4.昔話
タイトルを変えました。中身に変更はありません。
ベルテ大陸で最も栄えている国はと問われたら、ほとんどの人間が『ガルド王国』と答えるだろう。
大陸の東に位置する『ガルド王国』は、今でこそ広く豊かな領土を持つ大国だが、500年ほど前までは国と名乗るのも烏滸がましい小さな集落の寄せ集めだった。
どこかの国から分家したという王が治めていた当時のガルドの民は、周囲の国々と同様、ベルテ大陸を我が物顔で闊歩していた魔物の襲来に怯えながら、細々と暮らしていたと言う。
――その地に1人の『英雄』が立つまでは。
翌朝、周囲を窺うべく荷馬車の帆布を捲ったヒューは、強烈な砂嵐の洗礼を受けた。
「……ってぇ」
慌ててフードで顔を庇い、外に降り立つ。
荷馬車の周囲に人影は無かった。日の出直後の薄暗い時間帯という事もあるが、1番の理由はこの天気だろう。
一晩中吹き荒れた風は夜が明けても勢いを落とすどころか、むしろ悪化している。
昨日は強風のみだったが今朝は上空に暗雲が立ち込み、地平線から上っているはずの太陽の姿を覆い隠していた。さらには遠くでは雷鳴が轟いており、そのうち雨が降るだろう。
ちなみに砂漠地域は雨が降らないと思われがちだが、短時間ならば雨はそれなりに降るのだ。ただ、その程度の雨では乾ききった大地が潤わないだけで。
風に金茶の髪を乱しながら、ヒューが上空を睨んでいると、
「暴風が来るな」
と、後ろから声がした。声の主はシャザルだ。長身の男は、荷馬車を降りるとそのまま自分の右斜め前――風上で足を止めた。
シャザルの逞しい体躯は十分風除けの役割を果たしてくれる。礼を口にすると、黒髪の男は無表情のまま頷いた。
「どうする?」
「どうするって…ああ、暴風か。普段なら厄介だけど、この状況ならむしろ幸運かもしれないな」
天候が悪化する前に『ミークス』に入りたい若しくは出たい人間たちで、城塞の門は混乱するに違いない。
どれほど統括された軍隊でも、悪天候下では指揮が乱れる。寄せ集めの破落戸連中なら尚更、その隙をつく事は容易い。門兵についてはシャザルが『認識障害』をかければ問題ないだろう。
『認識障害』とは五感から入ってくる情報を誤認させる術で、黒魔術の『惑乱』に近いものだ。
魔力耐性がある者には効果が薄いが、一般人相手なら十分役に立つ。実際、高額の報奨金がかけられているヒューがこれまで無事に旅が出来ているのは、この術に寄る物が大きかった。ちなみに現在もこの荷馬車の周囲に『認識障害』をかけている。
「やっぱりお前が持っている力で1番役に立つのは『認識障害』だよな」
うんうんと1人納得するヒューに、シャザルは薄く笑った。
「オレの『力』にそんな評価を下すのはお前ぐらいだ」
「比べるほど人に関わってないだろうが、お前は」
そんな軽口を交わしていると、荷馬車の中からノアの怒鳴り声が聞こえた。相手は父親のトーマスだろう。よく怒られる父親だと、ヒューは苦笑を浮かべる。
ノアの怒りは心配からくるものだ。その根底には愛情があり、トーラスもそれを理解しているのが微笑ましい。
ノアが怒り過ぎないよう、助け舟を出すべく荷馬車の中に戻ると、予想通り荷馬車の中央には仁王立ちするノアと、その前に正座するトーラスがいた。
ひょろ長い体躯を精一杯小さく縮こまる壮年の男の姿に、ヒューは大きくため息をついた。
「おいおい。お前たち、朝から何を騒いでいるんだよ?」
「ヒュー! 聞いてくれよ、このダメ親父、借金のかたにギルドの登録証を奴らに渡したんだ!!」
「登録証を?」
彼の言葉を鸚鵡返すと、トーラスがピクリと身体を震わせる。
