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マーカーを重ね塗れ、同じ席同じ教室で

作者: 海咲雪
掲載日:2026/02/06

 小学生の頃、ランドセルは赤だった。クラスでピンクのランドセルの子が一人だけいて、ずっと羨ましかった。

 幼い頃は、「一人だけ」ってとても特別に感じたの。



 高校二年生の秋前までは。



 高校の帰り道、交通事故にあった。後遺症も残らず、命も、意識もあった。



 足りなかったのは、出席日数だけ。



 リハビリを終えてクラスに戻った時には三月で、私はもう一度、高校二年生になった。



 今までの同級生を先輩に変えて。そして、今までの後輩は同級生に変えて。あまりに突然の「一人だけ」。

 もう「一人だけ」を羨ましいとすら、思っていなかったのに。


 神様、何故ですか?


 何故、私なのですか?


 何故、私が「一人だけ」なのですか?

 


 残酷なことに、出席番号順では一年前と同じ席。



 同じ席、同じ教室で、今日も私はすでにマーカーのひかれた教科書に線を重ねる。


⭐︎ーーーーーーー⭐︎


野中(のなか)さん、クラスには馴染めたかしら?」


 四月の半ばも過ぎた頃の昼休み。初めての担任との面談。私が黙ったのを見て、担任はすぐに気まずそうに笑顔を作った。


「とにかく野中さんが無事で良かったわ。うちの生徒が信号無視の車に()かれたと聞いた時は、肝が冷えたもの……きっとクラスのみんなもまだ戸惑っているだけだと思うわ。もし良ければ、気軽に話しかけてあげて」

「はい。ありがとうございます」


 なんとか担任との面談を乗り切って、教室に戻る。去年と同じ席に静かに座る。

 去年と同じ席。そして、同じ教室。文系のクラスは三クラスもあるのに、全く同じクラスになるなんて。三分の一の確率。仕方ないのかもしれない。


 違うのは、周りに人がいないくらいだろうか。去年の風景が頭をよぎる。


由沙(ゆさ)、課題終わってる!?」

「終わってるー!そんなこと聞くってことはそっちはやってないなー!?」

「由沙の裏切り者!写させろー!」

「帰りにカフェラテ奢りでお願いします……!あ、ついでに売店のお菓子付きで!」

「せめてカフェラテだけにして!?」


 ちゃんと「笑顔」だった。


 そんな思い出を思い出したくないかのように、携帯にイヤホンを繋いで音楽を流す。休み時間が終わるまで、ずっと。

 周りの楽しそうな話し声が聞こえないように、いつもの音量より一個大きくする。そして、好きな音楽ではなく、興味のない音楽をかける。だって、こんな苦しい時間に好きな音楽をかけて嫌いになんてなりたくない。


「……かさん。野中さん……!」


 クラスメイトに呼ばれていることに気づき、慌てて顔を上げた。久しぶりに話しかけて貰えた。どんな内容でも笑顔で愛想良く答えないと……!


「あの……数学の課題を集めてこいって先生に言われてて……」

「あ、ごめん!すぐに出すね!集めてくれてありがとう!」

「あ、いえ……全然……」


 敬語で話すかタメ口で話すか悩んでいるような話し方のクラスメイト。


「全然タメ口で大丈夫だよ!」


 なんとかそう言うと、クラスメイトは気まずそうに「ありがとう……」と消え入りそうな声で言った。ノートを渡すと、すぐに私から離れていく。



 苦しいね、私。涙が出そうなくらい。大丈夫だから。泣かないで。



 そう心の中で自分で自分に話しかけてしまう。だって、もう誰も私に気軽に話しかけてくれはしない。自分で自分を慰めるくらい許してよ。

 イヤホンを耳につけて、音楽をもう一度流す。なんでかな。いつもより大きな音で流してるのに、音楽に集中出来ないの。音楽が聴こえないみたい。お願い、早く授業が始まって。例え一度聞いた授業でも、ずっとずっと休み時間よりマシなのだ。

 その時、チャイムが鳴って、教室に先生が入ってくる。慌てて開いたノートに一滴涙が落ちて、小さなシミが出来る。授業中、そのシミの場所に書いた文字が少しだけ滲んだ気がした。


 五月の入っても、何も変わらないままだった。私はクラスで浮いたまま、ただ時間が経つのを待つのだ。昼休みに音楽を聞いても何処か辛くて、私は昼休みに過ごす誰もいない場所を校内で探すことにした。

