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 本編となります。前回の話はいわゆるプロローグです。

 

 誰もいない暗い部屋で大門鉄郎は眼を覚ました。


 唐突な覚醒に、大門は感覚を確かめるように右手を目の前に翳し、その手で眠気を振り払うかのように顔を拭った。


 何か、とんでもなく何かが嫌になるということは無いが、鬱々とした気分だ。大門は身体を上げる。彼が眠っていた場所はソファの上だった。どうやら昨日はどうしようもなく酔っ払ってしまったらしい。ソファで眠るときはいつもそうだ。せっかく買ったベッドも数えるほどしか使っていない。


 大門は立ち上がり、おぼつかない足取りでキッチンへと向かった。

冷蔵庫へ行きたい。そして冷たい水を飲みたい。どうしようもなく、そんな気分なのだ。


 冷蔵庫を開ける。至極当然に開かれた扉の中には、本当に今欲しているミネラルウォーターくらいしか入っていなかった。


 できるだけシンプルなのがいい。そう思って買った冷蔵庫には本当にそのとおり最低限のものしか入れていない。だが、ミネラルウォーターだけでは生活なんてできない。


 ――買出しに行こうか。


 そう思って財布はどこだったかと探そうとしたそのときだった。


 ピンポーン。


 ドアチャイムが鳴った。だが気にせず大門は財布を捜す。箪笥には無かった。


 だが十秒。


 ピンポーン。


 またもチャイムが広いとはいえない部屋中に木霊する。だが、まだ気にしない。ソファの上の自分のコートを見る。あ、と思い、そのポケットを探る。


 ――あった。


 ピンポーン、と再度ドアチャイム。


 三回も鳴らすとなるとやっと重要な客だと、大門は思い始めた。せかせかと身支度を始める。あらかじめ準備してある来客用のスーツに袖を通し、玄関へ向かった。


「はいはい。今開けますよ」


 愚痴をこぼすような口調でドアを開ける。


 最初に目に付いたのは、白だった。二、三秒、その一部分を凝視してから、全体の把握に入る。それは白い薄手のワンピースだった。それを見て、大門は思わず自分の服装を確認する。


 今は暑さもほとんど残っていない季節だ。こんな時期にワンピース一枚とは。


 どんな人物なのだろうと思い、顔を見る。


 少女だった。大門は瞬時に上から下へと視点を動かす。スレンダーで、凹凸のない、街ですれ違っても恐らくは気にも留めないであろう姿。肩の位置より少し下まである長い黒髪は、さらさらと僅かな風にすらなびいて美しい。肌は真っ白で紫外線など生まれてこの方浴びてないというかのような透き通った肌をしている。再び視点を上げた大門と目が合うと少女は歯をむき出しにして無防備に笑った。眼が赤い。充血しているとか言う意味ではなく、虹彩の色がなぜか赤いのだ。カラーコンタクトをしている可能性も否定できないが、得体の知れない分信用はできないと大門は判断した。


「何の用ですか」


 大門は開いたドアを少し自分の側に寄せながら口を開いた。少女はにやにや笑いながら、口をもごもごさせて答える。


「あなた、ワタシ、パスポート、くれる。らし、きこと、きいたよ」


 片言の日本語だった。


「ああ、そっちの件ね。はいはい、あげますよー。じゃあ、まず中で話し聞きましょうか」


 たすかるよ、少女は言い、大門に続いて部屋に入った。


 大門の職場であり自宅でもあるこの事務所は決して広いとはいえない。仕事上の客を通すための狭い応接間と、大門自身のプライベートな部屋である狭いリビングと端のほうにあるおまけの様なキッチン、そしてほとんど使っていない寝室、とざっと数えてもこれだけである。


 そのくせ、大門が陣取っているこの、廃ビルといっても差し支えないようなコンクリートがむき出しの飾り気の無い建物の二階は豪く買い取るには高く、維持するにも設備がなっていないので当初は雨漏りや、隣の騒音(隣はライブハウスのようなことを表向きはやっているが裏では危ない薬の取引をしているらしい)を何とかするための維持費も馬鹿にならなかった。


