走馬灯
ザシ、ザシ。
日差しが照りつける。目を細めたくなるほど暑い。馬鹿みたいに重いリュックを背負っているのだから尚更だ。
アスファルトと砂利と瓦礫が入り混じった道を歩く。道ではない。もはやそれは平野のように広がっている。
「ほっ、ほっ…危な…」
舗装された平面に慣れきっていた僕の足はこの程度でも歩き辛いと感じてしまう。全くこれではこれからの生活が危ぶまれることだ。僕はこれ以降も何度か足を取られそうになりながら進んでいった。
「ああ、やっとついた」
十分程日光に晒された後、僕はある建物の入口に立つ。扉はない。もとはこの地域で一番の大病院だった所だ。今となっては、明かりも一つも灯ることなくその面影はない。所々で窓は割れ、床はガラスや鉄などが散乱している。外の暑さ明るさに比べ、中は割と涼しいし暗かった。明るいところから急に暗いところに来たものだから、目が変な感じだ。
人気の無く薄暗い病院などこれまでなら恐れ慄いて入ろうとも思わなかっただろう。だが、今はそんなことを言っている場合ではないのだ。
「帰ったよ」
僕は響くように言った。
「ああ、おかえり。収穫は?」
彼女は待合室の奥から姿を見せた。ボサボサな髪をかきあげながら気怠げに尋ねた。
「ある程度は。あそこのコンビニにはまだ結構食料残ってるし当分は問題ないかな」
背負ってきたリュックをおろし、中身を取り出す。スナック菓子やらカップラーメンやらジャーキー類。更にはウェットティッシュや絆創膏まで入れていた。
「最近になって益々コンビニのありがたさを感じてるよ。そっちは?ここ何かあった?」
「微妙。広い部屋と良いベッドくらい」
「充分。取り敢えずその部屋案内してよ。足が死にそうなんだ」
「ああ、疲れた…」
僕は真っ白のベッドに飛び込んで呟いた。ベッドが二つ並んだ病室、カーテンで仕切るタイプのようで中々広い。
「お疲れ様」
彼女も隣のベッドに腰を掛けて言う。ぶっきらぼうな物言いだった。別に彼女を口下手だと思ったことはないのだが、彼女だって疲れが溜まっているのだろう。
「……これから、どうすればいいんだろうね」
僕は寝言のように尋ねた。
「もうどうしようもないでしょ」
彼女はじっと壁を見つめて答える。
ふと僕は部屋の奥の窓の外を見た。ガラスに映るは青々とした空と朱い太陽。そして、瓦礫にまみれた灰色の荒廃した地平とかつて立派な建造物だったであろうコンクリートの塊の数々だった。
あの日を境に、僕の世界は突然何もかもが変わってしまった。いや、僕を取り巻くもの以外に目を向けなかったにも関わらず「突然」と言うのはあまりに傲慢かもしれない。
その日はひどく冷えていた。僕は遅い時間に目が覚めた。どうせ休日なんだしだらっとしていようとか考えていた気がする。
何をするでもなく正午を過ぎようとしていた時、けたたましいサイレンの音が僕の耳に届いた。僕は飛び起きた。どうもこの音は町中のスピーカーから流されているようで室内にいてもお構いなしに頭に響いてくる。今までの人生で聞いたことのない音だ。それだけで今までの人生で経験したことのない異常であると理解した。
僕は家を飛び出した。近くの住民も現状が分からないようで皆家を出て慌てふためいている。
すると続けて
「間もなくミサイルがこの地域に投下されます。直ちに逃げてください」
耳を疑った。そんな物騒な話があるものか。大戦は疾うの昔に終結したのではないのか。
スピーカーからこの文言が再生されると人々は更に慌て、やがて四方八方に走り出した。
僕はその光景をその場に突っ立って見ていた。今思えば頭がおかしかった。でもあのときは、今ここで彼らとともにここから走り出してしまえば、こんな理不尽な話を受容してしまうのではないかと、それをただ恐れていた。
警報が流れて暫くすると僕も我に返り、その場から逃げ出した。どこに行けば良いかも分からず右往左往していただけかもしれない。
