2.酒場の親子
「親父!」
飛び込んできた予想外の言葉に、ヒューは思わず目を瞠る。
あまりの事にぽかんと口を開けたまま相手を凝視していると、茶髪の少年は自分たちのテーブルを通り過ぎ、先程6枚ポーカーを仕掛けられていた男性に向かって走り寄って行った。
「ひぇっ……、お前、ノ、ノアじゃないか!? どうしてここに……」
「どうしたもこうしたもねぇよっ! 予定してた日を1週間過ぎても親父が家に帰って来ないから、何かあったんじゃないかと思って探しに来たんだよ! それなのに何だよ、こんなとこで飲んだくれて!」
「す、すまん、ノア」
突如現れた息子に強く叱咤された男は、一気に酔いが醒めたらしく口調も幾らかしっかりしている。
「この前の砂嵐で足止めを食って…、その間の時間つぶしにカードをやったら、ついつい時間を忘れて長居しちまったんだよ」
身を縮めて恐縮する父親の姿に、激昂していた気持ちが落ち着いたのだろう。ノアと呼ばれた少年は、やれやれとばかりにため息をつくと宥めるように父親の肩に軽く手を置き、
「……もういいよ、親父が無事だったならさ。さぁ、家に帰ろうぜ。お袋も店の連中もみんな心配してるんだからな」
と言って、朗らかな笑みを作ったノアは、父親を椅子から立たせようする。
――が、イカサマ師たちがせっかくのカモをそう簡単に手放すはずがない。
「おいおい待ちなよ、坊主」
案の定、対戦相手だった男がドスの効いた低い声で彼らの動きを止めた。
「勝手に話を進められちゃ困るな。親父さんはオレたちとゲームしてる最中なんだぜ? それなのに、途中で割り込んでこられて、このゲームをどうしてくれるんだ」
「あ……」
男の言葉に、しまったという顔を作るノア。
確かに相手の言うとおり、テーブルの上にはノアの登場に驚いた父親が落とした手札が散らばっている。しかもカードの中には表を向いているものもあるため、とてもゲームを続けられる状態ではなかった。
自分が彼の立場なら、知った事かと無視を決め込んだだろう。なにせ相手はカードの数を偽って持っているぐらいなのだから、まともな勝負をしていなかったのは明白だ。
しかし、残念ながらノアは他人の発言を誠実に受け止めてしまうタイプのようで、
「ご、ごめん。オレ、そういうつもりは全然無かったんだ」
律儀に謝罪する彼に、新たなカモを見つけたとばかりに対戦相手はニヤリと口角を上げる。
「ああ、そうだろう。こっちだって鬼じゃない、お前に悪気が無かったのはちゃぁんと分かってるさ。……だがな、坊主。アンタのせいでゲームが続けられなくなったんだから、この勝負は親父さんの負けって事でいいよなあ?」
「あ、うん。もちろん――」
相手の言葉に頷きかけた少年だったが、ふと、テーブルの上に散らばるコインの数に表情を変える。
賭け事でお金の代わりに使用するコインは色で値段が異なり、100円、千円、1万円の3種類のコインが使われているのが通常だ。カジノならともかく宿屋に併設された酒場で1万円のチップが使われるとは考えがたいが、仮に全てが100円コインだとしてもそこそこな金額になりそうな枚数が積み上げられている。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。おい親父、一体いくら賭けたてたんだよ?」
「――――それは……」
息子の質問に、オロオロと言葉を詰まらせる父親を見て、にんまりと口角をつり上げたイカサマ師は上機嫌で数え始める。
「今回のゲームはレイズがあんまり乗らなかったから安いぜ? ええと、ひいふうみぃ……ざっと2万ってところか?」
「2万!? 1回でそんなに?」
「ああ、ちなみに払ってもらうのはそれだけじゃないぜ、坊主。お前の親父は昨日も一昨日も負け越してるからな、全部で300万は下らないはずだ」
「300万って、冗談だろ? そんなにも払えないよ!!」
「文句は負けたてめぇの親父さんに言えよ。とにかく、金が払えない以上、親父さんはここから出る事は出来ないぜ。親父を返して欲しかったら、金を持ってくることだ――ああ、それとも坊主。お前もここで賭けに参加するかい? 3日で300万借金するヤツがいるなら、3日で300万稼ぐヤツがいるかもしれねぇぜ?」
