音だけでも怖い敵
地下に一際強い風が吹き、小さな悲鳴と共に人影が降ってくる。さっき外に飛び出してアネモネに無効化魔法の情報を伝えに行った女性だ。
「ひゃん!」
空気を固めたクッションらしきものがあったのか、エロい声を上げながら見えない何かにバウンドして地下室の壁際に転びつつ着地する。
「……ってことは少なくとも今のとこアネモネは操られてないって事か?」
一瞬気が緩み安堵しながら転んでいる女性を助けに行こうとすると、突然バク転しながら体勢を立て直したその人が「静かに」というジェスチャーをする。
「…???」
えっ怖い。なんだろう。もしかして地下に何か居るかもって意味じゃないよね。そこそこ広いけど閉鎖空間に見えない敵が居るって、もう戦闘とかじゃなくホラーなんだけど。
突然バタン!という音がして今度は扉が閉ざされる。なんなの。アネモネでいいんだよね?無事な状態で何かやってるんだよね?そうじゃなかった場合ホラーとして悲鳴を上げて泣くけど。全然泣くよ、怖いから。
静かにというジェスチャーは解かれない。不意に訪れた緊張感からずっと解放されない。助けて、胃がキリキリする。私ちょっと急いでて、怖い上に余計なことしてる暇無いんで勘弁してもらえないだろうか。
さっき飛び出してから帰ってきた女性が集中しながら静かにウロウロと歩き回り何かを確認している。
いつのまに付いていたのか分からないが、その歴史研究員の背中にはなぜか人の手がしがみついていて、突然のホラー展開を一層薄気味悪いものに……
「「……~~~!!?!?!」」
思わず悲鳴を上げかけた私とウラニアがお互いの口を塞ぐ。どうやら同時に気付いてしまったようだ。
いつのまにここはお化け屋敷になったんだ?
警戒し続ける女性の背中には青白い幽霊みたいな手が張り付いている。どうしようこれアネモネの手じゃないよね?魔石化しちゃったから千切ったとかじゃないよね?そうじゃなくて幽霊だった方がマシのような、それはそれで怖すぎるような、もうどうすればいいんだよ。
というか魔石化した腕を千切ったとしたら魔石化してないこの青白い腕はなんなのってなるので割と幽霊優勢だったりするのかな?そんな馬鹿な。嫌過ぎる。
どうやら既に他の人達も気付いていたようで、必死に女性に向かって背中を向けて、何か付いてるとジェスチャーを送っている。だが健闘も虚しく「静かにしていろ!」というジェスチャーを返されている。
私以上に怯えまくってる人も居るらしくて、ガチガチと歯のなるような音が聞こえる。
よくよく耳を澄ませば、ブー…ン…という不安になる低い音も鳴っている。いや妙に不安で怖いのはこのせいじゃないか?こういう低周波のって一度聞こえると耳から離れなくなってイライラして不安になるんだよな。
私が見ている方を皆が見ている。そうだよね、何か鳴ってるよね。
……ガチガチ、カチカチカチ。ブーーーーン……。鳴ってる鳴ってる。
何もない所で何かが微かに鳴っていて、少しだけ近づくとはっきり聞こえてくる。これ私ちょっと聞き覚えがあるかも?
そうだよ。知的天才美少女だから分かってしまうかも。これあれだよ。
ハチの音じゃね?
「……!!!」
脳裏にハチという単語がよぎった瞬間、カチカチ音の意味を思いだす。
──やばい。警告だ。
「……ひぃい……っ!」
怖すぎて微かに声が漏れてしまう。何が居るかわからないのも怖かったが、気付いてしまった。近くにブチギレ気味のハチが居る。……それも見えないハチが。
意味が分からない。どういう流れ??
そういえば歴史調査員の人達が今まではトラップで巨大な昆虫とか古い動物が出てきたって言っていたような気がする。そのかわりに邪竜が出たんじゃなくて、あれとは別に虫も出ていた?じゃあなんで一緒に爆発しなかったんだ?
