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抹殺者

 もう一人の主人公、秋瀬が登場します。


 その緑色のトラックが停まったのは街外れの教会だった。


 少し急な坂道を越えた小高い丘の上にあるために、車でなければ少し来づらいかもしれない。加えてその坂道を上った先には森林と、教会しかないために、他の用事で来るものはほとんどいない。


 そしてそこに着いたころには、すでに日が傾きかけて教会全体が赤いカーテンで囲まれたようになっていた。その茜色が教会の屋根に反射しトラックから降りた運転手の目を強く刺激し、運転手は眼前に手を翳した。


 その教会は屋根が高かった。屋根の色は黒っぽい青で、壁はもちろん白い。そこまで規模が大きいわけではないが、ここに来る信心深いもの達は結構な数がいる。街にある唯一の教会であるということもあるのだろうが、それ以外にもここには人を惹きつける物があった。


 いや、正確には、〝者〟であるが。


「ああ、ご苦労様です」


 教会のほうから聞こえた声に気づき、運転手は目を向けた。


 そこにいるのは黒い服を着た男だった。まだ若い、二十代前半か。顔つきは温和で、同じ年齢の者達に比べても大分、落ち着きがありそうである。顔は中々の美形だったが、それでも特徴を探せといわれると少し迷ってしまうような感じの顔だった。ひとつ彼の特徴を挙げるとすれば、髪の色だろう。


 彼の髪は灰色だった。それもくすんだ色ではなく、美しい灰色だ。だが、その特徴も慣れてしまえば特に気になるものでもない。やはり彼には特徴と呼べるものが少なかった。だが当たり前か、と運転手は思った。なにせ神父なのだから華美では困る。


「いえ、そんな。遅くなってすいません」


 運転手は頭を下げる。すると、神父姿の男は困ったように手を身体の前で振り、


「いえ、折角運んでもらったのにそんな。頭を上げてくださいよ。いつもあなたのおかげでこうして私達は平穏無事でいられるのですから」


 そう言うと男は相手を安心させるような笑みを浮かべた。運転手はそう言われて少し照れくさそうに顔を上げる。その時、運転手の目に神父の後ろでもぞもぞと動いている影を見つけた。


 運転手は少し身を屈め、神父の後ろを見て言った。


「レナちゃんかい?」


 神父はそれに気づき笑顔を見せながら、自分の袖にしがみ付いている少女の背中を押した。


 金髪の少女だった。まだあどけない顔立ち、白いワンピースを身にまとい、うつむき加減で顔をあわせてくれようとしない。長い金髪が茜色を反射し、華奢な身体ごと風に揺れている。


 この少女がレナだった。運転手はこの教会によく来るので、その顔を覚えていた。彼女は神父にしか心を開かず、滅多に他人とは口を利かない。運転手もやっとのことで顔を見ることぐらいはできるようになったが、いまだまともには口を利いてくれない。


「こんにちは。おじさんのこと、覚えているかな」


 こくりとレナは小さく頷くだけで返事はしない。だがこれでも彼女なりの礼は尽くしているのだ。文句は言えない。運転手は神父を見、力なく笑った。


 さらによく見ると、教会の周りを囲むように生えている林の草むらから所々、少年や少女達の手足や、顔が見え隠れしている。どうやら林の中でおにごっこでもしているようだ。


 この教会は孤児達を預かったりする施設としての役割も兼ねている。なので子供達も大勢いるのだろうが、彼らはレナほどではないにしろ一様に人見知りで、全員そろって見たことは、運転手は一度も無い。


「えっと……、皆、元気そうですね」


 神父と顔を見合わせる。神父はちらと草むらの方を見、笑いながら、そうですねと言った。


 その時である。


「秋瀬神父」


 教会から駆けてくる影が温和な笑顔の神父の名を呼んだ。


 夕日の逆光で最初はよく姿が見えなかったが、近づくにつれ運転手にも誰だか判別できた。


 ロランか。


「秋瀬・コースト神父。こんな所に、いたんですか。探したんですよ」


 肩で息をしながら駆けてきた男は言った。


 男は顔を上げる。彼の名はロラン・ケーニッヒ。この教会ではまだ見習いであるが真面目な青年である。年の頃はまだ二一、もしかすると十代にも見えるほど華奢な体つきであり、眼が悪いのか眼鏡をかけ、少し長めの金髪を後ろで括っている。運転手とも何度か面識があり、性格は秋瀬神父と同じくらい温和であるが、少し神経質なのが玉に瑕か。


