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集う闇

 ここでまた視点は変わって。いくつかこれからの展開に影響する話を少々。



 N市中心街は例年通りの賑わいを見せていた。


 街頭ではしきりに赤い服を着たサンタコスプレの人々がひしめき合い、ケーキ屋や洋菓子店の前では彼らが広告を配りながら客引きをしている。彼らが一枚、また一枚と広告を渡すと客は嬉しそうにそれを眺めながら家まで広告を持って帰る。いつもなら捨ててしまうような広告も、クリスマスというイベントの妙な作用で皆が浮き足立っているために誰も捨てはしない。


 彼らは今宵来る祭典のために心を完全にクリスマスムードという大衆効果の中に浸しているのだ。少しくらいおかしなことが起こっても、おそらくは何の気にも留めないであろう。


 だから、もしJ達がそのままの姿で街を闊歩しても凝った仮装だと思って誰も気に留めなかったかもしれないが、しかし彼らは万全を期してヒトには認識できない状態となってこの街へと辿りついた。

認識できないといっても消えるわけではない。姿はある。しかしヒトの意識が彼らの姿を捉えられない。


 彼ら吸血鬼には光学迷彩のように周囲の景色と同化することができる能力が備わっている。そしてこの能力を秋瀬達はまだ知らない。だからこそ、彼ら吸血鬼は何の問題もなくこの街へと侵入し、街の喧騒から切り取られたこの街のシンボルタワーの屋上へと音もなく集結した。この場所は改装工事のために現在一般の人間は入れないことになっており、彼らが集まるには好都合だった。


 最初にここへと辿りついたのはJとGだった。


「よぉ。また会ったな」


 Jが馴れ馴れしく話しかける。だがGはまるでJの存在に気づいてないかのように屋上から見える下界の景色をじっと見つめていた。Jはそれをしばらく無言のまま眺めていた。Gは絶えず流動する人並みをじっと見つめ、そして一定時間同じ場所を見つめると微妙に視線を変えて、別の人並みを見つめた。完成された作業のようなその行為を見つめながらJは最初Gが何をしているのか分からなかったが、ずっと見ているとやがてそれに気づいた。そして、独り言でも呟くように事も無げに言った。 


「姫を探しているのか?」


 突然かけられたJの言葉にGは振り向き、初めてJの姿をその目に捉えた。細いサングラス越しに見えるその目にはまるで知られるはずの無い秘密を知られたかのような驚愕の色が浮かんでいた。

Jはその目を見ながら口角を吊り上げて薄く笑う。


「お見通しだぜ、G。空港にいたときからお前は俺とQが話すことを快く思っていなかったみてぇだしな。今だってQの姿を探している。そうやって人間どもの中から自分のお姫様を血眼になって探してるってわけだ」


 Gが僅かに身体を動かし、Jのほうへと近づく。それだけでJには潰されかねない圧力がのしかかって来たような錯覚に襲われた。それは恐らくGが放つ殺気そのものだ。Jは屋上のほぼ中心、Gは屋上の端におりその差は五メートルほど。もちろん吸血鬼ならばこんな距離はないに等しいがGの殺気は距離どころか時間さえ飛び越えてまるでずっと背後に立たれているかのような感覚に陥るほどに巨大だった。


 しかし、Jはこの重力のように重い殺気の中、依然同じように笑いながら話す。


「しかし、お前のようなデカブツがあんな女にご執心とは、まるで夢物語の世界じゃねぇか。いいね、最高に狂ってる! 現実で美女と野獣が見られるとは思っても見なかった――」


 Jの言葉が突然に中断された。当たり前だ。肺が潰されそうなほどの圧力で身体を握られていたら話す事などできまい。


 Gは何の気配もなく一瞬でJに接近し、その細い身体を巨大な手で握り締めた。Jの身体から全身の骨が磨り潰されるような音が響く。Jは突き抜けるような痛みにうめき声を上げる。