 中庭に空き教室……どこかいい場所はないだろうか?校内で人が少ない場所でも、人が通らないわけではない。人が少ない場所でお弁当を食べている所を見られれば、逆に目立ってしまう。

 その時、私はあることを思いついた。正面玄関に繋がる廊下はどうだろう?勿論、登校時と下校時は人通りは一番多い場所だ。でも、逆に昼休みに正面玄関を使う人間はいないかもしれない。

 そう考えた私が正面玄関につながる廊下を見に行くと案の定誰一人いなかった。


「やった!」


 私はその日から、その場所でお弁当を食べることにした。誰も通らない廊下は案外気持ちが良くて、座り心地が悪くても気にもならなかった。それに教室よりずっと居心地が良い。

 しかし数日後、お弁当を食べ終わり音楽を聞いていた私は人の足音に気づかなかった。体育座りをしている私の足元に誰かの足が近づく。私は慌ててイヤホンを取り、顔を上げた。

 目の前には、スクールバッグを持っている制服の男の子。今、登校してきたのだろうか?


「野中さん……だっけ?こんな所で何やってんの?」


 何故、相手は私の名前を知っているのだろう?どう考えても、私は相手と面識があるとは思えない。私の表情で、相手は私の疑問が分かったようだった。


「俺は二年の浅沼 静也(あさぬま しずや)。野中さんと同級生だけど、俺も留年してる。ちなみに理系。野中さんのことは、俺の他に留年した奴がいるって先生に聞いたことがあったから知ってた」


 確かにもう一人同じ学年で留年した人がいると先生が言っていたかもしれない。文系と理系では関わることも殆どないので、気にもしていなかった。


「それで、何してんの?こんなところで昼飯?」

「あ、えっと……」


 上手く返答出来ない私を見て、浅沼くんはそっと私の隣に座る。



「なぁ、俺も明日からここで弁当食ってもいい?」



「え?」



 突然、意味の分からない提案をしながらも、どこか浅沼くんはぼーっとしていて……きっと断られるだろうと心のどこかで諦めているようだった。



「俺さ、生まれつき体が弱くて、休みも多くなって案の定留年。それでも、今日は別に体調が良かったんだけど……昼休みの教室に居づらくて、こうやって昼休みの終わり際に登校して来たんだ。もう留年したくないから、体調を整えて学校に出来るだけ行きたいんだ。でも……」


 浅沼くんは視線を落として、自分の内履きをただ静かに見つめる。



「クラスで息がしづらいんだ」



 浅沼くんの話を聞いているだけなのに、何故か私の喉の奥がキュゥっと痛んで泣きそうになる。


「昨日、初めて体調がいいのに遅刻して高校に行ったんだ。本当に『昨日だけ』のつもりで。どうか『たった一日だけ』許して下さいって。それで、結局今日の午前中もズル休み。嫌になるだろ?」


 分かるよ。分かりすぎるくらい分かるのに、喉が詰まって言葉が出てこない。きっと今喋ったら、涙が止まらなくなる。

 私も毎日毎日休みたいのに……一度休んでしまったら戻れなくなりそうで、それだけが嫌で家の扉を開けて外に出る。


「なんか今日、高校に入って野中さんを見つけて、話しかけないと後悔するって思った。正面玄関の廊下で、こんな冷たい床で、それでもここが高校の中で一番心地良さそうに静かに音楽を聞いてる野中さんを見つけたんだ」


 だめだ、まだ何も話していないのにもう私の目から涙が溢れる。床にポタポタと涙が落ちているのを見て、浅沼くんが少しだけ驚いた顔をする。


「ごめん、俺、余計なこと言ったよな?」

「っ!違うの……!なんて言えばいいんだろう……でも、本当に嫌な涙じゃないの……!」


 本当に私はなんで泣いているのかな?

 同じ境遇の人がいて安心した?一緒にお弁当を食べてくれることが嬉しかった?


