嫌ではないです
「いいですか、リーンハルト様」
私は数分前の楽しげに私をからかっていた様子とは打って変わって、弱気で悲壮的な様子になってしまったリーンハルト様に近づく。
「私は······」
口を開きかけたが、真正面から向き合った彼が私の顔を見ていないのに気が付いたので、彼の顔を両手で挟んで私に無理矢理視線を合わさせた。
「!?」
「い、い、で、す、か?リーンハルト様」
リーンハルト様の目が大きく見開かれ、体が固まる。
彼がかなり驚き、困惑しているのはよく分かったが、私は構わずに改めて言った。
「私は、貴方のことを、嫌っていません」
その言葉に、リーンハルト様はぽかん、とした顔をする。
なんだその顔。かわいいな。じゃ、なくて!!
「私は、貴方のことを、その······素晴らしい人だと思っています。私のことを大切になさってくれますし、領地経営の腕も素晴らしいです。使用人や領民に対して横暴な振る舞いをすることもないですし」
その代わり自分に敵対する、あるいは自分の目的の障害となる勢力に対しては一切容赦がないらしいが。先代当主を隠居させるにあたっては、先代当主についていた大勢の屋敷の使用人が問答無用で解雇され、保守的な分家もかなり代替わりさせられたとか。かなり大規模かつ急進的な領地経営の方針転換に反発するものは多く、あわや流血沙汰になりかけたとも聞く。
そこはまあ、置いておく。少なくとも今世の私の家族よりは真っ当で真面目で有能だ。
重要なのは、私がこの人を嫌っていないということ。
「私は、貴方のことを、嫌っていません。触られるのも、嫌ではないです」
「······無理をしなくていい」
リーンハルト様がやんわりと彼の頬に触れていた私の両手を引き剥がす。
「好きでもない男に、触れられるのは嫌だろう。結婚できただけでも過分な幸福なのに、調子に乗った僕が悪い」
伏し目がちにそう言うと、リーンハルト様は私から手を離して後ろに下がった。
「悪かった、本当に。お前が僕を愛せないのは当然だと分かっていたはずなんだが······」
「まずそういうのやめません?」
私はガシッとリーンハルト様の両手首を掴んで再び引き寄せようとしたが、リーンハルト様は長身の私よりも体格がいい成人男性。重心を後ろに置かれるだけで私の腕力で彼を動かすことができなくなる。
······散歩を拒否する犬みたいなことをするのやめてくれない?
「ペトラ」
「話をしましょうリーンハルト様」
そう言うと、彼はピタリと固まる。
「話をしましょう。私たち、お互いの認識について話し合う必要があります」
彼の目を見ながらもう一度そう言うと、彼は抵抗をやめて大人しく私の側に引き寄せられた。
「私、貴方のことを知りません。貴方の誕生日も好きな食べ物も、どうして貴方が私を妻に望んだのかも知りません」
「ああ」
「正直、罠か何かなんじゃないかって疑ってます」
「······そう見えたか。僕が、お前を貶めようとしていると?」
「理屈じゃなくて気持ちの問題です。私の落ち度ですのでリーンハルト様は悪くないです」
「いや、そんな風に思わせてしまう僕が悪い。それに、僕は············お前に話せないことが沢山ある。これで僕を信じろというのも無理な話だ。分かっている。お前は何も悪くない」
「いえ、ここまでされて貴方を信じきれない私も悪いんですよ」
「違う、お前は悪くない。僕が全部悪い」
「リーンハルト様」
思い詰めた表情を浮かべ、自分を責めるリーンハルト様。
初夜のときからずっと思っていたのだ。この人は――――。
「愛されなくて当然だとか、自分だけが悪いとか、そんな悲しいことはおっしゃらないでください」
――――私に多くのものを与える癖に私から何かを得ようとはしていない。
彼の私への態度はあまりにも献身的過ぎる。
その愛情は、ひたむきで、愚直で、歪だ。
私だけが与えられ、甘やかされるのは公平じゃない。そして私は公平じゃないのは、好きじゃない。
「私、結婚ってお互いに尊重し合うのが大切だと思うんです。正直、まだ貴方のことを怪しいと思う気持ちは捨てられないし、貴方に愛しているとも言えないのですが······それでも、貴方が私にくれた幸福の分、私も貴方を幸せにしたい」
リーンハルト様は、私がリーンハルト様を愛せないと思っている。それどころか、私がリーンハルト様を嫌っていると確信しているようだ。
······確かに私はまだこの人に愛しているとは言えない。猜疑心を捨てることができてない。
でも、私はリーンハルト様を嫌っている訳でも、リーンハルト様から搾取したいとも思っていないのだ。
そこを誤解されたままなのは、気にくわない。
「······さっきリーンハルト様から距離を置かれて少し悲しくなりました」
「っ、すまない!」
「謝らないでください。おかげで気が付くことができましたから。リーンハルト様も悲しかったですよね?」
「······それは」
「繰り返しになりますが、私は貴方を嫌っていませんし、触れられるのも嫌ではありません。ただ、人前でこう、過度に触れ合うのは外聞が悪いかと思いまして·····でも、いきなり拒絶されたら嫌でしたよね。まず最初に言葉で説明するべきでした。すみません」
「······お前は悪くない。僕が不躾だった」
「じゃあ、お互い様、と言うことで」
「いや、でも、僕が······」
「お、た、が、い、さ、ま、と言うことでいいですね?」
にっこりと笑みを浮かべながらそう締めると、リーンハルト様もぎこちなくも頷いた。
「とりあえず、私はリーンハルト様のスキンシップに慣れる努力をします。リーンハルト様も、その、人前では過度なスキンシップを控えてください。それでお互いに妥協しましょう」
「······本当に嫌ではないのか?僕は、お前が嫌ならしない」
「嫌ではないです!!物凄く恥ずかしいですけど、それでリーンハルト様が幸せになれるなら存分に!!ただ、やっぱり周りからはしたないとは思われたくないので人前ではしないでください!!」
リーンハルト様の問いに、食いぎみで答える。ここで曖昧な返答をしたら、この人は私に遠慮して二度と私に触れなくなる。
それは嫌だ。このくらいしか、私がリーンハルト様に与えられるものがないのに。
彼から与えられた分は、私も彼に与えたい。
「······お前は、本当に············そうだったな。お前はそういう奴だった······」
リーンハルト様は、そんなことを呟いて目を細める。
私を見つめる優しくて穏やかな目は、遠い記憶を懐かしんでいるかのようにも見えた。
リーンハルト様の意味深な言葉が気になったが、すぐにそんなことはどうでもよくなった。
「敵わないな、お前には」
ふっと微笑んだその表情に思わず息を飲む。
この人の優しい声と表情には、だいぶ慣れたつもりでいたのだけれど······甘かったようだ。
······美形の笑顔の破壊力、凄まじい。
「ペトラ。エスコートをしてもいいだろうか?」
「!」
私は慌ててパッとリーンハルト様の両手首から手を離す。リーンハルト様を拘束していたのすっかり忘れてた·······。
改めてリーンハルト様にエスコートされる。
······一件落着と言うことでいいのだろうか?
「ちゅ」
···························ちゅ?
「~~~!?!??」
軽いリップ音と自分のこめかみに当たった柔らかい感触。その情報から導きだされる事実に私は声にならない悲鳴を上げた。
貴族の常識では、使用人は基本的に"人"として見なさないらしい。
使用人たち(((······なんか滅茶苦茶イチャついてる)))
※彼らは優秀なので感情を表情に出すことはしません。