を刃のように突き刺していた。


 それに悲鳴を上げる前に、Xが手を大門の腹部から抜き取った。その手には真新しい血がついている。大門は腹部が根こそぎ奪われたような鋭い痛みに、そのまま後ずさり、扉に凭れかかった。その身体をXが蹴りつける。大門は力なくその場に倒れた。Xが止めをさそうと、手刀を振り上げる。大門はこれが最期かと覚悟した。ハルカを疑い、亡くした後でその大切さに気づき、そして秋瀬を憎み、玲子と出会い、吸血鬼となった。人間の一生にしては充分すぎるものを経験した。終わりが迎えてくれることに、大門は瞼を閉じようとした。


 その時、Xが顔をしかめ振り上げた手刀を下して手を眺めた。何かを不審がっているのか、Xは手を裏返しながら、今まで聞いたことが無いほど感情を露にして口走った。


「知っている。知っているぞ、この血のにおいを。これは、我が眷属の血のにおいだ。貴様、一体どういうことだ。なぜ、お前のような俄かの吸血鬼から眷属の血のにおいがする!」


 Xが大門を蹴りつける。大門は潰される瞬間の蛙のような声を漏らして、屋上の床を滑った。その時、大門は視界の端で銀色の何かが揺らめいたのを感じた。震える指先でそれを手に取る。それは自身の髪の毛だった。前髪が銀色に染まっている。ちょうどXと同じように。それを見たXが唇を戦慄かせながら、忌々しげに言った。


「そうか。そういうことか。この街に来た意味が、ようやく分かった。なぜ吸血鬼がいないのに使い魔が発生したのか。全ては、そういうことだったのか」


 大門が理解できないでいると、Xは大門に歩み寄り胸倉を掴み上げた。無理矢理立たされて、大門は呻き声を上げる。Xはその眼に凄まじい殺意を漲らせて言った。


「会いたかったぞ。我が血脈を汚した眷属よ」


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