 違う。一番は、私と「気軽に」話してくれたこと。


「私も、明日から一緒にお弁当食べたい……一人でここで食べるお弁当は、ただお腹を満たすだけで全然美味しくないから」

「ありがと、野中さん。じゃあ、明日も昼休みここに集合な」


 学校に行くというハードルが高すぎて、家の玄関の扉があまりに重く感じる毎日だった。そんな上がり続けるハードルを手を使ってでもなんとか飛び越えていた。それでも、終わりなど見えなくて。

 少しだけ息がしやすい場所が校内に一つでも出来たらとどれだけ考えただろう。

 私は一度だけ深く息を吐いた。そして、息を吸うと空気がすーっと喉を通る。


 喉の詰まりが取れて、明日はもう少しだけ話せる気がした。


 翌日の昼休み、昨日の場所に行くと浅沼くんはもう来ていた。浅沼くんの隣に座り、お互いにお弁当箱を開く。


「野中さんのお弁当美味しそう」

「お母さんが料理上手なの。事故にあった後、すぐにはあまり重いものが食べたくなくて……軽食でいつも美味しいものを作ってくれてた」

「いいお母さんだな」

「浅沼くんのお弁当も美味しそうだね。誰が作ってるの?」

「俺」

「浅沼くんが作ってるの!?」

「うん、少しでもモチベーションが欲しくて」

「モチベーション?」

「自分で作ったお弁当がお昼にあると、少しだけ午前中が頑張れないかなって思って」


 その話だけで、どれだけ浅沼くんが今まで工夫をして高校に来ていたか分かった。それでも、昨日浅沼くんは午前中にズル休みをした。どれだけ苦しかったのだろうか。

 それからもずっと他愛のない話を浅沼くんと繰り返した。相手のことを深くは(さぐ)らないような会話。

 

 それが、本当に楽しくて。


「浅沼くん、私もね、クラスで息苦しいの。当たり前だよね、皆んなと一個年が違うから。クラスのみんなが私と接するのを避ける気持ちも分かるし。それでも、ずっとこうやって高校で誰かと話したかった。だから……本当にありがとう」


私がそう言うと、浅沼くんは私の顔をじっと見つめる。


「野中さんさ、友達多かったでしょ?」


 突然の浅沼くんの質問の意図が分からない。


「周りに距離を置かれてもクラスメイトの悪口も言わないし、こんな俺にお礼だって言ってくれる。だからこそ、本当に辛かっただろうなって想像がつく」


 ああ、だめだ。また涙が溢れそうになる。クラスで浮いてるから、心が弱ってるのかな。でも本当に本当に泣きそうなの。


「去年のクラスメイトとは連絡取ってる?俺は元々そんなに友達がいなかったけど、野中さんはどうかなって」

「……心配の連絡は来てたけど、本心は言えないかな。『大丈夫』って返しちゃうから」


 私は誤魔化すように笑った。浅沼くんはそれ以上、詳しいことは聞かずにいてくれて、昼休みの終わりがそろそろ近づく。


「浅沼くん。そろそろ教室、戻ろっか」

「おう。お互い頑張ろうな」

「うん」


 教室に行きたくなくても、足は勝手に動いてくれるようで。気づけば、教室の前に立っている。カタカタと震える手で教室のドアを開けると、ドアの音に反応して数人がちらっとこちらを見る。そして、すぐに視線を外す。


 言葉に出来ないこの感情を一体どう処理すれば良いのだろう。


 大人だったら、一歳や二歳そんなに変わらないんじゃないの?例えば四十五歳と四十六歳はそんなに違う?一年ってそんなに大きい?

 浅沼くんは、私がクラスメイトの悪口を言わないことを誉めてくれた。


 だって、言えない。


 私が逆の立場だったら、きっと同じ対応をしていた。


 私が「普通」だったら、きっと対応に困ってた。


 私が「普通」だったら……そう考える自分が嫌になる。



「もう私は『普通』じゃないのかな」



 そう呟いた声は、誰にも届かない。


 それからしばらく経った頃。ある日の一限。私にとっての一番嫌な授業が始まった。


「えーと、ここからの課題制作はグループワークになる。適当に三〜四人のグループを作ってくれ」


 先生が簡単そうにそう告げる。それが誰かにとってどれだけ難しいかを考えずに。


 静かに空気になるように息を潜めてしまう。そして、皆んなが殆どグループを組み終わった頃に、三人になれなかった人達が私に近づいてくる。


「あの……野中さん。一緒にグループを組んで欲しくて……」

「私も困ってたから嬉しい!ありがとう。あと、全然タメ口で大丈夫だよー!」


 無理やり絞り出した声は、ちゃんと明るくなっていただろうか。「余りもの」の自分でも、ちゃんと笑顔で対応出来ていただろうか。

 課題が始まってからも他の二人が基本的に話して、私に申し訳なさそうに確認をする。そんな授業。

 