 しかしGの力は緩まない。今、この瞬間にこの手の中で殺さなければ収まりがつかないほどに、Gの怒りは深かった。


 さらに腕に力を込めようとする。――潰れる、とどちらも思った、その時である。


「やめろG」


 冷たい声がJの後ろから聞こえた。Gはそちらを見る。


 そこには突き刺すような冷たい眼差しを湛えたXが立っていた。


「Jが消えれば作戦に支障が出る。その手を離せ」


 静かに歩み寄りながらXが言う。するとGの手から力が段々と抜けていき、遂には握っていたJの身体を地面へと下ろした。


 次の瞬間、地面に落ちたJの身体が激しく蠕動する。恐らく高速で身体を修復しているのだろう。Xはその様子を侮蔑の眼差しで見つめていた。


 Jが激しく地面に吐血する。それを境に、蠕動が消えた。どうやら身体の修復が終わったらしい。


「ったく、酷い目にあった」


 JがGを見ながら言った。Gは先ほどの剣幕が嘘のような無表情となり、Jに背中を向けまた下界の人ごみを注視し始めた。Jがそれを見て舌打ちする。


「それにしても、どうしてこんな場所に集まる必要があったのだ? 相手に悟られないようにすぐにでも行動するのが定石ではないのか?」


 Xが不愉快そうに言う。その視線はGを見つめていたが正確にはGが見ている下界の人間を幻視しているのだろう。一刻も早くここから離れたいと言わんばかりのXの口調にJは急に訳知り顔になって、口元を吊り上げた。


 Xがその顔を睨む。睨まれてJはばつが悪そうにしたが、それでも顔を覆い隠すバイザーの中の目が笑っているのがXには分かった。


「なんだ、その顔は」


 XがJの方を向いて言う。


「いや、特に何でもない。――何だ、何怒っているんだよ?」


 JがXを茶化すように言う。XはJの胸倉を掴んで引っ張った。


「何がおかしい」


 XはJを真正面から睨むが、JはXからの敵意をまったく意にも介さない様子で、冗談めいた口調で言う。


「なに、大したことじゃない。ただ、お前はこの街が懐かしいんだろうと思っていただけだよ。……そうだ、懐かしいよなぁ。十三年前の、墜ちた眷属――」


 と、Jがその言葉の後を続けようとした瞬間、Xの顔色が変わった。Xは頬を引きつらせ、歯をむき出しにして咆哮し、Jを投げ飛ばした。


 Jの身体は屋上の貯水タンクにぶつかって止まったが、貯水タンクには人型の窪みがついた。


「もう一度――」


 Xが倒れたJに近づいていく。その顔には灼熱の憤怒があった。


「もしもう一度今の言葉を口にすれば――私は貴様を塵ひとつ残らぬほどに殺しつくす!」


 そこには有無を言わせぬ迫力があった。Jは咳き込みながら起き上がろうとするが、全身の筋肉と骨を短時間のうちに二度も破壊されれば時間がかかるのか、蹲ったまま「冗談だ」と言った。


「〝派生種〟風情が。口の利き方に気をつけることだな」


 XはJを見下ろして汚らしいものでも見るように睥睨し、踵を返そうとした。その時である。


「――あら、あたしがいない間に面白いことになっているじゃない」


 不意に聞こえてきた声にその場にいた全員がそちらを見た。そこには今しがたここに来たばかりの赤い髪をなびかせるQがいた。その背にはなぜか円筒状の画材入れのようなものを背負われている。GがQの姿を認めるとそちらへと音もなく寄り添っていく。Qはその姿を見てひとつ微笑む。


「例の奴の配備は終わったのか?」


 Xが尋ねるとQは頷く。


「ええ、あたし自身が作ったのは七体ぐらいだけど、たぶん勝手に増えてくれると思うわ。あ、でも今から作る奴で合計八体かな」


 そう言ってQはその手に掴んだものを放り投げる。軽々と投げられたそれは、Qと見た目は同じくらいの歳の女だった。茶色のウェーブがかかった髪をしている。どこかに外傷があるというわけでもないのにぐったりとしていて、長い髪が顔にかかっていた。


