1.城塞都市ミークス
かつて自サイトに途中まで上げていた話を蘇生させました。
5~6話で終わる予定です。
(嫌な感じの町だな)
それが城塞都市『ミークス』に対してヒューの第一印象だった。
勿論、それは門が施錠されるギリギリに入場した自分たちに対し、あからさまに嫌そうな態度を隠そうとしなかった門兵が原因ばかりではない。
何かしら問題を抱えている場所には、共通の『気』があるとヒューは常々思っている。特に荒んだ町と言うのは、空気がひどく淀んでいるのだ。
例えば今日のように強い風が吹いている日だとしても、濁った川を泳ぐのと同じで重くなった『気』が地面に堆積し空気の流れを堰き止めてしまうのだろう。だからいつまでたっても綺麗な空気が通らない。
そんな目に見えない『気』を感じるのは、自分の身体の中を流れる『血』のせいだろうか。
おかしなものだ。自分にはもう何の力も有りはしないと言うのに。
「ヒュー」
金茶色の短髪を強風にあおらせ、自嘲気味に口元を歪める。そんな自分に気付いたのかどうか、右横に立っていた黒髪の男が声をかけてきた。
「何だ? シャザル」
「何をぼうっとしている、早く宿を探すのではないのか?」
自分と同じくカーキ色のマントを纏った長身の男は、そう言って無表情のままコバルトブルーの瞳を路地へと流す。
シャザルの言葉に促され、ヒューは改めて周囲を見た。
門の周囲では、自分たちと同じくらいに到着した商隊が荷降ろしをしている。20人ほどの商隊は老若男女入り混じっており、衣服に統一性が無いところを見ると、複数の商人の寄せ集めなのだろう。
個人で旅の護衛を雇うより安く上がるため、辺境に点在する城塞都市で商売する個人商人たちがよく使う方法だ。中には個人客を乗せる事を目的に各都市を巡回する商隊もいる。こういう一行と重なると、安くて良質な宿屋はすぐ満室となってしまう。
「そうだな。せっかく砂漠の暴風から逃れたっていうのに、こんなところで野宿はご免だ」
相棒の現実的な指摘に苦笑したヒューは、気持ちを切り替えるべく左肩のリュックを勢いつけるように背負い直すと、市街に足を向けた。
城壁都市『ミークス』は、ベルテ大陸の砂漠地域にある小さな地方都市だ。
その名の通り周囲を高い壁にぐるりと囲われており、砂漠からの強風を流すためだろう、東西の大門から真っ直ぐに伸びる広い通りが圧巻だ。
元々この場所は、砂漠に点在するオアシスの1つで、都市国家の間を行き来する商人たちの休憩地点として栄えたため、住民のほとんどが旅人相手の飲食店や宿泊施設などを営んでいるという。
――それにしても。
「想像以上に荒んでいる町だな」
藍色の瞳を眇め呟くヒューの耳に、砂漠からの風に煽られて軒下の看板が揺れる音が届く。
この時期、関所である城塞の門の扉が閉まるのは午後5時だ。通常なら夕食の買い物や家路に急ぐ人々で賑わうはずだが、門があった場所から都市の中心部へと伸びている大通りに人の通りはほとんど無かった。おかげで石畳の道を歩く自分とシャザルの影が、頭の先まで確認できるほどだ。
逆に道の脇には、座り込んでカードに興じている男たちの姿を多く見かける。
彼らの傍らにコインが散らばっている所から察するに、おそらく金銭を賭けているのだろう。賭博が公認となっている町は珍しくもないが、酒場ならともかく天下の往来、それも日が沈まぬうちから堂々と賭け事に興じる輩があふれているような町の治安が良い訳がない。
これでは夜の惨状が思いやられる。
「ひょっとしたら、城壁の外の方が安全かもしれないな」
「今から外に戻るか?」
「バカ言うな、ついさっき門兵が閂を通したのを見ただろう」
この時代、多くの地域に点在する城塞都市の共通ルールとして「夜間の出入り禁止」がある。
よって、あの重厚な門が再び開くのは明日の朝、太陽が遠見の塔から姿を確認できる高さに上ってからだ。
