好きな色、好きな花
お前以上に美しい女性を知らない、なんて、ありふれた口説き文句なのに、どうしてここまで揺さぶられてしまうんだろう。
きっと、この人からの言葉でなければ「そんな訳ないだろ」と言い返せたはずだ。
それが、できないのは、この人が本気でそう思っているのが伝わってくるから。
あるいは、そうであって欲しいと私が思ってしまっているからかもしれない。
ああ、本当に勘弁して欲しい。
こんなの、知らない。
「それで、お前の好きな色は」
あ、その話続けるのね。
「お前の好きな色のドレスも仕立てよう。何色が好きだ?」
ふむ。好きな色か。パッと思いつかない。今まで考えたこともなかったような気がする。
前世では黒か白の無難で地味な服ばかり選んでいた。組み合わせに失敗しづらいからだ。今世の幼少期は明るい色のドレスを着ていたが、義母や妹に似合わないと馬鹿にされてからは暗い色のものばかり着るようになった。
う~ん。さっき好きではないとうっかり否定してしまったけれど、やっぱり青が好きな気がする。貴族女性に人気な赤やピンク、黄色のドレスは私に似合わないし。でも、青いドレスはもう沢山あるからなあ。それ以外の色を言うべきだよね。
「どうした?」
リーンハルト様が考え込んでしまった私に声をかける。
そのとき、彼と目が合った。
春の若草を思い起こさせるような、明るい緑色の瞳。
「貴方の目の色が好きです」
思わず、ほぼ無意識のうちに、そんな言葉が口から零れた。
···············って、何を言ってるんだ私は!!こんな、こんなの、口説いてるようなもんじゃないか!!!!
「······そうか。では、その色のドレスとそれに合わせた装飾品を必ず用意しよう」
「は、はい。ありがとうございます」
随分恥ずかしい発言をしたと思ったが、リーンハルト様は平気そうだ。嬉しそうではあるが。
自分ばかりが振り回されている。この人、女嫌いと言う割に、やけに手慣れてないか?
「着いたぞ」
「あ、はい」
そんなことを考えていたら、いつの間にか劇場まで着いていたようだ。
エスコートされて優雅に馬車から降りる。目の前にある建物は荘厳で、一見宮殿のようにも見間違えるほどだ。
内装も立派で、私は内心で実家よりも豪華なんかなんじゃないかと思った。バルバト侯爵家は歴史ある家門ではあるが、経営不振に片足を突っ込んでいる状態であり、夜会に行くためのドレスを見繕う金を出すのに手一杯で、古くなった屋敷の修繕までは手が回っていないのだ。
「(わあ······)」
テラス席に案内され、舞台を見下ろす。とてもいい席だ。正面から舞台を観ることができる上に、劇場全体の美しい内装を眺めることができる。数え切れない程の蝋燭の明かりが劇場全体を黄金色に染めているようで、とても幻想的だった。
「あ!」
テラス席のテーブルの上に置かれている花瓶。それに気が付いた瞬間、反射的に声が出てしまった。
「どうした?」
「この花······私の好きな花なんです」
そっと柔らかい花弁を撫でながらリーンハルト様の問いに答える。
今世で見るのは、初めてだ。よかった。この世界にもあったんだ。
「デルフィニウムって言うんですよ。白とか紫のものもあるんですけど、私はこの青いデルフィニウムが好きなんです」
五枚の花弁からなる、瑠璃色の花。この、深い青に僅かな紫が混じったような花弁の色と花粉の金色のコントラストが好きだった。
前世の私は花にさほど興味がなかったのに、何故かこの花だけは不思議と惹かれた。ある日、花屋に飾られているのを偶然見つけて、馴染みのない花だったのに、衝動的に買ってしまったのを覚えている。誰かに贈るためではなく、自分のために花を買ったのはそれが初めてのことだった。
「――これか」
ため息をつくように、リーンハルト様が小さく呟いた。
「リーンハルト様?」
「この花が好きなんだな。覚えておく。お前の誕生日にはこれを飾ろう」
「······私の誕生日は一月八日ですので、この花は咲いていないかと······確か春から夏にかけて開花する花なので」
まただ。また何か誤魔化されたような気がする。
リーンハルト様はときどき、何かを懐かしむような言動をしたり、意味深な言葉を吐いたりする。そして、私がそれに深く切り込もうとすると、話題を変えるか黙り込む。
多分、そういった言動をしてしまうこと自体はわざとじゃない。わざとやる意味が無い。わざわざ私に不信感を抱かれようとするメリットが無いからだ。
これまでの態度から判断して、リーンハルト様は、私を騙そうとはしていないと思う。
彼はきっと、騙そうとしているのではなくて、何かを私から隠そうとしている。
そして、その"何か"がリーンハルト様が私を溺愛している理由に繋がるはずだ。
ならば、何故彼はそれを隠そうとするのだろう?
······分からない。何か私に知られたら彼にとって都合が悪いことを隠していると考えるのが定石だが、私のためを思って隠している可能性も捨てきれない。だって――――。
「じゃあ、結婚記念日に飾ろう。その時期ならきっと咲いているだろうから」
――――彼は、結婚してからずっと、私を大切にしているから。
リーンハルト様の美しい緑の目が私を見つめる。
その目に、私への愛しさが滲み出ていると思ってしまうのは、私の自惚れだろうか。
ねえ、リーンハルト様。私、貴方が私に何か隠していることは知っているんですよ。――でも、それでも、貴方が私に向ける想いは本物だと、信じてもいいですか?
なんて。
言えたら、何か、変わるだろうか。
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