フラグメント
タイトルの意味が明らかになります。
秋瀬がアルヴァの下へ駆けつけたときには白装束がすでに吸血鬼を始末したあとだった。白装束の纏ったマントのような服は吸血鬼の血で赤く汚れている。秋瀬は近づいてその姿を見た。いや、正確には白装束がもつ神託兵装をだ。
その神託兵装の形自体は秋瀬もよく知る剣の形をしていた。だがその色が異なる。まるで秋瀬の黒い神託兵装をそのまま反転させたかのような白だった。鍔に近い部分にある傷は黒く、六本。つまり第六世代の神託兵装ということになる。それは最新の武装であることを示していた。
「……君達は、一体」
息を詰まらせたような声で秋瀬は呟く。すると白装束のひとりがフードを取って顔を見せた。
見えた顔はまだあどけない少女のものだった。
茶色い短髪で肌が白い。その白い肌の中で赤銅色の眼が秋瀬を見つめている。感情をまるで感じさせない眼に息を呑む。それは秋瀬がいつも感じていた、ただ吸血鬼を狩るためだけに存在する兵器としての人間の眼差しそのものだったからだ。その眼が問いかけるように秋瀬を見ている。兵器としての在り方に疑問を抱く秋瀬を射抜くかのような鋭い眼の奥の光を感じる。それに気圧されるかのように、秋瀬は一歩下がった。
「――フラグメント」
その時、突然に後ろから聞こえてきた声に秋瀬は驚いて振り返った。見るとアルヴァがよろめきながらも立ち上がっていた。その目が秋瀬を見つめる。
「逃がしたようだな、秋瀬」
その言葉にハッとして秋瀬はQがいた幹に目をやった。そこには血がこべりついた木の幹があるだけでQの姿はどこにもなかった。
だが今の秋瀬にはそれ以上に重要なことがあった。
「この子達は何です? フラグメントとは一体……」
強い口調でアルヴァに問いただす。それに対してアルヴァは目を閉じて淡々と答える。
「フラグメント計画。すなわち聖痕を持った狩人の量産計画だ。顔を見せてやれ」
アルヴァが言うともうひとりの白装束もフードを取った。そこには先ほどの少女と同じ顔があった。
「見ての通りだ。聖痕の適正を持つものは少なく教育するのにも時間がかかる。その手間を省くためにひとりの聖痕適性者の遺伝子から同じクローンを大量に生み出した。そうすることによって安定した戦力を我々は得ることができる。今はまだそのふたりだけが成功例だが、今回の吸血鬼との戦闘でまた新たなデータが得られるかも知れん」
その言葉を聞きながら秋瀬はふたりの少女を見た。そのふたりの姿に感情と呼べるものはない。赤銅色の瞳の中にあるのはふたりとも同じ光だ。いつも秋瀬が見ている子供達はひとりひとり目に宿す光が違う。それは誰ひとりとして同じことを考えているわけではないからだ。同じ夢を持っているわけでも、ましてや同じ人間でもない。だが異なるからこそ、彼らは心を学ぶことができる。
だがこのふたりの少女はまったく同じだ。何もかもが同じ存在。まるで鏡の中の虚像と実像が現実において同時に存在するような違和感。いや、同じならばどちらが実像なのかも判断ができない。
「彼女達は思考すらも並列化することができる。〝断片〟とはよくいったものだ。ひとりひとりがパズルのようにひとつの思考ネットワークを形成する。つまりは完璧なチームというわけだ。これで任務中に判断ミスで仲間を失うこともない。もっとも優秀な判断を常に全員で下すのだからな」
講義するかのような口調でアルヴァが話す。それはまるでロランを救えなかった自分のせいでこの少女達は生まれてしまったとでも言いたげな口調だ。
「これをお前に言うつもりはなかったが、こうして晒してしまったのだから仕方がない。彼女達は優秀な人材だ。吸血鬼討伐の――」
その時、アルヴァが言いかけた言葉を途中で止めた。そして理解できないというふうに眉をひそめる。
「何のつもりだ。私に剣を向けるなど」
突きつけられた神託兵装の切っ先を見つめてアルヴァは低い声で言った。それに対し、秋瀬がアルヴァを睨んで押し殺したような声で答える。
「……あなたは、やってはならないことをした。その報いは受けなくてはならない」
「報いだと?」
アルヴァがさもおかしそうに口元を歪ませた。
「何がいけないというのだ? これは組織が吸血鬼と戦うために必要だと感じたから始動した計画だぞ。それをお前は……くだらないヒューマニズムを振りかざして、間違っているとでも言いたいのか?」