 大門は苦労した末に何とかまともに暮らせるまでになった来客用の部屋に少女を案内し、向かいの椅子に座らせる。


 ともすれば危ういビデオのようなシチュエーションだ。あどけなく無防備な少女と所々壁紙のはがれた廃墟のような狭い部屋でふたりきり。大門はちらとドアノブに目をやった。ここに入るとき、話が外に漏れないように反射的に鍵は閉めてある。


 つまりここは密室だ。


 大門は再び目の前の少女を見た。少女は行儀よく応接用の古ぼけたソファの上にちょこんと座っている。あまりの警戒心のなさに思わず、今ここで自分が少女を襲ったらどうなるのかを試してみたくなるが、大門の中の僅かな仕事への使命感のようなものと単純に個人的な好みがそれを押しとどめた。


「で、あんた名前は?」


 大門が事務的に言った。あどけない笑みを浮かべた少女は楽しげに足をぶらぶらさせながら答える。


「ハルカ」


 それだけは大門が玄関から今まで聞いたこの少女の発した言葉の中で一番はっきりとしていた。


 だが本名ではあるまい。仕事柄、大門は相手の名前に意味を求めてはいなかった。名前など、自己を示す単なる記号に過ぎない。


「はい、ハルカさんね。それじゃあ、適当に作っておきますよ。連絡先、教えてくれる?」

ハルカと名乗った少女は携帯の番号を教える。これとて一時的に使うだけで本物ではないだろう。


 大門は携帯の番号を登録しながらハルカを見るが、見れば見るほど彼女があまりに若すぎることに気づいた。年のころは大体十五、六といったほどか。


 多種多様の人間を相手どった商売もする大門は、目の前で終始薄笑いを浮かべ、こちらと目が合えばこっちが見ていられなくなるほどの満面の笑みを浮かべる少女の中に、どこか危うさをもった幼さがあることに気づいた。


 若いのに大変だな、まぁ俺には関係ないが。と、大門は心の中で苦笑しながら言った。相手がたとえ幼児だろうと、今にも死にそうな老人だろうと関係が無い。


 それは譲れないプライドでもあり、ある意味ではエゴでもある。


 ハルカは先ほどからこの部屋の端においてある古ぼけた無駄に大きいテレビが気になっているようでずっとそちらを見ていた。大門はなんとなく苛立って、わざとひとつ大きな咳をすると、ハルカが目をむいてこちらに向き直った。


 大門は書類を整理し、とりあえず今日の話を打ち切ろうとした。そのときである。


「そういえば、あなた、知ってるか。このじけん」


 気づくとハルカは携帯を手に取っており、それの画面をこちらに向け、ハワイを思わせる待ち受け画面の下に表示されるニューステロップを見せた。


 大門はそれを心の中で読み上げる。


「怪死事件、またも白昼のマンションで起こる」と。


「どう思うか?」


 ハルカが聞いてくる。


 どう思うも無い。この事件はこの街で最近頻発している連続怪死事件を報道したものだ。何でも、被害者は全員失血死が死因だからといって「吸血鬼」なんてふざけた話題を出してくるワイドショーもあるくらいの、有名な事件。


 ハルカはこれを見せたかったのか。それとも偶然これに関心を持ったのか。


 大門には分からない。ただ、真剣な面持ちのハルカを見て、一言、わざと片言に言った。


「ブッソウデスネ」


 言ってにやと笑った。


 ハルカはそれを最初は驚いたように目を見開いていたが、彼女も同じように笑い、ソウデスネ、と言った。






















「それじゃあ、肝心の物ができたらまたこっちから連絡しますので、今日はこれで」


 大門は立ち上がった。


 ハルカも立ち上がり、玄関に向かう。


 ドアを開け、出て行くとき、ハルカは大門の顔を見て言った。


「マタネ」


 大門は何も言わず、ドアを閉めた。


 スーツの脱ぎながらリビングのほうへ向かい、またソファに寝そべった。大門は決して広いわけではない部屋の中で、天井を見ながら呟く。


 引っ越してきた当初は白かった天井は、いまや薄汚れて、タバコの脂に汚れたヘビースモーカーの永久歯のようだ。


「またね、か……」


 言ってから自嘲気味に笑った。


「バカじゃねぇの」


 そう誰に言うでもなく言って、彼は瞼を閉じた。


 大門はパスポート作りを職業としていた。もちろん合法ではない。偽造パスポートである。


 そういった物が必要になる人間が彼の商売相手だ。だから必然的に柄の悪い人間や、明らかに犯罪歴がありそうな人間、訳ありな感じが滲み出ているような人間が彼の部屋にやってくる。


