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幕間:公爵夫人が変わった日

「ユリウス様。どうぞこちらのお部屋でお休みください。すぐに湯の準備をさせます」


 ()()()()の侍女がそう言って僕を一人豪奢な部屋に残して退出する。

 今日一日でいろんなことが変わりすぎて、ついていけない。

 『前の世界』では、終ぞ通されることがなかった『シュトラウス公爵子息の部屋』を見渡した。



 これは、僕にとっては『二度目の人生』だ。



 一度目の人生で、僕は十八歳の成人を迎えるまで、ずっと太陽光の差し込まない薄暗い地下室で生活させられていた。

 成長するにつれ僕の顔が()()に似始めた途端、公爵夫人はおかしくなり始めたのだと、()()()使用人たちが教えてくれた。

 だから、僕がこんな地下室に軟禁されることも、公爵夫人にハサミで顔の皮膚を剥がれそうになることも、食事がすべて傷んでいることも、体に合わない小さな服しか着させてもらえないことも、泥酔した公爵夫人の鬱憤の捌け口として酒瓶で殴られることも、それを治療してもらえないことも。すべてが仕方のないことなんだそうだ。

 僕は公爵が公爵夫人を無理やり襲って孕ませた『ケダモノの子』だから仕方がないんですよ、と。


 まったくもって、馬鹿気でいる。


 この屋敷の一部使用人たちは、公爵と公爵夫人が僕を軽んじているからと自分たちも僕のことを見下していいと思っていたようだが、そんなことはない。


 一度目の人生では、僕が十八になった翌日に公爵が死に、『イラナイ子』である僕がシュトラウス公爵家の当主になった。

 たとえ公爵と公爵夫人にとって僕が『イラナイ子』だったとしても、僕は公爵の一人息子。

 当主になった暁には、仕えるべき当主一家の血を軽んじたことを後悔させてやろうと思ったし、実際当主になった際にはそうしてやった。

 

 幼い頃は僕を殴るためだけに顔を見せていた公爵夫人は、僕の体が大きくなるにつれ殴りに来ることすらなくなった。当時は顔すら見せない『父』とは違い、会いに来てはくれる『母』に淡い期待を抱いていた。

 だから、当主になってすぐ、公爵夫人に会いに行った。


 『ごめんなさい、ユリウス。お母様が間違っていたわ。愛してる』


 もしかしたら、母をおかしくさせた父が亡くなったことで、僕を見てくれるのではないか。

 もしかしたら、ほんの少しでも愛してくれるのではないか。


 しかし、現実はそう甘くはなく。公爵夫人の部屋に入ると、まるで悪魔を見るかのような目をした公爵夫人に手あたり次第物を投げつけられたのだった。


「おぞましい!!死んだと思ったのに!またわたしの目の前に姿を見せるの!?なんで死んでいないのよッ!!」

 

 そう叫ぶ公爵夫人を、彼女付き侍女が抱きしめて僕を彼女の視界から隠した。


 


 当主として家の財務状況にメスを入れると、公爵夫人が多量の金銭をどこかに横流しにしているらしいことが分かり、調べるとそれが彼女の実家であることを知った。

 すぐさま公爵夫人を問い詰めると、言葉にならない言葉を叫びながらペーパーナイフを手に取り僕のことを殺そうと差し向けてきたので、きっと彼女の中で僕はあの薄暗い地下室の中で震えて眠ることしかできない小さな『イラナイ子』のままであったのだろう。

 もしくは、成長した僕が自分を襲った公爵に見えていたのかもしれない。

 


 調べてみると、僕は公爵令息として受け取るべき女神の洗礼も、教育も、富も権力も地位すらも。なにもかもこの『公爵夫人への贖罪』のために奪われていることがすぐにわかった。

 だから、シュトラウス公爵家の宝物庫に保管されている、光の精霊ルミエールの眷属である雷の精霊エルクレアの加護が宿るという『裁きの雷冠』に手を伸ばした。

 雷冠の継承者になってからは、過去と決別し、僕が僕であるために。僕はこの手で公爵夫人の首を切り捨てた。



 その後は家宝である『裁きの雷冠』の加護を証拠に、僕が公爵家の正統後継者であると認めさせた。

 その後セレイア教の神殿で洗礼を頂き、自分の存在を証明するかのように前公爵の跡を継いだのだ。

 陛下や王太子殿下の治世のために前公爵がそうしたように、僕も欲深い貴族共と渡り合ってきた。

 その最中、戦争も経験したし、大切な人を失う痛みも、裏切られる苦しみも味わった。


 そうして、『血狂い公爵』と揶揄されながらも前公爵が結婚した年齢にまで成長した。

 僕もそろそろ後継のために結婚を、と考えたタイミングで、心の深い部分で何かがプツリと切れたのだ。



『いったい何のために生きているのだろうか』と。



 だから再生と癒しを司る女神であるセレイア様の神像に祈ったのだ。


『僕のことをほんの少しでも哀れにお思いならば、どうか闇の精霊ノクシアの導きの元眠りにつきたい。そして、どうか来世は光の精霊ルミエールの導きの元、何者にも脅かされない確かな守護の元生きてみたい』と。




 そうして、眠る様に意識が薄れ、僕はまた小さな体で公爵家の薄暗い地下室で目を覚ましたのだ。





 またこの場所だ。僕はまた、十八歳のあの日までここで堪えねばならないのか?

「女神セレイア様。これが、あなたの思し召しなのですか……」

 絶望交じりのその声が、一瞬自分のものだとわからなかった。

 しかしすぐに、これはチャンスだと思いなおす。

 必ず一度目よりも早くこの地下室から脱出し、僕の手にあるべきものをできるだけ早く取り戻すのだと。


 直後、俄かに外が騒がしくなり、地下室の扉が開いて公爵夫人が入ってきた。

 また殴られるのかと、体を強張らせた僕のことを彼女は柔い腕で抱きしめた。



「ごめんなさい!ごめんなさいね、弱いお母様を許してちょうだい……ッ」



 信じられないことに、彼女は泣きながら心底そう懺悔しながら僕のことを抱きしめたのだ。


 真実と導きを司どる光の精霊の眷属である雷の精霊には裁きの力がある。それは、光の権能により、偽りを見つけ排除する力だ。一度目の人生では戦時中に仲間の裏切りが判明するまで気づかなかった力だが、今ならわかる。

 直感が、それが真か偽りかを告げるのだ。

 精霊の加護は魂に宿るもの。この世界では裁きの雷冠に触れたことはないが、一度目の人生で授かったその加護は確かに僕の魂に宿っている。


 だからこそ分かった。



「ああ!ユリウス!かわいい子、あなたのことを愛しているわ!」



 彼女のこの言葉が本心なのだと。





 もう、諦めたはずだった。

 家族からの、母親からの愛情など、とうの昔に諦めたはずなのに。


 今は優しい。けれど、明日は?明後日は?その次は?

 凍った湖の上を歩いているような心地がする。次の一歩で割れるかもしれない。しかし進む以外の道はない。

 信じたい気持ちと、散々期待を裏切られてきた事実が心の中でせめぎ合う。

 




 煌びやかな公爵令息の部屋の中、僕は赤くなった顔を隠すように俯いた。






「…………月の女神セレイア様。あなた様のお慈悲に感謝します」

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