オークも触手もダメ
ダンジョンの中腹にある、入り組んだ複数の洞穴の中。
明らかに別の竪穴と繋がってる謎の空間は触手型モンスターの巣になっていて、
その中で触手に捕まっている白衣ビキニアーマーのメガネ美女が私だった。
「くっころせ!」
迷わず首にキュッと巻き付いてくる触手。
「ぐええええええ!」
「ちがああああああああああう!!!」
飛び込んできた勇者が触手を手刀で細切れにしていく。
「どうなってるんだこの世界のオークも触手も!!エロいことしろよ!!」
げほげほむせる私を完全に無視して触手を説教しながら解体する勇者。世も末である。
「ヤマト、首絞めプレイはエロく無いのか?」
「やめろ!ややこしくするな!!俺が見たいのは誰かの為のエロじゃない!俺のエロだ!!俺は俺がエロいと思うエロが見たいんだよ!!」
伝説の勇者が熱く語るシーンでこんなに残念な気持ちになることってあるんだな。
「タリア王女、今のはプレイではなく血液をあまり零さずに獲物を絶命させる行為です。持ち帰られたらじっくり溶かされて飲まれますよ。」
「えぐぅい。聖女様意外とそういうの詳しいんですね」
「いえ、中央の方では有名な観葉植物ですから」
「鑑賞の趣味が悪すぎん!?」
知りたくない闇を知ってしまった。南の生まれで良かった。勇者の事を性癖の終わっているカスだと思っていたが、中央全体が腐っている可能性もある。
「もっと小さい害虫とか獲ってくれる種類のやつですからね」
そういうわけではないらしい。危ない、誤解で中央を変態の国認定するところだった。
「さて、もう用も無いし脱出しよう。勇者ならなんか離脱魔法とか使えたりしないのか」
「テレポート出来る魔法があるならもう南についとるわ」
「タリア王女、今この人のこと勇者って」
「優秀なら!優秀ならって言いました!」
目から光が消えて短剣を取り出して自分に向けるまでの動作が早すぎる。瞬きする間にヤンデレが短剣を自分に構えている。失言ダメ絶対。
「何の用だったんだ。わざわざ出発前に寄った割に何も無かったぞ」
「さっさと約束を守っただけだよ。触手が居る気がしたから入ったんだ」
まさか理解せず付いてきただけだったとは。最低の条件で機密漏洩したのはこいつなのに。
「…あ、あ、バカなのかお前!?王女が痴女でバカはやばすぎるぞ!?」
「釣られたやつが一番バカだろうが!!私はしょうもない約束でも守った素敵で知的なプリンセス戦士で、お前はカスで変態なだけ!!評価を間違えるなよ!?」
突然の罵倒に反射的に魔法石袋に手が伸びるが、聖女様が再び抜刀する速度の方が速かったので一旦ネコの喧嘩のように毛づくろいというか白衣のホコリを落とす感じの動作に入ってごまかす。
聖女様、絶対に戦っても強いと思うんだよね。
「……まぁ収穫が無かったわけでも無いのでちゃんと護衛費も出すし、聖女様はともかく希望のものが見れてお金も儲かったヤマトはもっと素直に喜ぶべきだと思うぞ」
「希望が砕かれていくんだよ。俺だけじゃなく俺の同士全ての希望がよ。…収穫なんてあったか?」
勇者の戦力分析だよ。
洞窟を脱出しながら心のなかで呟く。
まさかオークのみならず触手も真っ先に殺しに来るとは思わなかったが、うっかり捕まった甲斐はあった。さすが私。失敗したかなーって時も大体全てが大成功になってしまうのだ。天才だから。
ヌルヌルぶにぶにした極太の触手を、引っ張ったり押し付けたりしていない自由にうねうね動く状態で切断しろと言われたらとんでもない名剣や達人が必要になるだろう。未知のよくわからん魔法とか魔法剣かも知れない。
さすがに素手は異常だ。それも特別な大技などではなくツッコミみたいなノリで連続でスパスパ切っていた。
「………?」
