裏切りの聖痕
この辺から少し今までと調子が変わってきます。
秋瀬はふらふらと力なく教会へと歩き出していた。
まだ、アルヴァの口から放たれた言葉の重みが身体に圧し掛かり、足枷でもつけられているかのようにおぼつかない足取りである。だが、それでも秋瀬は自らのなすべきことを見据えていた。吸血鬼が内部に入り込んでいるということは子供達が危ない。その一心のみで、秋瀬は歩を進めていた。
自分にできることは子供達に時間を与えることだけ。たとえ、剣を握る資格がなくとも、それだけは譲れなかった。
森を抜け、教会の裏口が視界に入る。そこに黒衣を纏った人影がふたり立っていた。既にアルヴァが伝えたのか、ふたりとも槍型の神託兵装を握り、物々しい空気を孕んでいる。秋瀬がふたりに近づこうとした、その時だった。
静寂と緊張に沈んだ敷地内にトラックのエンジン音が鳴り響き、緑色のトラックが二台、秋瀬の前を通り過ぎた。覚えず、秋瀬は後ずさり運転席へと目をやった。その瞬間、秋瀬は助手席に乗ったアルヴァの姿を確かに捉えていた。
トラックは教会を抜け、街のほうへと続く坂道を下っていく。その後姿を見つめていると、不意に裏口に張っていた二人組が秋瀬に気づき、僅かに色めきたった。まるで、敵が現れたかのような様相である。それに秋瀬は訝しげながらも、二人組へと歩み寄りつつ言った。
「何が起こっている? なぜ、アルヴァ様が直々に吸血鬼討伐に――」
そこで秋瀬の言葉は遮られた。なぜならば、二人組の持つ神託兵装が秋瀬の喉元へと突きつけられたからである。秋瀬は足を止め、声を低くした。
「……どういうつもりだ」
「それはこちらの台詞です。秋瀬・コースト神父」
二人組のうち、片方が秋瀬を睨みながら言葉を返す。喉元へと交差する形で突きつけられた神託兵装は、いつでも秋瀬の首を落とせるような殺気を帯びている。
その殺気に覚えず秋瀬の手が右耳の聖痕へと伸びた。それを制するように、槍が僅かに揺れ、秋瀬を威圧した。
「聖痕は使わせません。あなたには、ここで死んでいただきます」
「何をしているのか、分かっているのか?」
秋瀬が伸ばしかけた手を下ろし、二人組へと尋ねる。その問いに「無論」という冷徹な言葉が返ってきた。
「あなたは組織を裏切った。最早、あなたは我らの敵なのですよ」
「馬鹿な。誰がそんな――」
「アルヴァ様直々のご命令です」
その言葉に秋瀬は絶句した。まさかアルヴァが自分を裏切り者として処刑するとでも言ったというのか。
「吸血鬼として処理せよ、との命令を全員が受けました。……残念です。秋瀬・コースト神父。こんなことになるなんて」
言葉面ではそう繕っていても、二人組の目には最早迷いなどなかった。秋瀬が吸血鬼に相対したときと同じように、そこには人間的感情を全て切り捨てた狩人としての光があった。
槍がじりじりと首筋へと近づいてくる。秋瀬は諦念したかのように瞳を閉じた。思えば、自分はこれを恐れていたのだ。組織の繋がりが頑丈であるがゆえに、一つの綻びに誰も疑問を発しようとしない。磐石であるがゆえに脆弱。それがこの組織だったのだ。誰かが発した言葉を疑うことを知らない純粋な者達。それゆえに、アルヴァはQに騙され、ジョシュアが死んだ。そして自分は仲間だと思っていた者に殺される。
――こんな結末か、と秋瀬は次の瞬間に訪れるであろう死の暗闇に身を委ねようとした。
その時である。
「……神父様」
小さな声が耳に届いた。その声に瞼を開ける。すると、裏口から子供達が顔を出していた。きっと雪遊びをしようとしたのだろう。手にバケツを持ち、手袋をはめている。その子供達の視線が、槍を突きつけている二人組と秋瀬を交互に見やった。その視線に二人組が気を取られた一瞬、秋瀬は右耳の聖痕を強く押し込んだ。それに気づいた二人組が交差させていた槍を横薙ぎに振るう。しかし、それは遅すぎる対応だった。秋瀬は、今しがた首があった場所を槍が貫通したのを一瞬で身を沈ませて回避し、二人組の片方の手首へと手を伸ばした。その手を締め上げ、痛みで槍を握る手が緩んだ瞬間に槍を奪い取った。その槍を用い、もうひとりの神託兵装を下段から振り払った。槍が宙に浮き、近くの地面へと突き刺さる。武器を奪われ、完全に呆気に取られた二人組へと、秋瀬が槍の穂先を向ける。