「少なくとも、あなたに人の命をどうこうする権利はない!」
剣がわずかに揺れ、切っ先がアルヴァに近づく。しかしそれをも恐れずにアルヴァは続ける。
「人の命? 笑わせるな、秋瀬。お前が一番知っているだろう。望む望まないに拘らず、人の命は消える」
その言葉に秋瀬の脳裏に焼きついた光景が再び首をもたげる。地獄のような炎の中に浮かび上がる神父の顔、狂気の赤い眼が自分を射抜く。
「ならば必要以上の命が消えないようにある特定の命を有効利用してやるのが、むしろ救済ではないか? フラグメント計画で犠牲になったのはたったひとりの遺伝子サンプルを提供した人間だ。たったひとりの犠牲者だぞ。それよりも救える人間のほうが圧倒的に多い。少女の姿をしているから惑わされるのだろうが、彼女達は対吸血鬼専用兵器だ。考え直せ、秋瀬。実に合理的なシステムだろう」
誇らしげな表情さえ浮かべてアルヴァは語る。だが秋瀬はそれを否定するように首を振った。
「あなたは……、彼女達を人間の数に入れていないのか?」
たったひとりの犠牲者。その言葉を聞いた秋瀬が目をむいて尋ねる。その問いにアルヴァは首をかしげた。
「数に入れる? そいつらは組織のメンバー表にも入っていないのだぞ。入っているとすれば、そうだな。……備品表ぐらいか」
その言葉を聞いた瞬間、秋瀬の剣がアルヴァの首の横を物凄い速度で通り抜けた。アルヴァは表情を崩さずに横目でその剣を見、そして秋瀬に視線を戻して言った。
「お互い様だろう、秋瀬」
「何だと?」
秋瀬が荒い息のままアルヴァの言葉の意味を問う。
「お前は大門鉄郎を殺さなかった」
アルヴァが冷徹な眼差しを湛えて秋瀬に言い放つ。その言葉に秋瀬がたじろぐように小さくうめいた。
「お前は組織を裏切ったのだ、秋瀬。お前は組織に身を置く上で許されないことをした。そうだ。報いを受けるのは私ではなく、むしろお前だ」
アルヴァが秋瀬を指差して告げる。秋瀬は何か言葉を返そうと思ったが喉からは何も出なかった。確かに自分は大門を殺せなかった。その責められる理由が分かっているからこそ何も言い返せない。組織に身を置いている以上、アルヴァの言葉は正論だった。
「目撃者を消さずに生かしておくことがどれほど組織の存続に影響を及ぼすか理解していないのか、秋瀬? それとも私が過去に教えたことなど無意味か?」
アルヴァが語気を強める。秋瀬はそれで余計に何も言えなくなり俯いた。これでは逆に秋瀬のほうが押し負けてしまう。
何も言わない秋瀬の姿に、アルヴァは舌打ちをした。
「結局は一般論に縛られているだけか、お前は。ロランとは大違いだな」
ロラン。その名が出た瞬間に秋瀬の中で暗い何かが蠢いた。
「ロランが生きていれば、この計画にも関心を示しただろう。素晴らしいと共感してくれたはずだ。……だというのに、なぜ貴様が生きている。なぜロランが死なねばならなかった!」
アルヴァの口から次々と呪いの言葉が吐き出される。それは秋瀬がアルヴァの視線からいつも感じていたものだ。だが今までは、それがアルヴァの口から直接発せられることはなかった。それがまだ救いであった。まだ自分はアルヴァに頼られているのだと、昔自分を助けてくれた神父やロランがいなくても存在する価値はあると思えた。しかし今まさに恐れていた言葉が現実となって突き刺さってきた。
アルヴァはさらに呪いを吐き出し続ける。
「お前は組織にとって価値のない存在だ。私にとってもそうだ。大門鉄郎を殺さずに組織に反逆した。もしかしたら、今の吸血鬼もお前が手引きしたのではないのか?」
「ち、違う! 私は――」
顔を上げて反論しようとする。だがその瞬間にアルヴァと目が合った。その目は仲間を見る目ではなかった。秋瀬はその目を知っている。それはアルヴァが敵を見るときの目と同じだった。一度は師と仰いだものだから分かる。それが完璧な拒絶の現われであると。
「大方、私を殺そうと画策したのだろう。吸血鬼と手を結ぶとは。……腐ったな、秋瀬」
吐き捨てるようにアルヴァは言った。秋瀬はその言葉に何も言えなかった。視線を落とし、持っていた剣の切っ先が地面についた。それを見てアルヴァが侮蔑の眼差しを向ける。
「お前にはもう剣を持つ資格はない」
秋瀬が力なくぶら下げた剣をアルヴァは強引に引ったくり、そのまま白装束の少女達を連れて教会のほうへと戻っていった。
