救済の手
今回は色々と展開を試行錯誤しました。
大門は誰もいない暗い部屋で椅子に凭れていた。
椅子に凭れながら手の中にある物体を弄っていた。それは漆黒の銃だ。あの夜に、身に着けていたにも拘らず何もできなかった自分の象徴のように、その銃は新品同然の光を発していた。
今、この部屋には生気というものがない。唯一生きている感覚を残すものがあるとすれば、青白い光を暗闇に放つ四角いテレビだけだろう。それほどにこの部屋は閑散としていた。
大門が部屋を見渡していると、その視線は自然と向かい合ったソファに向いていった。そのソファはつい先日までハルカと偽造パスポートの話をするときにお互い座っていたソファだ。だが実際に偽造パスポートのことを話したことなど数えるほどしかない。ほとんどが意味を成さないお喋りや、単なる談笑だった。今にして思えば、本当に無意味な時間だった。何かをするわけでもなく、ただ単に決められた時間を流れるままに過ぎていただけ。だが、そんな日々が今は愛おしく感じるのはもう戻ってこないことを知っているからなのだろうか。
知ることは幸福。知らないことは罪、という。特にこの世界ではそうだ。知識、ひいては情報こそが相手より一歩先に至るために必要な手段となる。大門もそれはよく分かっていた。
だが知らないほうがいいこともこの世にはある。
大門は目を閉じる。するとまだ瞼の裏側にはあの夜の出来事が鮮明に映し出される。無垢な少女が、自分の腕の中で消えていく瞬間まで、はっきりと思い出される。そしてこの記憶が鮮明になればなるほどに、怒りは確かな輪郭を帯びて大門の前に現れる。
知ることが幸福だというのならば、あの夜の、あの黒衣のふたりについて知ることも幸福なのだろうかと大門は考える。知れば今、手に持っている銃で殺してしまうのかもしれない。いや、もしかしたらこの銃は彼らを殺すという考えに至る前にあまりにも無知な自分の頭を撃ちぬくかもしれない、という考えに襲われる。
どちらにせよ幸福など待っているはずがない。そこにあるのは両方破滅だ。
大門は銃を虚空に向けて構える。
狙いをつける眼には様々な人間が映る。黒衣のふたり、ハルカ、そして自分自身――。裁かれるべきなのは一体誰なのか。この銃口は答えを撃ちぬけるのか。
「……どうでもいい考えだ」
言って大門は銃口を下ろした。
こんなことをしていても何にもならない。それは分かっていた。分かっていたにも拘らず、何もできないことを隠したくて銃を握った。それこそ無駄に等しい行為だと分かっていても。
大門はテレビを見つめた。何も変わらないこの部屋で唯一常に更新し続けるのはテレビの映像だけだった。その映像を特に注視するわけでもなく視界に入れる。そこにはあの夜の住宅地が映し出されていた。右斜めに表示されるテロップには不発弾が爆発したといういかにもな嘘が表示されている。情報操作されていることは一目瞭然だった。
真相を知る大門はこのニュースに文句をつけたくなってきたが、言ったところで誰も信じやしないということを悟り、諦めた。そのニュースを剥げ頭のキャスターは深刻そうに伝え、その後隣の女性キャスターがやけに明るい声でクリスマスの話題へと変えた。
その時、出し抜けにドアチャイムが鳴った。
誰だろう、と大門はいつもの習慣通りにスーツを着て出ようとして、はたと思いとどまった。
ハルカが消えてから依頼の類は来ていない。ならば新たにパスポートを作ってほしいという人間が来ているのかと思ったが、その可能性よりも遭遇する可能性の高い状況が頭に飛来した。
もし、黒衣の連中ならば――。
大門は即座に判断した。先ほどまで触っていた銃を手に取り、後ろ手にそれを隠しながらドアへと向かう。
だが、迷いなく少女を殺せるような連中だ。もしかしたらこちらが銃を抜くよりも早く首を落とされるかもしれない、という考えに至り普段あまり使わないドアスコープから外の様子を窺った。
普段使わないドアスコープは曇っていたが、それでもドアの前に立つ相手の姿は見えた。その姿は大門が思っていた金髪と灰髪の黒衣の二人組ではなかった。
そこにいたのは女だった。