これは夜盗などが外から侵入するのを防ぐためなのだが、治安のよくない都市では夜逃げをさせないという目的もあった。
住民の流出は税収を下げるし、何よりこの都市がどういう状態なのか周囲に伝わってしまう。身内の傷を外に出さないという発想は、城塞都市に限らず多くの都市が持ち合わせているものだ。だからこそ、この町の現状が自分たちの耳に入ってこなかったに違いない。
「高い関所代を払って中に入ったんだ、今夜はここに泊まろうぜ。お前はいいかもしれないけど、オレはもう足がクタクタなんだよ」
聞えよがしに溜息をつくと、シャザルが薄い唇を面白そうに歪めた。
「相変わらず、お前は驚くほど体力が無いな」
「箱入り息子だからさ、フォークとナイフより重い物は持ったことがなくてね」
そんな軽口を交わしながら大通りを歩いていると、広めの側道と交差する十字路の角に比較的大きめな宿屋が目に付いた。
その宿は3階建てで1階はバールを併設しているらしく、焼いた鳥の香ばしい匂いが往来まで漂ってくる。ちらりと入口からバールの中を覗いたところ、丸テーブルが10卓ほど置かれた店内にはやはりカードをする客で賑わっていた。
客層はお世辞にも上品とは言えなかったが、騒がしすぎるというほどではない。下町の居酒屋ならこの程度の喧騒は許容範囲だろう。何より、甘いタレの匂いが猛烈に食指をそそる。
「そういや腹が減ったな、ここにするか」
うんうんと首肯すると、ヒューはシャザルの返事も待たずに宿の中へと足を踏み入れた。
「なあ、お兄さん。部屋空いてる?」
リュックを下ろし、フロントに立つ壮年の男に愛想よく声をかける。すると、従業員らしい男は胡乱気な視線を自分と彼の後ろに立つシャザルに向けた。
長身でマントの上からでも鍛えている事が分かる体躯のシャザルはともかく、身長は成人男性の標準以上にあるが、垂れ目気味の甘いマスクと柔らかな物腰から「いいところのお坊ちゃん」なところが滲み出ているヒューは、この手の輩に舐められがちだ。
案の定、従業員は小馬鹿にするように鼻を鳴らし、威圧的に答えを返した。
「あんたら運がいいな。2人部屋に空きはねぇが、1人部屋ならちょうど2つ空いてるぜ」
「ああ、大丈夫。コイツはここに泊まらないから。泊まるのはオレ1人」
視線でシャザルを示すと、聞えよがしに舌打ちをした従業員は後ろのキーボックスから鈍い光を放つ銅の鍵を乱暴にテーブルに置いた。
ボックスの中に収められた鍵の数から察するに、本当は2人部屋も空いているのだろう。2人部屋1室より1人部屋2室分の料金の方が高いから、1人部屋しか空いて無いといったのにアテが外れて不機嫌になったようだ。
分かりやすい相手の反応に苦笑しつつ、1人分の部屋代を払う。国境近くの宿屋は払い逃げ防止のため原則前払いなのだ。
「あっちのバールは宿泊客以外でも入れるんだよな?」
「ああ。だが、部屋には1歩も踏み入れさせないぞ。売春婦も連れ込むなら追加料金を払ってもらう」
「へぇ? そりゃ厳しいって言うか、案外お堅いんだな」
旅人相手の宿場町では、売春宿以外でも夜を共にする女性を斡旋する宿は少なからず存在するし、そうでなくともその辺りはスルーするものだ。
驚きの声を上げたヒューに、男は心底面倒臭そうに言う。
「トラブルの元になるような事はご免なんだ。ギャンブルに狂った連中は賭け金になる物なら何でも売るからな、それこそてめぇの母親だって売り飛ばす」
やけに現実味を帯びた相手の台詞――それも娘ではなく『母親』という所がミソだ――に、ヒューはそれ以上の追及を控えた。
貧困が悪に分類される理由は『不要な罪』を誘発させるからだと、どこかの教会で司祭がそう語っていたが、目の前の男の言葉も内容は同じだろう。