「どういうことか。説明してもらおうか」
秋瀬が感情を排した眼を二人組へと向けた。いつもの秋瀬とはまるで違う様子に、子供達が慄く気配が感じられたが秋瀬は子供達へとあえて視線を向けなかった。目の前のふたりとて聖痕を持っている。少しでも注意を逸らせば、命を取られかねない。
二人組は両手を上げ、震える声で答えた。
「あ、アルヴァ様のご命令だからです。あなたが吸血鬼の手引きをしたと。そのせいで、ジョシュア・ハーカーが死んだと」
予想していたこととはいえ、秋瀬は衝撃を受けた。アルヴァには、もはや完全に見限られてしまったようだ。その現実が痛いほどに突き刺さった。
秋瀬は槍を二人組に向けたまま、あえて抑揚のない冷たい言葉で秋瀬は言った。
「増殖能力を持った吸血鬼が街に潜入している。いくらアルヴァ様といえども危険だ。私もあとを追いかける。だが、その前に、行っておきたい場所がある。それまで君達を人質に取らせてもらう。応じなければ、……分かっているな」
その言葉に二人組が震え上がるのが分かった。秋瀬は胸にちくりとした何かが突き刺さるのを感じながら、二人組を前に立たせ、両手を頭の後ろで組ませるよう促した。
その時、背後から秋瀬の服を誰かが引っ張った。槍を前に向けたまま振り向くと、そこにはレナがいた。秋瀬の様子が尋常でないことを感じ取っているのだろう。その瞳は僅かに濡れていた。
「……秋瀬」
不安そうなその声と、上目遣いにこちらを眺める潤んだ瞳に思わず秋瀬は槍を捨ててレナを抱き締めたくなった。だが、今はそれもできない。少しでも隙を見せれば、二人組は聖痕を使ってすぐさま槍を奪い取るだろう。そればかりではない。神託兵装と聖痕を見てしまった子供達は、否が応でも組織に入らざるを得なくなる。第二の自分を生み出してしまうことになりかねない。そのためには絶対に二人組に子供達が目撃したことを密告させてはならない。そのためには、自分が生き残り、子供達の身の安全を保障しなければならない。
「……今の私は、私ではない。忘れなさい。レナ、それに皆も。大丈夫。本物の秋瀬神父は、ちゃんと帰ってくるから」
レナと子供達の目をしっかりと見つめ、秋瀬は言った。それにレナと子供達が頷いたのかどうかまでは見なかった。すぐに目の前の二人組に視線を戻し、前を歩かせた。その歩調に合わせながら教会の中へと歩み出す。
「――秋瀬!」
レナの声だった。今まで大声を出したことのないレナが初めて発したその声に、秋瀬は思わず立ち止まった。
「行ってらっしゃい」
その声に胸を突き上げられるような、熱い何かがこみ上げてきた。あふれ出しそうなその感情を押し止め、秋瀬は頷いた。
「ああ。行ってきます」
それを潮として、秋瀬は歩き始めた。これで充分だ。もう振り返ることはない。そう断じ、一切の感情を消し去った。その眼に宿ったのは、吸血鬼と対峙したときと同じ殺気を宿した光だ。秋瀬は低い声で二人組へと命じた。
「地下室へと向かう。そのまま振り向かずに歩いてもらおう」
地下室は静寂に包まれていた。
諜報員達も出払い、吸血鬼討伐に向かっているのだろう。口を割らない吸血鬼の尋問など、誰も進んでしたがらない。加えて戦闘能力のない諜報員達ならばなおさらである。先ほどまで、生きた吸血鬼との初の会話を記録していた人々の姿はなく、地下室は閑散としていた。その中でマジックミラーとなっている強化ガラス越しに、繋がれたQ8だけがこの場に取り残されている。
秋瀬はここに来る途中、神父用の服と神託兵装を持ち歩くのに使っているギターケースを自室より持ち出していた。