「ああ、すまない。しかしお客様が来たのでね、こうして出てきているというわけさ。あ、そうだ」


 秋瀬神父が運転手に気づきながら言う。


「折角来てもらったのでお茶でもどうですか。ここまで来るのは疲れるでしょう? どうぞ、中でひとつ」


「え、あ、いや。そんなつもりは無いんですけど」


「いやぁ、毎度ここまでしてもらっているんだ。少しは礼もしたいのですよ、こちらも」


 秋瀬神父が満面の笑みを浮かべながら言う。これでは断りきれない。


「そうですか、ではお言葉に甘えて」


 運転手は秋瀬達に連れられ教会へと入る。


「あ、そうだ。忘れるところだった、ロラン」


 秋瀬神父がロランの名を呼び、近くに来させて耳打ちする。


「トラックの荷物、後で裏に回しておけ」


 ロランは低く頷き、すぐに笑顔になって運転手を迎えた。


「さぁ、どうぞ、どうぞ。ごゆっくりしていってください」




















 運転手が眠りに着くのには三十分あれば充分だった。


 相当疲れていたのだろう。睡眠薬が効くのも早かった。彼は話の中で何度も「あの荷物は本当に重たくて、一体何が入っていたんだろうなぁ」とぼやいていた。


 残念ながら彼がそれを知ることは無い。彼はただの運び屋に過ぎない。そこまで知るだけの権限は、彼には与えられてはいないのだ。


 ここは教会の裏手。子供達が眠りに着くのを待ち、時刻は既に午後十一時を回ろうとしている。あたりは漆黒の闇に染まり、教会を囲むようにしている林は、まるで魔物でも中に内包しているかのように、ざわざわと、せわしなく揺らめいている。周囲を取り囲む草いきれに秋瀬は鼻を擦った。


「風が強いな」


 夜空を仰ぎながら呟く。


 雲が厚い。月が隠れそうになっている。今日は折角月が綺麗だというのに、勿体無いと秋瀬は思った。


 林の中は静寂と暗闇で飽和されている。僅かな音さえも吸い込んでしまいそうな林の中を、今、二つの光球が漆黒を貫き、タイヤとエンジンの音が静寂を踏み潰した。


「……もう少し静かにできないのか。運転手に気づかれるぞ」


 目の前で停まったトラックの中から出てきたロランに、秋瀬は呆れたような口調で言った。


「しょうがないですよ、こんな重い荷物積んでいちゃあね」


 ロランがトラックの後ろの扉を開ける。


 そこにはまず食料が積まれていた。ロランがそれを軽々と荷台から引き、地面に下ろした。次に飲料水が大量に積まれていた。それもロランが軽々と、食料の横に下ろした。それらは教会に支給されるものだ。


「乱暴に扱うなよ」


 秋瀬が忠告したが、ロランは聞いてはいないようだ。


「その台詞は、これから下ろす奴の為にとっておいてくださいよ」


 そう言ってロランは笑いながら、最後の荷物に手を伸ばした。


 最後の荷物は明らかに今までのものとは異質であった。まず、それは厳重に包装してあった。茶色い紙で何重にも包装されている人の背丈の半分ほどもある荷物を開けると、さらに黒い箱が何段にも重ねられており、紐でそれらは厳重に括られている。その黒い箱には十字架が描かれている。


 ロランは箱のひとつの紐を解き始めた。それは見た目ではそう簡単には解けそうに無いほど厳重に括られていたように見えたが、ロランはものの数秒ですべて解いた。


 ロランはその箱を開ける。


 まず目に飛び込んできたのは黒だった。


 黒、黒、黒、すべて真っ黒なのだ。


 箱の中身は、夜の林よりも深い黒で充満していた。ロランがその箱の中に手を突っ込み、黒のひとつを手に取る。


 それは刃の形をしていた。形はダガーナイフのようであったが、それは柄も、刃も、すべて例外なく漆黒であった。柄と刃の間に、少しだけ、小さな傷のような斜めの線が二本、それに挟まれるように、縦の線が三本、入っていた。合わせて五本の傷跡は中に金箔でも練り込まれているのか、月光を吸収して鈍い金色に光っている。