ハルカのような少女ではなく、割とカジュアルな衣装に身を包んだ大門と年のころはそう変わらない女だ。染めているのか髪が全体的に血のような赤色となっている。
大門は一応女の手元を見る。華奢に見えるその手には何も握られてはいなかった。
大門はそれで警戒を解いた。奇抜な姿だが恐らくパスポート関係のことだろうと思い、ドアを開ける。
その瞬間、何かがぬっと目の前に伸びてきたかと思うと有無を言わせない力が大門の首筋にかかった。何が起こったのか分からず、大門は首を触る。そこには人肌というにはあまりにも冷たい目の前の女の手が添えられていた。添えられている、と表現するしかないほどに柔らかく掴まれているというのに、そこから加えられる力はまるで万力のようだ。
首しかつかまれていないはずなのに身動きひとつ取れず、大門は女のなすがままにそのままの体勢で奥に連れ込まれる。女がドアを閉める。
それでこの部屋には女とふたりきりとなった。しかし、首を絞められている手前喜ぶことなどできない。
大門は女の顔を覗き込んだ。女は美しかった。だが、それは感情を感じさせない人形を見て思う美しさと同等のものだ。人間というにはあまりに冷たい手の温度が余計にその印象を強める。
女の切れ長の瞳の奥に映る自分が苦悶の表情を浮かべているのが見える。首にかかる力はさらに強まっていく。
大門は痛みにあえぎながらも抵抗しようと首を絞めている手を握り、声を絞り出した。
「……お前、何でこんな、こと」
それは殺される側としては最悪によくできた台詞だったが、その言葉に女は何も答えずさらに首にかかる力は増した。
大門はうめき声を上げる。皮膚にめり込んでいく指の感触が、冷たい死が自分を侵食していく様を思わせ、次第に大門の意識が混濁し始める。
――死ぬのか。
漠然とそんな考えが頭をよぎる。わけの分からぬままに命を奪われるというこんなシナリオが、自分の結末なのか、と。
だが、それでもいいと大門は思い始めていた。もういい、疲れたと心のどこかで思っていたのかもしれない。
諦めに最後に張っていた意識の線の力を緩めたとき、ふいに目の前のドアがきぃという軋む音を上げて開いた。
女がそちらを振り返る。先ほど女がしっかりと閉めたはずのドアがゆっくりと開いていく。そこには誰かが立っていた。
その立っている人物を見た瞬間、首を締め付ける女の腕の力が緩められ、ついには首から手を離した。それによって大門は力なく床へとへたり込み、それと同時に激しく咳き込んだ。
急に戻ってくる呼吸に苦しみ、目の前が潤む。だが女は咳き込む大門などお構い無しにドアの前に立つ人影に意識を集中している。大門もその人影へと視線を向けた。
瞬間、記憶が逆流した。
それはそこに立つ人影の服装が大門の記憶の中にある人間の姿にあまりにも似ていたからだ。大門の意識とは別に視線が勝手に動き、その人物を見つめる。初老の男だ、顔には見覚えはない。だが黒衣を纏い、右手の剣の切っ先をこちらへと真っ直ぐに向けているその男に大門は自然とあの夜の灰髪の男を重ねていた。
その時、舌打ちが聞こえたかと思うと突如として女が走り出した。
女は真っ直ぐに初老の男へと向かっている。それに対し、その男は向けた剣はそのままにもう一方の手で剣を握っているほうの手の手首を掴んだ。そしてその手首の辺りを親指で押した、ように大門には見えた。
刹那、何かが擦れるような音が大門の耳に届いた。
その次の瞬間には、先ほどまでドアの前にいた初老の男の姿が消えた。いや、正確には消えたのではなく、とてつもない速度で女の目の前へと移動し、剣で女の鳩尾の辺りを刺突したのだ。大門の眼には男が何をしたのかまったく見えず、ただ漆黒の刀身が突然女の背中から出てきたようにしか見えなかった。
女は苦しげなうめき声を上げながら突撃してきた男に押されるような形となり、さらに奥へと剣が差し込まれる。
女は突然両手の爪を立て、廊下の壁に引っ掛けた。耳障りな摩擦音が響き、それによって女の身体が止まると同時に男の剣の勢いも止まった。
女はこれを好機と感じた。