走り出してどれほど経ったかは定かではないがやがて僕は再び立ち止まった。
それは方角にして北東の空に見えた。一つの眩い光の粒がゆっくりと地上へ降下している。
まだ青い空に煌々と光るそれを僕は美しいと思ってしまった。
それからのことは一瞬だった。
やがてその光は視界全体を覆い、僕はあまりの眩しさと熱さに気を失った。
再び目を開けたとき、そこは小さな小屋の中だった。生きていたことへの驚きは大してなかった。死を覚悟するほどの時間がなかったからだろう。
「あ、おはよう」
彼女は隣に立っていた。これが彼女との出会いだった。
「あなたは…ここはどこですか?」
「私の仮拠点。あなた無事だったから運んできた」
事態の飲み込みに少々の時間がかかった。
「はい。水飲みな。何日も寝てたんだから喉渇いてるでしょ」
僕が現状を理解する前に彼女は粗雑にコップを差し出した。その水は少し霜ができるほど冷えていた。
「もうどうしようもないでしょ」
あの日から早半年。この世界はまるで僕らだけのもののようだった。
あの爆撃、爆心はだいたいここから五、六キロ先。僕と彼女以外は皆焼け死んだようで、彼女以外の人間を見ていない。この半年間、軍隊が救助しにきてくれたり、物資を援助してくれることもない。そもそもまともな電子機器は使い物にならないのでこの被爆地の外がどうなっているのかも分からない。僕らの知らないうちに世界で再び大戦が始まったのだろうか。国は次なる兵器の開発に必死でこんな荒れた土地に構う余裕などないのだろうか。はたまたとっくに戦火によって地上総てがこんな有り様に成り果ててしまったのだろうか。
「何でこんなことなったんだろうね」
僕はまた尋ねた。頭の中で累々と思考が湧き上がってきても、それをいざ言葉にすると何とも陳腐で抽象的なものしか生み出せない。
「分からないよ。分かっても仕方ない」
彼女はすぐに応えた。きっと僕の様と違い、ぐるぐると考えることもなく吐き出された言葉なのだろう。彼女にとって僕はその程度なのだろうか。
彼女はまだ明後日の方を向いている。崩壊した街並みを映す窓を背景にした彼女の横顔はなかなかに画になると僕は思った。
この日はもう眠たくなった。まだ日が沈んでいるわけでもないので寝るつもりはなかったのだが、ふと目を瞑るとすぐに眠ってしまった。
どうしようもなく疲れていたから、夢もみなかった。
起きたとき、辺りは暗かった。日は沈んで微かに月明かりが瞬くばかりである。こんな時間に起きてしまってもすることなどなにもないのに。目が覚めたばっかりであまり目も冴えず、かといってもう一度寝れるかと言われてもそうでもない。僕は後悔した。変な時間に寝なければよかった。夢現な中、頭をむしる。
さてどうしようか、横を見ると彼女は隣のベッドで布団もシーツも掛けずぐっすり眠っている。夜中でもこんな暑さでは当然のことではあった。
彼女の寝顔はそれなりに美しい。
二人は必死の大惨事を奇跡に等しい確率で生き延びた。彼女は僕の恩人だ。これからボーイミーツガールのロマンスへ発展することなどは万が一にもあり得ないのであろうが、ここまで異次元の非日常を目の前にしたらこの程度のことなど容易く起こってしまうのではと感じてしまう。
僕はベッドから這い出て立ち上がった。どうも頭を冷やした方が良い。窓を開け、夜風に当たる。それなりに涼しい。
「寒い…」
後ろから声が聞こえた。それは消え入るようだった。
「起きていたの」
「今起きた」
「そうかごめんね。起こしちゃった」
僕はぴしゃりと窓を閉め、ベッドに腰掛けた。きっとこれは彼女に近づこうととった行動に違いないのだが、どうしてか彼女の方に向いて座ることができなかった。
「これからどうしようか」
今度は彼女の方から聞いてきた。彼女もまた寝ぼけたままのようで、そのぼやけた口調には新鮮味があった。
「ここからずっと移動したら街があるかもしれない。それを目指すんでしょ」