ガハハハと大口で笑う男に、ギリリと奥歯を噛みしめるノア。
法外な負債額から、ようやく彼にもここの賭け事が違法である事が分かったのだろう。拳を固く握りしめ、少年は怒りのまま声を上げた。
「ふざけんな……ふざけんなよ、お前ら! それはお前らが勝手に決めたレートだろ!? そんな戯言に付き合う気なんて、オレはこれっぽっちもないからな。お前らがどう言おうと親父は返してもらう!」
そう言ってノアが父親の手を引っ張ろうとした時だ。周囲を取り囲んでいた見物人の中でも一際ガタイのいい男が、逆に灰色のつなぎを着た少年の腕を掴んだ。
まだ身体が完成していない少年の抵抗を余裕で躱した男は、ニヤニヤ笑いを浮かべながら彼の腹めがけてこん棒のような拳を打ち込んだ。
「ぐはッ…!」
重量級の男から受けたストレートを軽量級のボディが受け止められるはずがなく、ノアは相手から受けた勢いのまま後方――すなわちヒューたちのいる方向に吹っ飛んできた。
「ノア!!」
(うわッ……痛いぞ、あれは)
少し離れた所にあった丸テーブルの足に後頭部をぶつけて止まった少年を見て、ヒューは顔には出さなかったものの、心の中で同情する。
ノアは前後から受けた衝撃で軽い脳震盪を起こしてしまったらしく、立ち上がろうにも床が何処にあるのか分からないようで、右手をふらふらと彷徨わせている。
弱々しい姿に今すぐ駆け寄って手を差し伸べてやりたいと思うが、ヒューの置かれている状況がそれを許さなかった。
自分が関わったら、もっと面倒なことになるのは目に見えている。今は何が起ころうとも、ジッと身を潜めているのが最善だ。
そう自らに言い聞かせていたヒューだったが、ふと、傍らにいたはずの連れの気配が消えている事に気がついた。
(シャザル?)
シャザルが――あの無愛想な男が、自分の傍から離れることなど有り得ないのに。
慌てて周囲を見回すと、シャザルはいつの間にか倒れているノアの傍らに立っていた。
「シャ…シャザル!?」
とっさに声を上げてしまったヒューだったが、次の瞬間、男たちがこちらに反応する前に素早く机の下に身を隠す。
幸い彼らを始め店内の誰もが突如乱入した黒髪の男に気を取られ、自分の事は視界に入っていないようだ。
安堵の息をついたヒューは上着のフードを更に深くかぶり直すと、件の2人の様子をうかがう。
(どういうつもりだ、アイツ)
テーブルの隙間から見ると、ちょうどシャザルが右手を床に倒れている少年に差し出しているところだった。
「頭を打ったのだろう、慌てて動かない方がいい。ゆっくり身体を起こせ」
ノアは見ず知らずの相手――しかも、かなりの強面――の手を借りる事に躊躇していたようだったが、やがておずおずと手を伸ばすと、シャザルの引き締まった手に掴まり上体を起こす。
「あ、ありがとう……でも、オレより親父は」
自身もかなりのダメージを負ったにも関わらず、父親の心配をする健気な少年に、シャザルが何か言葉を発しようとした時だ。
「おい、お前もこいつの連れか?」
と、ズカズカ歩いてきたガタイのいい男たちがシャザルへ威圧的な声を投げる。
横幅こそ無いが明らかにカタギではない風貌のシャザルに、常ならば絡む人間などいないのだが、彼が丸腰らしい事と自分たちが3人である事に優位を確信したのだろう。
もっとも当の本人は割り込んできた男たちを迷惑そうに一瞥しただけで、口を開く様子はない。
「ああん? 何だお前、オレの声が聞こえねぇのか!!」
「ちっ、違う! この人は全く無関係で、たまたまオレに手を――」
「へぇ~~~、仲間なんだったらテメェが金を払ってやれよ」
慌てて否定するノアの言葉を、別の男が横から遮る。
ニヤニヤと締まりのない顔つきからして、シャザルがノアと無関係な事は彼らも承知しているのだろう。
ようするに、男たちは誰でもいいのだ。金を踏んだくれる相手ならば。
(下衆が)
男たちの小物ぶりに、テーブルの下で観ていたヒューは苦々しく舌を打った。
他人の揉め事に関わる気は無かったが、ここまで相手が腐った連中だとさすがにギャフンと言わせてやりたいと思う。
ひょっとしたら、シャザルの行動も自分と同じ感情から出たのだろうか?