振り返って聖女様の顔を見る。病みが発生していない時のキョトンとした顔は普通に可愛い。皆が思う理想のふわふわ金髪ロング美少女ってやつだ。ローブでほぼ見えないし昔の朗らかさも消えてしまったけど。
……そして、ヤマトが勇者だと知られたくないこの聖女様が今の戦闘には全く反応していないのも面白い。
つまり、この程度の芸当では聖女様の中で勇者に結びつかないのだ。本気の勇者はいったいどれほど強いのか。
南の国が魔物に襲撃される時、切り札が強ければ強いほど救える命は増える。はっきり言ってかなり期待は高まってきた。
勇者召喚に問題があったのは明白だが、恐らく勇者の強さには問題が無い。
であればだ。私がやるべきミッションは勇者に確実に南の国を短時間で愛させること。
南の国が魔物と邪竜に襲撃されるまでにかかる時間は保証されていないが、こういうのは襲撃と予測された時点で止められない段階だし遠い未来でも無いものだ。準備があるなら急げる限り急げってこと。
###################
色々準備を終えた後、南の国の関所までのそこそこお高い馬車を用意して戻りの旅が始まる。
聖女様と聖剣探しの旅に出る時は、最高級のビキニアーマーを作るために秘蔵の素材を持ち出して怒られたり、指名手配を受けて連れ戻されたり、関所を封鎖されて国に閉じ込められそうになっていたので、今思うと準備の方が大変だった。
中央に入ってから最初の大きな街の最初の最寄りダンジョンで目的を果たしてしまったので、本音を言えばなんだか少し物足りないような気分も正直ある。
「ちょっとした宿場町がいくつかあるので、適当なところで二泊くらいして関所かな」
「痴……お……タリア、ついでに今のうちにアネモネの方も喋り方と呼び名をバレない感じにしておいてくれ。ずっと気になってたんだが態度が違いすぎる」
「いやいやいや、カスはともかく聖女様にそういう態度は。この世界に一人だけの」
言い終わる前にいつのまにか抜刀されていた聖剣が太ももに刺さりそうになっていたので二人で慌てて止めながら会話をつなぐ
「アネモネ!私達ってもう友達って感じだよね~!よく考えたら肩書とか変な危険が増えるだけで普段は全然触れるべきじゃないもんねー!!」
「そうですよね、私に誰かと友達になる資格なんて無いですよね」
「あれ聞こえてないな!話が!入ってるな自分の中に!やーうちら友達だよねアネモネ!だから私の事もタリアって呼び捨てにしてくれるよね!」
「……タリア……」
「はい仲良し!はい友達!!」
「タリア……」
「そう!タリア!タリアと友達だよね!アネモネ!」
「タリアは……私の……一生の親友……」
「おっ今日は雲が低い!重力が強いのかも!」
あかん。
そうだった。ヤンデレとは重力属性だった。何もかもが重い。軽いのは命だけ。教会は何をやっているんだ。どうなってるんだ聖女様は。
「痴……お……タリア、雲の低さは大体湿度だ」
「今の流れで言うべき事は本当にそれだけか!?お前はまず痴女認定が王女より先に来るのを改めろ!」
「日常でぶかぶかビキニアーマー着てる女が痴女じゃ無かったら誰も痴女になれねーよ」
「これより優秀な装備とか国家の年間予算でも無理だからな!?」
こっちはこっちで失礼じゃない時が無いし、聖女と勇者っていうなんかキラキラしてて憧れの的になりそうな存在がこれなの、今更ながら不安があるよ。この世界に。
「学問の国って話で期待してたのに王女がこれとなると、今更ながら不安があるよなアネモネ」
「ゆ、ヤマト…さん、一人を見て皆がそうだと思っちゃいけないんですよ」
「おい二人共舐めるなよ。言っておくが学問の国の中で最も天才なのは私だぞ。」
「そ、っかあ」
「おい。おい。」
信じられん。からかうとかじゃなく悲しい顔をされた。カスはともかく聖女様にまで。