僕らはこの半年間南南西の方角へ拠点を転々としていた。まだ機能している都市があると初めの方こそ信じて疑わなかった。たかが一つのミサイルで地球総てが崩壊するはずなどないのだから。だが、今となってはその希望も大分薄れ、時間を怠惰で消費する日もそう遠くないと感じている。その旨を伝えようとしたのだが、やはり僕の口から出る語彙はあまりに貧相なようだ。
僕も心做しか少しぶっきらぼうだった気がする。移ったのだろうか。
「そういうことじゃないよ」
彼女が少し間を空けてついた言葉の意味を理解するのには少しばかり時間を要した。
僕も少し間を空けて
「散歩でもするかい」
「…それくらいがいいかもね」
その時の顔は暗くてよく見えなかったが、多分少し笑っていた。
それを見て僕もちょっと嬉しくなってたまらず笑ってしまった。
僕らは外に出た、この高さだと風もなく若干蒸し暑い。
外は相変わらず荒んでいてなにもない。だが何も無い訳では無い。
空の方へ目をやると数え切れないほどの星々が輝いていた。かつては街灯に塗りつぶされていた光たちが今こそと言わんばかりに一斉に燦いている。それはもう慣れてしまった光景ではあるが、今ではいつもより美しく感じられた。きっとこんな廃れた世界の二人などよりも、こういったものをロマンチシズムとするのだろう。
「やっぱり綺麗だ」
それは彼女の言葉だった。あまりにらしくないものだったので僕から不意にでたものかと錯覚した。
何と返すべきだろう。分からなかった。
「こうならなきゃ見られなかったよね。この景色」
彼女が続けて言った。これまたらしくなかった。不謹慎だなんて考えもよぎったがそれは単によぎっただけだ。僕にそんなことを指摘するつもりや資格は毛ほどもない。
この星の文明や夥しい数の人命と引き換えたとしても、この景色は本当に綺麗だと僕も思ってしまったのだ。
「あ…何だろう」
彼女は南南西の空を指差した。その先には無数の光の粒の中に一本、地上にまで注ぐ光の柱が見える。なにか超常的な力かと思ったがそれはすぐに違うと分かった。明らかに人工的に地面を照らしている明かりと、微かに断続的に聞こえる大きく空を切る音。そしてその音は次第に大きくなり、光柱は僕らへ近づいている。
「ヘリだ」
月明かりにその複雑なシルエットが映る。
その機体は僕らの方を向き真っ直ぐこちらに進んできている。やがてヘリからの光は僕らを照らす。既にこちらの存在を確認したとわかった。
助けが来た。世界は無事だった。この荒廃した街から抜け出せる。
この半年、どれほどそれを渇望しただろうか。何度夢に見ただろうか。
体中の細胞が飛び跳ね、踊りだしそうに思えた。でも決して本当にそんなことを始めることはなくやはり僕はただその場に突っ立っているままだ。
「私達助かるね」
彼女は呟いた。僕と同じくその場に立ち伏せ、ただ光源を見つめている。
僕はまた返しに迷っていた。どうもこの生活にも意義を見出したところだったものでどうにもどこかがむず痒い感じがする。
それを察知してか、彼女は続けた。
「ここで私達お別れじゃないでしょ?」
その言葉に僕は笑いそうになった。
僕も彼女に倣って光源を向く。その眼は希望に満ちるはずだった。
しかし、僕らを照らす光はとっくに自然光に慣れた僕にはあまりに眩しく、思わず目を細めてしまった。
あの日から二年を経ようとしている。
「ああ、おはよう」
彼女が目覚めてきた。まだ朝は早い。二人ともアラームの音に叩き起こされたのだ。かつては時間を気にして起きるということもなかった。僕は二人分の食パンとサラダを目玉焼きをテーブルに置く。古いマンションの一室で僕らは共に暮らしていた。今日は朝から空が曇って湿気がひどい。二人ともあまり良い目覚めとは言えなかった。
席につき朝食を取る。お互い昨日あったことを話す。面白かったことも嫌だったことも思い出せるだけ全てのことを。きっと一日で今の時間くらいしか話すことなどできないのだから。
