懺悔と感謝は聞かせてナンボ。
夫に手を引かれサロンに入ると、やはり今日もカーテンは開いている。どうやらユリウスは今日もこの部屋にいるようだ。
「……エリオノーラ、この部屋は」
「あなた、どうか私に先にしゃべらせて?」
夫は小説の主人公の父親だ。そして、父親とは往々にして主人公の超えるべき壁となる。
そのため、ゼファルも例にもれずハイスペックだ。
恐らく、この部屋に潜むユリウスの存在に気が付いたのだろう。
そして、この部屋に隠れているユリウスも動揺したようだ。部屋の隅で、風もないのにカーテンの裾が少し揺れた。
エリオノーラ全肯定botであるゼファルにそう言えば、この人は黙ってくれるだろうと思っていたが、本当に口を噤んでしまった。
彼の腕を少し引き、ゼファルを部屋に置かれたソファまで誘導する。
私が先に座ると、ゼファルはどうすればいいのかと悩んでいる様子であった。
「あなた。お話しするのに立ったままでいるつもり?」
「いや、だが……。あなたは、私のことを、疎んでいるだろう…………?」
「……そう、ね。いえ、そう思い込みたかったのかもしれないわ……。ティアナから、私がクラウゼン伯爵家を訪れたことは聞いていて?」
ソファに座る私の前に立つゼファルを見上げると、首が痛くなりそうだ。
すぐに目を合わせることを諦めて視線をガラスの窓から見える庭へと向ける。
「……聞いている。頬を打たれたと。」
顔に影がかかり視線を戻すと、ゼファルが覆いかぶさるように私の前に立つ。
大きな手がゆっくりと顔に近づいてきて、指の背でそっと頬を撫でた。
私を見下ろす青い目が、痛ましそうに細められている。
彼の手に自分の手を添えると、驚いたようにびくりと跳ねる。
しかし私の手を振り払うようなことをせず、おとなしく私にゆだねている。
ゼファル様って優しいのよ。愛情表現が下手くそなだけで。小説のエリオノーラもゼファルを受け入れれば幸せになれたかもしれないのに。
小説の中のエリオノーラは生家であるクラウゼン伯爵家に辟易としながらも執着していた。
母に似た自分を疎ましそうに見る父。ことあるごとに、「お前の母親のせいで!」と暴力を振るう継母。継子だと言うのに半分血のつながっている義姉。
父は私が生まれる前、母と結婚していながらよその女を抱いていたのだ。
母との結婚を条件に、母の実家からの援助を受けていたくせにだ。
それなのに父も継母も、母が自分と恋人の結婚を邪魔したと主張する。
父は母の血を引く私に伯爵家を継がせたくはなかったらしい。
しかし、表向きは継子である姉を正当な後継者にはできない。
だから、婚約者と私を表向きは結婚させ、用済みになった私を金でエロ爺に売り飛ばす。義姉に私の名前を名乗らせて伯爵家を継がせるつもりだったのだ。
表向きは母の娘である私が伯爵家の当主なので、母の実家からの援助をもらい続けるつもりだったのだろう。おぞましい。
でも、小説のエリオノーラは母との幸せな時間の詰まったクラウゼン伯爵家に執着していた。
馬鹿で夢見がちな彼女は、本気でいつか父が自分をクラウゼン伯爵家の後継者にすると考えていたのだ。
幸い、エリオノーラが公爵家の財産に手を付け始めたのはユリウスの体が大きくなる十歳以降。
それまではまだ子供のなりだったのが、徐々に自分を犯した公爵の面影が強くなりエリオノーラの精神は耐えられなくなり、本格的に心が壊れた。その壊れた心の隙に付け込んだのが、父親である伯爵だったのだ。
でも、私は絶対にそんなことしない。
前世の記憶をインストールしたからか、伯爵のことを家族とは思えない。
アレはもはや小説の小悪党であり、私が生き残るために排除すべき敵だ。
「父から、私をグリマウ前子爵に売るつもりだったと聞いたの。何度もお前は出来損ないだって言われたけど、婚約者を見つけてくれたから。ようやくあの人たちに認められたと思っていたのに」
フッ、と自嘲的な笑いをこぼす。ほんっとうに、馬鹿々々しい。
あの男たちがエリオノーラを受け入れることなど一生こない。