自分の身体は刺し貫かれ自由が利かないがそれは相手も同じである。なによりこの狭い廊下では剣をすぐに手放して背を向けて逃げたとしてもこちらのほうが早い。女は壁に食い込んでいる爪を外し、それをそのまま男に突き立てようと腕を振りかぶる。すでに爪には硬化能力が施されており黒くなっていた。
だが女の判断は結果的には一歩遅れていた。
なぜならば、初老の男は女が振りかぶった腕が落ちてくる前に、懐から取り出したナイフを使い空中で女の両掌を刺し貫き、そのまま壁に磔にしたからだ。
だが女はまだ諦めなかった。赤い髪を振り乱し鬼の形相と化した女の口元から長大の牙が出現する。女はそれを目の前に佇む男の首筋に向けようとした。
だが、その判断もまた遅かった。
女の牙は宙を穿ち、そしてそのまま首ごと宙へ舞いやがて初老の男のすぐ隣に落ちた。同時に女の首から鮮血が噴出し、頭を失った身体が後ろにのけぞった。初老の男はそれには何の感慨も持たずに、自分の後ろで今しがた女の首を斬りおとした者に振り向いた。
そこには漆黒の剣を血で濡らした秋瀬が立っていた。
「お怪我はありませんでしたか?」
秋瀬は尋ねるが、初老の男――アルヴァはその質問に今倒した吸血鬼以上に興味のない目で返した。そして、秋瀬の横を無言で通り過ぎた。
アルヴァが行ったあとから、何人かの黒衣に身を包んだ者達が現れ吸血鬼の身体と首を回収する。何人かが首から上のない身体を黒いベルトのようなもので手足を縛り付け、青い寝袋のようなものに入れる。そして首はオレンジ色の液体が入った容器へと移され、そこに浸されたまま身体とは別にして持ち去られた。
その一団も去り、あとには秋瀬と大門だけがその場に残された。
一団を見送っていた秋瀬が大門へと向きかえり、剣を壁に立てかけて大門へと近づいた。大門はしゃがんだまま動こうとはしなかった。動くという行為自体を大門はこの瞬間には忘れていた。今起こった事実があまりにも現実離れしすぎて近づいてくる秋瀬の足音さえも夢の中の出来事のように思えていたからである。
秋瀬が大門の目の前まで来て、その場に屈み込んだ。それでも大門は身体どころか視線すら動かそうとしない。秋瀬は大門の頬を一発叩いた。それで少しは意識を取り戻したのか、視線が僅かに動き秋瀬を見つめた。
「大丈夫か?」
秋瀬が問うと、大門は首を動かし、周囲の様子を見た。どうやら先ほどの女がどこに行ったのか探しているらしい。しばらく見回して姿がないことを認識したのかもう一度秋瀬を空ろな眼で見つめた。
「あんたは?」
「……私は秋瀬・コースト、見ての通り神父だ」
その声に反応して大門はその男の姿を見つめた。
灰髪の若い男だった。瞳も髪と同じ色でその双眸は強い意志が宿っており武人のように鋭い。その姿と「秋瀬」という名が、まだ現実を受け入れることができていない大門の脳裏にある風景を思い出させた。
それは夜。闇に浮き彫りになった白い服の少女を殺した二つの黒い影。ひとりは金髪、もうひとりは灰色の髪、殺意の篭った灰色の眼、金髪がその男の名を呼ぶ――あきせ。
――秋瀬。
ハルカを殺した、男の名。
「秋瀬!」
大門はその叫びと同時に銃を取り出し、秋瀬に突きつけた。秋瀬は驚いて立ち上がり一歩引こうとするが、それを大門が制した。
「止まれ! お前には聞きたいことがある」
銃を秋瀬に向けたまま大門は言った。秋瀬はその様子を見下ろしながら最初は不意をつかれた様子だったが、すぐに平静を取り戻しやがて大門をゴミでも見るような目つきで見始めた。
「……聞きたいことがあるのはこちらも同じだ。まずは銃を下ろしてもらおう」
言って秋瀬は手を差し出す。だが大門は下ろすどころかさらに猛り狂って今にも引き金を引きかねない勢いで銃を向ける。
「黙れ! 人殺しの言うことなんて、聞いていられるか!」
銃身が大門の怒りに呼応するように揺れる。秋瀬は手を仕舞い、怒りに震える大門の様子を憐れみにも似た感情で見つめた。
「止めておけ、その銃で私は殺せない」
秋瀬は右耳へと手を伸ばした。大門は直立しているその黒衣の胸元に狙いを定める。目の前に立つのはハルカを殺した男、この場で殺さなければ気がすまないという思いが大門を突き動かす。