地下室には幸か不幸か手錠があり、それによって秋瀬は二人組を拘束した。二人組は抵抗する気力などとうに失っているのか、終始無抵抗のままだった。それが秋瀬にとっては不気味だったが、この二人組はもう自分を捕らえることを諦めているのだろうと思えば、それも納得できた。どちらにせよ、吸血鬼として処理せよとの命令が全員に通達されているのならば、この二人組を拘束したとして無駄なことだ。半数が出ているとしても、まだ五人以上も同じ戦闘能力を持った人間がいる。ならばこそ、秋瀬はこの地下室へと立ち寄った。
機械を操作し、マジックミラーとなっている強化ガラスをせり上がらせる。それを見ていた二人組の片方が「何を、しているんだ」と声を漏らした。それを無視して、秋瀬は槍と服を両手に持ち、肩にギターケースを担いでそのまま牢獄の中へと歩を進めた。
牢獄の中は陰湿な空気が張り詰めていた。長い間使われなかったせいでこべりついた黴臭いにおいが嫌でも鼻を突く。秋瀬はその空気の中心にいる吸血鬼に視線を向けた。吸血鬼、Q8の赤い髪が暗い牢獄の中で松明の火のように映えて見える。Q8はだらりと首を項垂れさせたまま沈黙していた。秋瀬が牢獄に入ったのを感じて、ピクリとその髪が僅かに揺れたが、顔を上げることはなかった。
秋瀬はQ8の前で立ち止まり、下方に向けていた槍の穂先をQ8へと据えた。
「殺すのか?」
嘲るような、それでいてどこか諦めたような声音が響く。二人組の声ではない。Q8が俯いたまま発した声が牢獄の中に暗く響いた。
その声に応じることなく、秋瀬は槍をQ8の頭部の辺りまで持ち上げ、それを一気に斜め上に振り払った。
鋭い音が湿っぽい牢獄の空気を弾き飛ばし、次いで鎖が床に落ちる鈍い音が響いた。その行動に一番驚いたのはQ8だった。先ほどまで拘束されていた腕が急に解放され、Q8は前につんのめった。
その眼前に秋瀬は無造作に服を投げ捨てた。
「それを着ろ」
短く放たれた言葉にQ8は顔を上げ、秋瀬を振り仰いだ。
秋瀬は無表情のまま、Q8を見下ろしていた。Q8はその無表情の内部を探るように鋭い視線を秋瀬にやりながら言った。
「どういうつもりだ? なぜ、貴様らが私を解放する?」
「解放する気などない。ただ、協力してもらうだけだ。終われば、お前を吸血鬼として処理させてもらおう」
「協力?」
聞き返し、Q8は口元に笑みを浮かべた。
「何を協力しろという? 私は吸血鬼だぞ。お前らの敵だ。何なら、そこで拘束されているふたりでも始末してやろうか?」
Q8の視線が秋瀬の後ろにいる二人組へと向けられた。二人組は先ほどから秋瀬の行動におびえたように縮こまっており、Q8の視線でさらに慄いたような声を上げた。
秋瀬はQ8の視線を遮るように二人組の前に立ち、言った。
「それはお前にとって何の益もないはずだ。私はお前の母体、Qという吸血鬼に会った。お前を助けに来たのか、と問うたがQは、お前はただの捨て駒だと言った。お前は――」
「見捨てられた、か?」
秋瀬の言葉を遮り、Q8がそのあとを引き継いだ。秋瀬は首肯し、Q8は嘲笑を浮かべた。
「知っているさ。私とQは繋がっている。Qは私と全く同じ存在。私自身に命じられた、というのはそういう意味だ。まぁ、今更言ったところでどうしようもないがな」
「自覚しているのならば、協力する気はないか?」
その言葉にQ8が眉を僅かに上げ、秋瀬の顔を見つめた。
「私に、母体と戦えとでもいうのか?」
「そうだ。それにここを出る手助けもしてもらいたい」
秋瀬の返したその言葉に、Q8は高笑いを上げた。おかしくて仕方がないとでも言う風な笑いを、秋瀬は無表情のままそれを見つめ、二人組はさらに顔に恐怖の影を刻み込んで蒼白になった。
Q8が口角を吊り上げながら、秋瀬へと目をやる。その眼は狂喜に染まっていた。
「とんでもない奴だな、お前は! 吸血鬼と手を組むことも辞さないか! 面白い! ……だが、一つ問おう」
Q8が急に笑みを消し、平静を取り戻したような声になって言う。
「その話、私にとって有益なものは何一つない。協力するといっても、私がお前を裏切らない保証などない。反対に、お前が私を裏切らない保証も。お前らにとってはリスクが高く、私にとってもそれは同じ。どちらにとっても危険な交渉だ。私を駒にするとして、お前は私に何を与えることができる?」