「許せん。本当に許せん。必ず今の態度を後悔させてやる。」
###################
宿場町。勇者と聖女は基本的にはあまり目立たないように過ごしているので、宿に引きこもりに行った。
となれば私は自由に悪巧みが進められる。人命救助の為の善行を悪巧みと呼ばれると納得行かない気もするが、他人の気持ちを捻じ曲げて自分の思い通りにしたいのだから悪属性ではある。善悪って面倒だよね。
多めの費用で関所への使いを出し、店舗や民家を巡り、文字通り物理的に姿を消している聖女様を探し出して情報を得る。
「ゆ……ヤマトさんが買ったことのある食材やしたことのある料理くらいなら多少は…」
これが一番大事。
「南の国をよく思ってもらうために、サプライズで好きそうなものを食べさせたいんだ」
「えっすごくいいですサプライズ大好き」
「アネモネは好きそうだと思った」
「それ絶対俺の前で言っちゃダメだと思う」
聞き出した食材と料理をメモしていく。
「好んで繰り返し食べていた料理とかも分かる?」
「今計算しま…計算するね」
「もう俺に直接聞いた方がいいと思う。いや計算って何?何数えてるの?怖い。」
なるほどなるほど。分かってきた。ただ……
「サプライズって感情面での加点だから、感情採点の高くなりがちな女の子と違って野郎共は思ったより加点されない覚悟がいるんだよね」
「そうなんだ……でも確かにちょっと分かるかも。こっちの高さじゃなくて男の人の嘘くさい喜び方って意味で。」
「でしょ?だから私達だと30点が90点になると思っていても、実際には10点くらいしか加算されない想定の方がいい。」
「つまり……サプライズじゃなくても大喜びするようなプレゼントじゃなきゃダメって事なの?」
「結局、金か物かエロの質なわけよ。そう思うと浅ましいな。」
「信じられんくらい居心地が悪い。なんで俺の部屋でそのトーク始めちゃったの?」
作戦会議のついでにアネモネとも少し打ち解けられていく感じがする。ガールズトークでお茶もグイグイすすむ。やることなすこと完璧になってしまう自分が怖い。
「じゃあ私も本気で思い出すね。もう私自身がメモに書いておくから、タ、タリアは自分の準備を進めてていいよ」
「分かった!ちょっと今ある情報で集めてくる!」
「集めて来ちゃダメだろうが。俺の部屋に。サプライズにならねーだろうが。」
早速部屋から目星をつけて集めておいた食材を取ってきて、アネモネのメモと見比べながら出すべき「答え」を探す。
いくら知的で天才な私でも完璧なのは頭脳であって手足は普通の人間だ。オークや触手には捕まってしまうように、最終的な結果はともかくとして途中式の失敗はある。なんせ式が分からず答えを出すタイプなのだから。
だから料理ともなるとさすがに明確に始めから終わりまでの答えを全て出しておいた方がいい。
多分失敗しても目的自体は成功になるのだろうけど、正直ちょっとだけ可哀想だからな勇者。途中式も正解多めにしてやらんと元気も出まい。
どうも聖剣の加護か何かが勝手に治しているっぽいが、何度か食事を共にした感じ、こいつ飲料も食い物も合わなすぎて体調崩してるぞ。何かを口にする度に「違う」って顔に出てる。
ちょっと頑張ってやらんことも無い。
「うーーーん」
頑張ってやらんことも無いんだが。
「メモこれじゃ足りなかったかな?」
「ううんありがとう。もう答えは分かった。」
「多分俺に聞いたらもっと分かると思う」
「ただ……」
「ただ?」「ただ?」
こいつの好み……これさぁ……
「めんどくせぇ」
「おい!!」
「なるほど」
「なるほど!?アネモネ!?」
どんな環境で生まれ育ったのか、随分とまぁややこしい。
