第15話:モルガン・ル・フェイ
ジャンヌ・ド・ブリグの紙片に文字が浮かび
“モルガン・ル・フェイ”と浮き上がった後、俺たちは程なく廃村を見つけ。少しマシな廃屋で一夜を明かすことにする。
簡素な食事を終え、バシリアが静かに息を整えた。
彼女が語りだす気配に、ジャンネットもポトンも自然と耳を傾ける。
「モルガン・ル・フェイ…」
名を告げた瞬間、その場の空気がわずかに締まった。
バシリアの声は焚き火の火芯のように静かで、けれど芯を失わない明るさを秘めている。
「治癒魔術、変身、未来視、妖精魔法。ケルト系で最強と呼ばれた魔女で、アヴァロン九姉妹の長姉。アーサー王の異父姉…そして、アーサー王を最後にアヴァロンへ迎えた存在です」
「アーサー王?……それじゃあ物語にでも出てくる登場人物?」
おれが口を挟むと、バシリアは軽く首を振った。
「物語の中に隠れている“実在の魔女”です」
「でもアーサー王自体、伝承とか創作だって聞いたけど」
「魔女が関わる事象は、物語とした方が都合が良いんです。
神が神話と教えで存在を誇示するように。
反対に、魔女は物語に隠れ歴史に紛れるのです」
「……」
「嘘の中に真実を混ぜると真実に思えるように、巧みに、時間を掛けて、悠久の…」
バシリアが言葉の端を飲み込んだ。
横顔に、言い過ぎたと悟った色が浮かぶ。
「悠久の、に何か続きがあるんだろ?」
問いかけると、彼女は困ったように微笑んだ。
「いえ。大したことではありません」
語尾をごまかして視線をそらしたその仕草が、逆に引っかかる。
だが問い詰める空気でもない。
ジャンネットが首をかしげた。
「バシリア様、アヴァロンとは何のことですか?」
「ブリテン島の沖にあるとされる小島です。
ただし位相が違うため、普通の方法では辿り着けません」
「そういえば、イエス・キリスト様がイングランドへ渡った際にアヴァロンに着いた、なんて噂を聞いたことがあるが……」
ポトンがひょいと身を乗り出した。
バシリアは苦笑をひとつ。
「イエスがブリテンに渡った事実はありません。
あれはイングランドの修道院、特にグランストンベリーが自分たちの権威を高めるためにつくった話です。
ただ――イエスの没後、ヨセフ・オブ・アリマテアはブリテンを訪れています」
「ヨセフ・オブ・アリマテア?」
俺が聞き返すより早く、ジャンネットがそっと補足した。
「イエス様の御遺体を引き取られた聖人様です」
「ええ。イエスの叔父で、正教会の七十門徒の一人。
そのヨセフは“聖杯”を携え、ブリテンへ渡りました」
「聖杯……アーサー王伝説と深い関わりのあるやつか」
俺は肩を竦めた。話のスケールがどんどん広がっていく。
バシリアは神妙にうなずいた。
「はい。実際、関わりは深いです」
……いや、深いなんてもんじゃないだろ。
ラ・イルを見ると、彼はもう話に飽きたらしく、親指の爪を弾いて遊び始めていた。
(これ……もしかしてめちゃくちゃ厄介な話に首突っ込んでないか?)
「話を戻します…アヴァロンにはアーサー王が眠っています」
「息子に殺されて死んだんじゃなかったっけ?」
「それは…フランス作家クリティアン・ド・トロワから派生する創作ロマンスです」
「…?」
「キャメランの戦いでアーサーを破滅へ追い込んだのは。アーサー派の共同統治者のウェールズ王族のモードレッド王です。しかし血縁関係は御座いません。
この時代は共同統治が多かったのです。
ところで、ここにいる皆さんは一つ勘違いしていると思います。
アーサー王は――ローマ帝国撤退後、ブリテン島で東から侵入したアングル人・サクソン人・ジュート人に押されていた、ブリトン系(ケルト系)の諸王国が窮地に陥ったときに現れた、ケルトの英雄なのです」
「…え?ローマ帝国と戦ったり、円卓の騎士やランスロットとかは?」
「全て、フランス作家の創作です」
「「「えええええ」」」
「何で皆さんがそんなに残念そうにするのかわかりませんが…話を戻します」
俺達は頷く。ちなみにラ・イルは寝てしまった。
静寂の中、バシリアはまた声を落とす。
「魔女は物語を利用します……
つまりアヴァロンは存在します。
そして、アヴァロンを管理する九姉妹の魔女も実在するのです」
「…何故?物語に隠れているような魔女が、わざわざアリスを――?」
「モルガン・ル・フェイは未来視の魔法使い」
「…あ、アリスも」
「はい、アリス様もケルト系、しかも」
「星詠みの魔女で…たしか過去と未来のあらゆる事象を参照できる索引とか言っていたな」
バシリアが頷く。
「最強の魔女と稀代の星詠みの魔女か…未来でも食い違ったのか?」
「その可能性が高いです」
「だけど…穏やかな話じゃないな…」
俺は腕を組む。
「アヴァロン…ではなくイングランドに災い有るときアーサー王が甦ると言われています」
「アーサー王帰還伝説か?」
「……それはどういう意味でしょうか?」
バシリアが首を傾げる。
「そう云う本があるらしいんだが」
「…それは今より未来の本かもしれません」
紛らわしいことこの上ない…おれは内心ゲンナリする。
「アリス様の見る未来が、アニェス様の行動が、モルガンにイングランドの危機に関わるものと判断された可能性があります」
「………バタフライ効果のような何かが発生したと?」