ギルドの登録証とは職業ごとに設けられた各ギルドが発行しているもので、主な役割は身分証明書だ。これを持つ事で、自分が何処の国の人間かを証明できる。
それ以外でも、職人や冒険者といったランクで扱える依頼が制限される者たちにとっては許可証の役割も兼ねていた。激昂するノアには悪いが、借金の担保にされて然るべき代物だ。
「まぁまぁ、落ち着けよノア。確か、登録証は紛失したって言えば再発行が出来るはずじゃないか?」
「登録証自体は身元保証人がいれば再発行は出来るけど、災害時以外の紛失だとペナルティが取られてランクが1番下になっちゃうんだよ!」
職人の1番下のランクは『見習い』だ。『見習い』では師匠の補佐が必要となるため1人で仕事を請け負う事ができない上、作成した商品の値段も安く設定されると聞く。
父親のランクがどれほどなのか不明だが、腕がいいと言うからには高レベルの鍛冶師なのだろう。
「仕方ないさ、賭け事にのめり込んだオレが悪いんだ。見習いからやり直す」
「そんな…! アイツらが悪いんじゃないか、今から取り返しに行こう!」
憤るノアとは対照的に、トーラスはゆっくり首を振った。
「せっかく逃げてきたっていうのに、捕まったらどうする。命あっての物種じゃないか」
「でも、それじゃ親父が――」
「仕事よりお前の方が大切だ。ダメ親父をこんな所まで迎えに来てくれる息子なんて、そうそう授かれないぞ」
へらりと笑う父親に、ノアがグッと唇を噛む。
こみ上げる何かを堪えきれなかった少年は、踵を返すと荷馬車の外に駆け出した。
「ノア、外はまだ危な――」
「ヒューバート様」
慌てて追いかけようとしたヒューを、トーラスの言葉が止める。
振り返ると、トーラスは三つ指をついて正座し、頭を床に擦り付けていた。
「昨夜は私どもを窮地から救って頂き、心より御礼申し上げます」
己に向けて取られた畏まった姿を、久しぶりに見た。
かつては日常的に向けられ、当たり前と思っていた、それ。
「………お前は、私を知っているのか」
「独立した際に妻の故郷に店を持ちましたが、生まれは『ガルド』です。実家は『ガルド』王家に刀剣を納める事を許された刀剣鍛冶でした。ご生誕の事もよく覚えております。王子の生誕を祝い、『豊穣の麦穂』と『ラピスラズリ』の色を用いた宝剣を献上つかまつりました」
当時、跡継ぎとなる息子の名前を知られて呪いをかけられるのを恐れた父は、立太子の礼を迎える13歳まで自分の名を秘した為、生誕祝いの品は王子の髪や瞳の色を用いる事となった。
麦穂の金茶とラピスラズリの青藍、どちらもヒュー自身が持つ色だ。
「10年前の事件も凡そ聞き及んでおります――だから、もう良いのです。貴方様はもう、私どもの為に十分尽くして下さった」
これ以上は罰が当たる、と締めくくった男に、ヒューは何も言えなかった。
ノアを探しに荷馬車から出ると、先程に比べ外はかなり明るくなっていた。
相変わらず風は強いが、日が昇りきったせいだろう。淡い灰色の空の下、ぽつぽつと人通りも見える。そんな中、ヒューの探し人は荷馬車の車輪の脇に蹲っていた。
膝を抱え、顔を埋める姿に既視感を覚え、そういえば昨夜も荷馬車の中で同じ格好をしていた事を思い出す。
自分の力ではどうする事も出来ない事態に遭遇すると、どうして人は膝を抱えてしまうのだろう。
「……親父は」
俯く少年はヒューの存在に気付いていたらしい。俯いたまま紡がれた声は、ともすれば風の音に紛れてしまいそうだったが、彼の耳には届いた。
「普段は情けないけど、剣を鍛える時はすごいんだ。真っ赤になった鉄に怯まないでハンマーを向けて……オレ、本当に、ずっと、憧れてて」