 まだ泣いちゃだめ。


 もう少しだけ、我慢して。


 授業が終わるまででいい。


 休み時間になったら、すぐにトイレに駆け込んで泣いたっていいから。



 だから、どうか……



 どうかもう少しだけ耐えて。



 課題が終わり、先生がグループごとに課題を集める。先生が課題を集め終わって、教科書の説明をしているとチャイムが鳴る。


「じゃあ、そろそろ授業終わるぞー。号令」

「起立、礼」

 

 私は、号令が終わると同時にすぐに教室出る。トイレじゃだめだ。もっと人が居ないところに行きたい。先ほどの授業で使われていない空き教室に駆け込んだ。



 もう泣いていいよ。



 そう心に言い聞かせる前にもう涙は溢れていた。嗚咽の混じった泣き声だった。



「うぁ……っ……!!苦っしい……の……!!苦しい……!苦しい!苦しい!」



 「誰か助けて」と、泣き叫んでしまいたい。それすら校内では許されない。空き教室でも、叫べば近くの教室に届いてしまう。


「うぁっ……はぁっ……!」


 無理やり泣き声を抑えるような泣き方だった。


「ちゃんと笑顔で教室に戻らないと……戻らないと、なの……に、な……」


 涙は止まってなどくれない。それでも次の授業は休めない。だって休めば、きっともう教室の扉を開くことは出来なくなる。

 無理やり袖で涙を拭って、ポケットティッシュで鼻をかむ。手鏡で顔を見ると、目が充血していて酷い顔だった。

 教室に戻りたいのに、この顔をクラスメイトに見られるのは嫌だった。


「どうせ誰も私を見てないからいいか……」


 そう呟いた自分が本当に惨めで、私はもう一度泣きそうになった。


 昼休みになっても、気持ちは晴れないままだった。


「野中さん、大丈夫?なんか元気ない?」

「あ、いや……大丈夫だよ!」


 頭が働かなくて、「ちょっと朝から体調悪くて」とか「体育で疲れて」とか適当な理由をつけることすら出来ない。

 私が無理をしていることに浅沼くんは気づいたようだった。


「俺で良かったらなんでも聞くけど。野中さんにはお世話になってるし」

「あ……えっと……」


 言えるはずがなかった。クラスのグループワークで余って、クラスメイトに気まずそうに話しかけられたと誰が言えるのだろう。同じ境遇でも、自分が惨めすぎて伝えられない。

 小さなプライドが邪魔をする。


「まぁ、無理には聞かないけど」


 そう言って、浅沼くんは何故か自分の話をし始めた。


「俺は今日、休み時間に課題を提出しようと席を立ったら、少し近くの人にぶつかったんだ。それで『ごめん』って謝ったら、気まずそうに『あ、全然……』って言われた」


 浅沼くんの意図が分からない。



「それが俺の今日あった嫌なこと。野中さんは?今日、何か嫌なことあった?」



 その時、初めて浅沼くんの優しさに気づくのだ。


 その優しさが嬉しい。


 それでも、人の出来ている浅沼くんを見ると、何故か自分がさらに惨めに感じた。そんな自分が最低で、心がざわついたのが分かった。


「言えない……ごめん……」


 気づいたら、そう呟いていた。浅沼くんは、そんな私を怒りもせず「そっか」とだけ言った。



 本当に自分が最低で、今があまりに辛すぎて、気づいたら詰まったような声でもっと最低なことを言ってしまう。




「あの日、私なんて交通事故で死んでしまったら良かったのに」




 もう涙も溢れない。まさに心に穴が空いたようだった。浅沼くんが立ち上がり、私の前に立つ。



「野中さんも立って」


 

 私が視線を下に向けたまま立ち上がると、浅沼くんの右手が上がったのが視界の端で見えた。

 本当に最低なことを言った。怒鳴られようが、頬を叩かれようが、仕方ない。

 私は目を閉じることもせず、ただ浅沼くんの怒りを受け入れるつもりだった。



 しかし、浅沼くんは右手で私の手を取り、左手でパチンと私の手のひらを叩いた。


 

「顔を上げて、野中さん」



 意味が分からないまま、顔を上げた私と浅沼くんは目を合わせた。



「頬はお母さんにでも叩いてもらって」



「え……?」



「野中さんが生きていて良かったと心の底から祈って、野中さんのために軽食やお弁当を作ってくれるお母さんにでも怒って貰えばいい。いや、お母さんじゃなくてもいい。野中さんが事故にあった時に、心を痛めるほど野中さんの無事を祈ってくれていた人間にでも叩いて貰って」



