第07話:トロアの天使
シャルル七世との密談から半日も経たないうちに、俺とバシリアは城壁都市トロアの外壁を望む丘に立っていた。
「……緊張してますか?アニェス様」
「してない。ちょっと胃が痛いだけだ」
バシリアは俺の横で小さく笑った。
だが、本当に胃が痛いのは事実だ。
――シャルル七世。
歴史の教科書でしか知らなかった“王”が目の前で息をしていて、しかも俺に頼みごとをしてきた。
ジャンヌを救ってくれ、と。
重い。
だが、重いからこそ引き受けた。
俺はもう、誰も置いていきたくはない。ふと、楓華の顔がちらつく。
「よし。食料を買ったらすぐ出るぞ。長居はしたくない」
「はい。……ですが、見てください」
バシリアが指さした先に、トロアの城門があった。
十数名の兵。
通常より明らかに多い。
「……検問が厳しいな」
「異端審問官が来ているそうです。昨日、巡察が始まった、と」
「最悪のタイミングだな」
俺は小さく舌打ちした。
異端審問官がいる。
“火あぶりにかけられた少女の身体で目覚めた” 俺が、最も遭いたくない連中だ。
「行くしかない。大丈夫だ。少しの食料を買って出るだけだし、変に騒がなきゃ――」
そう言いながら、俺は自分の格好を見下ろした。
アリス謹製の、妙に上等な白いゴシックドレス。
素材は上質、刺繍は丁寧、裾はふわりと風をはらむ。
普通の村娘は絶対に着ない。貴族も着ない。というかこの時代に存在しない。逆オーパーツ。
「……俺、目立つな」
「はい。とても」
「否定しないのか」
「事実ですので」
「事実だけど!」
言い合いながらも、城門に向かう。
二人並んで歩くと、近くの農民たちがちらちらと見てくる。拝んでるのもいる。
兵士が手を上げた。
「止まれ!名前と所属を言え!」
「旅行者です。西へ向かう途中で、食料を買いに……」
言いかけた瞬間、兵士の目が俺を見ると細まった。
「……その格好は?」
「え?」
「どこかの貴族の娘か?護衛は?証文は?」
「貴族じゃ――」
「連れていけ」
有無を言わせぬ声だった。
「は、はぁ!?なんで――」
「異端審問官殿が“白衣の娘を警戒せよ”とお触れを出している。お前だ。説明は詰所だ」
バシリアが前に出る。
「アニェス様に触るなッ!」
その瞬間、短槍が二本ほどバシリアに向けられた。
俺の背中が冷たくなる。
……これ、下手したら本当に火刑コースじゃないか?
「わかった!行く!従うから、武器は振り上げるな!」
俺は両手を上げた。
バシリアは悔しそうに唇を噛む。
「すみません……アニェス様……」
「いい。大丈夫。ここから逃げるぞ」
「はい……!」
二人ともしっかりと捕縛され、城門の詰所へ連行された。
異端審問官は留守らしいが、代わりに高圧的な修道士が事情聴取をしてくる。
「白衣の娘。教会より通達がでている。白衣を纏った少女姿の魔女が災いを招くと。貴様か?」
「何ですか。それ」
「ならば証明せよ」
(悪魔の証明やん)
修道士が身を乗り出す。
「貴様は何者だ?どこの教区で洗礼を受けた?」
俺は答えられない。
本名ないし、洗礼なんて受けてない。
バシリアが俺を庇うように一歩前に出た。
「アニェス様は旅の途中。出自を問い詰めるのは――」
「黙れ、下働き風情が」
その瞬間、俺の胸の奥で何かが弾けた。
――俺のバシリアを侮辱するなよ。
思わず立ち上がった瞬間、兵が二人掴みかかってくる。
「おっと……!」
腕をとられた。
だが、軽い。
この身体でも“勇者の力” は余すことなく使える。
――ここから逃げる。
「バシリア、行くぞ!」
「はいッ!」
俺は兵士の手を振りほどき、床を蹴った。
吹き抜けの二階までを一気に跳ぶ。
「なっ……!?飛んだ……!」
修道士の声が裏返った。
バシリアも瞬間的に身を低くし、兵士の足を刈る。
詰所が一気に混乱に包まれた。
「捕らえろ!あれは“天の使い”だ!いや、“悪魔”かもしれん!」
どっちだよ!?