「――――」
「オレは、親父に剣を作っていて欲しいんだ」
ぐずぐずと鼻を啜るノアも、父親の判断が正しい事は分かっている。1人ならともかく、自分を巻き込みたくない事も。だが、それでも納得できないものがあるのだ。
かけるべき言葉が見つからず、傍らに立ち尽くしていたヒューだったが、突然割り込んできた声に意識を戻した。
「大変だ、親方!」
どうやら声の主は、ノアが同行してきた商隊の一員のようだ。町の中心部から走ってきたその男は、息を切らしながらヒューたちが隠れていたものとは別の荷馬車の前で叫ぶ。
「門が……、城塞の門が封鎖された!」
「何だって!?」
男の声に、周囲の荷馬車から複数の商人たちが姿を見せた。彼らは激しく息を乱す男を囲うように集まると、続きを促す。
「封鎖って、どういう事だ?」
「どうもこうも、言葉通りさ。今日1日、『ミークス』からは、出る事も入る事も出来ない」
「そんなバカな話があるか! たしかに風は強いが、この程度で城塞の門を封鎖するなんて聞いたことないぞ」
「大体、外が危険だっていうなら、外からここを目指して来た連中はどうするんだ! 砂漠の城塞都市は旅人の避難所だろ!?」
口々に苦情を捲し立てる周囲に、報告した男が声を荒げる。
「そんな事、オレに言われたって知らねぇよ! とにかく領主命令の1点張りなんだ。町の噂じゃ、高額の賞金がかけられた凶悪犯がこの町にいるのが分かったから、それが原因じゃないかって」
「そういえば連中、昨夜はかなり煩かったな。ありゃ捕り物だったのか」
「身内じゃねぇのかよ、目クソ鼻クソ共の」
口調に呆れが混じっているのは、彼らが『ミークス』の構造を正しく理解しているからに違いない。この町を統治しているのは破落戸連中で、領主も奴らの配下だと。
「成程ね」
あの酒場の連中は自分を逃がさない為に領主を動かし、城塞の門を閉じさせたのだ。おそらく、天候の如何に係らず自分が捕まるまで門が開く事はない。
それで周囲がどれほどの迷惑を被ろうと、お構いなしに。
「ヒュー……」
彼らのやり取りが聞こえたのだろう。いつしか蹲っていたノアが立ち上がり、自分を見上げていた。
その不安げな面持ちに、ヒューは笑みを作った。
こんな子供ですら人を案じる心を持っているのに、為政者たる人間が私欲に走るとは。
「ノア、オレが親父さんの登録証を取り返してやるよ」
ヒューが告げる。
穏やかだが力強いそれに、ノアは大きく目を瞠った。
「聞こえただろう? どうやら奴らの狙いはオレみたいだし、連中を倒さないと門が開かないなら、そのついでだ」
「そんな――無理に決まってるよ!」
ヒューの申し出は嬉しいが、それが実現困難である事はノアにでも分かる。いくら彼が連れているシャザルが屈強だと言っても、多勢に無勢だ。
「何だ、取り返して欲しくないのか?」
からかうような口調に、大きく頭を振るノア。
混乱が収まらないノアとは逆に、すっきりとした面持ちのヒューは「なら決まりだ」と頷いた。
「どうして……どうしてヒューはそこまでしてくれるの?」
ただ同じ酒場に居ただけなのに。
その問いに、青年は藍色の瞳を細め、ゆるりと微笑んだ。
「オレもお前の親父さんの作った剣が見たいんだよ」
ざわり、と突風が吹き荒れ、彼のマントが大きく乱れる。
気付けばヒューの背後にシャザルの姿が見えた。長身の男は、黒髪を乱す事無く彼の傍に控えていた。
シャザルの灰青の瞳は、昨夜と同じく無機質な光を宿している。
それは、父が鍛える剣の刃とよく似ていた。
次が最終話でしたが……
すみません、終わりませんでした。
もう少し続きます。