彼女はいつも僕に楽しい話ばかりする。その数倍嫌なことがあっただろうに。この場を白けさせないよう気を遣ってくれているのだと思う。かくいう僕は単調も単調な毎日で結局彼女の話を聞く側に回ることしかできない。
それでもあの日から彼女は笑うことが増えた。その分くまも濃くなった。
あのとき、やはり世界は大戦に走っていたようで、今なお各国が鉛と火の玉を撃ち合っていた。
あの日救助されたあと労りもほどほどに、すぐに各々の形で戦争参加させられた。
僕はもとより体が弱い方だったので、兵器開発の業務に充てられた。またもとより頭は良い方だったので、それなりに職場では重宝されなかなかの地位に立っていた。決して嬉しくとも何ともなかった。
彼女の方はと言うと、運悪く彼女は力には恵まれていたほうなので前線で戦う婦人兵に抜擢された。毎日暗いうちに起床し戦場へ向かい、皆が寝静まった頃に帰宅する。
彼女もまた普通よりかなり優れた身体能力で戦場でなかなかの戦績を残していた。
少しばかり国力に余裕ができて、世論支持目当ての戦争孤児の救助活動が思わぬ成果を見せたと僕らの上官は喜んでいるそうだ。
かくして二人は大量虐殺の片棒をかつがされたわけである。勿論、拒否など出来ようはずもなかった。
朝食を終え、席を立つ。彼女の方が始業が早いので先に家を出る。
「今日は中華がいいな」
そういうと彼女は荷物を持って足早に家を飛び出した。これは二人の決め事で、彼女が出るときにその日の夕食のリクエストをするのだ。これをその日の楽しみにして一日を乗り切るそうだ。
僕は彼女より遅れて職場に向かい、彼女より早めに帰路につく。兵器開発といえど危険度や精神的負担は、前線で戦う者のそれの足元にも及ばない。
だからこそ彼女のためになるのならこの程度は喜んでやるというものだ。
仕事から帰ったら、二人分の夕食を作る。
中華か、どうしようか。麻婆豆腐にしよう。
夕食を終えたら一人分を冷蔵庫へ入れ、その後は特に決めていない。今日は特にすることもないし早めに寝よう。
どうやら今の暮らしはヘリをみたあの日に想像した世界や生活とはあまりに異なるが、これも戦争が続く限り辛抱だとして受け入れることにした。
だがやがてその許容の器にもひびが入ることになる。
大戦は静まるどころか日を追うごとに激化していった。
それは当然二人の仕事にも影響を与える。そしてそれは当然良いものではなかった。
より強力で殺傷力の高い兵器を開発せんと、より長時間労働を強いられ日々睡魔との闘いだった。
だが、それ以上に兵の負担の上がり幅はとんでもなく大きかった。前線の苛烈さは増していき、その惨状といったら草原を覆い尽くすほどの血液で場は鉄と鉛の臭いで溢れ、正に目を覆いたくなるものだった。
死傷者も当然増え、それに伴い彼女の精神的、身体的負担は益々大きくなっていった。
朝、部屋には食器の音だけが響いていた。彼女の口数も徐々に減っていき、その顔も見てわかるほどに窶れていた。夕食もまともに食べれていない。そのことに対して彼女は大変に詫びていたが、僕はもう彼女がぶっ倒れてしまいそうで気が気でなかった。初めの頃の彼女の面影はどんどん薄れてしまっていた。
「今日は何がいい?」
最近彼女はもう自分で夕食のリクエストをしなくなってしまったので代わりに僕から尋ねる。
「ええと…鶏のバター焼きかな」
彼女はしっかりと応えてくれた。とてもこれから命懸けの殺し合いに向かうとは思えぬほど力なくか細い声だった。だが、止めることはできなかった。そんなことをしては上が許さない。二人とも国に離反したとして処刑、良くて無期懲役だろう。今僕が彼女にしてやれることをするしかない。
そうして今日も僕は彼女を見送った。
きっと僕は彼女にしてやれるのはこの家の家事と無事を祈ることくらいだ。戦争が終わりさえすれば、彼女の自由にさしてやれるのだから。