(いや、まさかねぇ…)
自分の考えを速攻で否定したヒューは、改めて彼らに視線を向ける。
こちらから見る限り、男たちと対峙するシャザルは、彼らには少しも関心が無いように見えた。せいぜいが「隣の家に飼われている犬の無駄吠えが迷惑だ」と思う程度だろう。
自分たちのテリトリーで新参者にそんな態度を取られたら、男たちの苛立ちが増すのは当然の事だ。
「この野郎、なめてんのか、オイ!!」
シャザルの胸ぐらを掴もうと、男が厳つい腕を伸ばす――が、彼が寸前でひらりと身をかわしたため、空振りした男は無様にバランスを崩し、数歩よろめいた。
「――ああ。お前、さっきコレを殴ったヤツだな」
シャザルが重い口を開く。
ぼそりとした呟きが、はたして相手の男に聞こえていたかどうかは分からない。しかし、彼の傍らにいたノアにははっきりとそれは聞こえた。同時に男の身体が派手に床に打ち付けられたのも。
「え…っ?」
目の前で巻き起こった事態が理解できず、ノアは目を丸くする。いや、ノアだけではない。店内にいる誰もが一瞬声を失った――当事者であるシャザルを除いて。
「素手は、加減が分からん」
そう言って、面倒臭げに振られた右手は拳が握られている。
状況から察するに、男が倒れたのはその拳によってなのだろうが、あまりの速さに理解が及ばなかった。
ざわざわと波のように動揺が店内に広がっていく。もう誰もシャザル以外に目を向けてはいなかった。そう、彼らをけしかけたイカサマ師すらも。
(チャンスだ)
ニヤリと口の端を片方つり上げたヒューは、前傾のままテーブルの下を素早く潜り抜けると、ノアの父親のいるテーブルに近付く。そして周囲と同じく騒ぎの源を見つめている男の衣服を小さく引いた。
「――…ッ!?」
驚いて息を飲む相手に口の前で人差し指を立てたヒューは、ゆっくりと口を動かす。
い・ま・だ
に・げ・ろ
口元にあった指を出口へと向ける。
驚いて目を瞠る父親の表情から見るに、どうやら自分の意図は正確に伝わったらしい。だが、彼は息子を置き去りにする事に抵抗があるらしく、騒ぎの渦中にいるノアをチラチラ窺い、行動に移せずにいた。
麗しい親子愛と言えなくもないが、情だけに訴える愛は、時に足枷となり判断を誤らせる。
今が正にそれだ。故意か偶然かは分からないが、シャザルが作ったこの機会を逃したら、彼は金を払わない限り一生奴らの元から逃げられないだろう。
「大丈夫、あの黒髪の男はオレの連れだ。後で必ず合流できる」
小声でそう告げると、やっとノアの父は納得したようだ。
相手が神妙な顔でこくりと頷くのを確認したヒューは、テーブルの下からするりと抜け出すと、彼と共に見物人の間を紛れて足早に出口へと進む。
しかし、そう簡単に物事が進まないのがこの世の中だ。
もう数歩で出口と言う所で、運悪く店に来たばかりの客とノアの父親がぶつかった。
「いってぇ! どこ見て歩いてるんだよ、このクソジジイ!!」
柄の悪い男が大声で飛ばした悪態が、店内に張られた緊張の呪縛を解く。
(クソッ、この町はこんな連中しかいないのか!)
