第23話:イス(Ys)
低い丘を越えると、視界が一気に開けた。
灰色がかった海が広がり、
入り江に沿って木と石で作られた家々が点在している。
潮と藻と、濡れた木の匂いが混じった、
内陸では決して嗅がない匂いがする。
「……海だ」
俺がそう呟くと、バシリアが小さく頷いた。
ドゥアルネネ湾。
ペトロナと合流したときイングランドへ渡る道として指し示された地になる。
バシリアが、現在の湾の様子を確かめるように語り始めた。
「今のドゥアルネネ湾は、見ての通り穏やかな海です。入り江が多く、潮も比較的読みやすい。漁に恵まれ、沿岸の小さな交易も成り立つ。
人が集まる場所ではないが、消えずに残り続ける場所です」
波は静かに寄せては返し、遠くで海鳥が輪を描いている。
「ですが昔は妖精の加護のあった地です
この海には、栄華を誇ったイスという海上都市が存在しました」
そこで、バシリアは声をわずかに落とした。
「イスの伝説は…
魔女とローマ帝国のキリスト教改宗と密接に関わる伝説になります。」
「キリスト教?」
ジャンネットを見るが首を振っている。
バシリアは頷くと話を続ける。
「イスは、5世紀にブルターニュのコルヌアイユという国を治めていたグラドロン王が、溺愛する王女ダユーに請われ作られた都です。
荒海から切り離し、堤防と潮門で守られた海上の都。娘が寒さにも風にも脅かされず、自由に生きられるようにと建造されました。」
「豪勢な話だな」
「イスの支配者となったダユー姫は、妖精の力を借り、海行く船から略奪を繰り返し、その富で繁栄し栄華を極めました」
ここで魔女の残り香である妖精が出てくるのか。
「はい。
しかし、栄華と共に都は腐敗し、人々は享楽に溺れ、背徳の都となりました。
ダユー姫には、求婚する貴公子が数多く訪れ。気に入った貴公子を誘惑しては、飽きると殺して海へ捨てるようになります。」
「なんというか、人間ってのは変わらないな。でも、その都の状況って何処かで聞いたことがあるような…」
「聖書のソドムとゴモラでしょうか?」
ジャンネットが、喉元まで出かけた都名を教えてくれる。
「それに似てるな」
バシリアはニコリと微笑む。
「そんなダユー姫のもとに、赤ずくめの貴公子が訪れます。彼はダユー姫を逆に誘惑し、イスを守る潮門の鍵を奪い。潮門を開け放って洪水によって水没させました。
伝説では赤い貴公子は、悪魔であったとされています」
「あれ?キリスト教はどう関わってるんだ?」
「ローマ帝国がキリスト教へと改宗し、グラドロン王も友人であった聖コランタンによりキリスト教に改宗することになります」
「聖人コランタン。奇跡の魚のですか。」
「誰だ?」
「ブルターニュの“七聖人”のおひとりで、彼は隠遁生活を送っていた際に、池にいるいくら身を切り取って食べても、翌日には元通りに再生する魔法の魚を食べていたという伝説をお持ちの方です。5世紀の聖人です」
ジャンネットが目を輝かせて説明してくれる。
「妖精の見えたダユー姫は、キリスト教に抵抗があったため、グラドロン王に都を願ったのがイスの始まりです。
そのため妖精との関係が深く、栄華の果ての退廃を迎えてしまいます。
憂いた聖コランタンは弟子の聖ゲノルに、ダユー姫を改心させるようにと差し向けます。ですが聞き入れられず。洪水を予見した聖ゲノルはそのことをグラドロン王に進言し、洪水の時にはグラドロン王が溺愛のダユー姫を馬の後ろに乗せて逃げようとしますが、キリスト教の戒律に厳しい聖ゲノルからその悪魔ー罪を犯した娘ーを振り落とせとの断罪を迫られ、王は泣く泣く娘を海に落とし、自分だけが助かりました」
「聖ゲノル…聖コランタン様の弟子で、ブルターニュのランデヴェネック修道院の創設者と聞かされています」
「グラドロン王はその後、内陸に逃げ延び都を造られました。それがカンペールです」