ジャンネットが改めて口を開く。
「ソレル様、先ほどから魔女の話をなさっていますが……悪魔や魔女は人々を惑わし苦しめる敵と教えられておりますが」
「それは…」俺は言葉に詰まる
「ジャンヌ様。
キリスト教が魔女狩りをする理由を御存知ですか?」
「悪いものであると」
「信じていただけないと思いますが…」と、バシリアは一つ頷くと前置きをして続けた。
「キリスト教が国教になった後、
小氷期による気候不順で凶作や飢饉、疫病が多発しました。特に黒死病による大量死で人々の不満が高まり、『神が何もしてくれない』という声が上がったのです。教会の権威失墜を逸らすため、教会や支配層はスケープゴートを必要とし、異端や声を上げられない者を“魔女”と呼んで弾劾し始めました」
「そんな、神が間違える、騙すなど…」
ジャンネットの声には驚きが混じる。
「勘違いしないでください、神ではなく教会の”にんげん"がおこなったのです。それは人々から災厄の目を逸らさせるだけでなく、異端者の財産を没収し私腹を肥やし、異端者を作ることで英雄としての地位を得たのです」
「………そ」
「ジャンヌ様も異端審問で不条理な扱いを受けられたと思います。神とは別の話です」
言い終わると、バシリアは一瞬俯き、慌てて言葉を切る。
「…………」
「バシリア、その話はここまでで……」
俺は彼女の肩に手を置き、話を止めた。
「…申し訳ありません」
ハッと我に返ったように、バシリアは謝る。
「いえ…謝られる必要はありません…その通りだと思います」
「支配者層はそれが解ってても止められないし、人によっては率先して益を得ようとする奴がいるからな。たちが悪い」
ポトンがバツの悪そうな悔しそうな複雑な顔をする。ポトンもラ・イルも支配階層側の人間だ。思うところがあるのだろう。
「で、良い魔女が、そのアリスさんって人なのかい」ポトンが頬を掻きつつバシリアを見る。
「いえ…アリス様は良い魔女では……」
バシリアが自分で言って、“おっと”みたいな顔をする。
(バシリア……)
「バシリアさん。神と魔女の関係はわかりますか?」
ジャンネットがそんなバシリアに尋ねる。
「…申し訳ありません、私の口から申し上げること叶いません…」
「そう…なんでしょうね…」
「取り敢えず、敵はアヴァロンのモルガン・ル・フェイで良いんだな」と俺は纏めに入る。
「はい」と力強く頷き返してくる。
久しぶりに見る凛とした目だ。俺も嬉しい。指針が決まった。後は動くだけだ。
「よし。じゃあ次の問題だ。どこを目指し、何をすればいい?」
そこまで言った瞬間、バシリアの顔がひきつった。
「……え?」
まるで、崖の端で後ろを振り返った旅人みたいな硬直。
ジャンネットもポトンも、つい身を乗り出す。
「バシリア?」
「何か……あるのか?」
「まさか、道が無いとか言わないよな?」
バシリアは言葉を探すように目を泳がせた後、小声で告げた。
「その……アヴァロンへ向かう方法が……」
間が妙に長い。
「わかりません」
廃屋に落ちた静寂が、焚き火のぱちりという音だけを残した。
遅れて、みんなの視線がおれに集まる。いや、俺を見るな。
「おい待て。今、敵は世界最強クラスの魔女で、場所は異位相の島で、そこに行く手段は“不明”ってことか?」
「……はい」
「バシリアぁ……!」
ポトンが頭を抱え、ジャンネットは「えぇ……」と口元を押さえ固まった。
ラ・イルだけは寝息を立て続けている。ある意味いちばん強い。
「サラかペトロニラが居てくれればどうにかなったのかもしれませんが…私、武闘系でして……」とバシリアは肩を丸めた。
「サラかペトロニラってバシリアに似たメイドさんたちか?」
おれが頭をかかえると、バシリアは申し訳なさそうに縮こまったまま、それでも言葉を続ける。
「ですが、完全に手詰まりというわけではありません。アヴァロンの位相を開く鍵は、必ず“地上側”にあるはずです。モルガンが動いている以上、手掛かりは残っているはずです」
「つまり、“まず鍵探しから”か……」
「はい……」
肩にのしかかる重さに、深い息が漏れる。
けれど、絶望というより、ようやくスタートラインを確認できた感覚に近い。
バシリアも同じだろう。迷いが晴れた目をしている。
「……わかった。鍵探しでもなんでもやるさ。アリスたちを放っておけるかよ」
そう言うと、バシリアの肩から少しだけ力が抜けた。
「ありがとうございます、アニェス様」
焚き火の明かりが、バシリアの横顔をやわらかく照らした。
アニェスとしての俺も、前の世界での俺も、こういう“頼られ方”には弱い。
「で。鍵って、どこにある可能性が高い?」
おれの問いに、バシリアは一拍置いて、静かに答えた。
「……ケルトの古い遺跡です。
神話と歴史の境目が曖昧な地。
恐らく、ブリテン島のどこかに……」
そこで言葉が切れた。
「また遠いなぁ……!」
ポトンが天を仰ぎ、ジャンネットは真面目な顔で「海を渡る準備が必要ですね」とつぶやく。
……こうして見ると、案外悪くない面子だ。
おれは息を吐き、手を叩いた。
「よし。まずは鍵探し。そしてアヴァロン。
モルガンでもなんでも来い。やるべきことは決まった」
その瞬間、小さな火の粉が宙に跳ね上がった。
まるで、次の旅路の幕開けを告げる合図みたいに。