内心で苦虫を噛みしめたヒューだったが、苛立ちを腹の奥に封じ込めると、人好きのする笑顔を顔に貼り付け、2人の間に割って入る。
「あ~、すいません。このオッサンちょっと酔っ払ってて、今から外に吐かせに行こうとしてたンですよ。ホントにごめんなさい」
ぺこぺこ謝罪するヒューを睨みつけた体躯のいい客は、それでも気が収まらなかったらしく、
「何だお前は、いきなり脇から出てきやがって……。大体フードも取らないで、それで謝っているつもりなのか!? バカにするのもいい加減にしろ!!」
と言ってマントの襟元を鷲掴むと、そのまま力任せに彼の身体を壁に打ち付けた。
「いっ……」
反撃すると更に面倒臭い事になりそうだったので大人しく攻撃を受ける事にしたのだが、思ったよりダメージが大きかった。これなら先制攻撃した方が良かったかもしれない。
強かに打ち付けられた頭を左手で押さえながら、次の攻撃に備えるため体勢を立て直したヒューは、そこで初めて相手の様子がおかしい事に気が付いた。
自分を壁にぶつけた客が、口をぽかんと開けたまま両目を左右に行き来させている。
「…お、お前、その顔……1千万!!」
やがてワナワナと指を震わせながら、切れ切れに単語を叫ぶ男。
「え?」
最初、意味が分からなかったヒューだったが、相手の視線の先が自分の右隣の壁を見ている事に気付き、慌ててそちらを顧みる。
その場所には人の顔が書かれた貼り紙が沢山貼られていた。
ほとんどが宿屋の掲示板にあった賞金首のポスターと同じものだ。多くは『WANTED』、いわゆる指名手配の張り紙だが、中には『MISSING PERSON』――尋ね人も含まれている。
彼らに懸けられた懸賞金は概ね数十万円といったところだ。しかし、その中で一際高額な賞金が記載されている人物があった。それがヒューのぶつかった場所のすぐ傍らに貼られた、古い尋ね人の貼り紙だ。
そこに描かれていたのは、20歳前――ノアと同い年ぐらいの少年の姿で、いかにも上流階級の人間と言わんばかりの華やかな面をしていた。
くすんだ金茶色の髪と垂れた藍色の瞳。それだけなら、その人相書と自分を結びつける人間は少なかったに違いない。
絵の中の男には、身体的特徴として右上腕から手首にかけて装着された武骨な鉄製の装具が描かれていた。そして、それはマントが乱れたため露わになったヒューの右腕にあるものと瓜二つだった。
貼り紙にはこう記されていた。
MISSING PERSON
ヒューバート (偽名を使用している可能性あり)
報奨金 1千万円
但し、身体に損傷がなく、生きている場合に限る
「……1千万」
シンと静まり返った店内に、ゴクリと、誰かの喉が鳴ったのをヒューの耳は聞き逃さなかった。
すぐさま左手をズボンの後ろポケットに入れると、店内の奥にいる相方を大声で呼ぶ。
「シャザル!」
声の終わりに、盛大な爆発音が重なる。
1発、2発と続けざまに聞こえたそれが途切れたかと思った瞬間には、すでに店内は深い白煙に包まれていた。
「うわっ、何だこの煙!」
「おい、あの連中は何処だ!!」
「賞金首は!」
もうもうと立ち込める煙の中、人々が咳き込む音と、野太い男たちの怒声が響き渡る。
しかしご丁寧に入口の扉が締められていたため、逃げ場を失った煙は一向に薄まる気配はない。
ようやく煙幕の効き目が薄れ視界が晴れた時、店内に旅人2人と親子の姿は無かった。
煙と同じく店の中から消えたのだ。