 空いた心の穴が埋まったわけではないのに、気づいたらちゃんと涙は溢れていた。



「それでも、俺も『今』ちゃんと野中さんに生きていてほしいっと思ってる。だから、手のひらを叩くくらいは許して」



 それがどれほどの優しさか分からないほど、私はもう子供じゃない。


「ごめんっ……なさ……い……ごめん、なさい……!」


 両手で顔を隠し、浅沼くんの前で泣いてしまう。


「ねぇ、野中さん。俺だって、高校なんてきたくない。なんなら、死んでしまいたいって思うことすらある。でも、そんな時に野中さんに出会ったんだ」


 顔を手で隠しているので、浅沼くんの表情は分からない。


「野中さんに初めてここで会った日……午前中のズル休みは二回目だったけど、きっとその次の日は『欠席』になっていたと思う。そして、そのまま『不登校』になってた。それくらい、もうだめだと思ってたんだ」


 涙でボロボロの顔をあげると、浅沼くんはまだちゃんと私の方を見つめたまま話してくれていた。


「あの日、一人でお弁当を食べて、冷たい廊下に座って、イヤホンで自分を守るみたいに小さく体育座りをしている……そんな野中さんに救われたんだ」

「救われた……?」

「最低だけど、同じ境遇の人が同じように苦しんでいるのを見て『安心』した。でも、それと同時に『負けたくない』って思った。『この人と一緒に頑張りたい』って」


 浅沼くんは、私の隣にもう一度座り直す。


「こうやって隣に座って、一緒にお弁当を食べるだけの関係。友達とは少し違う関係かもしれない。それでも、今、俺にとって学校で一番楽しい時間なんだ」


 私もだよ、と言いたいのに嗚咽ですぐに声が出てこない。私も一番嫌いな昼休みの時間が一番好きな時間になったの。


「私も楽しい……本当にこの時間だけが救いなの……」


「じゃあ、皆んなと一緒だな」


「え……?」



「皆んな授業が嫌な人が多いだろ?昼休みが一番好きって人の方が多いと思う。じゃあ、俺らきっと『普通』だよ」



 その言葉に救われないなんて無理だった。


 「普通」に戻りたくて、ただ「普通」になりたくて。


 そんな私に「普通」と言ってくれる。


「普通」が良いとかじゃなくて、ただ今の私がその言葉を求めていた。


 心臓がキュゥーっと痛んで、初めて前を向ける。


「浅沼くん……本当にありがとう」


 クラスで無理やり作る笑顔とは違う顔でお礼を言えただろうか。伝わっているだろうか。どうか伝わってほしい。


 本当に前を向けた。


 それでも、クラスでの苦しさは変わらない。分かっている。


 でも、今のこの気持ちを忘れたくない。



 どうか、この勇気が出るこの言葉を……この魔法を忘れないで。


 次の日の昼休みに浅沼くんに会うと、いい意味でいつも通りだった。

 昨日のことには、もう触れずにいてくれる。


「そういえば野中さんさ。結構、音楽聞いてるよね。昼休みに俺が遅れるといつも音楽を聴いて待ってるし。どんな音楽を聞いてるの?」

「えっと……実は、なんか流行りの音楽のプレイリストを適当に流してるだけで」

「じゃあ、音楽全般が好きな感じだ」

「いや、好きな音楽はあるんだけど……」

「……?」


 浅沼くんが不思議そうにこちらを見ている。


「好きな音楽を学校で聴いたら、嫌いになっちゃいそうで」


 あははと、私は笑って誤魔化した。


「聴けばいいじゃん……って、言いたいけど、その気持ちちょっと分かるわ」


 と、浅沼くんも少しだけ笑った。でも、すぐに「でも、やっぱり聞いた方がいいと思う」と言い換えた。


「だってさ、野中さん。俺らは勝手に教室に居づらくなってるだけで、本当は何も悪いことしてないし」

「……」

「野中さん?」

「あ、いや本当にそうだなと思って。なんで、私たちこんなに肩身が狭いんだろうなって思ちゃった」

「あはは、確かにそうだよなぁ。俺ら、本当なんでこんな教室に居づらいんだろ。なぁ、野中さん。変なこと聞くけど、俺と話すの嫌じゃない?」

「嫌なわけない……!」


 浅沼くんの声を遮るように否定した私を見て、浅沼くんはどこか嬉しそうだった。


「……やっぱり、野中さんは優しいよ。俺にいつも勇気をくれる」


 浅沼くんに貰ってばかりは嫌だった。私も浅沼くんに少しでも「勇気」を返せていたのだろうか。


「さ、午後からも頑張るか」

「うん」


 浅沼くんの嫌味のない「頑張る」に、また私は勇気を貰うのだ。


 その日の午後、全校集会があった。