「ずっと思ってたんです…思ってたの。たまに好みだったのか美味しそうに食べる事もあるけど、同じものあまり食べないなって。」
「えっそうだっけ。俺全然自覚無いけど。」
「美味しいは美味しいけど"違う"んだろう。」
「いや俺そんなに味の違い分からんけどな。なんでこの会話に俺を混ぜないの?」
問題はこの素材段階からのクソめんどくささだ。
「まぁ何よりも実際に見て味わうのが分かりやすい。ちょっと宿の台所を借りに行こう。」
「うん」
「もう普通に俺も見に行くからな?」
ここらへんの宿は基本的に食事処と別々なので、台所も民家と変わらぬオーナーや従業員の為の簡素なものだ。
「まぁ予定通りぼちぼちの台所だ。最初から料理するつもりだったのでレストラン付きを貸し切るべきか迷ったんだが、こっちの半端に高くて空いてて悪目立ちしない微妙な宿屋とその台所が正解だと私の知性が判断した。」
「それ宿屋の主人の前で言うことじゃないっすよお客さん」
「そして正解の理由が恐らくこれだ。ご主人、これなんですか?」
「薄切りするやつっすね」
「理由分かってないじゃん」
勇者と聖女と宿屋の主人のおっさんに見守られて、手際よく料理に取り掛かる。
「料理ってのは科学であり、科学というのは知性だ。そして私は知性の頂点にある。理論上は不可能は無い。」
「俺に替われ。マジで俺がやるからどいてくれ。理論上はって枕詞がついたらもう絶対ダメなんだよ。」
勇者を無視して食材を取り出し、料理に取り掛かる。
「ご主人、これこの街で買ったんだけどなんですか?」
「乾燥保存食っすね。魚の。」
「……あ!?」
勇者が急に理解したようで反応する。
やはり正解には辿り着いているようだ。
ただ、ここに来てやっぱり問題も顕在化してきた。
要はアレだよ。薄切り乾燥魚の味を染み込ませたスープなんだろう。勇者が求めている料理の一つは。もう分かっちゃったね。天才だもん。
ただ、この料理がなぜそんなに再現できないのか。
「……なるほど。これやるまでも無く無理だな。めんどくせぇ。」
「おい待て!もう今すぐ替われ!俺がやる!ちょっと今食いたいものがあるんだよ!」
「無理だね」
「なんで!」
ほぼ正しい途中式を見つけたと思ったが、残念ながらこのままでは近いだけだ。一致しない。
「ヤマト。お前今までも何度か故郷の料理を作ろうとして失敗しただろ。」
「う…お!?どうした急に!?なんで分かる!?やっぱりお前心が読めるのか!?」
「バカだなぁ。心なんて自分にだって分からんもんだろ。そんな能力聞いたことも無いよ。さっきのメモだよ。」
「なんだよウゼーーーー!!!!」
アネモネの方を見る。黙って頷く姿とメモを見る限り、似たものは作れるけど違ったんだろう。
正解が分かる私が成功例を再現してやろうと思ったが、いざ途中式となる食材と調理器具を目にするとあまりにもめんどくさ過ぎる。
だがまぁ。うーん。南の国の関所は明日にも到着する。今日が大事だと理屈的にも直感的にも告げている。天才の私の直感はただの勘ではない。
バルブをひねり水を舐める。うーん。
……水が合わないのにさ、食い物が合うわけ無いんだよね、ヤマト。
仕方がない。学問の国の王女だと言う所をお見せするときが来たようだ。
「アネモネって水の浄化とか出来るの?」
「えっごめんなさいやっぱり私って何の期待にも応えられないんだそうだよね私なん」
「いやーやったこと無いなら見せてあげたいなーって思って!ほら学問の国の技術の自慢したかったんだよねー!」
やばいな、聖女ってもしかして剣士か何かなのか?名前的に浄化魔法とかそういうのが得意なのかと思い込んでたが水って多分最初の一歩でしょ。絶対抜刀スキルの方が高いぞ。
「ああ水を濾すんですかお客さん?お茶用のやつあるっすよ」