「この女は? 何でわざわざここまで運んできた?」


 Xが怪訝そうに尋ねる。Qは口元に笑みを浮かべながら、


「この子はハンターの仲間よ。諜報員みたいね。何気ない格好をしているから最初は分かんなかったけどね。ああ、それとJ」


 QがJのほうを見て言った。Jがその視線を見返す。


「頼まれていたもの、しっかりと受け取ってきたわ。相変わらず堅物だけど、彼も中々役に立つのね」


 そう言ってQは円筒状のケースをJの近くに投げた。やっと大部分が修復してきたのか、立ち上がっていたJがふらつきながらそのケースを手に取り、中に入ったものを取り出す。


 それは日本刀だった。


 漆黒の鞘と、緑色の柄の刀だ。Jがおもむろにそれを抜く。現れた刀身は漆黒だ。その刀身の手前の腹に、何本か傷跡がある。傷跡の中に日光の光を吸収しており、角度を変えるとそれは光った。それは全部で七本ある。


 それを見た瞬間、Jの口元に笑みが戻ってきた。しかもそれはいつもよりも口角を吊り上げたいやらしい笑みだ。


「お手柄だな、Q」


 Jはそう言って、刀を鞘に戻した。Qはありがと、といって無邪気に笑う。


「さて、次は――」


 そう言ってQは倒れている女の近くに屈み込み、その身体を抱き上げた。そして突然、女の細く白い首筋へと舌先を這わせた。女は振りほどこうとするが力が入らないのか、痛みに耐えるように目を瞑るばかりで手足さえ動かさない。


 女が力を出せない理由をX達は分かっていた。なぜならばもう既に女はQによって一度血を吸われているからだ。首筋にある小さな虫さされのような痕が一度目に吸った痕跡だろう。急激に血液を奪われたせいで、身体に力が入らないのだ。


「怖がらないで」


 Qが子供をなだめるように言う。女とて秋瀬達と同じように組織直属の諜報員のためにこれから何をされるのかは分かっており、目の前の女が吸血鬼だということも分かっていた。しかしQの声の中にはどこか甘い蜜のような充足感があるように感じられ、女は抵抗できない何かに突き動かされるような感覚に陥っていた。


 Qの舌が先ほど吸血した痕の上をなぞる。女は思わず声を漏らした。


「これからあなたはすばらしい存在になるの」


 Qが歌うように囁く。


「だから怖がらないで。あたしを受け入れて」


「あ、あなたを受け、入れる……?」


 女が恍惚の表情でQを見る。それでもうQには女がもう自分の手中に落ちたのだと感じた。


 Qが薄く笑いながら言う。


「そうよ」


 その瞬間、Qは女の首に噛み付いた。あ、という声が女の喉から漏れる。だが、その声が出てすぐに女の身体から体温が急速に奪われていく。自分の身体が死で満たされていく感覚を女は感じる。目の前の視界が焦点を失い、世界が丸ごと輪郭を失うようにぼやけていく。


 そして次の瞬間、女の意識は、ふっ、と消えた。


 Qがその首筋から唇を離す。その顔は赤く火照っていた。それとは対照的に女の顔は色素というものをことごとく漂白しつくしたような蒼白だった。その眼は見つめるべき対象を失いただ虚空の一点を見つめ、その口はぼんやりと何かに心奪われたかのように小さく開かれている。長い髪は生気を失ったように乱れ、首から垂れ下がる十字架の首飾りは主人が死んだ今行き場を失ったようにむなしく佇む。 


 そう、その女は今確かに死んだ。


 Qは女の死体を見下ろしながら僅かに微笑むと、自分の右手の人差し指を口元まで持ってきて何をするかと思えば、その人差し指に噛み付いた。ゴリッ、という嫌な音が聞こえ、Qがその指から口を離した時には既に血が滴っていた。


 Qはその指をおもむろに掲げ、そしてもう一方の腕で死んだ女の頭を自らの膝に乗せて仰向けにした。


 そして今から手品でもするかのように血が滴る指を女の前でちらつかせる。それを数度行ううちに、信じられないことに焦点を失ったはずの女の目が段々とその指の軌跡を追うようになってきた。