 元同級生と同じ体育館で話を聞く。前の全校集会では、顔を少し下げて、視線を下に向けて、どうか誰にも見られませんようにとただただ願って終わった。

 昼休みにあんな話をしたからだろうか。

 整列した後に少しだけ顔を上げてしまった。無意識に元同級生の列を視線で追ってしまう。

 見慣れた顔が当たり前だけど全員で、見慣れた雰囲気のままだった。


 本当だったら、あの列に「私」もいたはずだった。


 私の本当の居場所は、今並んでいる列じゃない……なんて、哀れな感情が顔を出す。その時、去年同じクラスだった友達と目が合った。私が交通事故にあってからも、留年してからも、連絡をくれ続けた友達。


 友達は私と目が合うと、当たり前のように笑顔で手を振ってくれる。そして、私が手を振り返すと、さらに笑顔になってくれる。


 涙が溢れそうで、下を向いて唇を噛む。


 浅沼くんは、私を優しいと褒めてくれた。


 違うよ、本当はそんな資格ないの。



 本当は、どれだけかなんて表現出来ないほど世界を恨んだ。



 何故、私がこんな目に遭わなければいけないんだと、他の人だったら良かったのに、と思わないなんて無理だった。


 それでも、やっと分かったことがある。






 ねぇ、私、よく聞いて。






 どうか覚えておいて。






 そして、絶対に忘れないで。






「貴方は何も悪くない」






 涙で滲んだ視界はぎゅっと目を瞑って、涙を落としてしまおう。

 そして、見えた世界はきっと前とそんなに変わらないでしょう?


 大きく変わった二度目の高校二年生。


 それでも、今見えている景色は周りの高校生が見ている景色と同じなんだ。


 ねぇ、だから私だって「笑顔」で過ごしてもいいはずでしょう?


 全校集会が終わって、ホームルームが終わった後、私は先ほどの友達に連絡を送った。


「久しぶりに会えて嬉しかった!」


 すぐに既読がついて、帰って来たのはたったの二文字。



「私も」



 私を幸せにしてくれる言葉は、すぐそばに転がっていた。


そんなことがあっても、教室での環境は何も変わらない。



 少しだけ違うのは、イヤホンから流れる音楽が私のお気に入りの音楽なくらいだろうか。



 去年と変わらない席、変わらない教室。


 違うのは、周りのクラスメイト。


 もう苦しくない、なんてそんなことは絶対に言えないし、きっとこれからも私は沢山泣くのかもしれない。



 それでも、もう昼休みは嫌な時間じゃなくて。


 好きな音楽も聴けて。


 たまには、「笑顔」だってある。



 そろそろ次の授業が始まるので音楽を止めようと携帯を開けば、友達からのメッセージが入っていた。


「今度、一緒に遊ばない?」


 私は、「遊びたい!」と短く返信する。次に会ったら、少しだけ……ほんの少しだけで良い。いつもより、素直な笑顔で会えたらいい。



 携帯を片付けて、次の授業の教科書を机の上に出そうとして、机の中に入っていたノートを落としてしまう。

 通りかかったクラスメイトの女の子が拾ってくれて「どうぞ……」と渡してくれた。


「ありがとう!」


 私が笑顔でお礼を言うと、その子が少しだけ笑い返してくれる。



 もうそれだけで十分だった。



 何も変わらない苦しい教室でも、きっと小さな幸せはあるはずで。



「おーい、授業始めるぞー」



 教科書を開く。


 すでにマーカーで淡いピンク色の線のひかれた教科書のページ。


 私は昨日買ってきた新品のマーカーを取り出す。同じ淡いピンク色のマーカー。


 二重でマーカーをひけば、色が濃くなる。きっともっと濃い色のマーカーだったら、文字は読みにくくなっていただろう。




「でも、これなら重ねて塗ってもいいよね」




 だって、こっちの色の方が今は綺麗に感じる。



 だから、明日もその次の日もこの席でこの教室で教科書に線を重ねられたらいい。




 前を向いて過ごせたら、それだけでいいから。



fin.


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ライトノベルではなく、本になった短編小説を読んでいるようで感動しました……主人公ちゃんの等身大の悩み……初めは「気にしすぎじゃない?」と思っていましたが学生時代を思い返せば私も『人の目を気にしすぎてい…
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