指に力を込めた時引き金はゆっくりと、引かれていく。それと同時に秋瀬は右耳にある聖痕を強く、押した。
瞬間、轟音と共に銃は火を噴いた。そこから大門の殺意を載せた弾丸が射出される。だが、その殺意が獲物を捕らえることはなかった。
轟、という銃声が掻き消した何かが擦れるような音、その音と共に秋瀬は大門の視界から一時姿を消し、そして大門が射撃の余韻に浸る前に黒い銃身を秋瀬の手が掴んでいた。
大門には何が起こったのか分からなかった。秋瀬に当たるはずだった弾は天井に禍々しい弾痕を残している。だが、人間が銃弾を発射されてから避けるなんてことはまず不可能だ。ならばなぜ、目の前に佇むこの男は無傷で今しがた自分に向けられた銃を掴んでいるのか。それとも自分は夢でも見ていて、目の前の男は自分が作り出した幻なのか。
「落ち着け」
秋瀬は大門を睨みながら冷たく言った。大門はそれでようやく自分の前にいる秋瀬が夢でも幻でもないことを理解した。
「まずは我々のことを理解してもらう必要がある。質問はそれからにしよう」
秋瀬は大門にも分かりやすいように噛み砕いて現在までの経緯を話した。もちろん詳しい事情や固有名詞は伏せながら、自分達が吸血鬼を追っていること、ハルカがその吸血鬼の仲間だったこと、先ほどの女も吸血鬼であることなどを語った。
最初は大門もその話を信じてはいなかった。だが、先ほど目の前で起こった殺し合いは間違いなく真実だ。ならば先ほどの女が秋瀬の言う吸血鬼だとしても不思議はない。
だが、
「その話の半分は信じるとしよう。――だが、俺はハルカが吸血鬼の仲間だったなんてことは信じられない」
大門は言った。それは信じられないというよりも認めたくないという気持ちのほうが強かった。実際、目の前でハルカが人知を超えた変化をした瞬間を大門は目撃している。しかし、それでも大門にとってのハルカは異常な化け物というよりも、無防備なほどに無垢な少女という印象のほうが強かった。
「……確かにあいつは、勝手に人の家に押しかけてきて、それでたわいもない話ばかりする妙な奴だった。そのくせ世間知らずで、ちょっとした事で一喜一憂して――」
胸が熱い。一体何が自分をここまで駆り立てるのかが分からなかった。ただひとつ、ハルカが化け物だった、それを認めればこんな異常な奴らから逃れられるかもしれないというのに、ハルカのことを語る口調はいつしか熱を持っていた。
「でも、だからこそ俺はあいつがお前らの言う吸血鬼に関係しているなんて思えないんだ! そうだ、きっとこれは何かの間違いなんだ。お前らの勝手な妄想だよ。ハルカは――」
「なぜお前はそこまでそいつを信じられる?」
大門の言葉を遮り、秋瀬は尋ねた。
「そのハルカという奴とお前は少しの間一緒にいただけじゃないか。それにお前はそいつが奇妙な姿に変異する瞬間も見ているはずだ。なのに、なぜそこまで信じられるんだ?」
大門はその質問に言葉を窮した。確かに、大門がハルカといたのはほんの一週間ほどだ。その間に特別な何かがあったわけでもない。心の結びつきだってあったかどうか分からない。ただたわいもない話をしていただけだ。
それは本当に簡素な関係。改めて聞かれれば脆く、そこには確かな支えとなる出来事もない。
だが、大門はゆっくりと口を開いた。
「……俺は、長い間独りだった。何も無い、空っぽの存在だったんだ」
大門は俯いて静かに語る。秋瀬はその様子を無言で見ている。
「来る日も来る日もくだらない連中を相手にくだらないものを作って、それで毎日がただ腐っていくばかりの日々になって、俺はもうどこにも戻れないし、どこにも進めないんだと思っていた」
大門は目を閉じた。思えば浪費する日々のどこにも希望を見てはいなかった。ただ絶望のみを直視して今まで生きていた。あの日、両親が死に心に傷を負ったこの場所こそが腐った自分にはふさわしい。腐っている人間は、腐敗臭が今も醜悪に漂い傷を舐めつける場所で生きるのがお似合いだと、自分に言い聞かせた。
いい思い出など存在しないこの街で朽ち果てるために生きていく、それが自分なのだとおぼろげながら思っていた。
だが今は違う。
