⑦ハーランド
ハーランドは元隊長タケルの部屋に住んでいた。二人の元隊長への敬意を込めて誰もここに住もうとしなかった。だからいつタケルが戻って来てもすぐに譲れるように彼はここに住むことに決めたのだった。
彼にはまだ新しい彼女が出来なかった。
SEX相手が居ないのはかなりきつい事だったが、戦闘がきつくてそれどころでないのも事実だった。タケルが去った後は相当に楽になったとは言え、ゲリラ戦で敵が来るので殉死者はたまに出る。平和とは程遠い日々を送っていた。
俺とアカリ、ケイはモンテカルロにバカンスに来ていた。
こういう場所は仕事を諦めた高貯蓄ニートが来るものだと思っていたので、俺には場違いだと思った。到着二日目にプールに皆で行った。
アカリには水玉柄の水色水着のセパレート、ケイにはピンクのワンピースを買ってあげた。完全に俺の好みだが文句は言わせない。俺の傷心旅行だから少しくらい良い目に遇ってもいいはずだ。
ケイに結婚を申し込んだ俺だったが見事に振られた。他の女を好きな男は論外だと。
アカリは何事も無かったように振る舞っていた。実際にもう俺のことは吹っ切れたのかも知れなかった。
俺の身体には無数の傷があった。特に右脇腹は治ったとは言え他人には痛々しく見えただろう。ヤクザも軍人にもバカンスは必要なんで許してくれと言いながらプールに飛び込んだ。
海の無い国で暮らしていたので俺はかなずちだった。なんとかなるだろうといきなり飛び込んだので溺れた。
ケイに助けられたが馬鹿みたいと言われたので、大人しく少しづつ泳ぐ練習をすることになった。同じ環境で育ったはずなのにアカリはすいすい泳いでいた。日本の学校にいる時に覚えたのだと言う。それでも目的は水着鑑賞だったので二人をじろじろ眺めていた。
「タケルはえっちだね」
とアカリに言われた。そう言われても忘れられない乳房を思い出して、胸をガン見してたので頭にチョップを喰らった。ケイに呆れた顔で見られたが気にしなかった。
翌日はテニスのモンテカルロ・マスターズを観戦した。
世界ランク一位の選手が相手の球に軽々と追いつき、カウンターショットを何本も決めて勝利した。
予測とスピードが見事だった。俺も敵の予測は得意だったがあんなに速くは動けない。鍛え上げられたプロの技に見入っていた。
ケイはこの選手のファンみたいだが、最近恋人が出来たことに憤慨していた。
アカリは場内の熱気に感動して大声を上げていた。
夜この国のニュースを見ても我が国の戦争報道は少なかった。
三人別々の部屋だったので暇を持て余していた。なので家から持って来たカミュの『異邦人』を読んでいた。主人公の刹那な生き方に共感はしたが、教訓は特に俺には無かった。
寝る前にアカリが遊びに来たので、お兄ちゃんに悪戯されに来たのと言ってチョップを喰らった。
「タケルは最近明る過ぎて違和感を感じる」
「いつまでも戦場の死神と呼ばれる痛い自分はやめたんだ。目の前の愛する人を眺めていたいんだ」
久しぶりにアカリがキスしてくれた。お前だってまだお兄ちゃんとは認めてないじゃないかと思った。
「タケルはケイに振られたんだね。慰めてあげるからおいで」と言われ小さな胸を借りた。
ケイはあの夜の出来事をすぐにアカリにばらしていた。俺のケイへのプロポーズのことも。
「兄妹でずっと暮らしていかないか。人里離れた場所に」というとアカリは首を振った。良い人を探して結婚したいと言った。
ちょっと仲が良過ぎる普通の兄妹になれた気がした。
もっと我がままで我を通したかったが、常識というものがある。俺は軍人を辞めそういうことを気にする男になりつつあった。
乾武流と乾亜香里。これが俺たちの本名だった。古い写真を探したら裏に書いてあった。
俺はもうすぐ大学に入る。そこでいろんな人間に出会い未だ見ぬ恋人が出来るかも知れない。
「そうでもないかも知れないわよ」
ケイは日本から取り寄せた戸籍謄本を見せてくれた。乾家にアカリはいたが俺の名前はなかった。
「俺だけ非嫡出子なのか」
とケイに聞いたがそれだと謄本には載るでしょうたぶんと彼女が言った。深い事は考えたくは無かった。アカリが嫁に行くまでは面倒みたいんだ。
旅から帰宅すると戦場のことが報道されていた。故郷の街はまだゲリラに悩まされていた。
「入学までの一カ月軍を見て来る。これが最後だ本当に」
二人は行くことを許してくれた。ただ必ず生きて帰って来る事と念を押された。
装甲車のようなマイカーを走らせた。
二人が居ない生活は久々だった。
基地に付くとケイの私兵にこちらに部屋は用意してありますと案内された。するとアカリとケイが既に居た。二人に完璧に騙された。
基地に着き臨時の隊長を任された。
ゲリラはどうやら前に我々が叩いた地下壕から出撃してるらしかった。もう軍事基地ではないはずの場所から私怨で戦ってるらしい。目標はきっと俺だ。
