当たり前のものは当たり前じゃない
「·········」
馬車に乗り、窓の外を眺めながら私は出発時の痴態を猛省していた。
············多分、使用人たちから物凄く生温かい目で見られてたんだろうなあ、さっきのやり取り。
私たちは至って真剣だったけれど、端から見たら新婚夫婦がイチャついてるようにしか見えなかっただろう、あれは。
そんなことを考えると気まずくなる。流石公爵家の使用人と言うべきか彼らは一切動じず表情にも出さなかったけれど、それが余計に恥ずかしい。いや貴族が使用人からどう見られているかなんてのを気にする方がおかしいって理解はしているんだけどさ、私には使用人を"いないもの"として扱う感覚がないので、どうしても人前でイチャついてるような気がしてならない。
前世は言わずもがな。今世でも使用人にすら舐められるような立場にいたので、ナチュラルに彼らの存在を気にしないことができないのだ。
その点リーンハルト様はちゃんと貴族だよなあ······「使用人の前は人前じゃないよね」でキ、キスをしちゃう人だし······うう······思い出しても恥ずかしい。でもそこについては私の認識の方が貴族社会としては異端だから強く言えない······。
約束した以上、これから私はリーンハルト様に使用人たちがいる場所でもお構い無く甘やかされて、あたふたする様を見られることになるのか······あれ?もしかして今更か?今までもそんな感じだったような······うん、完全に浮かれた新婚夫婦ですね、私たち!!今更取り繕える訳がなかったわ!!
あはははは、は·········。
·········もう屋敷内で私の痴態が晒されてしまうのは諦めよう。不仲だと思われるよりはマシだ、きっと。
「僕の誕生日は、四月五日だ」
「え?」
「僕の誕生日を知らないと言っただろう?そう言えば僕はお前に何も語っていなかったと気が付いてな。好きな食べ物は······強いて言えばジビエくらいか。特に食に対して関心はない」
「覚えておきます。お誕生日パーティーにはジビエを用意しておきますね」
「······当然のように祝うつもりでいるんだな」
「家族ですから、当然です」
もしかしてこの世界では誕生日を祝うことが一般的ではないのか?
いや、そんなことはないはず。私をハブってたあの人たちは私の誕生日を祝ったことが一度もなかったけれど、お婆様は祝ってくれていたし、あの人たちも私を輪にいれることはしなかっただけで、お互いの誕生日を祝っていたと思う。
「もしかして、誕生日とか記念日とか面倒だと思われるタイプですか?」
「いや、別に。そこまでじゃない。お前がしたいならそうすればいい」
「今までのお誕生日はどうなさっていたんですか?」
「······義兄が生きていた頃は何もしなかった。僕を産んだ女も僕のことを嫌っていたし。義兄が死んで、本邸に引き取られてからは、毎年客を招待していたが······あの老いぼれを屋敷から追い出してからここ数年間はやってないな」
リーンハルト様はひどくどうでもよさそうに言った。
その様子に私は何とも言えずに黙り込む。私も大概だが、リーンハルト様も家族に恵まれなかったようだ。
リーンハルト様は本来、ディルガー公爵家の後継とはなり得ないはずだった。先代ディルガー公爵――リーンハルト様の父親は、正妻との間に嫡男がおり、妾腹の出であるリーンハルト様は庶子でしかなかったからだ。しかし、リーンハルト様の義兄は馬車の事故で亡くなってしまい、先代公爵は年齢的にもう子を望めない正妻と離縁し、妾であったリーンハルト様の母親と再婚し、リーンハルト様を後継者に据えた。こうして、リーンハルト様は正当なディルガー公爵家の後継として屋敷に迎えられたのだ。
······この話はかなり有名で、私でも知っている。「庶子を次期公爵に据えるなんてどうかしている」とか「別の種の子じゃないか」とか「正妻を追い出すなんて酷い」とか基本的に否定的な意見ばかりだった。
法的には認められているけれど、モラル的によろしくない、みたいな感じなんだろう。それでも別に貴族社会では珍しい話でもない。ここまで悪し様に言われてしまうのは先代公爵が能力的に劣っており、人格に問題があったからとも聞いた。リーンハルト様とは対照的に、領地経営に真剣に取り組むことなく、女遊びにかまけてばかりいたとか。
人格、能力共に問題がなければリーンハルト様が下克上なんかしないし、しようとしたところで誰かが止めるよなあ······そうならなかった時点でさもありなんと言うべきか。
「あと、お前を妻に選んだ理由は、お前を愛しているからだ」
「それは知ってます」
この一ヶ月で飽きる程聞きました。
でも、誕生日も好きな食べ物もさっきまで知らなかったことだ。リーンハルト様の出自も、情報としては知っていたけれど、こうして本人の口から聞くのは初めてだし。
······そうだ、私。この人が何を考えてるのか、私をどうするつもりなのかばかり考えて、この人がどんな人なのかを知ろうとしていなかった。
結婚してもう一ヶ月も経つのに、私、全然この人に寄り添えていなかったんだな。
駄目だな、これじゃあ。信じきれなくても、愛せなくても、この人を幸せにすると決めたのに。
「お誕生日、絶対にお祝いします。リーンハルト様がお生まれになったおめでたい日ですので!!」
「そんなにめでたい日でもないが、お前がそれを望むなら」
「おめでたい日ですよ。貴方が――私を幸せにしてくれた貴方が生まれてきた日なんですから」
そう言うと、彼は目を見開いた。そして、顔を下に背けてしまう。
「リーンハルト様?」
「······何でもない」
わたしが怪訝に思って声をかけると、すっと顔を上げたリーンハルト様は私を安心させるように穏やかに微笑んだ。
······何だったんだろう?
「ただ、これくらいで幸せだと満足されては困ると思っただけだ。ペトラ、お前の生活は決して特別なものではなく、ディルガー公爵夫人として当然のものだ。お前が享受すべき当然の権利であって、そんな風に僕に恩に着る必要はない」
諭すように、リーンハルト様は私に語りかける。
この人にとってはそうなのだろう。
私がリーンハルト様から与えられたと思っているものは、リーンハルト様にとって感謝されるに値しないものなのだろう。
でも、私にとってはそうじゃない。
「当たり前のものは、当たり前ではないんですよ、リーンハルト様」
私がそう言うと、リーンハルト様は「それは······」とだけ呟いて苦々しい顔になって黙り込んだ。
心当たりがあるのだろう。
私が由緒正しい貴族令嬢であったにも関わらず、家族に疎まれ貴族令嬢らしい生活を送れなかったように。
リーンハルト様が急速な代替わりを進めなければならなかった程、リーンハルト様の父親が貴族の義務を放棄し、享楽に耽っていたように。
当たり前のことをできない人は沢山いるし、当たり前の生活を送れないなんてよくあることなのだ。