バシリアがそこまで話すとティーテンが話し始めた。
「イスを沈めたのはまだアーサーと出会う前のモルガン姉さまです。魔法で姿を変え、ダユー姫を騙し、洪水を起こし沈めたの。妖精が関わりその行いの果てとはいえ、身勝手な振る舞いで妖精の名を汚し、人としての尊厳を忘れたものを、その責任から許すことできなかったの。」
ティーテンが下を向きつつ教えてくれる。
「その結果、自身の認めるもの以外を悪魔とするキリスト教は、この制裁を悪魔のせいとしてこの話を伝説にしました。
キリスト教ではソドムとゴモラで同様の制裁を行っているのに、魔女が行なうと悪魔のせいにしてしまいます」
ジャンネットが顔を青くしている。
「ジャンネット。伝説にしたのは人間だ、信仰は個人の心の問題だ、ジャンネットは自分の信じる道をいけばいい。
ただ、自分の目で判断するようにするんだ。
世界の在りようはひとつじゃない…」
俺は仲間を見渡し。
「なんていうかこんな連中が居るってことだ…」
「なんか、すっごい失礼なんですけどぉ」
「アニェス様…」
ペトロナは笑っているが、皆に睨まれた。
「この先に、街があります」
街、というほどではない。
だが人の営みが、確かにある場所。
俺たちは、フランスでの最後となる人里に足を踏み入れる。
屋根は低く、風を避けるように寄り添い、
網を干す柱があちこちに立っていた。
浜には引き上げられた小舟が並び、
壊れた樽や、補修中の櫂が無造作に置かれている。
「……村、ですね」
ペトロナが静かに言う。
城壁も、城門もない。
検問もない。
代わりに、潮風に晒された生活の跡が、そこかしこにある。
村の入口らしき場所に差しかかると、
網を繕っていた老人が顔を上げた。
最初に視線を送ったのは、馬。
次に、俺たちの服装。
白と黒の対比に、
一瞬だけ、手が止まる。
だが、それだけだった…
「……めずらしい。旅の人か」
掠れた声だった。
「はい。休ませていただければと」
バシリアが前に出て、簡潔に答える。
「泊まるだけなら断られりゃしないだろう、村に入りな」
それだけ言うと、また網に視線を戻した。
村の中へ入る。
土と砂が混じった道。
家の前では女たちが桶を洗い、
子どもが貝殻を蹴って遊んでいる。
誰も近寄ってこないが、
誰も逃げない。
歓迎でも拒絶でもない。
この村は、そんな距離感らしかった。
馬を村の外れに繋ぎ、
俺たちは空いている納屋を借りることになった。
扉を閉めると、
外の波音が、壁越しに柔らかく響いてくる。
俺たちがこの地に来た理由は、イスの在った地より、位相のズレから妖精の小道を通りブリテン島に渡ることだ。
イスには妖精が関係していたのは、元々この地に妖精の世界への入口が存在していたからだ。
その入口は海上にある。
こんなに苦労するなら、巨大なハングライダーでも造って魔法でイングランドまで飛ばせばよかったとか思ったり思わなかったり。
だが、ユカイな仲間、ティートン、ティーテンとも逢え一緒に旅ができたのはかけがえない財産だと思う。だからこの旅は俺にとって宝だ。
「まだ終わってないわよ」
「俺の心を読むな!」
ティートンが舌を出す。
それより、問題は海上に出る方法をどうするかだ…
ここまで運んでくれた2頭の馬の扱いも問題だ。
俺たちが馬の前で相談していると、漁師にしてはガタイの良すぎる男が寄ってきた。顔や腕に刀傷が見受けられる。
「これは、どこの妖精かと思った。近づいたら消えるものと思ってたよ」
と言って、俺の頭に手を置く。
「えらいベッピンさんの集団だが…こんな貧乏な村に慰問でもないだろうし…何者だ?」
「じ、巡礼です、カンペールから来ました」
バシリアが一瞬詰まった。
この男、妙な威圧感がある。
「ほう、良い馬だな…」
馬を見るとそちらに気が移ったようだ。
「どうだ、俺に売らないか?」