 ロランがそれに気づく。


「これ、何なんでしょうかね。前から気になってはいたんですけど」


「それは型番だ」


 秋瀬が答える。その言葉にロランが首を傾げながらおうむ返しをした。


「型番?」


「ああ、我々が扱う討伐のための武器、〝神託兵装〟。それの世代番号だ。それは全部で五本、線が入っているな。ならばそれは第五世代の神託兵装だ」


 ふぅん、とロランが分かったのか分かっていないのか曖昧な声を出す。


 秋瀬は自分の言った〝討伐〟という言葉を反芻する。


 ――討伐。それはつまり何かを殺すということだ。


 秋瀬が箱の中に手を入れ、今度は太い、両刃の長大な剣を取り出した。


「全部で二十四。なるほど、これだけ送ってくるということは、もしかすると近々本部から視察か、または増援が来るかも知れんな。ロラン、お前を気に入っているあの方も来るかもな」


 秋瀬がそう言うとロランはあからさまに嫌そうな、今にも吐きそうな顔色になった。


「うげ。俺、あの人苦手です。スパルタですし、全てにおいて気持ちが悪いです」


「そう言ってやるな。あの人なりに精一杯なのだろう」


 ふっ、と鼻で笑いながら秋瀬が言った。


 彼らは特殊な機関に属している。といっても、あからさまな秘密結社や何かではない。そこまで異常ではないにしろ、彼らはある目的のために、ある一種の特殊性をもった存在として、その機関に属している。彼らはあるひとつの目的の下に集まった同志であり、その目的の遂行のために選任された、いわばエキスパートである。


 彼らは目的を遂行するために、身体の一部に「聖痕」と呼ばれる部位を背負っている。


 例えば、秋瀬だが、彼には右耳があるべき場所には耳が無い。そこには代わりにもならないような円形の金属の蓋のような物があり、普段はそれを髪の毛で隠している。


 それが彼の「聖痕」である。本物の耳は、彼が組織に入るときに切り捨てられた。


「すべてはただひとつの悲願のために」


 ロランが刃を握りながら面白がって言う。秋瀬はそれに苦笑を返した。


 悲願、それはある存在を抹消すること。


 その存在の名は――ヴァンパイア、つまり吸血鬼である。伝承の中でしか存在しないと思われている吸血鬼は、実際に存在する。


 彼らはそれを抹殺し、殲滅するための組織に属している。組織に属しているものは誰も彼も、一様に友人や肉親を殺されたものなどが集まり、皆吸血鬼に怨みを抱いている。だから彼らの考えは一致しており、何より討伐のために繋がる絆は強い。


「悲願……か」


 秋瀬は呟く。その悲願が呪いのように組織の結束を高めていることは事実だ。


 だが、秋瀬はその繋がりが何より脆く、なにより危ういことを知っている。それがいつ、どんな拍子に崩壊するのか、それをいつも恐れている。秋瀬はいつも夢想する。もし組織が瓦解したら、もし誰かが裏切ったら。そうなってしまったらなぜ、耳を捨ててまで吸血鬼を殺すことに執着したのか。もし、耳を捨てる以上に簡単に壊れるものなら、自分が捨てたものはなんだったのか、そういった疑問さえ出てくる。


 組織の繋がりは今のところそこまで希薄ではない。当の本人達は、誰よりも、何よりも絆の深い集団だと思っている。だが、そんな集団が存在するものなのか。


「何をやっているんだ、お前達は!」


 突然、林のほう、トラックの後ろの辺りから声が聞こえ、秋瀬は思考を中断して振り向いた。


 そこには昼の運転手が立っていた。ズボンのチャックが開いている。どうやら立小便でもしようとして、寝ぼけてここまで来てしまったのだろう。


 秋瀬は目を瞑った。男がこれから辿るであろう道筋を知っていたたまれなくなったのだ。不幸というべきか、いや、早々にこんな物騒なものを運んでいたことを知れて、幸いというべきか。


 運転手はこちらに近づいてくる。このままではこちらの黒い凶器が見られる。これらは組織の中でも最重要機密に当たる。一般人に知られることはあってはならない。


「やばいですね」


 ロランが口の中で呟いたのが聞こえた。秋瀬もそれと同時に目を開いた。


 ロランは秋瀬が目を開けた瞬間、彼の目の前から消えていた。ロランはもう既に運転手の目の前まで迫っていた。


 その手には黒いダガーナイフが握られている。棒立ちになっている運転手の身体に向けて、そのナイフが振り上げられた。


「――駄目だ」


 秋瀬は言うと同時に、右耳の場所にある円形の金属の蓋を強く指で押した。同時に、ちり、という何かが擦れるような音が秋瀬のいた場所で僅かに聞こえた。


 そして次の瞬間には、彼は運転手とロランの間に立っていた。そして、その手に握った黒い大剣を、ほとんど何の準備の動作も無く、誰にも見えないような速度で振り上げ、ロランの握るナイフを叩き落した。キン、という鋭い金属音が響く。金属同士が激しくぶつかったためか、僅かに火花が散りその場所を一瞬の間だけ照らした。