「あるやんけ!ご主人ナイス!やっぱ正解なんだよなぁ私は!ほらアネモネ楽しいよ一緒にやろう!」
ポト。ポト。濾過器から少しずつ水が垂れる。まぁね。濾過ってこういうもんだからね。楽しいって言っちゃったけど絶対楽しくは無いし、微動だにせず無言で落ちる水を眺め続けている無表情の女の子って割とホラーなんだなって。どうしよう怖い。病んでそう。というか病んでるのは知ってる。
「もともと飲料水を濾過しても……お茶用……?まさか、硬水?」
おお。ぼそっと勇者が面白い事を呟く。これはまた研究者共が喜びそうな手札を引いたぞ。基準は違うんだろうが、硬さと表現するもんなんだなやっぱり。
こいつ強いだけじゃないぞ。かなり面白い知識を蓄えている。それが学問の国に来る。おいしすぎる。性癖はあまりにもカスだが他があまりにも優秀だ。
密かに近づき小声で話す。
「おいヤマト。アネモネはお前の事情や正体を絶対に知られたくない。私はそれを利用することで、色々分かってるけど黙っていることを何の良心の呵責も無く隠せる。」
「お前……!」
アネモネは内緒話をする二人に気づく素振りすら無く、ぽとぽとと垂れる水を真顔で見続けている。怖い。
「持っている手札は、より有利で、より効果的な時に使う。効果が薄い時に一気に使うようなバカは学問の国に居ない。」
「くそっ……まぁ、分かるが……」
「いいや分かってないね」
「あ?」
「私は今そこまで手札を使う必要はない。二人共南の国には来るし、図書館にも行きたいだろ?」
「……」
「だから今やってるのは完全に善意だ。」
「……」
「しかも今回の料理は貸しにもならない。サプライズの話で言っていたと思うが、これは驚きを足しても満足点には届かないんだ。」
「だから俺に言うなってそれを……」
凄くガッカリしている。
「というわけで今回の善意は料理の出来と関係無しに善行自体を貸しにしたい」
「というわけでってお前……いやいいけどね……善意自体には感謝するし……善行って貸しにするもんじゃないけどね……」
ふふん。バカめ。この優越感。こいつ自分で口にしながら自分がどれほど大事なヒントを貰ったか気づいていないのだ。
今回スープはうまくいかないのだろう。でも天才だからもっと大事な正解に辿り着いてしまっているわけ。
がっかり顔の勇者から離れて宿屋のご主人にヒソヒソと話を聞く。
「この濾過器って味が変わるやつですよね。お茶用の。」
「そうっすね」
濾過と一言で言っても目的や素材で色々変わるわけで、泥水から飲料水を作る為の濾過器で元からキレイな飲料水を濾過してもお茶の味に影響は少ない。
飲料水をお茶用に濾過するというのは、つまりお茶の成分をちょうどよく抽出しやすくする為に不純物では無く邪魔な水の成分を除去するもの。
料理とは科学。これは水の調理なのだ。正しくは濾過でも除去でも無いらしいが途中式は苦手なので覚えていない。結果だよ結果。大事なのは。
どちらかというと魚とか蒸気機関とかの話で聞いた気もするが、天才の私がこの宿屋を選んだという事は今回はこれでいい筈だ。
「あの男、実は一番繊細で水が合わずに辛いらしいんですわ」
「辛いっすね」
「香りじゃなくて味系のやつ、お金多めに出すんでいいやつお願い出来ないですか」
「いいっすよ」
全く微動だにしない聖女様に若干怯えながら、ご主人が濾過水を少し使ってお茶を淹れ始める。
ついでに私も気になるから少量でお試しの乾燥魚スープを作ってみる。ただ、恐らく最初に私が正解だと思った薄切りは魚が硬くて難しいので、袋に入れて欠片が取れるまでハンマーで叩き割って、砕いて砕いてひたすら砕いて、すり鉢に入れて粉末にしていく。