その言葉に牢獄の中が暫時、沈黙に包まれた。二人組が言葉を発することはもちろんのこと、秋瀬も何も返そうとはしなかった。その秋瀬の表情を探るように、Q8が疑惑の目を向ける。
やがて、秋瀬が静かに口を開いた。
「自由を与える」
秋瀬が放った言葉に二人組もQ8も驚愕し、秋瀬へと視線が集中した。秋瀬はそれに動じることなく、続ける。
「お前の母体を私が殺し、お前はオリジナルとなる。その後の行動は自由だ。もちろん、私を裏切り殺そうとも。逃げ出そうとも。だが、私はお前がオリジナルになるまで決してお前を裏切らないと誓おう。同時に、お前がオリジナルとなった後、私がお前を討伐しようとも、それは交渉の範囲外だ。どうだ? これならば、裏切られる心配はないだろう。逆に、お前にとっては有益なことのほうが多い」
秋瀬の言葉に、その場にいる全員が声もなく呆然としていた。つまりこれは事実上、吸血鬼を狩る人間が一時的とはいえ吸血鬼側に歩み寄ると言っているのだ。その事実に、二人組は恐怖に言葉をなくし、Q8は意想外の言葉に沈黙していた。
牢獄内に恐怖と驚愕がない交ぜになった静寂が降りる。しかし、その静寂も、再びQ8が口を開くことによって破られた。
「全く、本当にとんでもない奴だな。お前は」
Q8が笑みを浮かべながら秋瀬の目を真正面から見つめる。それに秋瀬は気圧されることなく、灰色の眼で吸血鬼の赤い双眸を睨み返した。
Q8は笑みをより一層引き立てながら、頷いた。
「いいだろう。協力してやる。まず、この手錠を外せ。服が着られない」
Q8が手錠のかけられた両手を掲げる。その言葉に秋瀬が頷き、槍の穂先を手錠へと伸ばす。それを見た二人組が制止の声を掛ける前に、手錠がQ8の手から滑り落ち、牢獄の床にむなしく転がった。
Q8が身に纏ったのは男物の神父服だったが、Q8はズボンの部分を引き千切り、無理矢理フレアスカート状に仕立て上げた。それに秋瀬は何も言うことなく、Q8の手首に片方だけの手枷をかけた。その手枷には赤く点滅するランプがついており、Q8は訝しげにそれを見つめた。
「何だ、これは?」
「保険だ。私とてお前を全面的に信用できるほどお人よしではない。妙な行動を取れば、即座にこのボタンを押す」
言って秋瀬は小さなボタンのついた機器を目の前に翳した。
「この機器はお前の手枷と連動している。私がこのボタンを押せば、起爆剤が作動しお前は弾け飛ぶ」
秋瀬の言葉にQ8は暫時、沈黙していたが手枷を見つめ、なるほど、と呟いた。
「賢明だ。それが真実であろうと無かろうと、私の行動は制限されることになる」
秋瀬はその言葉には応えずに、槍を手に携えたままついて来るように促した。
二人組は秋瀬が吸血鬼相手に背を向けたことに恐怖し、さらに身を縮こまらせ身体を震わせた。今、秋瀬が襲い掛かられれば自分達は聖痕も発動できないままに吸血鬼に蹂躙される。その想像に、二人組の顔面はより蒼白になり、歯の根が合わないのかがちがちと歯茎を振るわせた。
しかし、想像に反してQ8は二人組を襲うことはなかった。鋭い一瞥を寄越しただけで、何もせずに秋瀬に付き従い、地下室から出る階段を上っていった。
「意外だな」
階段の途中で秋瀬が振り返らずに言った。その声に反応したQ8が顔を上げ問い返す。
「何がだ? 私があのふたりに対して何かするとでも思ったのか?」
その言葉に秋瀬は沈黙を答えにした。Q8はフッと鼻を鳴らした。
「そんなことはしない。あのふたりと、お前を始末したとして、この教会にはまだお前らと同等の戦闘能力を持つ人間が数人はいるだろう。そんな中にひとりで飛び込むほど、私は愚かではない。それに、これもある」
Q8は手首にかけられた手枷を掲げて言った。
「なるほど。聡明な判断だ」
秋瀬はそう返し、階段を上りきった。Q8もその後ろに続く。
「ついでにもう一つ、教えてやろう」
Q8が不意に放った言葉に秋瀬は足を止め、振り返った。Q8は秋瀬の灰色の目を見据え、言った。