秋瀬は項垂れたまま、しばらく動けなかった。その身体の上に雪が降り積もる。力が抜けた身体の上に積もる雪は重い。秋瀬はその重さを感じたまま目を閉じた。雪は罪を覆い隠すように地面の鮮血を塗りつぶしていく。
だが秋瀬の罪はどれほど身体に雪が積もろうと消えることはない。組織に依存し、ロランの幻影に縛られている限り、ずっと消えないままだった。
アルヴァは戻るなり、すぐに待機している討伐部隊に特別招集をかけた。
討伐部隊は集まると小数だった。ほんの二十人程度しかいない。
その中に秋瀬とジョシュアはいない。ふたりの代わりのように白装束がアルヴァの隣に侍っている。その服に生々しくこべりついた血を見てどうなっているのかと皆が騒ぐ中、アルヴァが静かに告げた。
「諸君、先ほど吸血鬼の牙によって我らの仲間がその尊い命を散らした。ジョシュア・ハーカーである」
その言葉に部隊員達がどよめく。それを制して、アルヴァは続けた。
「彼は優秀であった。討伐のために生き、最後まで戦った。だが吸血鬼と、我らの裏切り者によってその若い命を散らせたのだ。その裏切り者の名を告げよう。秋瀬・コーストだ!」
その名が挙がった瞬間、部隊員達のどよめきは最高潮に達した。まさか、あの秋瀬が、と口々に言い合う。
「悲しいことだが彼は吸血鬼に魂を売ったようだ。そこで君達に特別招集をかけた」
アルヴァの目が鋭くなる。それに気づいた部隊員達が静かにアルヴァのほうを向いた。
「君達に特別任務を言い渡したい。もし、秋瀬が我々のもとへと再び姿をさらした場合。――彼を吸血鬼として処理せよ」
アルヴァがその言葉を発した瞬間、部隊員達に衝撃が走った。仲間を吸血鬼として処理しなければならないなど、彼らは考えもしていなかったからだ。特に秋瀬は彼らの中でも憧れに近い感情を抱くものが多かった。アルヴァの右腕であり、圧倒的な戦闘センスを誇る秋瀬に彼らは絶対的な信用を置いていたのだ。それが今、この瞬間に瓦解した。それも秋瀬を育てた師であるアルヴァの口から、秋瀬の存在を否定する言葉が出たのだ。部隊員達の間に逡巡するような空気が流れる。それは今まで信じてきた仲間を迷いなく殺せるのかという不安から来ているものでもあった。
「どうした? 返事をしろ。剣に誓え。この任務を受けると」
アルヴァが部隊員達に承諾を促す。その言葉に部隊員達は渋る。権力で言えばアルヴァのほうが圧倒的に上だ。いくら秋瀬を信じていても、アルヴァの言葉に彼らは逆らえない。
その時、後ろのほうの部隊員のひとりが突然剣を掲げて叫んだ。それは任務を承諾するという意思の表れだった。
その瞬間に、秋瀬を信じるという道は部隊員達の心から消え去った。仲間のひとりが秋瀬討伐を承諾したのならば、仲間を信じる彼らは同じように行動するしかなかった。今、この場にいない仲間よりも彼らはアルヴァを信用した。部隊員達が次々と黒い剣を掲げて宣誓する。
『この剣の御名に誓う』
それを口々に彼らは叫ぶ。もはや彼らの中で共通の認識ができ上がっていた。秋瀬は討つべき敵。吸血鬼と同じ存在であると。
次々と高く掲げられる剣を見てアルヴァが満足そうに頷く。そして彼らの声を制して、アルヴァが厳かに告げた。
「さすがは吸血鬼を狩る聖なる騎士達だ。よかろう。君達の覚悟、しかと受け取った」
アルヴァが胸に手を置いて続ける。
「私はメイソンとともに吸血鬼討伐に向かう。半数は私について来い。残りの半数はここを守れ。よいな」
胸に置いていた手を前に突き出して広げる。それで部隊員達にその言葉が伝わり、彼らは雄たけびのような声を上げた。
アルヴァがその部屋から出ようとする。その後ろに白装束が続く。すると白装束のひとりがアルヴァの裾を引っ張った。
「どうした?」
それに気づいてアルヴァは白装束へと耳を寄せる。フードを被った白装束はアルヴァのみに聞こえるような声で言った。アルヴァは頷きながらそれを聞き届ける。
「なるほど。確かに君の言うとおり、秋瀬の神託兵装は君達が預かったほうがいいかもしれないな」
そう言って壁に立てかけておいた秋瀬の黒い神託兵装をアルヴァは白装束に手渡した。白装束は扱いに気をつけるように、それを両手で抱える。
「君達はここの守りを頼もう。もし秋瀬が戻ってきた場合、彼らでは仕損じるかもしれないからな」
白装束達にそう告げてアルヴァはメイソンともに部屋を出た。取り残された白装束達はフードの上からお互いに頷きあい、まだ昂ぶっている部隊員達の間を抜け裏の道から部屋を出て行った。