学問と言えばすり鉢。こういうのは慣れたものだ。天才の直感に響いてる本来の姿は恐らくもっと違う繊細な手順でのスープなんだろうが、ちょっと今日急には難しいのでこっちも溶かして飲み物にする。
がっかり勇者は自分へのサプライズが失敗すると分かったまま続く作業を複雑な表情で眺めている。
貸しが無いのが善行だとか言っていたが愚かな奴め。無償の善行は返す金額が決められていない借金だぞ。しかも断りづらくて一方的に押し付けられるんだぞ。むしろ気軽にやっちゃいけないんだよ。……やっちゃったっぽいがな勇者は。
「……お客さんやりますねぇ」
「ご主人いいじゃないですか」
いつのまにか台所に並んでた縁で宿屋のご主人と意気投合していた。このおっさんもなかなかやりおる。
大体なんでも沸騰させまくったらダメだけど、成分を抽出する温度は低ければいいってわけでも無い。それに初見の成分調整済みの水。ここは味見だ。火加減と時間と味見こそが全て。
おっさんと私は小さなサジでお互いの味を確認し、合格のサインを出す。
「ほら一杯どうぞお客さん」
「ほら一杯どうぞヤマト」
客用ではない無骨なテーブルにカップが二つ置かれ、勇者が座らせられる。
「……どうも……」
なんとも言えない表情でカップを手に取り、口をつけていく。選ばれたのは私ではなくご主人のお茶だ。ふん、やるじゃないか……良さが分かるわけだ、そのお茶の。
分かっているぞ。メモに書いてある。紅茶じゃないんだろう。もうなんとなく気候は把握している。どうだ。どうだよ。
「……あっ、これ、かなり近い……」
「惜しいかーー!」
「こーれガチ勢っすねお客さん」
ぶっちゃけこっちは正解する認識だったのだが、まだ甘かったか。ほんとにめんどくさいなこいつ。南の国に入ってからの本番一発サプライズにしなくて良かった。
「多分、香りが独特なんじゃないっすかねお客さん」
「えっ、そう!味は本当に知ってる緑茶で……飲んだ後に鼻に抜ける香りにアレ?ってなるっていうか」
「通っすねー。」
えっ凄い。おっさんのほうがなんか見出してる。
「私のは?私のスープはどうなんだ」
促されて恐る恐る飲む勇者
「……あーーー、うーーーん」
「ダメかーーー!」
「いやダメではない、魚の種類が予想外だっただけだ。違うけど知ってる味だ。これは…これは……」
「なんだ?どういう反応?」
「これはこれで知ってる出汁だ。旨い。」
思わずご主人とハイタッチが出る。いや味見した時美味しいと思ったもんな。ここまでシンプルだとさすがにな。シンプルに美味しい成分を溶かしただけのスープだもの、マズイわけが無いと思ったんだ。
「おっじゃあ貸しね」
「いやさっき関係なく貸しだって言っただろ」
「違う。貸しが二つになったって事。」
「ご、強欲……」
はー。やれやれ。硬水とか呟いて、この繊細なお茶とスープを飲んでも分からんとは。
「やれやれだわ。ザコが。」
「ザコ!?」
「ご主人言ってやって下さいよ」
「水の成分っすね」
突然目を見開いて立ち上がる勇者。理解が遅いわ。
「ここは宿場町っすからね。水合わなくて体調崩されるお客さんくらいさすがに珍しくも無いし分かりますよ」
つまり私の正解は宿を選んだ時点で決まっていたわけだな多分。何をやっても勇者がここで一度私に大きな借りを作るんだ。やっぱり途中式ってあんまり関係無いんだな、天才って怖い。
「水の硬さって言ってたじゃないかヤマト。その面白い知識があって、体も違いを訴えていて、なぜ水の中身を気にしなかったんだ。」
「やべぇ分かった。分かったぞ、そうか水の味は水の味じゃない。」
「バカっぽい発言だがそういう事だ。ほら貸しだろうが!学問の国の王女をバカにしたことを謝罪しまくるといい!」
「お客さん!?」
「間違えた才女ね!」
「なんだ間違えっすか」
あぶねー。変なことになってまた怒られる要因が増える所だった。