「Qは罠を張っている」
その言葉に、秋瀬は低い声で問い返した。
「罠、だと?」
「ああ。Qはお前らが発信機をつけていることを知っている。知っていて、お前らを誘い出そうとしている。それ以上は分からないが、何か狙いがあるらしい」
秋瀬は覚えず首から下げた十字架を握った。本来、自分の行動を制限するためにつけられた首輪のようなもの。それが吸血鬼に逆に利用されている。ならば、アルヴァが街に向かったのは、とそこまで考え秋瀬は戦慄した。
――誘い込まれたのか。
その思考が脳裏に過ぎった瞬間、秋瀬はQ8に向けていた身を翻し、先ほどよりも足早に階段を上った。Q8は何も言うことなく、黙したままその後ろに続く。
階段を上りきった先は、一面の銀世界だった。Q8は舞い散る雪のひと欠片までも観察するように周囲に視線をやった。秋瀬はそんなQ8には構わずに力強く歩き出した。このままではアルヴァが危ない。その確信に、足が自然と速くなる。
「どこへ行かれるのですか? 秋瀬神父」
唐突に耳に届いたその声に、秋瀬は急いでいた足を止めた。Q8も足を止め、雪の結晶の観察から周囲の殺気へと視線の対象を移した。
その時、俄かに森の茂みが動き、漆黒に沈んだ夜の森の中からその闇を引き継いだような黒衣が現れた。ひとり、ふたりと次第に数が増え、気づけば一面に黒衣の集団が壁を作っていた。各々の神託兵装を握り締め、その眼には敵意が宿っている。秋瀬は携えた槍の切っ先を突き出し、Q8を庇うように前に出た。目線だけで、最初に襲ってきそうな敵意を探る。
神託兵装を握った黒衣の数は八人。正面にふたり、側面に三人ずつの編成である。この教会にいる人数全員だろう。殺気は秋瀬とQ8へと囲い込むように集束しており、一部の隙もなく、同時にどの殺気も足並みを揃えている。
「……一斉に来るな」
秋瀬は呟き、槍の穂先を下段に構えた。
「秋瀬・コースト神父。残念なことですが、あなたが吸血鬼の手引きをしたのは事実だったのですね」
黒衣のひとりが後ろに控えているQ8へと視線をやって言った。
誤解だ、と言ってわざわざ弁解する気はなかった。秋瀬は、今重視すべき問題はそんなことではない、と口を開いた。
「アルヴァ様が危ない。吸血鬼が街で罠を張っている。私は援護のために街に向かう必要がある。そこを通してもらおうか」
吸血鬼と相対したときと同じ、低い声と殺気を携えた灰色の目で射抜くように先ほど言葉を発した黒衣を見据えた。
黒衣は一瞬、たじろぐような気配を見せながらも、神託兵装を強く握り応じた。
「そのアルヴァ様のご命令です。吸血鬼として処理せよと。ならば、あなたの言葉が真実である証拠などない」
黒衣の集団は神託兵装を片手で携えながら、各々の聖痕へと手を伸ばそうとする。
話し合いは無駄か、と秋瀬も右耳の聖痕をいつでも押せるように構えた。緊張が黒衣の集団と秋瀬との間に走り、張り詰めた静寂が次の瞬間に訪れるであろう闘争を一層際立たせた。鼓動が自然と早くなる。まともに打ち合えば、勝てる見込みは少ないと本能的に悟っているからだ。それは相手も同じだった。単なる一部隊員ならいざ知らず、敵は組織の中でも一目置かれる実力の秋瀬である。覚えず、聖痕に伸びた指が強張り、両者の指がそれを押し込もうとした。
その時である。
突如として、緊張を破るかのように、黒衣と秋瀬との間に二人組の小さな影が舞い降りた。それに呆気にとられた黒衣へと二つの影は迫り、白い神託兵装で正面に立っていたふたりの神託兵装を叩き落した。鋭い金属音が響き、弾き飛ばされた神託兵装が白銀の地面へと突き刺さる。それに側面の三人が反応し、剣を振るう前に、二つの影は地面を跳ね、秋瀬とQ8の前に降り立った。
秋瀬は二つの影の姿を認める。それは白装束の二人組だった。
「君達は、アルヴァ様の……」
言いかけた秋瀬の言葉を遮るように、フラグメントの二人組はフードを脱いだ。茶色がかった短髪が、銀色の景色の中に揺れる。そこにある赤銅色の瞳が秋瀬の姿を映し出す。秋瀬はその瞳に、言わんとした言葉を飲み込んだ。