目を閉じればそこにはハルカがいる。
「だが、俺はハルカと出会って、少しの間に少しばかり考え方を変えられたんだ。ハルカの存在が、朽ち果てるのを待つばかりの俺にとって少しだけ救いになったんだ。こんな――」
大門が自分の両手に視線を向けながら呟く。見つめたその手は震えていた。
「こんな、汚れた手の人間でもまだ持ち直せるってことが。誰かを抱き止められるかもしれないって言うことがやっと分かってきたんだ。最期にハルカの体温を感じたこの手が……。――そうだ、俺は彼女に……ハルカに救われたんだ」
必死に紡ぎ出すように最後の言葉を言った。言ってから、顔をその手で覆った。涙は出ない。ただ乾いた嗚咽が喉を焼き付ける。
いなくなってから気づいてしまうとはなんて愚かなのだろう。生きていてくれている間に気づくべきだった。礼を言うべきだった。そんなどうしようもない思いが大門の心を満たしていた。
秋瀬は静かに頷きただ一言、そうか、とだけ呟いた。
そして大門の前にすっ、と手を差し出した。大門は顔を上げ、その手を見つめた。
「共に来ないか?」
放たれたその言葉に大門は驚き、秋瀬の顔を見る。
「お前はその少女に救われ、そして我々の世界に関わった。その少女がお前の日々に意味を与えたというのなら、お前はまた腐敗した日々に戻るべきではない。……私を憎んでいるのは分かっている。だが、このままでいてもお前は何も成すことはできない。あの少女のような存在は吸血鬼がいる限り現れる。お前が救われたのならば、今も生まれているかもしれないハルカのような少女を、お前が救うことも必要なのではないのか?」
我々と来ればその救うための力が手に入る、と秋瀬は加えた。
これは秋瀬なりの贖罪のつもりだった。本来ならば目撃者は消す、それが組織の掟だ。だが、秋瀬はそれを破ってでも大門には救うための戦いをしてほしかった。復讐心のまま戦えばそれは吸血鬼どもと同じ化け物だ。しかし、誰かを救いたいという思いがあればその戦いには意味が生まれる。
そのために秋瀬は今手を差し出した。かつて自分が選んだように、今度は自分が相手に選択を与える番だと秋瀬は感じていた。
沈黙があった。
大門はしばらく心奪われたように差し出された手を見つめていたが、やがて小さくかぶりを振った。
「駄目だ」
大門が静かに呟く。
「それでも俺はまだ、ハルカを殺したお前らのことが許せない。だから、一緒には行けない」
その答えに秋瀬は、「そうか」とだけ呟き手を引っ込めた。踵を返し、壁に立てかけた剣を手にとってその場を後にしようとした。
しかしドアの前まで歩いたとき、ふと秋瀬が足を止めた。そして背中を大門に向けたまま、静かに語った。
「――私もまた、あの夜の戦いで仲間を亡くした」
その言葉に大門は秋瀬の背中を見つめた。秋瀬はそのまま続ける。
「私にとってはかけがえの無い仲間だった。だからお前の気持ちが分かるとも、私の気持ちを分かってほしいとも思ってはいない。――だが、忘れるな。大切なものを失ったのはお前だけじゃない」
その言葉の後、秋瀬は静かにその部屋を出た。
秋瀬が外に出ると、そこにはジョシュアが壁に凭れながら待ち構えていた。秋瀬はその姿を無視して前を通り過ぎようとする。だが、秋瀬が目の前を通り過ぎた瞬間、ジョシュアが話しかけてきた。
「随分時間かかっていたじゃねぇか。一体どんなバラし方をすればこんな時間がかかるんだ、秋瀬?」
秋瀬はジョシュアに振り向き、口角を吊り上げていやらしげな笑みを浮かべるその顔を睨んだ。どうやら彼は秋瀬が目撃者を殺すために時間をかけていたと思っているらしい。
相変わらず腐った奴だと思い秋瀬は舌打ちした。
「そう怖い顔すんなよ、秋瀬。仲間だろう、俺達は」
言ってジョシュアはさも愉快そうに秋瀬の横を通り抜けて先に下へと降りていった。秋瀬はその背中を見つめながら、自分も大門からしてみれば殺しを楽しむ人間に見えていたのかもしれない、と思った。
秋瀬は廃ビルの前の道を見やった。そこには緑色のトラックが二台並んでいる。どちらも組織のものだ。
秋瀬はもう一度大門の部屋の方を見てから、トラックの待つ下へと降りていった。