「申し訳ありませんでした!」
「お客さん!?」
振り返ると勇者が土下座していた。前も見たが凄い風習だなこいつの故郷。
「この御恩はいつか必ず返します、ご主人」
「あれ!?」
「えっ!?いやお客さんそんな畏まらなくても…別にそんな珍しい話でもないし…」
「いや、値段も設備もなんもかんも半端な宿だから儲からねーだろうなと思ってたんだけど素晴らしい宿です」
「言っちゃってるんだよねお客さん!余計なことをね!次から茶も売りにしようかな!」
あれおかしいぞ。私の手柄が取られてないか。
「本当にありがたい。ありがとう。思い出した。そういえば日本は軟水だって聞いたことある……」
日本。ふむ。日本。
……バカめ、どうやら普通に嬉しかったらしくぼそぼそと口から機密が漏れている。どうせ分かるわけ無いからそこまで警戒していないというわけだ。
名前とは定義だ。それがどういうものなのかという定義が更新され続ける辞書のタイトルだ。ヤマトの水の辞書が今別の辞書との共有で更新されたように、視点が増えるほどより詳細で正確な情報が書き込まれていく、定義の共有辞書だ。
で、これこそ知的天才プリンセス戦士である私が学問の国最高の賢者たる所以なわけよ。
私は何でも分かっちゃうわけ。天才だから。分かっちゃうというか、中身はよく分からんけどその辞書を引いた場合の答えが脳裏に浮かぶわけ。
ヤマトという辞書の答えに白米があったように。日本という辞書の答えには莫大な価値がある。
既にレアケース過ぎるアネモネよりフジ=ヤマトと日本の方がよっぽど分かるぞ。聖女ってなんなの。定義歪んでない?
そして賢者ってくらいだから私はとんでもなく賢いので、情報に差がある状態の優位をとても理解している。この優位の利用価値の大きさも分かっている。
「ふふふ……もはや南の王座だけじゃなく中央まで全て手に入るかも知れん……」
「お客さん!?」
「もはや全国からオーダー取れちゃうかもなぁ!仕事の!」
「なんだ聞き間違いか。とんでもない野心家を通報しなきゃいけないかと思ったっすよ。」
「ふふふ。」
「ははは。」
十分過ぎる収穫はあったので余計な事を口走らない内に他愛ない雑談に切り替えて夜の時間を過ごし、お開きになってそれぞれの部屋に戻る。眠って起きたら明日はいよいよ我が南の国への関所だ。
「アネモネ、アネモネ部屋に帰ろう?もういいんじゃない?」
「……うん」
怖い。皆あまりにも怖くて途中から全く触れなかったが、あれから解散するまで聖女様はずっと無言で濾過器を使い続けていた。無くなったら唐突に水を汲みに行き、また無言で水滴を見つめるのだ。怖い。
「そうだ、ヤマトも最後に一つだけ。」
部屋の前で少しヒソヒソと話かける。ヤマトの異世界事情に詳しいのがアネモネにバレるとアネモネの命が危ない。
「お前の言う軟水硬水は本来それほどまでの差にならない。あまりにも濃度が濃すぎるなら話は別だが、好みの範疇や誤差の筈だ。」
「そう…なのか?」
「結局同じ成分が抽出されてはいるんだからな。苦みや別成分の味が目立つ事はあっても、同じ成分の味だって強くなければおかしいだろ」
少し悩む顔。なるほど。あの簡単な濾過でも誤差程度では無かったわけだ。……はっきりと分かるほど味への拒否感が減ったのだろう。
「何か問題が起きて、それが一つの行動で解決すると、原因が一つだけだったと誤解しやすい」
「おお……別人のように賢い……」
殴りながら話を続ける。
「まず一つは、お前はかなり柔らかい水で暮らしてきた民族で、急に色々含まれている硬い水を飲むと体に負荷がかかっていたって話だった。ものによっては下剤に使われる成分だしな。これはまぁよくある話で、私じゃなくてもこの宿の主人のようにいつか誰かが気づいて解決してくれていた。でも私への借りね。」