「秋瀬・コースト神父」
フラグメントの片割れが唇から白い息を発しながら口を開いた。その声は見たまま少女そのものの声だった。
「ここは我々にお任せを。教会の裏手にバイクがあります。それであなた方はアルヴァ様の下へ」
先ほど声を発したのとは別のフラグメントが言った。その声は先のフラグメントと全く同じものだった。鏡を挟んで向かい合った虚像と実像が同時に離しかけてくるような、奇妙な感覚を秋瀬は味わいながら、フラグメントの言葉に頷いた。
「それと、これを。あなたの剣です」
フラグメントが漆黒の両刃の剣を差し出す。それは秋瀬の神託兵装だった。秋瀬はそれを見つめ、先ほどのアルヴァの言葉を思い出し逡巡したような素振りを見せた。それを感じ取ったフラグメントが、
「あなたには剣を握る資格がある」
と、言葉を発した。その声に導かれるように、秋瀬は剣を受け取った。しかし、と秋瀬は声を出す。
「どうして、君達が私に加勢を?」
その質問にフラグメントのひとりが秋瀬に視線をやりながら静かに言った。
「あなたは、私達を人間として扱ってくださった。それに報いたいだけです。それに私達は、あなたが吸血鬼の手引きをしていないことを知っている」
理由はそれだけで十分、とでも言うように、それきりふたりとも秋瀬のほうに振り返ることは無かった。お早く、と急かす声を背中越しに放ち、フラグメントの二人組は黒衣の集団へと飛び掛っていった。
「すまない。ありがとう」
秋瀬はそう言い置き、槍を捨てて教会の裏手へと走った。Q8もそれに続く。
バイクは黒いビニールで隠されるようにしてあった。そのビニールを剥ぎ取り、秋瀬はバイクのハンドルを握った。キーはついている。組織が造り上げたバイクは通常のバイクを元としながらも、その形状は大きな差があった。まず、車体先端部が猛禽の嘴のように異様に尖っている。これは吸血鬼と相対したとき、バイクに乗ったままで相手に突っ込むためのものだろう。さらに前輪側面には、神託兵装を吊るしておけるケース状の筒があった。秋瀬はキーを回し、スロットルを開いた。獣のような呻り声をエンジンがあげ、排気筒が凍てついた空気の中に熱波を吐き出す。
いける、と秋瀬は確信し剣をバイクに備え付けられているケース状の筒へと突っ込んだ。次いでギターケースを開けて、中から革に包まれた漆黒の物体を取り出しQ8へと背中を向けたまま放った。
Q8はそれを受け取り、手元でまじまじと見つめた。それはベルト状になっており、両脇には二丁の拳銃を保持しておけるホルスターがついていた。そのホルスターの中には、銃身が異様に太い、オートマチック式の拳銃が入っていた。Q8が取り出して見つめると、その拳銃の銃身には引っかいたような斜めの傷が二本、それに挟まれるように縦の線が二本刻まれている。
「……これは?」
「第四世代の神託兵装だ。中には銀の弾丸が入っている。死にたくなければ弾丸には触るなよ」
秋瀬がバイクの調子を見ながら、背後のQ8へと肩越しに言った。Q8は物珍しそうに銃の神託兵装を眺めながら尋ねた。
「なぜ、これを私に?」
「私ひとりでアルヴァ様を救えるとは思っていない。お前にも、もちろん協力してもらう。そのための神託兵装だ。第四世代は攻撃力もさほど高くない。完全な援護用の装備だ。だから、お前に持たせた」
秋瀬はバイクの調子を確かめ終わったのか、よし、と呟いた。Q8はベルトを腰に巻き、ホルスターに銃を仕舞った。
秋瀬がバイクに跨り、Q8もその後ろに跨った。
「街までとばすぞ。しっかりと掴まっていろ」
秋瀬がハンドルを握り締め、肩越しにQ8へと言うと、Q8は、
「誰にものを言っている」
と、返してにやりと笑った。
Q8の腕が腰に絡まったのを確認してから、秋瀬はバイクのアクセルを踏み込んだ。凍結した空気を放出された熱波が弾き飛ばし、後輪が呻りを上げる。地面の白銀を巻き上げ、バイクは獣のような声を上げながら走り出す。
クリスマスのイルミネーションが敷かれ、〝声〟の重圧に沈んだ街へと秋瀬達は駆け出した。




