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第六話 『リミット』

 ガタンッと車体が縦へ揺れ、ゴトンッという音がそれを追いかける。

 レールの繋目を蹴る規則正しい音は、静寂に満ちた列車を等間隔に震わせ続けていた。

 

 紺色のロングシートが連なる車内には、俺達以外誰も居ない。窓からは細切れな雲が漂う晴空(せいくう)しか見えず、青のグラデーションが支配する世界が地平線の彼方まで続いている。

 後ろを振り返って窓から視線を落とすと、そこは一面鏡張りになっていて、同じように地平の向こう側まで広がっている。

 

 もう少しだけ首を下げると、車輪に沿って滑らかに流れる波紋が見えた。どうやら見渡す限りが水に覆われているようだ。

 遠くへ目をやっても、陸地はおろか、建物の影一つ見えなかった。ただただ目を細めたくなる程に眩しい蒼の世界が続くばかりで、不思議な事に太陽が何処にも見当たらない。

 丁度真上にでも出てるのだろうか? それにしては、なんとなくこの景色全体が光を帯びているような……そんな煌めき方だった。

 

 青は鎮静を促す色だ。自律神経に働きかけて心拍数を下げ、肉体や精神を落ち着かせてくれる。街路灯の光に寒色が多いのも、犯罪や争い事の抑制という目的らしい。

 そんな景色に囲まれてか、俺は今とても気分がいい。清々しいと言ってもいいくらいだ。ただ一つ――目の前のコイツさえ居なければ……。


「……アーカーシャ。虚空(こくう)や天空を意味する古い言葉だよ。知ってるかね?」


 白衣を身にまとったその男は、男性にしては少し高めな野太い声でそう言った。

 黄金色のオールバックに、白衣の隙間から覗かせる赤色のアロハシャツ。目元には濃いブラウンのサングラスをかけていて、その向こう側から微かに見える瞳を細めて鋭い眼光を此方へ向けている。

 

 どう見ても怪しい男に対して、俺はずっとだんまりを決め込んでいた。しかし、男は無愛想な俺に構わず、先程から一人で話し続けている。


(くう)とは、今私達の周りに広がっているこの景色を言うのではない。(くう)(そら)は全くの別物だ。(くう)とは”全て”なのだよ。分かるかね?」


 俺は何も返さない。

 

「……はっ、これだから素人は……」

 鼻で笑いながらそう言うと、金髪は手のひらを返して肩程まで上げ、大げさに落胆の意を表現して見せた。

 そして、性懲りもなく更に口を開く。

 

「君は、自分が住んでいた世界の国々が、何故”五大国”などと呼ばれていたのか……考えた事はあるかね?」


 沈黙がやけに刺さった。しかし、それでも俺は黙って視線だけを返す。

 そうしていると、予想通りに男はまた勝手に話し始めた。


「地、水、火、風。世界を構成する四つの基本概念だ。これら全てを包み込み、全てを司る(くう)が加わり、五大(ごだい)となる――という、どこぞの哲学で提唱された思想だよ。そんな事も知らないで……君は、彼女と今まで何を勉強してきたのかね?」


 思わず、俺は顔を歪めた。

 コイツの言葉にはいちいちトゲがある。余計な一言を付け加えないと死んでしまう病気でも(わずら)っているのだろうか? 天の上から見下すような、まさに――自分を神とでも思っているような高慢な口ぶりだ。

 

「まぁ、この私――天才且つジーニアスなこの私が設計したのだ。一般人の君には、少し難しい話だったようだね。なぁに、気に病むことはない。凡人が天才と同列に会話を交わす事自体、土台無理な話なのだよ」


「……さっきから黙って聞いてれば、神様かなんかなのか? あんたは」

 思わず口をついて文句が出てしまった。「しまった……」と俺が視線を逸らすと、視界の隅に映る男は「私が設計した――と、言ったはずだが?」と、口の片端を持ち上げながら言う。


「……はい?」

 更に眉を歪めて返事をすると、男は表情を崩さずに付け加えて言った。


「君の言う通り、私が神だと言ってるのだよ。日百合(ひゆり)(らん)君」


 俺は瞼を手で軽く擦って、もう一度男の容姿を見回した。どう見ても胡散臭い白衣姿の中年男性だ。そんなやつが、今確かに自分の事を神だと言った。

 信じるとか信じないとか、もはやそういう話ではない。途端に馬鹿らしくなった俺は、席から立ち上がって別の車両へ続くドアへと真っ直ぐに向かった。


「待ちなさい。何処へ行こうというのかね?」

「やってられるか。神様ごっこなら一人でやってくれ」


 そう言い捨てた俺の背中へ――男は重々しく言う。


「まだ、間に合うとしたら――?」


 男の言葉は、俺の体をピタリと静止させた。


「君は、それでも起きる気は無いのかね?」


「……間に合うって、どういう意味だよ」と、恐る恐る訊ねながら踵を返すと、そこには顔中にしわを寄せて挑発的な笑いを浮かべる男の顔があった。


「別に、私は一向に構わんのだよ。このままキミが目覚めなくともね」

 言って、男はまた諭すように続ける。

 