彼女が夕食にクリームソテーをリクエストした日のことだった。
いつもの通り家を出た彼女はその日の夜、亡骸となって僕のもとに帰ってきた。
薄暗い部屋、軍の霊安室にて白いベッドの上に仰向けで寝かされている彼女を僕は前にした。体の力が抜けていくのを感じて、僕はその場にへたり込んだ。
もう何が何だか分からない。何も難しい話でないのに、本当に、脳の理解が全くと言っていいほど機能しなかった。手の震えが止まらず、このまま発作で死んでしまいそうだ。今の僕からは涙も叫び声もこれっぽっちも漏れ出ることはなく、ただ金縛りにあったように動くことができなかった。
そのままどれほど経ったか定かでないが、暫くして僕は立ち上がりもう一度彼女を見る。その顔は死人とは思えないほど美しく凛々しい。
その顔を見ると、ようやく僕は泣きそうになった。それと同時に吐き気が止まらなかった。
彼女にしてやれることだの、戦争が終わったときだの甘ったれた妄言を吐いて自分から何かを変えることを恐れていた。今はただそんな自分を責め立てることしかできなかった。
後に彼女の上官から告げられた彼女の死因は味方からの誤射だった。これは戦場で珍しくなく、よくあることだというふうに言われた。さも大した出来事でもなく、僕が下らない理不尽で大袈裟に激情ぶっているかのような物言いだった。
その時、僕は確信した。あの日僕らは荒れた世界から救助などされていない。更に深い深い地獄へと引き落とされただけだ。あの日ヘリの明かりの眩しさにかまけて、とっとと彼女の手を握って逃げ出せばよかった。どうしてわざわざあまりに厚顔無恥で排気と血に塗れた世界に降りてきてしまったのだ。僕はありったけの思考でこの世界を呪った。
僕は次の日になった頃、家に帰った。
今のこの国に忌引などあるはずもなく明日も朝から仕事が控えている。だが、今日からはやることが出来たので、すぐには寝られないようだ。
一人の人間にできることなのかわからないが、彼女が死んだと言う天変地異と比べればこの程度実に実に容易いことだ。
どうせ血みどろの世界ならば、もう一度壊してしまえばいいじゃないか。幸運にも僕はそのやり方を知っていた。
翌日、僕は変わらず朝早くから出勤した。これまで以上に業務に熱を出した。周りの同僚からは喪中であるにも関わらず変に意欲的であるとして若干気味悪がられていたが、僕にはそんなことはどうでも良かった。正しくはそんなことも織り込み済みだ。僕の地位ではあらゆる兵器の設計図をコピーすることも容易で、材料ですら製造現場に怪しまれずに入りちょいとばかり拝借するのも容易いのだ。
その製造は全て自宅で行う。だが、こんな古くて壁の薄い賃貸住宅では誰にも気づかれないのは不可能なので、僕は近くの一軒家に引っ越した。新築で防音性能にこだわり、地下室設備も完備した僕の拠点だ。
改めて全ての製造作業をそこで行った。未だ嘗てないような全てを壊してしまえるほどの爆弾の。
それから、幾らかの年をまたいだ頃、戦争は終結した。かつてあれほど渇望した緊張緩和も、今となっては僕に苛立ちを覚えさせるものだった。
今日付けで用無しになった職場を一人あとにし、帰路へつく。この頃には仕事でも大きめの責任を負う役職になっていた。もとより人付き合いの良い方でなかったが、彼女が死んで以降、基本誰とも話さないようにしていたので周りからは敬遠されていた。また、それなりの収入もあっただろうに何か贅沢な買い物をしたこともなく、衣食住以外で金を使ったのは愛用している中古の腕時計一つくらいだろう。そのへんも周りから気味悪がられた所以であろうが。だが、そんなことも今日で総てお終いである。
僕は家に着くや否やすぐにリビングに行き、床に取り付けられた地下室への扉を開ける。扉の奥へ進むとすぐにそれはあった。黒く光る、一つの小部屋ほどの大きさの鉄の塊である。