本当は前に使った高射砲もどきのミサイルで殲滅させるべきだろう。ただ復讐の相手が俺なら出向いてやろうと装備を用意していたら、後ろからストップの声が掛かった。ケイの父親だった。
「我が社の新兵器のデータが足りない。高射砲部隊に任せて地下を破壊してくれ」と言われた。
スポンサーには逆らえないし、落ち着いて考えたら命を懸けるほどのことでもなかったので了承した。社長は更に敵の首都に近い軍事基地を指さした。
ここを落し戦争を終わらせると。それが君に来てもらった最大の理由だと。
自分の意志で来たはずが完全に利用されていた。
大作戦になる。ここで命を散らしても構わない決意が俺に宿った。その先にきっと俺の未来がある気がする。
ケイは騙し討ちみたいで本当にごめんなさいと謝った。
「構わない。俺は馬鹿だからこういう阿呆な作戦が似合っている」と彼女に言った。
アカリはまた屋台を始めた。元常連の退役兵たちは、伝説の無国籍料理復活を喜んだ。ケイも手伝いをすぐ始めた。
「ハーランド、お前も敵の標的の一人だ。絶対に死ぬなよ。彼女を見つけるまでは」
お互い力強く手を組んだ。軟弱だった彼はもう居なかった。
そう言った翌日ハーランドは撃たれた。素人同然の援護歩兵護衛を任せたのが最悪の結果になった。
撃たれたのは胸だったが奇跡的に重要器官を外れていて彼は死ななかった。
地下基地の病院に居るハーランド看病のためケイを行かせた。本物の戦争の地獄を見てくれと俺は言った。
そんなことはお構いなしに、友軍爆撃機が昼夜敵首都に近い軍事基地に向かって出撃していた。命の価値の低さに改めて邪悪なものを感じた。俺はここを離れ前線に移動した同胞と合流するために出発しようとしていた。
「タケル、この戦争を終わらせて。そうしたらアカリと結婚しよう」
どういうことか一瞬分からなかったが、意味を理解してそうしようと力強く言った。
前線の基地に付くと、ビーム戦車砲を搭載した戦車隊が居た。
軍本部はこの攻勢でも敵が降伏しなかった場合SLBMを叩き込むらしかった。邪悪な兵器だがそもそも我々自体が人間同士で殺し合う悪魔のような存在なのでどうでも良かった。
それでもアカリは屋台で飯を振る舞う。こんな頓珍漢さが人間だったりするのかも知れない。
「ケイ、ハーランドの容態はどうだ」
そう聞くと回復が早くもう毎日話をしていると言う。
「
ただタケルみたいに治ったらすぐに前線に出撃するって言うの。命を大事にしなさいって言っているわ」
「それは無理かもな。あいつは彼女に浮気されてから死にたがっている。明るくしてるがあれはフェイクだ」俺は真実をケイに伝えた。
「ハーランド、タケルに話は聞いたわ。命を大事になんて武器屋の娘だから言えない。でも未来もちゃんと見て」
ハーランドには誰の言葉も聞こえない。愛し合ってると思っていた彼女だったが実はそうでは無かった。自死をずっと考えていた。男は弱いんだよ。女が何を考えてるかは知らねえ。
あまりの痛々しさにケイは衝撃を受けた。タケルはアカリを愛していたがあたしにも愛を分け与えてくれた。ハーランドの頑なな弱さに動揺した。
前線基地から一旦アカリとケイが居る街に戻って来た。まだ目標は達成していなかったからアカリにプロポーズは出来ない。
地下にこれほど広い空間があったのかと思うほどケイのシェルターは完璧だった。
アカリと俺は以前の恋人同士に戻った、と言うよりもっと親密になっていた。
ケイはと言うとどうしてあげたらいいのかわからないでいた。勿論ハーランドの事だった。まだまだ安静にしていなければいけないのに隠れて薬をやっていた。
あんなに追い込まれたことはケイには経験が無かった。初恋の相手タケルの左薬指に指輪があっても奪い取って見せるという闘志があった。でもハーランドにはそういうものは欠片も無かった。
「わざとハーランドの看病をあたしに任せたのね」
珈琲を飲みながら素知らぬ振りをした。
戦争とは関係ないところで彼は必死に戦っていた。俺は戦争しか知らなかったが、アカリに会ってすべてが変わり始めていたので、彼の捨て鉢な気持ちが分かった。
未来は掴み取るものでもなく、ただ受け入れるだけのものだと知った。
だがハーランドは受け入れなかった。未来を捨てると言う勇気を彼から学んだ。明日死ぬかも知れない、戦争ではなく自らの手で。その儚さが勇ましく思えた。戦争で命を捨てようとしていた過去の自分が、恐ろしくちっぽけに感じた。
灰は灰になるべきなんだ。それでも我々は生きることを切望する。自らの欲望に忠実に生きたいと傲慢になってでも。
どっちでもいいんだよきっと。だから俺はアカリをものにして未来を生きる。贅沢過ぎることかも知れない。だけど死神として生きて来た自分に、未来を生きる希望を与えてくれたのがアカリだ。俺は運が良かっただけだ。
夢が叶ったら全ての挫折した男たちを励まして生きるから待っていてくれ。上手く行くかどうかは責任持てないが。
そして最後の戦いに俺は行く。