 それと同時にロランの身体が飛ぶ。ロランが蹴りつけられたことに気がついたのは、太い幹の大木に思いっきりぶつかってからだった。もちろん運転手は何が起こったのかすら分からず、その場で腰を抜かしたように蹲った。


 秋瀬は漆黒の大剣を後ろ手に隠して運転手のほうを見た。


 運転手は怯えていた。先ほどの秋瀬の動きは見えてはいないはずだが、それでも尋常ではない何かを感じ取ったのだろう。


 秋瀬は屈んで、運転手と目線を合わせた。


「行きなさい」


 秋瀬はいつもどおりの温厚な笑みを浮かべながらそう言った。


 運転手は少しの間、何を秋瀬が言ったのか分からないようだったが、やがて事情を飲み込んだのか、ふらふらしながら立ち上がると、弾かれるように悲鳴を上げながら走っていった。


「いいんですか。彼を逃がしてしまって」


 ロランが不満そうに幹に凭れながら言った。


 秋瀬は目を瞑りロランに背を向けたまま、何も言わなかった。





















 運転手は暗幕の林の中を走っていた。


 否、逃げていた。たまに足が縺れ、その度に転び、尻餅をついた。膝がひりひりと痛み、震える。だが、この震えは痛みから来るものではない。


 運転手は先ほど自分の目の前で起こった出来事を反芻する。


 ――尋常ではなかった。


 運転手は自分に何が起こったのかも、ロランが何をするために視認できない様な速度で迫り、そしてその手に何を握っていたのか、なぜ彼は急に吹き飛ばされたかのように幹のほうへ飛んで行ったのか、なぜ、秋瀬は行けと言ったのか……。


 何一つ、男には分からなかった。


 ただ、秋瀬が見せたあの笑顔は恐らく二度と見ることはできないであろうことは分かった。そしてレナにも、ロランにも、もちろんもう会えない。


 あれは別れのための笑顔だったのだ。


 運転手は立ち止まった。


 急に胸の中に湧き上がる何かを感じ、少しの間俯いた。自分でもどうして立ち止まり、何を思っているのかは分からない。だが、何一つ分かっていないままでは終われない、その意志だけは確かにあった。


 戻ろう、そう思って踵を返そうとした。その時だった。


「――ドコヘイクノ?」


 急に耳元で聞こえてきた声に運転手は振り向いた。


 だが誰もいない。草と木が深い闇の中に溶け込んでいるだけだ。気のせいか、と思い、歩きかける。だが、再び背後から聞こえてきた音が運転手の足を止めた。


 ズル、と、何かを引きずるような音がする。それも自分のほぼ真後ろで。


 首筋から、額からばっと汗が噴出す。走って、からからになった喉が喘ぐように荒い息をつく。視点が定まらない、右往左往する。


 後ろに何かがいるのは分かっている。だが、それが何者なのかが分からない。

解せぬことは恐怖につながる。


 ――振り向けばいい。


 運転手の心の中で何かが告げた。そうすれば確かに解せぬことによる恐怖はぬぐえるかもしれない。


 ――だが、もし、それでも自分が理解できないようなシロモノだったら?


 その思考を読むように、何かが、彼の肩に触れた。


 湿り気のある感触だった。


 声にならない叫びを上げ、運転手は振り返った。


 一秒。


 彼は目の前の〝何か〟の姿を認めた。だが、彼の脳がそれを人間であるのかないのか、そもそも自分の見たことがあるものなのかどうかを再認する前に、突如、衝撃が彼を襲った。


 彼は衝撃の所在を探り見る。すると自分の腹の辺りからなにか木の枝のような太さの物が生えていた。なんだろう、と小首をかしげていると、それは脈動した。運転手はその枝のような物体がどこにつながっているのかを眼で追う。


 それは、目の前に聳え立つ〝何か〟につながっていた。


 脳が、思考が、その木の枝を〝何か〟の触手だと認識し、彼の喉に「叫ぶ」という意味の無い指令を送る前に、まるでブルドーザーの駆動音のような巨大な咀嚼音が暗幕の森に木霊した。


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