期待して
某年・秋――。
俺はその日、リビングで一人、くつろいでいた。
テーブルの上には緑茶の入った急須と湯のみ。お茶請けはきなこ味のチョコレート菓子だ。
俺としては本物のきなこもちが食べたいんだけれど、周り――特に、心配性の末の孫――から「詰まるからダメ」と言われるので、こいつで我慢している。
残念ではあるが、これはこれで気に入っている。
ずっと昔、“彼”に持たせたあの四角いのとよく似た味がするんだ。
そうこうするうち、尿意をもよおした。近頃、トイレが近いのがきつい。
湯のみを置いて立ち上がると、膝が少し鳴った。
気持ちはあの頃とほとんど変わっていないのに、体は正直だよな、まったく……。
ドアを開けて廊下に出たら、そこに見覚えのある影があった。
黒っぽいパーカーに細身のパンツ、ボディバッグを身につけた“あのひと”が立っていたんだ。
「あ、どーも、お久しぶりです」
あの夜と同じ顔、揺れない表情。
でも――ほんの少しだけ、口角が上がっている。
彼は言った。
「お迎えに参りました。今度は、正式に」
「それは、お疲れ様です」
どうして彼は毎回、俺が用を足しに行こうとするタイミングで現れるんだろうな。
懐かしさと可笑しさがこみ上げ、俺は笑った。
「……すいません、先にトイレ行ってからでいいですか?」
「おー、そっか。どーぞどーぞ。行っトイレ」
ウン十年前とまったく同じやり取りがくり返され、俺はサムズアップで見送るオムカエさんの前をゆっくり横切り、トイレへと向かう。
ここでふと気になり、足が止まった。
「あら? どうしました?」
「あの……俺、けっきょくトイレでぽっくり逝くんですか?」
「はい」
うお……。
一番シンプルで堪える答えが返ってきた。
「でも、安心してください。今度はパンツ上げる時間ありますからな」
ちょっと待て。
ということは、前回システムがすんなり処理を進めていた場合、俺はパンツすら上げられない状態で召される予定だったのか。
悲しすぎる事態を回避できて、とりあえずよかった……と思っていいんだよな……?
苦笑しながらトイレに入り、今度こそ人生最後になるであろう排泄を済ませる。
あと数分で人生が終わる。本当に終わる。
だが、俺の心は凪いでいた。やるだけのことをやって、今回は本当に思い残すことがないから。
あの日、俺は新しい命をもらった。
そう思って肩の力を抜き、とにかく楽しみながら生きようと思い始めたら、ささやかな幸せに目が向くようになった。
なじみのある景色や新しいものに満遍なくワクワクするようにもなって、なんだかいろいろうまくいくようになった気がする。
何を遺せたわけでもない。
だけど、いい人生だった。
きょうだいの分まで濃密に生きたかと訊かれたら、あまり自信はないのだが……少なくとも俺は満足している。
「はい、お疲れ様でしたー」
トイレから出て、心身ともに軽くなった俺に、オムカエさんが声をかけてきた。
「20〇〇年〇月〇日、午後〇時〇分〇〇秒――ただいまを持ちまして、あなたの人生、“期間満了”です。これから次の手続きに入りますけど、まあ、一瞬で終わりますんで、ちょっと待っといてください」
オムカエさんの手には、あの日見たスマートフォンのようなものの代わりに、小さな物体が乗っていた。俺の好きな“きなこもちのチョコ”とよく似ている。
そういえば、“スマホ”って懐かしいな。最近のガジェットは俺には合わなくて、いまいちついていけてないんだが、ああいうのと似た道具なんだろうか。
「――はい、登録完了です」
俺がちょっと、“あの世”や“懐かしのガジェット”に思いを馳せているうちに、登録は終わってしまっていた。
「そんじゃ、行きますかね」
「ずいぶんとお待たせした割に、手続きがあっという間すぎて……正直、混乱してます」
サクッと話を進めるオムカエさんに話しかけたら、「でしょうな」と返された。
ついでに意外な話を聞かされた。
「あれから“こっち”も進歩しましてね。以前の100倍以上のスピードで捌けるようになってるんですよ。そのうち、亡くなった方をお連れする工程まで全自動化されるんじゃないかって噂です」
なんでも“お迎え制度”そのものが見直され、死者の魂を瞬時に天国や地獄に転送する“システム”が開発されているのだという。
しかし、なんだな。こんなところにも近代化の波が……。
前にも思ったけど、“あの世”とやらは案外、俺たちの住む世界のすぐそばにある気がする。
「そうなったら、あなたはどうなるんですか」
俺が問うと、彼はゆっくりと首をかしげながら答える。
「わかりません。ジブンも身の振り方を考えておかないと」
「……うちの“ご先祖枠”におさまったらいいんじゃないですかね」
何の気なしにコメントしたら、オムカエさんはまんざらでもない顔をした――ように見えた――。
「あなたと話すと、肩の力が抜けますわ」
言いながら、彼はボディバッグの中から何かをつかみ出した。
もしや“きのたけ”かと思いきや、まさかの“切株”だった。
「前回、話題に出したんで持ってきてみたんですが、すでにご存じですかね」
「ああ、これ……あのあと、店で見つけて買いました」
廊下を進みつつ、俺は記憶をたどる。
「あとね、“すぎのこ”。あれもリバイバルしたんで、無事に食べられたんですよ」
「ほほう。長生きはするもんですな」
オムカエさんの口角が上がる。
「……ほんと、そう思います」
俺はうなずき、最後に自宅の中を見まわした。
家族のみんな、俺は先にいくけど、元気でな。あとは頼んだ。
深く考えると湿っぽくなるから、深呼吸――もうただの魂だが――して気持ちを切り替えた。
「心残りはありませんかね?」
オムカエさんの問いに再度うなずく。
「大丈夫です。エンディングノート用意してあるんで、あとは家族に任せます」
「準備万端ですなー」
「……なんせ前回、やらかしましたんで」
俺は苦笑する。
「……スマホとクレカ、焦って解約しなきゃよかったって激しく後悔したんですよ。あと、アカウント作り直すのも、鬼ほどキツかったです……」
オムカエさんは「ご愁傷様です」と煽り気味に答え、俺を先導する。
「続きは“車”で聞かせてください。オオクリくん、待ちくたびれてますからな」
おお! ついに、長年気になっていた“オオクリくん”と“送迎車”を見られるのか。
あの頃とはだいぶ様変わりしているとのことだが、楽しみだ。
ちなみにオオクリくんは今でもあの国民的コメディアンを推していて、モノマネのレベルも上がっているらしいから、移動中に披露してくれるかもしれない。
さて、と。
次に帰ってくるのは、春か。
お供えにきなこもちが出るのを期待して、いくとするかな――。
《完》
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
いくつになってもワクワクする気持ちを持ち続けられたら、きっと人生は明るい──。
そんな希望を込めて書きました。
読んでくださった方の心が少しでも明るくなったなら、こんなにうれしいことはありません。