人の欲は、新たな罪の引き金となりやすい。結局、どこに住んでいても人間のやることなど大差ないのだ。
「あんたみたいなのは中の連中のいいカモだ、せいぜい有り金巻き上げられないよう気を付けな」
「ああ、肝に銘じるよ」
鍵を受け取ったヒューが踵を返すと、自分の後ろにいたはずのシャザルは壁際の掲示板を興味なさ気に眺めている。
掲示板には催し事の告知の他に、指名手配の犯人や尋ね人などを探す、いわゆる『賞金首』の張り紙がずらりと貼られていた。
ざっと見る限り、張り紙は両手では足りない数だ。どうやら自分の予想以上に『ミークス』は物騒な町かもしれない。
(こりゃ、長居をする場所じゃなさそうだな)
明日は早めに出発しようと心に決めたヒューは、マントについていた砂を適当に払いながら、掲示板を見ている男に声をかけた。
「おいシャザル、飯食いに行くぞ」
戻ってきたシャザルと足を踏み入れたバールは、外で見た時より二割増しで騒々しかった。
空いているテーブルを見付けて女給に注文を済ませ、店内を一瞥する。
連中が行っている賭け事はどうやらポーカーのようで、あちこちの席からコールの声や勝敗に一喜一憂する人々の声が聞こえた。
食事が運ばれるのを待つ間、カードに興じている彼らの様子を眺めていると、1テーブルには大体4~6人いるが、実際にゲームに参加しているのはそのうちの3人ほどである事に気付いた。残りは見物人――俗に言う『ガヤ』だ。
ガヤたちはプレイヤー平等に声をかけているように見せかけているが、明らかにある特定のプレイヤーに群がっているのが離れた場所から見ているヒューには分かる。
おそらく、ガヤたちはプレイヤーの1人とグルで、応援をするふりをしてカモとなった相手の手札を仲間に教えているのだろう。
もちろん、プレイヤーも必要に応じてイカサマを仕込んでいた。その証拠に自分たちのすぐ近くのテーブルで賭けポーカーの仕掛人は、相手がへべれけに酔っているのをいい事に、手札を6枚も持っていた。通常、ポーカーの手札は5枚以上になる事は無いのに。
胸糞が悪くなったヒューは、気分を変えるべく目の前の男に話を振る。
「そういや、シャザル。お前さっき壁の張り紙を見ていたけど、何か面白い情報でもあったのか?」
「いや。あんなにも『お尋ね者』がいるなら、その内の誰かとすれ違う事もあるかもと見ていただけだ」
「ははっ、確かに多いよな」
このバールの壁も張り紙で埋め尽くされているが、その大半はやはり人相書だ。
「ああいうのは、直接本人を見て描いている訳じゃないからな。だから、あの手の張り紙は本人に似てないって決まってるんだよ」
「追われる人間にとっては有難い事だな」
違いない、と2人でそんな無駄話を交わしていると、ようやく食事が運ばれてきた。たっぷりとタレが乗った鶏肉に、いそいそと手を伸ばそうとした時だ。
宿屋とは別の方向に設けられていた両開きの扉が開き、1人の少年が慌ただしく店内に入ってきた。
店内に入って来たその人物は、明るい茶色の髪の少年で、年の頃は17歳と言ったところか。くるりと大きいアンバーの瞳からすると、もう少し下かもしれない。
職人が着ている灰色のつなぎに、ふと、ヒューは門の傍らで見た商隊の一行に似たような姿があった事を思い出した。
少年は突然の侵入者にざわめく周囲の反応など一切目に入らないようで、何度も顔を左右に振って店内を見回している。
どうやら彼は誰かを探しているようだ。
(まさかオレじゃないだろうな)
ヒューはその男に見覚えはなかったが、探される理由を持つ身としては穏やかではいられない。
(いやいや、いくら何でもあんな子供を使うなんて無いだろ)
内心で首を振りつつも、ヒューはいつでも逃げられるよう、テーブルの下に置いた荷物を足でさりげなく引きよせる。
すると、まるでタイミングを見計らったかのように、少年の顔がこちらでピタリと止まった。