俺は天井の梁を蹴り、窓の格子に手をかけた。
格子は古く、軽くひねるだけで外れる。
外へ飛び出す瞬間、夕陽が差し込み、俺の白い服が強く反射した。
白い残像が“翼のように” 見えたらしい。
「天使だ……!」
城門の外の民衆がざわめく。
「天使が……飛んだ……!」
「異端審問官の言っていた白い娘は……天の使い……?」
ちょ、やめてくれ。
「アニェス様!」
バシリアも裏口から飛び出す。
俺は近くの蔵屋根へ着地し、手を差し出した。
「バシリア、こっち!」
「はい!」
バシリアが跳躍し、俺の腕を掴んだ瞬間、背後で修道士の怒号が響く。
「閉門しろ!絶対に逃がすなッ!」
城門が閉まり始めた。
俺は屋根を蹴り、走り出す。
屋根から屋根へ、軽い身体が風を切る。
常人では追えない速度だ。
「アニェス様……!速すぎ……!」
「文句はあとでっ!」
最後の屋根を越えると、トロアの外壁が見えた。
壁の上には兵士が多数。
柵も閉まっている。
だが、その下に――湿地帯。
古い排水路がある。
「バシリア、あそこだ!」
「はいっ!」
二人で排水路へ滑り込み、腰まで泥に沈む。
「うわ……最悪……」
「し、仕方ありません……!」
暗闇の中を抜け、外へ出た瞬間、俺たちは汚れたままの姿で丘の下の森に飛び込んだ。
怒号は遠ざかり、二人だけの呼吸音が残る。
「はぁ……はぁ……」
バシリアが息を整えながら俺を見る。
「アニェス様……本当に……天使みたいでした」
「……泥まみれの天使がいてたまるか」
「でも……綺麗でした。だから捕まったのです」
「褒めてるのか、それ」
「褒めています」
俺は泥を払いながら、遠ざかるトロアの鐘の音を聞いた。
戦の影が迫る世界で、俺たちはまたひとつ、“誤解された奇跡” を残してしまった――。
***
「アニェス様」
「ん?」
「食べ物が御座いません…」
バシリアの言葉は、俺の体力よりも先に、心のHPを削ってきた。
「……え?今なんて?」
「食べ物が、ありません……アニェス様」
泥まみれのまま、森の中に身を隠した俺たちを包むのは、月明かりと静寂だけだった。
腹の虫が、あからさまに鳴いた。
「……まさか、全部トロアの検問で没収されたのか?」
「はい……。あれほどの槍の数に囲まれては、荷物を守りきれませんでした……申し訳ありません」
うつむくバシリア。
しかし悪いのは彼女じゃない。悪いのは――時代だ。
「いや、バシリアのせいじゃない。俺も油断してた」
「アニェス様……」
泥に座り込み、俺は頭をかく。
勇者の力はあっても、腹が減るのはどうしようもない。
「……なあバシリア。野草って食えるやつあるか?」
「毒を判断できますので、採取しましょう。……ただし、味は保証できません」
「生きるって、大変だな……」
バシリアはクスッと笑う。
「アニェス様が泥まみれで落ち込む姿、珍しくて可愛いです」
「可愛い言うな。俺は勇者だぞ」
「はい。勇者のアニェス様です。ですが……今はお腹を空かせた少女です」
「やめろ!」
しかし笑い声は、泥と疲労で沈みかけた空気を少しだけ軽くした。
バシリアが手際よく薬草を仕分けする。
俺は俺で、森に向かって魔力をほんのわずか放った。
――雷の気配に反応して、鳥や小動物が動く。
「アニェス様、それは……狩り、ですか?」
「狩りじゃない。森に一声かけただけだ」
「かけ声で鳥は落ちてきません」
「いや、来るよ。勇者だから」
バシリアが呆れたように見てきたが――その瞬間。
高速で木の枝を叩き落としたような音が続き、
小さなウサギと鳥が数匹、目の前に落ちてきた。
「…………え?」
「な?来るって言っただろ」
「アニェス様……あの……これ……普通の森では起きません……」
「勇者だからな」
「勇者って……便利……」
バシリアは呆然としながら、でも嬉しそうに獲物を確保した。
森の奥に月光が射し込み、白い泥まみれのドレスがぼんやり光る。
その姿を見たバシリアは小さく呟いた。
「……本当に、天使に見えますね」
「堕天使か?」
「ふふっ……泥天使様、調理いたしますので、そこに座っていてください」
「誰が泥天使だ!」
***
簡単な焚火で肉を焼き、二人で分け合う。
胃が満たされていくと、ようやく呼吸が楽になった。
バシリアは火を消しながら言った。
「アニェス様……今日、危なかったですね」
「まあ、な。でも、逃げ切れた」
「はい。ですが……異端審問官が『白い少女を警戒せよ』と言っていました。
もうどこも安全ではなくなります」
「わかってる。だから……急ぐぞ、バシリア」
「ジャンヌを、助けるために」
「……ああ」
月明かりの下、森の中で風が鳴った。
ヴォージュを出てから初めて、俺たちは“追われる側”になった。
だがそれでも――引き返すつもりはなかった。
俺が救えなかった世界がある。
だから、この世界では救える命は救う。
その思いだけを胸に、二人は泥まみれのまま、夜の森に身を横たえた。
***
「…アニェス様……起きてらっしゃいますか?」
「何?」
「オンブルとブロンダンの事なのですが…」
俺はガバッと身を起こす。バシリアと目を合わせると…
再度、夜のトロアに忍び込み、大事な仲間のオンブルとブロンダンをコッソリ連れ出した。
バシリアの隠密スキル、俺のインビジブルとスニークスキルが役に立った。
朝が来れば、突然消えたように見えることだろう。これも奇跡の一つとなるんだろうな…