僕はその美しさに目を見張り、これからの期待に胸を膨らませた。どれほどの範囲を粉微塵に出来るのだろうか。製作者の自分でもそれは分からない。
今すぐにでも起動させたいと逸る気持ちを抑え、その機を待つ。
その時、
バタンッ
上で何か大きな物音が聞こえた。それが扉が壊される音だとわかる頃には、地下室に五、六人ほどの装備をした男がなだれ込んだ。皆恐ろしい顔をしている。
「動くなあ!」
そのうちの一人が低い声で五月蝿く叫ぶ。
どうやら隠れて危険物を製造していることが国にばれたようで機動隊らしき奴らをこの家に寄越したらしい。恐らく職場での僕に対して不信感やら嫉妬心などを抱いた者の告発なのだろうが、それを真に受けて本当に警察をけしかける国も国だろう。
僕は言われた通りその場から動かず、彼らに身を任せた。
彼らは僕を乱暴に引っ張るとそのまま地上まで連れていき、外に停めてあった車に乗せた。
空は既に赤みがかって、烏の鳴き声が響いていた。
「お前の企みもここ迄だな」
一人が僕に言った。警察は僕を後部座席に乗せ、挟み込むように両隣に乗ってきた。僕はただ今起きていることに震えていた。
車のドアを勢いよく閉めると、すぐにアクセルを踏み発車した。
「どちらへ?」
僕は尋ねた。なるべく平静を装う形で静かに言った。
「拘置所だ。一生檻からでられないと思えよ」
僕の左隣の警官がそう答えた。その言葉は至極冷静であったが節々の怒りを隠しきれていない。
「ここからどれほど掛かりますかね?」
「知らん。一時間以上は掛かるだろ」
やはり彼の回答は素っ気なかった。まあ別に愛想の良さなど求めていないので構わない。
だが、彼らの冷めきった回答に対し僕の気分は今までにないほど高揚していた。
早くしてくれないか。もう心臓がはち切れそうなんだ。
暫くして腕時計で確認すると、もう車に乗ってから四十分程経過していた。
僕は満を持して話し始める。脳にはもう出せるだけのドーパミンが放出されていた。
「あの爆弾、起爆方法が少しばかり特殊なのですよ」
僕は物腰柔らかに言う。少しばかり周りからの雰囲気がひりついたことを感じた。
「初めはただのボタン式の遠隔操作にしようかと思ったのですが、それではつまらない。どこか劇的なドラマが欲しくなったので別に方法を選んだわけです」
誰からの反応もない。警官は皆、口を真一文字に結んで黙りこくっていた。だが、彼らの首筋から汗が渡るのが分かる。僕の口調から尋常でないことを悟ったのだろう。僕は愉快極まりなかった。この顔が見たかったのだ。だが、今からもっと面白いものが見れる。
「この腕時計ですよ。これに小さな発信機を付け、それが爆弾と一定距離離れれば」
それを言い終わる前に運転手が急ブレーキを踏んだ。正しい判断だ。だが、ほんの少し遅かった。
車が速度を落とし始めたころ、南南西の地平にてあまりに眩しい一筋の瞬きがあった。その光は一瞬で膨張しすぐに僕らを飲み込んだ。僕の視界を総て眩い光が占め、やがて真っ暗になった。
横転し大破した車の中、僕は目を覚ました。他の警官は頭から血を流し、マネキンのように動かない。
僕は外に出た。もう日は暮れ、空は暗い。
そして地上は瓦礫にまみれ、所々のコンクリートの塊が点在する地平と化していた。僕は瓦礫の上を歩き出した。散歩でもしようと思う。この世界はどれほど続いているのだろうか。無理な話であるがこれがこの星全てを覆っていることを僕は切に願った。
僕は壊された辺り一帯を見渡した。まるで空っぽのように写る世界であってもこれほど僕の心を満たす光景はなかった。砂を被った瓦礫の一つ一つが僕には宝石のように輝いて見える。僕は思い切り飛び跳ねた。体中の細胞が踊りだす喜びとは正にこういうことだったのだ。
僕は満ち足りた心持ちで上を見上げる。そこには煌々と輝く星の数々があった。
そしてそれはあの日彼女と見たものよりもずっと美しかった。
ご精読ありがとうございました。