無言で頷く勇者。
「そしてこれが本題。味だ。人間に味覚があるのは当然ちゃんと意味がある。味覚の判断には意味がある。水が合わないのに料理が合うわけ無いんだよね。」
アネモネに聞かれないように、ぐいと顔を近づけて耳元で囁く。
「……お前の世界の土壌に魔法石は無い。水にも溶け出さない。他の鉱物の違いも含めて、お前の体は異世界の成分を処理出来ない。」
「!? あ、あ、お前……!?」
飛び退く勇者と、何事かと抜刀する聖女。少し離れて両手を上げ無実アピールをする私。
「ほーら貸しだろうが!ありがとうございますはどうしたヤマト。いいか、ただの濾過じゃダメだ。実は完全浄化もオススメしない。お前はお前の為の"水の調理"を見つけるべきだ。……そして、丁度良く学問の国は目の前だぞ。」
まぁメリットの確定作業しておいてなんだが、人道的にもやって良かったでしょこれ。分かれば分かるほど可哀想だもん。
そりゃ体調も崩す。合う合わないじゃない。分解出来ない毒を毎日飲んでいたわけだ。毒というとアレだが、なんでも量次第で薬でも毒でもあり、その人にとって許容量が無いものはそりゃ毒だろうよ。
恐らく抗体の無い病気も、処理できない毒の体調不良も、明確なレベルにまで問題が到達したら自動で治癒されるんだろうけど、その発生手前の軽い違和感や不快感を延々と受け続けているんだこいつ。
「秘蔵のレシピを教えただけだよアネモネ。さあ寝よう。」
「な、なんだ、ごめんなさい私てっきり勇者様が異世界の人だとバレて悪用されそうになっているのかと」
「ふふふ。そんなわけないじゃん。」
やばい。そもそも最初の目的は聖女様の発見だったのに、いつのまにか勇者利用の選択肢を間違えると聖女殺しの大罪人になるという抑止力になっている。
友達であり大切な聖女でもある女の子を殺してしまった場合、もう私も王女としてというか人としての資質が死んでるんだよね。人でなしって事だね。終わってしまう。人生が。
っていうか口が軽すぎる大丈夫なのこれ。これでバレても私の罪になるんじゃないの。
「タリア」
「ん?」
「オス。ありがとう、ございます」
「よし、貸しね!二度と天才を舐めるなよ」
「オス。」
振り返るとヤマトが見慣れない動作でお礼をしていた。一旦胸の前で手を交差させてからバッと開いて一緒に頭を下げる。風習なのか武術動作なのかよく分からん動きだが多分アレが一番素の動きで素直な感謝なんだろう。変なやつだ。
さぁ。今日は気分良く眠れるぞ!満足した。自分の偉大さに。
###################
……
……なんだろう……。
……、……、
……定期的に、音がする……。
確か気分良く眠れるって、思ったはずなのになぁ…。
……トッ、……トッ、
でも……音が気になって……
……トッ、……トッ、
……ひっ……!?
……ポトッ、……ポトッ、
怖い、想像を、してしまった。
……ポトッ、……ポトッ、
もし、もしもだけど、
……ポトッ、……ポトッ、
水の音だったら、どうしよう。
……ポトッ、……ポトッ、
仮に、仮にだよ。隣の部屋でさ。真っ暗闇の中、ずっと濾過器から水が垂れてたらどうしよう。
……ポトッ、……ポトッ、
真っ暗闇の中でさ、無表情の女の子がずっとそれを見てたらどうしよう。
……ポトッ、……ポトッ、
い、嫌だ、怖すぎる。誰か音を止めてくれ。
……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、
怖いよう…怖いよう…
……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ、……ポトッ
###################