 Qは唇の端を吊り上げて笑う。その妖美な笑みに導かれるように、女の目ははっきりと指の動きを追うようになってきた。


 その指が動くたびに鮮血が女の顔や、服に落ちる。その血の感触が分かるのか、それが落ちるたびに女が小さく熱に浮かされたような声を出す。


 そして唐突にQは女の口の前でその指を止めた。無論、そこからは血が落ちてくる。しかし女はそれを避けるでもなく、むしろ誘うように口を開けて血の一滴を、飲んだ。


 その瞬間、変化は訪れた。


 死んだはずの女の顔が段々と赤みを帯びてきたのだ。しかもそれだけではない。顔に赤みが戻ってくるにつれて髪の色が変化し始めたのだ。それと同時に、女はうめき声を上げ、窒息でもしたかのように自分の首を両手で絞めた。急に呼吸が戻ったために肺機能がついてこないのだろう。だが、それは肺機能だけではない。次の瞬間、女の身体が激しく跳ね上がった。一度停止した全身の筋肉が、急激な変化に締め付けられるような痛みを発しているのだ。その変化はせき止められていたダムが決壊するような速さで女の身体を侵食した。


 この痛ましい光景は五分ほど続き、そして変化が収まったかと思うと女は今まで何事もなかったかのように平然と立ち上がった。


 だがその姿には確かに異変があった。


 その顔は生前とは数分前とは比べ物にならないほどに美しく整い、陶器のような白い肌は僅かな光で艶めいている。そして何よりその女の髪が根本から変わっていた。ウェーブのかかっていた髪は姿を消し、代わりに血のように赤く美しい髪が風になびいていた。


 その姿はまさに、目の前に立つ吸血鬼の女――Qとまったく同じ姿であった。


「素敵ね」


 Qが自分と同じ姿になった女を見つめてうっとりした様子で呟く。Qとなった女は無表情のまま、自分を見つめる同じ顔の女を見つめる。


「八体目、あなたの名前はQ8よ」


「クインアハト」と呼ばれた女は無表情のままに頷く。それを見てQがわが子を見るような目で薄く笑う。


「Q8。あなたに頼みがあるの」


 Qはそう切り出し、そしてJのほうをちらと見た。JはQの視線に気づいたがそちらを見ずにただ一度首肯した。


 それを見たQも頷き、懐から一枚の写真を取り出した。


「大したことじゃないわ、簡単なおつかい。このひとを探してきて欲しいの」


 QはQ8に写真を手渡す。そこにはひとりの男性が周囲を気にしながら歩いている姿があった。誰かをつけているのか、その姿には油断がない。だが、前に気を取られすぎて後ろから撮られたことにはまったく気づかなかったことがこの写真の存在によって証明されている。


 それはハルカを尾行した夜の大門鉄郎の姿だった。


「――こいつを探して、どうすればいい?」


 Q8がQと同じ声で尋ねる。同じ声だが話し方がまったく違うためにどこかQ8のほうが冷たい印象を受ける声だった。


 Qがそれを聞いて微笑む。そして心底嬉しそうに、短く告げた。

「目標と接触した可能性のある要注意人物よ。そうね。脳だけ取り出してくれれば、あとはどうにでも」


 寒空の屋上に響いたその言葉に、Jだけが怪しげな笑みを浮かべる。Q8は静かに頷く。その時、Q8は何かに気づいたように自分の胸元を見つめた。そして自分の首にかかったネックレスを掴んでQに質問した。


「これはどうすればいい?」


 Qはそれを見つめる。それは何の変哲もなさそうな十字架のネックレスだった。


「どうするって?」


「これは発信機だ。今もこちらの位置が捕捉されている」


 Q8が淡々とした口調で言った。その言葉にその場にいた全員に緊張が走りQ8を見る。


「捨てるべきだな。またはこの場で壊してしまうといい」


 Xが吐き捨てるように言った。Q8はそれに頷き、十字架を持つ手に力を込めた。その時である。


「待て待て」


 Jが突然そう言ってQ8の行動を制した。Q8の手から力が抜け、Jのほうを見つめる。


「なぜ、邪魔をする?」


 Q8が怖い顔でJを見つめる。Jはそれにたじろぎもせずに飄々とした様子でQ8を見つめ、


「俺にいい考えがある」


 そう言って口元に張り付いた笑みをいっそう歪ませた。



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