ペトロナが俺を隠すように前に出る。
「失礼ですが馬を買えるようにはお見受けできませんが」
「なんだよ、こう見えても、馬とお前ら全員囲うくらいの甲斐性はあるんだぜ」
男は俺たちを…見回した。
「ん?んんん?」
ジャンネットに目を止める。
「…なにか?」
「いや、まさか、そんななことは」
「なにか気に障ることでもしましたでしょうか?」
「んー違うか、あの女はもっと覇気があって怖いからな…こんなにぽわぽわしてないよな。死んだはずだし」
その言葉に、皆一瞬緊張するが、表には出さない。バシリアから殺りますか、殺りましょうみたいな雰囲気が漏れ出る。
「どうだい、皆俺んちこねえか」
「女性に対して失礼ではないですか」
ペトロナの叱責に男は肩をすくめただけだった。
「なあ、馬売ってくれないか」男は俺に交渉をもちかける。普通はペトロナあたりと交渉すると思うんだが…
「なんで俺にもちかける?」
「ん、だって、お嬢さんがこのメンバーの責任者だろ」
「…なんで、そう思う?」
「んーなんでだろうな、生き物としての格が違う感じ?」
なんなんだこいつは、バシリアが殺気を放ち始めてるのに飄々としてるし。見抜く目も持っている。ただの漁師とは思えない。
「怖い顔するなよ、別嬪さんが台無しだぜ」
「何者だ、お前…」
「単なる遊び人だよ…今は」
飄々とした遊び人…奉行か将軍様か?たぶんそれに類する奴ってことなんだろうな…
「いいだろう、馬の件だが…6人が乗れる小舟と交換でどうだ?」
「そんなんで、良いのか?」
「ああ、必要なんだ」
「船なんて消耗品だ、良いぜ船と交換だ」
「だけどさ、お前さ、そんなに綺麗なんだから、男ことばは止めろよ勿体なさすぎだぜ」
「うるせー」
男は村の男たちに声を掛けると、船の用意をさせている。
「船の用意は直ぐできる、どうだい俺んちに寄ってかないか?カンペールなんだが…」
つまり漁師ではないってことか…
「そこから来たばかりだ、戻る気はない」
「ん-残念だな」
***
船の準備が出来るのを待っていると男がまた話しかけてきた。
「都の方の噂知ってるか?」
「噂?」
「ああ、トロアで天使がでたとか。
コンピエーニュでこれまた天使が、イングランド兵を天変地異で蹴散らしたとか。
なにやら白い天使の話がもちきりらしいぜ」
「……そうなのか、天使がでたのか。ミテミタイナー」
「なんで、かたことになってんだ。お前も喋らなければ天使だな」
「悪かったな、口が悪くて」
「まあ、それはそれで可愛いけどな」
「不思議だな、この時代、女性がこんな口の利き方したら非難するもんだろ」
「あ…あー普通はそうかもな。お、船の用意が出来たみたいだぞ」
船を見ると、大きさは6人程度用だが簡単な帆も持つ船だった、船内はオールは勿論だが、食料やお金が積まれていた。
「これは?」
「ああ、馬のお釣りみたいなものだ、受け取っといてくれ」
「…そうかありがとう」
そうそう、素直が一番と俺の頭に手を置く。
男は馬を連れて村を離れていく。
「俺の名はジャン=クリストフ・ド・ラヴァル。ま、三男だが何かあれば力になるぜ。覚えといてくれ」と去り際に言っていた。
「ド・ラヴァルですか」
ペトロナが横に立って呟く。
「知ってるのか」
「ブルターニュと縁が深い伯爵位の有力貴族です」
「ふーん」
「興味なさそうですね」
「馴れ馴れしい男は嫌いだ」
笑われた。
「でも、あの地位だと情報は色々集まるものなんだな、ジャンネットや俺の事も知ってるみたいだった」
「そうですね。アニェス様も別にお隠しにならないから、当然の結果かと…」
むー
その夜、俺たちは村のものに気づかれぬように、船に乗って海へ乗り出した。
しばし…フランスとはお別れだ。
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