第7話 砂時計の街
春が過ぎ、夏の気配が王都に満ちてきた。
その中心で――王妃主導の新しい制度が始まった。
“砂時計の法”と呼ばれたそれは、最初は誰もが笑った。
「砂で水を計るなんて」「絵本の話だ」と。
だが、笑いは長くは続かなかった。
◇
王都の広場。
私の目の前に、二つ並んだ大きな砂時計が置かれていた。
ひとつは、北の井戸の待ち時間。
もうひとつは、南の井戸のそれ。
午前の日差しの下、砂が落ちていく。
市民たちは立ち止まり、その光景を黙って見つめていた。
「殿下、これで一目でわかりますね」
クララが汗を拭いながら微笑む。
「砂の落ちる速さで、待っている人が多いかどうか。
数字よりずっと正確です」
「ええ。……数字は帳簿の上で嘘をつけるけれど、砂は嘘をつけない」
風が吹き、砂の粒がわずかに舞う。
子どもたちが歓声を上げた。
遊びながら、自然と順番を覚える。
――秩序は、力ではなく、美しさで守られる。
それが、私の信じた答えだった。
◇
王城では、アドリアンが“砂時計の地図”を広げていた。
王都全域に設置された砂時計の観測データが、細かな線で繋がっている。
待ち時間が長い地区ほど赤く染まり、短い地区は青に変わる。
「……北区の井戸が異常だな」
彼は眉を寄せる。
「水量が十分なのに、砂が遅い」
「列が長く見えるよう、わざと砂の流れを細くしているのかもしれません」
リリアナが指先で地図をなぞる。
「偽装です。裏で“井桁商会”が動いています」
「砂をいじるとは、ずいぶん芸が細かいわね」
私が呟くと、アドリアンは笑った。
「人は“時間”さえも操ろうとするらしい」
「なら、こちらも同じ方法で返しましょう」
「同じ方法?」
「“砂”でなく、“光”を使うの。
砂時計の上に鏡を置いて、日が当たる時間を測る。
太陽が傾くほど、水の流れを早める装置を組み込むのよ。
――神の時間で、人の嘘を暴く」
沈黙。
そして、リリアナが口笛を吹いた。
「王妃殿下、いよいよ科学者の顔ですね」
アドリアンが苦笑しながら頷く。
「いいだろう。太陽の審判を利用しよう。
“光の時計”――明日から建造を」
◇
三日後。
王都の中央広場。
太陽の光を受けた巨大な鏡が、塔の先で輝いた。
その下に並ぶのは、光を受けて流れを変える砂時計。
午前と午後で砂の速度が変わり、夜には止まる。
「昼は民に、夜は王に公平を」――そんな言葉が広まった。
やがて、“光の砂時計”は単なる水配分の装置を超え、
時間と誠実さの象徴になっていく。
人々は取引にもこの時計を使い、
「太陽が三分落ちるまでに約束を果たせ」という言葉が
王都の新しい慣用句になった。
◇
その夜。
白薔薇の庭で、私は噴水の縁に座っていた。
アドリアンが静かに隣に腰を下ろす。
「王都の子どもたちが、“光の女神様”と呼んでいるそうだ」
「それは王妃ではなく、時計のことよ」
「違うな。誰が作ったかを、子どもたちは知っている」
夜風が吹き、噴水に星が揺れる。
私はその光を指でなぞりながら言った。
「ねえ、アドリアン。
涙は、悲しみのためにあると思っていた。
でも今は、涙のあとに笑えるなら、それでいい気がするの」
「涙は水だ。水は流れる。
流れた先に花が咲くなら、それが正しい涙だ」
私は微笑んだ。
「あなたも、詩的になりましたね」
「君の隣にいると、言葉が勝手に詩になる」
彼の掌が、私の手を包む。
その温もりは、王のものではなく、ただの人のものだった。
「明日、隣国から再び使者が来る。
水路の共同建設を正式に提案してくるらしい。
“光の時計”の影響だ」
「世界は、涙よりも速く動くのね」
「だからこそ、君の微笑が必要だ」
夜空に浮かぶ星々が、まるで砂のように流れていく。
この国の時間も、確かに動いていた。
◇
そして翌朝――
王都の全ての砂時計が、一斉に光を放った。
太陽の角度がちょうど重なった瞬間、
光が鏡を伝い、街じゅうに虹の筋が走る。
子どもたちが歓声を上げ、老婦人が手を合わせた。
私は城のバルコニーからその光景を見ていた。
アドリアンが隣で囁く。
「見えるか、オーリヴィア。
あれが――“涙の国”の新しい夜明けだ」
私は頷き、静かに答えた。
「ええ。涙が流れたあとに残るもの、それが光なのね」
そして、微笑んだ。
涙の王と微笑の王妃の物語は、
いま、光の時代へと歩み始めていた。
――第8話「太陽の約束」へ続く――