音の鳴る方から静かに静かに後ずさる。どうやら私の様子に気付いたウラニアが私をスキルだけでなく自分の体で庇おうと近づこうとするが必死に手で制する。マジで今は皆動かないで欲しい、本当に怖い。
何が起きているか分からず怪異の正体も分からないのがホラーの本質だと思っていたが、オチが分かっても怖いクソパターンを引いてしまったぞ。
「だ、だれか、殺虫剤とか」
「しーっ!」
「ブーーーン!!!」
怖さに耐えきれず殺虫剤を求めた私の声と殺意に反応したのか不意に羽音が大きくなり、見えないハチが高速で飛んだ気配がする。
そしてそれと同時にさっきまで女性に張り付いていた青白い手が突然跳ね上がり、ビタンビタンと暴れ出す。
「うわあああああああ!」「きゃああああああ!!」「ひいいい!!」
大パニックである。こんなのパニックにならんわけが無い。
みんな無闇に手を振り回しながら見えないハチに怯え、切断された人の手が跳ね回るのを必死に避ける。
一応私は皆をスキルで庇っていて、その私を含めてウラニアも多重で庇っているので、理論上は大丈夫な筈だ。
でも、もし見えないハチが顔に止まったら冷静に皆を庇い続ける自信は無い。
……ああ、そういえばアネモネがウラニアに遠距離から遠距離無効を崩す攻撃を沢山見せたと言っていた。
そうだ。庇うの無効化だって簡単じゃん。庇う対象を認識しないとダメだから煙幕でもなんでも邪魔する手段なんて山程ある。
さすがにウラニア製なので自動探知とかいうチート機能も付いているけれど、鑑定した限りでは使い手が自覚出来ていない知覚まで拡大利用する仕組みであって、未知の便利な長距離無線認識なんて付いていない。まぁそんなのあったら通信機を先に作っている。
そういえば感度強化すると強くなる第一王子とか居るけど、あいつ広範囲の探知使えるじゃん。わりと感覚の世界なんだこれ。聴覚とか嗅覚の強化みたいなのをあいつらもウラニアの道具も応用しているんだろう。
詳しく考えれば考えるほど余計に邪魔するの簡単で怖いな。それを回避するつもりで考えてる筈なんだけど全然無理だぞ。
やばい思考がぐるぐるしてきた。無駄に怖い発想ばかりが一瞬で次々浮かんでくる。もしかして賢者の力もパニックになっているんだろうか。わかる。でも今すぐ余計なことを考えるのをやめろ。
私がこうやって混乱してぐるぐる思考に飲まれている時って、傍から見ると頭が真っ白になって悲鳴をあげながら硬直している人なんだよね。
いやもうほんと頭では冷静に分かっているし、対策を必死に考えているつもりなんだけどね。意外と共存出来るんだなって、パニックと冷静。体は動かないし頭は余計なことを一生ぐるぐるってね。助けてアネモネ。
「助けるわ」
「…えっ!?」
ぼそっとアネモネに助けを求めた瞬間、背後にアネモネが立っていた。
「な、あ、」
驚いて声も出せない内にアネモネは青白い手をキャッチして……
パァアアアアン!という大きな音が何度か地下室に響き、パニック中の皆の悲鳴すら掻き消える。
透明化が解けたらしいハチだったものの残骸が五匹分と、順番に叩きつけられて粉々に砕けた青白い手の残骸。どうやらアネモネはこの一瞬で謎の手を引きちぎりながら複数のハチに投げつけて倒したようで、どちらも原型が残っていない。怖い。
というかハチが複数体居たのもよく分かっていなかった。
「ねえタリア、魔法無効化魔法が広範囲に撃てるようになったら合図して欲しいの」
「あ、えっ!?広範囲!?」
まずい、全然話についていけてなかった。というか全然何も分かんないんだけど、そういうの聞いてる余裕とか無い感じ?いやそうだよね、大事件中だもんね。
「人形も消えちゃうと困るから」
「ああー、確かに」
「お願いね」
「あれアネモネどこ行った?消えたが?」
そして今会話していたアネモネはもう居ない。
「……???」「えっ?」「……?」
困惑である。皆困惑するしか無い。そりゃそうでしょ。もう悲鳴も上げられん。
「ダークナイト様申し訳ありません、私ではハチ一匹も……」
「ううん、もう無理しないで」
謝るさっきの女性と、どこからか聞こえるアネモネの返答。
そうか、この調査員の女性って勇者信仰なのか。あのニンジャみたいな聖女候補とかじゃなく、本当に普通の信仰者なんだ。本来なら一番遭遇率高い筈なんだけど聖女と信仰者の組み合わせを見たの初めてかも。レアだ。
いや聖女見えないしダークナイト様呼ばわりされてるけど。ねえ本当に勇者信仰であってる?別の信仰になってないか?