「でも……君は、そうではなかろう?」


 少しの間、俺は目を彼方此方へ向けて逡巡(しゅんじゅん)する。次に拳へ力が入り、そのまま俯いて下唇を噛んだ。

 しかし、自分の事を”神”だとか言う奴の話が、果たして本当に信じられるのだろうか? 容姿からして――言動からして、ペテン師以外の何者にも見えない。

 

 俺はもう一度、男の顔をよく観察した。感心さえ覚える程の腹立たしい笑顔を作り、両膝に肘をついて指を組み合わせるその姿は、(さなが)ら、映画やドラマに出てくるマッドサイエンティストのそれだった。

 睨むうちに、一瞬でも足を止めた自分がやはり愚かに思えてきた俺は、背後へ向き直って次の車両へ続くドアを開けた――はずだった。


「どうしたのかね? そんな、きょとんとした顔をして」

 横開きのドアの向こう側では、同じように先程の男が座っていた。

 

「は――はぁ? 一体、どうなって……」

 呆気にとられて立ち尽くす俺へ、男は手招きだけで目の前に座るように促す。


 俺はもう一度後ろへ振り返ってみる。そこには開いたままのドアの向こうに、ロングシートへ腰かけた金髪の男と、更に奥には――にわかには信じ難いが――俺の後ろ姿が見えた。

 

「何なんだよ……これ。こんなの無茶苦茶だろ」


 目の前に広がる異様な光景を暫く眺めた俺は、それにも飽きると肩を落とし、一つ嘆息して、諦めをつけてから男の前へと座り直した。


 暫くして、突然にインターホンのような音が車内へ鳴り響いた。直後、天井に備え付けられたスピーカーから聞き慣れない声が流れてきた。


――ピレネー博士、お忙しいところすみません。少しご報告が……

 

 それは、若い男性の声だった。

 

「橋本君か。何かね?」


――はい。観測対象のディメンション”ソラ”につきまして、先程、完全終息を確認いたしました。予定通り、分割されたパーティションは失われておりません


 声を聞いた金髪の男は、少し安堵したように表情を和らげて胸をなで下ろす。


「ご苦労。彼女が体を張って上手くやってくれているのだ。此方も気を引き締めて警戒にあたるとしよう。観測機器は全面的にシャットダウンだ。レーダーや波形の類も一つたりとも動かすな? 完全な非観測下でなければ、”シュレディンガーの猫”は再現されないのだからね」


――畏まりました。それでは、また一時間後に

 

 そこで男性の声は途切れ、再び静けさがやってくる。しかし、すぐに静寂は目の前のペテン師によって破られた。


「突然悪かったね。話しを続けるとしよう。……と、その前に――」

 男は言いながら右手でサングラスを外し、もう片方の手を此方へと差し出して更に続ける。


「ピカニア・ピレネーだ。君達からすれば”神”という事になる。まぁ、精々(つつし)んで(あが)めてくれたまえ」

 相変わらずの口ぶりに、俺はまた溜め息を吐きながら男の手を適当に握った。すると男はニンマリと笑みを浮かべ、サングラスをかけ直して一人喋りを再開した。

 

「しかし、自分で設計しておいてなんだが、私はどうも好きになれんのだよ。……考えてもみたまえ? 地球の衛星軌道上を巡回する月が、仮に私達から見えない位置にあったとしよう。”あの世界”の道理でゆくと、その時、月は存在しない事になってしまう。そんな事は、物理的に有り得ないのだよ。万に一つもね」


「……だから、さっきから何を――」

 俺が言いかけたその時――男は「君ではない」と俺の言葉を遮り、続けて言い放った。


「日百合君、君ではないのだよ。今のは、そこで見ているだけの”キミ”に言っているのだ。わかるかね? 観測者君」




 * * *




 ……。

 …………。

 ………………――。


 ピタッと、左の頬へ冷たい物が当たった。

 驚いて目を開くと、目の前にペットボトルのお茶が差し出されている。

 

「はい、どうぞ」

 声のほうへ目をやると、先程助けてくれた赤髪の女性がにっこりと笑顔を浮かべていた。軽く礼を言ってお茶を受け取ると、彼女は俺の隣へそっと腰掛け、「まだ……かかりそうですね」と、赤く点灯する”手術中”の文字を見上げながら言った。


 俺も黙ったまま、その文字をジッと眺めた。すると、視界の隅には碧眼を此方へ向ける彼女の顔が映った。

 

「……もしかして、私、起こしちゃいました?」

 言って、彼女は少し眉をハの字にする。


「い――いえ、気にしないでください。最近、よくあるんです。寝不足って訳ではないんですけど、何というか……夢なのか、現実なのか、ちょっと曖昧になる事があって……」と、俺は慌てて彼女をフォローした――つもりだったが、それを聞いた彼女は少し目を丸くした。


「蘭さん……もしかして、私の事も夢で?」


 恐る恐る訊ねる彼女に、俺は黙って一つ頷く。すると彼女は、俺達を助けてくれた時に見せたのと同じように、哀愁を纏った悲しげな表情を浮かべた。そして目を閉じ、また開いて、今度は真剣な面持ちになると――重苦しく口を開く。

 

「……もう、限界が近いのかもしれません」

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