 彼はそんな人間達にパスポートを格安で作ってくれる人間として有名だった。大門自身もそんなに今の職業に不満は感じてはいない。いや、今の職業と言っても、彼には以前の職業などは無い。


 初めからこの偽造パスポート作りを生業としている。


 もちろん安全な職業ではない。何度も危ない目には遭ってきた。しかし、彼にはこれ以外は無いのだ。いわば、彼からこの職業を取ると何一つ残らない。


 大門には両親はいない。天涯孤独というわけではないが、両親は彼が十歳のとき、ガス爆発に巻き込まれて死んだ。彼もその爆発に巻き込まれたが、すぐに病院に運び込まれ、かろうじて一命を取り留めたのだ。


 それからは親戚の家を転々としながら、結局、今のようにひとりで生きていくことになった。


 後悔はしていない。十三年の月日は幼さを大門から奪い、傷跡を優しく癒してくれた。月日は時に残酷だが、時にこうして嫌なことを忘却のかなたへと追いやってくれる。そして忘却が進むにつれて、自分自身も変わることができる。大門はこの商売をやるに伴い、ありったけの過去を清算したつもりだった。それは親族関係や、友人関係など自分に関係のあること、その中には大門の本当の名前も含まれている。


 大門鉄郎という名前は本名ではない。本当の名前はこの稼業を始めるときに棄て去った。いまや、彼は「大門鉄郎」という名で通ることが多くなったために、本来の名前を忘れかけていた。

それだけ過去を棄てた大門だが、あのガス爆発以来、彼の背後には妙な影が付きまとった。それは、怪我が治って退院してからずっと、彼の背後に、息がかかりそうなほどの背後に存在し、まるでいつも監視しているかのように雄弁に自らの存在を語り、そのくせ明確な形はこちらからはまったく得られないという不可思議なものだった。


 だがその影は、彼が十二歳のとき、確かな形を持って彼の前に現れた。


 ――大門は目を覚ました。あることを思い出し、玄関に向かう。ドアに備え付けのポストの中を探り、目的の物を取り出した。


 それは一通の白い便箋だった。差出人の名前はいつもと同じ、「ミヤザキレイコ」とある。

それこそが大門が十二歳のころから彼を追い続けている〝影〟であった。


 大門は便箋の封を切る。最初の手紙は「中学進学おめでとう」という内容だった。だが最近送られてくる手紙はそんな内容ではない。


 彼は文面を見る。そこには最近この街で起こっている連続怪死事件の被害者の死体についての詳しい情報と、それにはそぐわない様な、明るい文面が添えられていた。


 大門は連続怪死事件について書かれたほうの手紙だけをくしゃくしゃになるのも構わずにポケットに突っ込み。明るい文面のほうは、仕事部屋にある灰皿の上に置いた。書類がうず高く積みあがったテーブルの上から百円のライターを探る。それを用いて、灰皿の上にある手紙へと火をつけた。


 意外とよく燃える。


 大門はソファに凭れながらじっと、それを見ていた。炎は揺らめき、生物的に灰皿の上で輪舞する。ともすれば、それは大門を追う〝影〟の姿そのものとも見えなくはない。過去を捨てた人間の前に現れて、不気味に踊り狂いその人間の瞼の裏側にその姿を焼き付ける。たとえそれ自身が燃え尽きたとしても、瞼の裏でその人間のことを嘲りながら、永久に踊り続ける赤い悪魔。


 半分ほど燃えたとき、大門は唐突に立ち上がった。


 テレビの上に飾られている、石を山脈のように彫ったペン立てをその手に掴んだ。それを灰皿の真上まで持ってくる。


 火の勢いは弱まるどころか強まり、それは奇妙なほどに左右に揺らめき狂ったようにのた打ち回る。


 大門はその姿に舌打ちをもらした。その瞬間、大門の手からペン立てが離れ、それは灰皿の上の火を押し潰した。


 それで先ほどまで踊っていた火は辞世の句を言うこともなく、灰皿の上で圧死した。


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