しかしこの感じだと、もしかしてさっき飛び出していったのって自分を囮にして見えない狙撃者を炙り出すつもりだったのかな。
外の様子を知りたくなり、飛ばしていた観測用のフクロウと久しぶりに視界共有する。
教会の上空では今もアネモネが微動だにせず構えていて、手もなんともなっていない。あれおかしいな、魔石化もしてないし切断されたわけでも無いのか。
「いやバカか私!アネモネの手が無事で喜ばんか!」
自分で自分の頬を叩き、もっと詳しく様子を見る。安全な所で何パニックになっていたんだ。アネモネは間違いなく見えないハチやもっと別の何かとも戦っている筈だ。
潰れたハチの鑑定はちょっと大変だが、これが魔法生物とか古代兵器なら「生きた弾」なんてレベルではない。発射じゃなくて高速移動する小さな自律兵器じゃないか。
ハチの体当たりは最後の警告みたいなもので、あれが来たらもう毒液をかけられたり刺されるのを覚悟しなきゃならない筈なんだが、その体当たりまで身体強化や魔力推進が使われていたら警告だけで人が死にかねない。
最初の狙撃らしきものが本当にそれだったのか、ハチが身体強化出来るのかもよく分からないけど、もっと難しい透明化魔法を使いこなしてて出来ないとする理由も思いつかない。なかなか怖い事になってきた。街は大丈夫なんだろうか。
外の視界を切って今度はこっちを調べる。
「鑑定した感じ大昔の死体を使った兵器っぽい気がするけど、ハチってそんな昔から居るのかな。というかそこらへんに居るハチじゃダメだったのか?」
「化石というか、魔石化した元生命が利用しやすいとかじゃないっすかね?」
「ありそう。そうか死体を火葬しないと別の何かに置き換わる……それが普通の鉱物なら別に何の意味もないけど、法則のおかしい魔法の力の結晶に変わると何かこう……なんか凄い感じになるのか」
恐竜の時も思ったけど、本来ありえない物理法則の成分に置換された生命体って確かになんか凄そうだもんな。
「あの噂の賢者様と天才発明家の真面目な会話が『何か凄そう』で終わることあるんですね」「今日はもう驚きしかない」「でも内容は結構ホラーじゃないか?」
一緒に地下に居る周囲の歴史調査員達からも称賛の声が上がっている。
「ハチとか分かりやすく怖いけど、さっきの風を考えると、もしかしてアネモネってもっと小さい蚊みたいな害虫も警戒しているのかな」
「あっそうです。見えないし居るかも分からない敵とずっと風や真空を駆使して戦ってるんです。戦いというか、教会を守っている。敵も空気も見えないだけで結構怖いことになってるんで、迂闊に外に出ないほうがいいですよ。盛大に足を引っ張って恥ずかしくなるので」
「私怖いかしら」
さっきの女性が頷いて教えてくれる。いやそこは普通に聞けば良かった。というかアネモネもどこからかズレた返事をしているので本人に色々聞けば良かった。
私を含めて地下の皆は盛大にパニックに陥った後大きな音でそれを止められ、よく分からないまま再び待機状態になったので、まだそんな冷静に対処出来てないんだよ。未知の化け物と超人達の戦いに巻き込まれたモブ過ぎるんだよね私達。
だがそうも言っていられない。そのアネモネから頼まれごとをした。
多分だけど、アネモネがずっと教会を守る体勢から動かないのは……時間稼ぎだ。やばいようやく気がついたぞ。待っているんだ、私を。アネモネは私の力を完全に信用している。賢者の力が何らかの結果を出すのを待っていたんだ。あ、プレッシャーが凄い。
知的天才美少女賢者にしては気付くのが遅すぎるが、この私が無効化魔法を今生み出し、アネモネがそれに頼ろうとしている。
それは間違いなく戦況を決める一手になるんだろう。そうじゃなかったら私の存在価値が危うい。助けて胃が痛い。
まぁどうやって無効化魔法を広範囲化するのかも全然分かんないけどね。こう、魔法の拡大が無効化されるのを無効化して拡大して……いや拡大ってどうやんの?