そして、あの男たちに待ち受けているのは『破滅』だけだ。泥船に乗る気はない。
「わたしは、父よりもあなたのことを信じてみたくなったの」
私の言葉にゼファルの顔がグッとゆがんだ。
期待と恐れをごちゃ混ぜにした、後悔の滲んだ表情だ。
「私は、君に手を出すべきではなかった」
「どうして……?」
「君を、長い間苦しめてしまった」
血を吐くような苦しみ交じりの声だ。ゼファルはいったいどれほど傷ついていたのだろう。
エリオノーラも、もちろん傷ついたのだろう。だが、どれだけエリオノーラがゼファルを嫌おうとも、ゼファルはエリオノーラの恩人なのだ。
私が昔の私を好きになることは、死亡フラグを回避したとしても一生訪れることはないだろう。
「あなたは、私を助けてくれたのでしょう?グリマウ子爵のところに売られていたら、私は散々いたぶられた末に殺されていたはずだわ」
「……助けたわけじゃない。君の悲劇に付け込んで、ただ私の欲をぶつけただけだ」
「でも、その欲がなければわたしはきっと生きてはいなかったわ」
「だとしても!君を愛しているのであれば!……ッ、婚約者を想い、涙を流す君を抱くべきではなかった……ッ!俺が君の心を壊しッ!君の五年を奪ったんだッ!!」
徐々にお互いの主張がヒートアップし、ゼファルの手にグッと力が込められた。
直後、上背のあるゼファルから放たれた咆哮のような叫び声。
痛いくらいの静寂に、今にも逃げ出しそうな彼を掴む手に力が籠もる。
「わたしは、ユリウスを授かったことを間違いだとは言いたくないの」
彼が言う奪った五年は、ユリウスが生まれてからの五年のことだ。
ゼファルの言葉を肯定してしまえば、私はユリウスの存在を否定することになる。それだけはしてはいけない。
死を回避するためでももちろんあるけれど、それ以上に母として。
「わたしはどうしようもなく弱いから、たくさん間違えてしまったけれど。わたしみたいに『いっそ生まれてこなければよかった』なんて、これ以上あの子に思わせたくないの」
頬の側にある彼の手を開かせて、その手のひらにすり寄った。
「とても…………、とても遅くなってしまったけれど。わたしを助けてくれてありがとう、ゼファル様」
できるだけ美しく見えるよう、意識して笑みを浮かべる。
口を開きすぎることはなく。かといって作り笑いに見えないように。目にはいっぱいの感謝と愛を浮かべるのよ。そう、推しのパパだと思えば愛を込めるのなんてたやすいことよ。
打算マシマシの笑みの直撃をくらい、ゼファルはびしりと固まった。
それをいいことに、追撃で彼の指の先にキスを落とす。めいっぱいの感謝と称賛を込めて。
これで。これで、ゼファルはこれから私の味方になってくれるだろう。それも、完璧な。
あぁ。本当に、自分で自分が嫌になる。私はこの人の愛を知りながら、自分のために利用している。
ゼファルが真摯であろうとすればあろうとするほど。私の浅ましさが浮き彫りになる。
そして、私は死なないためならこの感情すら利用して見せるわ。
悔しさと情けなさからぽろりと目から涙がこぼれた。
それに気づいたゼファルは目を見開き、言葉を失ったまましばらく立ち尽くしていた。
やがて膝から崩れ落ちるようにして、すぐさま私の前に跪く。私よりも低くなった場所から心配そうに見上げている。
ねぇ、ユリウス。聞いていた?あなたのお母様はね、実の親に売られてみじめったらしく死ぬところだったのよ。それを言い訳にした男に抱かれてお前を産んだのよ。
それでも、今は改心してあなたを愛そうとしているの。
ほんの少しでも共感して同情してくれたのなら嬉しいわ。
人づてに聞くのと、実際に本人から聞くのとでは重みが違うでしょう?
「もしも、それでも何か償いと言うのなら。どうか臆病で弱いわたしの代わりにユリウスのことを愛してあげて。きっとあの子はわたしのことが怖いはずだもの。いっぱい叩いてしまったの。叩かれたら痛いことなんて、わたしだって身をもって知っているのに……っ。おねがいよ、ゼファル様。わたしの大事な子供なの」
そして将来、私を殺すのをためらってちょうだいね。